死神

@takenoko2

死神

 ボロアパートの万年床に、田中一郎は一人、寝転がっていた。 

 何をする訳でもなく、ただゴロゴロと寝転がっているだけだった。 

 大学を卒業し、社会人として中小企業に就職するも、元々仕事熱心なタイプではない田中は徐々に周りとの溝や上司からの圧力を感じ、そのまま流されるように仕事を辞めてしまった。 

 それからバイトを転々としながら自由気ままな生活を送っていたが、気付けばもういい歳になっていた。 

 田中はもう何度目か分からぬ寝返りをゴロリと打つと、ボソリと呟く。 

 

「あーあ、暇だなぁ。なんか面白いことないかなぁ」 

 

 その時だった。 

 

 ――ピンポーン 

 

 くぐもった電子音のチャイムが辛うじて鳴り響く。 

 来客なんていつぶりだろうか。 

 どうせ宗教の勧誘か何かだろう。 

 まだチャイムがちゃんと鳴ることの方が驚きだ。 

 

 ――ピンポーン 

 

 まだ諦めてくれないらしい。 

 

「人がせっかくゴロゴロしてるってのに……」 

 

 ――ピンポーン 

 

 カエルの断末魔のようなチャイムが必死に来客を知らせる。 

 チャイムがこと切れる方が早いか、諦めて帰る方が早いか。 

 いや、しかしここまで粘ってくれるのなら話だけでも聞いてやってもいいかもしれない。 

 こんなボロアパートにわざわざ飛び込みで訪ねてきてくれたのだ。 

 どうせ暇だし、どんな奴か興味が沸いてきた。 

 

「はーい。今、出ますよ。まったく」 

 

 田中は渋々立ち上がり、ドアを開ける。 

 だが、むなしくも期待は裏切られた。 

 

「なんだよ。誰もいないじゃん」 

 

 キョロキョロと廊下を見回し、外の通りにも視線を向けるが、人のいる気配は全くなかった。 

 さっきまでチャイムが鳴らされていたはずなのに、もう誰もいないなんて。 

 田中は訝しげに首をひねりながらドアを閉め、振り返る。 

 その瞬間。 

 

「うぉ! あ、あんた誰?」 

 

 何と、部屋の中央に全身黒タイツを着た男があぐらをかいているではないか。 

 目を泳がせて混乱する田中をよそに、その男は馴れ馴れしく声を掛ける。 

 

「あんた誰とはご挨拶だな。ほれ、見れば分かるでしょ」 

 

 そう言って自身を指差す男だが、分かるのは全身黒タイツという怪しさ満点の出で立ちということぐらいだった。 

 田中は恐る恐る答える。 

 

「いや……ちょっと分からないですね」 

 

 すると、男は満面の笑みでこう言い放つ。 

 

「死神だよ」 

 

 沈黙。 

 田中の思考は完全に止まっていた。 

 そして、とにかく何か返さねばと思い、吐いた答えがこれだった。 

 

「絶対分からないですね! てか、死神ってそんな格好なんですか?」 

「やっぱり目立つとまずいからね。こう、黒で地味な感じにね」 

 

 地味なのは色だけだ。 

 TPOが奇抜過ぎる。 

 それよりも、この男が死神だということを受け入れてしまっている自分が怖い。 

 しかし、それはもう理屈ではなく、本能がそう告げていた。 

 この全身黒タイツの男は、間違いなく死神なんだと。 

 田中は咳払いをすると、改めて聞くのだった。 

 

「……逆に目立つと思いますが。それで、何しに来たんですか?」 

「いや、暇だったからさ。空から見てたらお前が何してんのか気になって」 

 

 あっけらかんと答える死神。 

 

「え?」 

「いい大人が平日の昼間からゴロゴロゴロゴロ。ここは天国か?」 

「いや天国って。……あ、もしかして今の死神ジョークですか?」 

「いや、べつにそういうわけじゃないし……」 

 

 少しすねた様子を見せる死神。 

 バリバリの鉄板ギャグだったらしい。 

 何だかすごく興味が沸いてきた。 

 死神というからもっと恐ろしい存在なのかと思っていたが、こんなに気さくな男だったとは。 

 どうせ暇だし、死神の生態について色々研究してみよう。 

 

「いやぁ、面白いジョークですね! 危うく笑い死ぬところでしたよ! さては、そういう手口で殺してるんですか?」 

「お、面白い? 本当!? ……オホン。いや、笑い殺すってどんな死神だよ! ハッピーセット、天国までお持ち帰りってか!?」 

 

 うわぁ、絶妙に面白くない。 

 というか意味が分からない。 

 だけど、ここは死神に合わせないと。 

 

「いやいや、持ち帰った私の魂、食べないでくださいよ。これが本当のソウルフード、なんちゃって」 

「……ッチ!」 

 

 舌打ちした!? 

 嫉妬してるの? 

 全然面白くないですよ! 

 まぁ、これで気心も知れただろうし、ここらで死神らしいことを突っ込んで聞いてみよう。  

 

「いやぁ、面白いところも素敵ですが、やっぱり仕事の時は打って変わって一段とカッコイイんでしょうね。あ、そうだ! ちょっと誰か殺してみてくださいよ!」 

「は?」 

「そうだな。じゃ、あのテレビに出てる人、殺してみてください!」 

「え? お前こわっ! 出来る訳ないじゃん」 

 

 死神に引かれてしまった。 

 確かに自分の発言も人としてどうかとは思うが、誰しも死神を前にしたら否応なく出てしまう欲求のはずだ。 

 もしかしてコイツ、本当は死神ではないのか? 

