NO6/パックインミュージックと山猿
ケンジ1970年昭和45年8月7日(金)
さて、今日は驚き桃の木、何と起きたのが午後3時。原因は、昨晩パックインミュージックを聞きながら勉強をしていたので、能率が上がらず、夜明け近くまで起きていたということであろう。ところでパックのことだが、私は高三になって聞き始めた。とても面白く、木曜の夜が楽しみになってきたような次第である。中でも、お題拝借というコーナーがあって、全国のパックメイトからの便りを読むところがあるのだが、そこがまたなんとも言えない面白さなのである。便りを出すのは、だいたい私と同年代の人たちであるから、考えていることや、感じていることもだいたい同じで、その人の立場になりやすいので、本当に私にはピッタリの番組である。いやこれは私ばかりではなく、パックを聞いている全ての人がそう思っているに違いない。
それに、その便りを読む、野沢那智さんと、その相棒の白石冬美さんの、テクニカルというか、巧みというか、心を込めて読む、その読み方がまた抜群である。
私も、いつか一回ぐらいは便りを出したいと思っている。
ヒロト2022年令和4年2月5日(土)
なっちゃんちゃこちゃん、ナチチャコ、聞いてたなあ。
金曜日はいつも眠かった。
オールナイトニッポン、ビートたけし派と、
パックインミュージック、ナチチャコ派がいたと思うけど、俺は断然、ナチチャコ派だった。ケンジの言う通り、お題拝借は面白かった。それに楽しみにしていたのは、金瓶梅。
朗読なんてもんじゃなかった。野沢那智さんの軽妙な語りで、完全に演じていたよね。
さすが、劇団を主宰していた人は違います。
野沢那智さんは、2010年、白石冬美さんは、2019年に亡くなった。さみしいね。
今、声優ブームで盛り上がってるけど、野沢那智さんは正に草分け!アランドロン=野沢那智だったからなあ。
俺も声の仕事をしたことがあります。当時、所属していた事務所が取ってきた仕事で、
「マンガなるほど物語」
犬や村人Aなど、自動車、風の音、その他大勢の役なら何でもやらされました。
メインのお姉さん役は、「欣ドン」のわらべ3姉妹、のぞみ、かなえ、たまえ、のかなえ、倉沢淳美さん。可愛かった。
進行役のぬいぐるみ、モグタンの声をやっていた津賀有子さん、素敵だったなあ。
東宝撮影所のスタジオで収録したあと、成城学園前の居酒屋で、演出の村石さんも交えてよく飲んだものです。楽しかったな。
その他大勢役の仲間、当時同じ事務所に所属していた若者の中に、のちに西村知美さんと結婚した西尾拓実君、今、「サザエさん」で波平の声をやっている茶風林君がいました。
みんなからチャップと呼ばれ、声は、その頃からじいちゃんごえでした。
自分はさておき、こいつは売れるだろうなあと思っていました。
ひとつ、思い出した。「マンガなるほど物語」のナレーションを務めていたのは何と、
野沢那智さんでした。(別収録で、お会いすることはなかった。残念。)
ケンジ1970年昭和45年8月10日(月)
今日は久しぶりにタケがバイクで遊びに来たので、例によってそのケツに乗って秋川へ行ってみた。初めは網代へ行って、次にはんすけへ行った。月曜日とあって、さほど混んでもなく、むしろだいぶ空いていると言ってもいい程だった。さてそこで、私たちも泳ごうかな、てなことを思って、中学時代よく泳いだり、飛び込んだりしたはんすけ淵一帯をずっと見渡したのだが、誰がどういう了見でやったのかは知らないが、見事に埋まっているのである。これじゃーまったく飛び込みどころの騒ぎではない、膝小僧のあたりぐらいまでしか水がないような感じなのである。きっと、都会の方から来る林間学校の連中が、溺れてはいけないなどということで埋めたのであろうが、まったくばかなことをするなーとつくづく思った。これじゃー大人はどこで泳ぐんだ!それもはんすけだけならまだしも、秋川の主流は至るところ埋め尽くされているのである。それこそ飛び込みたいなんて日にゃー秋川の上~の方の、熊でも出そうなあたりまで行かなきゃならねーだろう。
ということで私たちは、それじゃー福生のプールでも行くか!ということになったのだが、どこまでついてないのか、西の方から分厚い雲が出たなぁーと思ったら、あっという間に空一面が雲だらけになってしまって、しょうがないからそこで解散。私は家でテレビである。
ヒロト2022年令和4年2月5日(土)
西多摩の山猿ケンジは、大自然の中を飛び回っていたんだね。
「網代」「はんすけ」調べてみた。
秋川渓谷の入り口にあたるのが、網代地区、
武蔵増戸駅から歩いて12分。網代橋が秋川渓谷と美しいコントラストを描き出しているらしい。写真で確認した。
はんすけ淵は、昔の面影はまったく無いのだと思う。武蔵五日市駅から歩いてすぐ、秋川橋の下の河川敷、今、おお流行りのバーベキューランドになっている。去年はケンジのことで何回も五日市駅に行った時、すぐ近くに見えた。淵はすっかり埋まっているらしい。
自然のままだった頃のはんすけ淵は、ケンジのような山猿たちの遊び場、深さ3メートルもあって、潜って底の石を拾ってくると山猿たちのヒーローになれたらしい。
五日市でケンジより5年早く生まれて、はんすけなどで山猿のように飛び回っていた人がいます。瀬沼正幸さん、成長して学校の先生になり教頭や校長にもなって、何と我が国立の中学校に勤務したこともあるようです。
その瀬沼さんは、6人もの子どもたちが、時を違えてはんすけ淵で亡くなったのを見てきたそうです。救助の経験もあるらしい。目撃者が語ったところによると、子どもは何かに引き込まれるように淵に沈んで行った、というのです。
瀬沼さんは、亡くなった子どもたちへの鎮魂を込めて、河童伝説も絡め、
「神々へのメッセージ・伝説の淵」
という本をお書きになりました。
ケンジが瀬沼さんを知っていたかどうか、確かめようは無いけれど、絶対どこかで会ってるよね。はんすけだったりして。
ちなみに、本はまだ読んでません。すみません。
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