NO12/大学受験結果

ケンジ1971年昭和46年3月3日(水)

ハーもう完全にダメ、まさに大ショック、本当の本当の、一世一代の不覚。都立大は社会で落ちるだろう。まず地理、これは簡単、いただき、と思った問題、家に帰って地図帳を開いてみると、いやはや何と、死んでも死にきれないミステイク、タイとカンボジアとを取り違えた。それに付随するメコン川とメナム川も。心からチクショウを言いたい。

次に日本史、源頼朝、この「朝」が「友」のわけがないじゃないかー!もうどうしようもないよ」!本当に今日の社会科は、私の安易なみくびりから生まれた重大事だ。これを見て、知って、私はどんなに気を落としたか、胸の底からジーンとした熱いものがこみ上げてくるのを感じている。この一世一代の重大な時に、こんな失敗をやらかすとは。この心の憂いを身にすりこむようにして覚えておこうと思う。ライオンはいつでも、どんな獲物を狙う時も全力を尽くすという。私は軽率だった。

しかし、ここでやる気を無くしたら私の完全な負けだ。この苦しみを何回も味わえば味わうほど、より大きな一人前の人間に成長していくのだ。私は最後まで全力を尽くす。世の中には、私よりもっともっと死ぬほどつらい目にあっている人だっているのだから。そしてそれを、歯をくいしばって乗り越えているのだから!


ケンジ1971年昭和46年3月8日(月)

今日は早稲田の発表を見に行ったのだが、やはりダメー、まったくやんなっちゃう。さすがに、もうダメだとは半ば思っていても、いざ発表を見に行くとなると、ずいぶん緊張するものである。

私にとって、こういう大きな試験で落っこちたのを経験したのは、二年前の自動二輪免許の実地試験と今日との二回だけである。もっともあと10日もすれば、都立大不合格というのも体験しなければならないだろうけれど。とにかく、二年前、その時の心境と、今日のその掲示板を見てから電車に乗るまでの心境とは、相似するものがある。そんな訳はないけど、みんなが合格して大きな封筒を持って帰るのに、私だけがそれを持たずに沈んだ面持ちで、これから発表を見に行く連中とすれ違う。そんな感じがして、きまりの悪い思いをした。

学芸大で頑張らなくては。でも今日は何となくやる気しないのである。~~~~


ケンジ1971年昭和46年3月19日(金)

さて、今日は朝8時頃起き、もう来るかもう来るかと、合否電報の来るのを待っていたのだが、待てども待てどもちっとも来ない。

「さてはやはり詐欺だったか、くそーあんにゃーろー殺してやる。」と息巻いて、イライラしているところへ「チワー」と来た来た。

話によると、番地の数字に余計な「ノ」が入っていたのでちょっと遅れたのだと言う。まったく気を揉ませた朝であった。まぁーとにかくそれが来て、中を見てみる。やはり案の定オッコチであった。しかし差出人もさるもの、さすがに「オッコチ」とか「不合格」とかいう露骨な言葉は使わず、いみじくも、

「サクラチルトリツ」と打ってきた。さすが名文句、不合格者の心を傷つけまいと、見上げた文句である。そんな訳で、都立大もあえなくアウト、後は学大を残すのみ。


ケンジ1971年昭和46年3月24日(水)

終わった!私としては一生懸命、出来うる限りの手を尽くした。思えばこの一年間、いや三年間、我が家にいて勉強を少しもしなかったという日もあるまい。まぁーいろいろ今から考えて、あの時はもっとできたんじゃーないのか、あの時からあれをずっと続けていれば、等々、色々後悔残念に思うことは山ほどある。しかし、私にとっては、出来うる限り、人間にとって最大に切りつめられるだけ切りつめた、いわゆる受験生活というものを遂行してきた。だからもし、誰かを、何かを恨むとしたら、それは自分自身がまだまだ甘かったのだ。今こうして書いている時、つくづく思うことである。実のところ、私はまだ無駄な時間の方が多かったのではないか?