 ちょっと挑発してみよう。 

 

「え? あなた、死神ですよね? なんかノートに名前書けば簡単に殺せるんじゃないんですか?」 

「ノート?」 

「ええ、ノート。デスノート。マンガ。知らない?」 

「マン……ガ……?」 

「あ、マンガ知らないんですね。じゃあどうやって殺すんですか?」 

 

 すると、死神は頬をポリポリとかきながら、恥ずかしそうに答える。  

 

「殺すっていうか。寿命の人の魂を刈り取るというか、収穫するというか、そういうお仕事です」 

 

 なるほど。 

 この男自体に生物の生き死にをどうこう出来る力はない訳だ。 

 何だ、偉そうにしやがって。機嫌とって損した。 

 ただ単に、死にそうな者のところへ赴いて、魂を天国へ運ぶだけのお仕事ね。 

 仕事……か。 

 

「ふーん、仕事ねぇ。……給料良いんですか?」 

「悪くはない」 

 

 ほうほう。 

 俄然、興味が沸いてきた。 

 そして、こんなチャンスはもう二度とないだろう。 

 

「そうですか。……ねぇ、俺も死神にしてもらえません?」 

「は?」 

「今仕事ないからさ。お願いしますよ。死神の仕事手伝わせてくださいよ」 

「お前バカじゃねーの? ブリーチの読みすぎだよ」 

「マンガ知ってるじゃないですか! 本当、お願いしますよ!」 

「やだよ。俺これから合コンだし」 

「死神、合コンとかあるんすか!? 最高じゃないですか! 死神にしてくださいよー。仕事も楽そうだし」 

「は? 全然楽じゃねーよ。すげー大変だから!」 

「だって死にそうな人のとこ行って魂抜くだけの簡単なお仕事ですよね?」 

「死神なめんじゃないよ! 収穫に失敗したら地縛霊になんだぞ!」 

「じ、地縛霊ですか!? でも、ほらテレビとかでよくやってるじゃないですか。お寺のお坊さんとかがお経唱えて除霊しますみたいな。あれで簡単に成仏するんじゃないんですか?」 

「じゃあ、逆に聞くけども。『あ~、ここヤバいですねぇ。霊気ビンビンに感じますねぇ。では、お祓いします。ぎゃーてーぎゃーてーはんにゃはらみた。ハァァッッッ』……どう?」 

「どうって別に……」 

「でしょ? みんなそんなもんよ」 

「そうなんですか!?」 

「うん。むしろちょっと喜んでるよ」 

「喜んでる?」 

「『キャー! あの人ホントにやってるー! 生だー!』って。それでちょっと怨念がフッと消える感じ」 

「そういう理屈で!? いや、でも除霊出来てるじゃないですか」 

「違うんだよ! 怨念が一瞬消えるだけで実はまだ残ってるんだよ! もうお風呂の黒カビと一緒!」 

「何か一気に身近な存在になりましたね」 

「とにかく! 地縛霊の収穫は大変ってこと。死神も楽じゃないの。じゃあ、そろそろ合コン始まるから行くわ」 

「いや、待ってください! 本当、頑張りますから! 死神にしてください! 一生のお願い!」 

「そりゃあ一生のお願いになるだろうさ」 

 

 すると、死神はうーんとうなりながら腕を組む。 

 そして、ちらと田中を見るとぼそりと言う。 

 

「……本当に頑張れるの?」 

 

 来た! 

 ここまで来たらもう最後のダメ押しだ! 

 

「本当です! 命かけます!」 

「だろうね! 現世の命かけることになるだろうさ」 

 

 死神は腕を組んだまま指をトントンと動かし、天井を見つめる 

 

「……分かったよ。ただし、地獄の果てまで着いて来いよ」 

「ほ、本当ですか!? よっしゃあああ!!」 

「じゃあ、もう時間ないからすぐ連れてくよ」 

「了解です、先輩! 合コンって何対何ですか?」 

「適応早すぎるだろ! ……ちょっとじゃあ、そこ立ってて」 

 

 そう言うと、死神の手にはどこからともなく現れた大鎌が握られていた。 

 田中はゴクリと唾を飲み込む。 

 これで俺も死神になれるんだよ、な? 

 大丈夫、だよな? 

 土壇場になって急に不安がよぎる。 

 

「や、やっぱちょっとまっ……」 

 

 その瞬間、死神がニヤリと笑う。 

 そして、大鎌が橫薙ぎに振るわれると、田中の体は真っ二つにされた。 

 かと思うと、田中の体はぼんやりと青白く光る球体となり、光の尾びれを引きながら、死神の持つ袋の中へと吸い込まれてしまうのだった。 

 そうしてガランとした部屋には人影はおろか、もう何年も人が生活している形跡は見当たらなかった。 

 

*** 

 

「それじゃあ、今日の出会いを祝してかんぱーい!」 

「「かんぱーい!」」 

「最近、収穫どうですか? わたし、この間また一人、地縛霊にしちゃってー。本当、サイアク! 上司にも怒られるし! 何で人間ってあんな未練がましいの!?」 

「分かる分かる。俺もあの手この手で収穫してるよー。今日なんかさ、自分が死んでるって気付いてない奴がいてさ。ああいう奴が、下手に刺激して死んでるって気付いちゃうと、いちばん地縛霊になりやすいんだよね。だから、俺言ってやったの。死神になったら仕事楽だし、給料いいし、合コンだって出来るよって。そしたらホイホイ釣れちゃったよ!」 

「なにそれ! ちょーウケる!!」 

「「ハハハハハ……」」 

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