NO3/ケンジと2Cの仲間

ケンジ1970年昭和45年3月21日(土)

今日は大相撲春場所14日目で、共に12勝一敗同士の横綱大鵬と横綱北の富士との興味ある対戦があった。私としては、近頃限界説などのちらほら出ている大鵬に勝たせてやりたかった。その結果、やはり信頼していた大鵬が北の富士を首投げという、あまり使ったことのない技で勝った。この勝負、本当に私を興奮させた。大鵬が勝ってよかった。


ケンジ1970年昭和45年3月22日(日)

今日は大鵬が優勝した。本当によかった。今まで何回も大鵬は優勝しているが、こんなに私をひきつけたのは初めてだ。何しろ、限界説などが出て、新横綱玉の海、北の富士の話題で持ち切りだった今場所に、予想されたみじめな姿も見せず、堂々と優勝したのだ。これは偉大である。もし大鵬が引退でもしたら、きっと相撲ファンはそうとう気を落とすだろう。何しろ柏戸もすでに昨年引退したのだから、大鵬にはいつまでもいてもらいたい。引退する時も、引き際よく勝って引退してもらいたい。


ヒロト2022年令和4年2月1日(火)

大鵬の孫の王鵬が初場所で初入幕、前頭18枚目、残念ながら7勝8敗、おそらく来場所は十両に落ちるかもね。

それにしても、相撲取りのDNaはすごいね。

大鵬は現役時代、187センチで148キロ。当時、ものすごく大きく感じた。

孫の王鵬は、191センチ、178キロだって。

たくさん食べれば大きくなるって訳でもなし、太るかもしれないけど身長は牛乳飲めばいいでしょって訳でもなし。やっぱり血筋というものかね。

大鵬も玉の海も柏戸も亡くなったけど、北の富士は元気です。いまだにNHKの相撲解説で舌好調です。79歳、まだまだやるよって感じ、いいねえ。

話は変わる。17歳のケンジ、友達との関係をこぼしている時もあるね。ちょっと連続で読んでみよう。



ケンジ1970年昭和45年4月8日(水)

さてここで一筆、学校へ行って見ての感想などを述べてみる。まず、これにはまああきれたと言おうか、運がいいと言おうか、腐れ縁とも言うべく、なんとツシマ、ハシモトとまたまた同じクラスであった。他に2Cだった男の連中で一緒になったのはミナガワだけである。これはまったく、世紀の奇跡であると言っていいだろう。何しろハシモトとは、中学2年の時からずっと付き合うことになるのである。さらにハシモト、ツシマとは小学校から通算すれば、もっと縁の深いことになる。そして今朝、昇降口のところに元2Cの連中がたむろしていた。私はすぐその中に入って行き、心の中で少し寂しさを感じながら、いろいろジョークを言い合った。本当に2Cはいいクラスだった。


ケンジ1970年昭和45年5月5日(火)

今日は一つ、述べることがある。それは人間の悲劇とも言えるかもしれない。まじめな人間、つまり時は移ろうともいつでも多数を占める凡人の中に、どうも私は溶け込んでいけないのではないかというような不安が、ふと心をかすめる。例えばY。Y自身は、ともに遊ぼう、パチンコをやろう、麻雀をやろうと言うけれども、元2Cの凡人や、今Yのクラスにいるであろう凡人とは、どう見ても一緒に遊ぶという顔ぶれはいない。2Cで言えば、ヒロト、ナガマツ、カミオカ、シマダ、ハヤカワ、~名前を上げればたくさんいるが、そういった連中は、なるほど人柄からいってともに遊べそうである。

〈途中ですが、 2022年の俺です。自分の名前が出てくるのは、なんかうれしい。お邪魔しました。〉

しかし、Yとパチンコ屋へ行こうなどということになると、それは行こうというやつもいるかもしれないが、面白くないなあと思って行くに違いない。別にYから見れば、他の人と同じように遊んでいるつもりでも、他の人から見ればどうも面白くないのである。私はこういうことが、人生にとっていちばん悲しいことではないのかと思う。人間には様々な生き方がある。まじめな生き方もあれば、遊び好きな生き方もあろう。しかし私は、その人がどんな人であろうとも、その人に色々な人生の道があるんだよということを知ってもらいたいし、知らせたい。それだけでなく色々な人の生き方を体験させてやりたい。自分でも、たくさんの人生の道があるということを体験して行きたい。


ケンジ1970年昭和 45年5月8日(金)

今日は私のストレス解消として、一節書かせてもらう。

今日は久しぶりに午後から晴れて、元2Cの連中と一緒に帰ってきた。私はハヤカワと話をしていたのだが、途中からOのやつが来て、くだらないことで私に突っかかるのである。いやに陰険ぽくって、私にいやに嫌みっぽく口を聞くのである。私も腹が立ったが、別にOと張り合ったって何の得にもならないことだからシカトでいたが、いっそぶん殴ってやろうかとも思った。Oは勉強の面ではいい線いってるが、やはりああいう人柄なのか。これはOにしてみれば、他人に対する劣等感や、自尊心が強すぎる点から、自然に自己中心的な考えしかできなくなってしまうのであろう。


ケンジ1970年昭和45年6月11日(木)

今日は4時間授業だったのだが、午後1時から耳鼻科の健診があった。私はハラシマと一緒にちょうど1時頃から保健室の前で並んで待っていた。すると、後ろから来たA組の男連中が、私たちの5、6人前に割り込んだのだ。私たちの前にいた女子が、割り込むのはやめてと注意したが、笑っていて聞き入れなかった。今から考えれば、私も注意しなかったのが悪いが、私としてはどうしても注意できない。私も前に割り込んだこともあるからである。しかし、本来ならば注意すべきなのだが。

もしこれが、ヨシブーだったら、ヒロトだったら、ヒロシだったら注意しただろうか。〈2022年の俺です。また出てきました。〉

おそらくするかも知れないが、やはりするというよりしないという方が強いと思う。こういう問題は、もう高校生、17歳である以上は、その人の良識による以外はないと思う。しかし、いつでも注意するという心を忘れたくないものである。



ヒロト2022年令和4年2月2日(水)

ケンジに対して、高校時代に俺が持っていた印象ははっきり言って薄い。趣味や部活も違うし、話しかけにくい感じもあったかな。

もっともその頃の俺の一番の興味は、女の子のことばかりだったけどね。

きっとケンジは社交的とは言えないタイプだとしても、周りの人をよく見ていたんだな。そしていろいろ感じ取り、考えていたんだろう。こういうところは、いいとか悪いの問題じゃなく性格的なことかも知れない。

俺は、自分の興味あるもの(女の子以外も少しはある)しか、見てなかったように思う。アホだよね。でもおかげで、いやなやつなんかに目が行かないから、そういった記憶も薄い。忘れただけかな?


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