その折々の感情にはやり、強い意志のもとに行動しなかったことも多かったのではないか?物足りないような、まだ力を出し切っていないような感も多分にある。それは一種の不安とでもいうべきものか。何か私の心に悔いを残している。

私は凡人にはなりたくないという信念を持って今までやってきた。そしてこれからもその信念は変えはしない。いつでも大きな視野を持って、小さな渦には巻き込まれぬよう、またその小さなことで深刻に思いつめることがあっても、決してそれを、その時の私にとって全てなのだ、という風には考えない。そうすることは、結局小さな人間になることであり、動物本能丸だしの大大大多数のうちの一粒と化することなのだから、それこそ私の一番嫌ういわゆる凡人というやつに成り下がったことなのだ。

しかし、私は生まれつきの神経質、果たしてもしそういう下積みの小さな社会に出た時、そういった環境に同化されず、息を切らずにその大海を眺め続けられるだろうか、それが何より心配だ。いつでも大きな夢に持ち、そこらのことには寛大な気持ちでのぞめることが出来るようになってこそ、またそれを達成できる人こそ、初めて凡人という皮から脱皮することができるのだ。よって、私はその大きな社会にたどり着くまでの、小さなこまごまとした社会を乗り越えて行く上でのモットーを持ちたいと思う。

「いつでも大きな夢を持ち、目的を持ち、大きな視野を忘れず、寛大な気持ちで、またあくまで正しいと信ずる道を余裕ある態度で歩んで行く!」


ケンジ1971年昭和46年4月3日(土)

今日は学芸大の合格発表発表であった。。私は兄に教わった国分寺駅から歩いて行くコースを、何となく心臓をふるわせながらいつもの通り、少し早足で行った。

途中にあるバー、食堂、パチンコ屋を通り過ぎると、あとは店などない住宅街へ入る。美濃部さんと秦野さんの都知事選挙ポスターなどが目につく中を、徐々に高鳴る心臓と共に、きっと落っこちだな、てなことも考えながら、ついに発表場に着いた。まだ合格者は発表になっていなかった。

しかし私がその場に着いて一分も経たないうちに、向こうの関係者が合格発表の掲示をしに来た。いよいよその人たちが張りだした。

皆一斉に注目、残念ながら一枚目は注意事項のことわり書き、さて二枚目、おっとこれも同じく。

さて三枚目、いよいよ国語科A類から発表され始めた。私は第二志望がA類だったので、それをさっそく探してみる。アウト!

残るはB類を待つのみ、その張り出す人のゆっくりしたこと、じれったくなる程。

ついに来た、国語科B類、・・・40〇70とまで見えた。その間の数字は、ちょうど張り出す人の手に妨げられて見えない。私の番号は

46である。46・・・・ウー、残念でした。

終わり。



ヒロト2022年令和4年2月16日(水)

終わったね。お疲れさん。

自分の受験の時の様子なんて見事に覚えてないけど、ケンジの日記で頭の中に受験生ブルースが流れてきたよ。

前にも書いたけど、俺も全部落っこちだった。ケンジと同じで、高望みだったんだな。大学の名前だけ見て、受けたようなものだった。実は、オヤジの強制力で、東京都の公務員試験も受けて一応受かってはいたんだ。でも、就職するなんてとんでもない、俺もみんなと同じように大学に行くんだ!何かその方が、ずっと楽しいに違いない!

そこでまたオヤジが俺の前に立ちはだかる。

兄貴は国立(くにたちじゃないよ、コクリツ)、経済的にも私立は無理、と言う。俺はどう考えても国立(くにたちじゃないよ、コクリツ)は無理、でも六大学クラスだったら考え直してくれるかも知れないと思った。落っこちー。

そして、国立(くにたちじゃないよ、コクリツ)行ける実力もないのに浪人はさせられない、ということで公務員になりましたとさ。今から考えると、オヤジの手のひらの上にいたってことなのかな。

ケンジはわりと内向的で考えちゃうタイプでしょ。俺はいい加減でお調子者、人から見ても全然違うタイプだと思う。でもやってることは結構似ていると思わない?

無理とわかっているのに、見栄を張って有名大学を受けて落ちる。何をしたらいいのかわからないけど、凡人にはなりたくない。

さて、俺たち、どうなるんだろう?

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