第45話 俺の戦い方


「それは……戦いたくないということなの」

「そう聞こえるかもしれない。でも、俺はこれが俺なりの戦い方だと思う。戦わない方法を見つけたいんだ」

 昨日ファウストはどうしても仇が討ちたいと言っていた。あやめにもその気持ちはあるのだろう。そんなことをしても失われた命が戻らないことなど、もちろん承知した上で。それでもおさまらない気持ちを果たすためにもここまで戦ってきたのだ。

 蓮太郎もその気持ちを否定しない。しかし蓮太郎は望まない。それだけだ。

「戦わない方法……?そんなこと、考えたこともなかった」

 あやめが呟く。

 あやめはうつむき、蓮太郎にそっともたれかかった。

「もう少し、思い出してみます」

「ありがとう」

 あやめが目を閉じた。猫が蓮太郎の膝の上におさまる。


 猫と蓮太郎にとっては静かな、あやめにはきっと身を裂かれるような時間が過ぎていく。あやめは時折呻き、嗚咽し、小さく悲鳴をあげた。何もできない蓮太郎は、ただただあやめの肩を抱いていた。

「……そう、そうだ」

 不意にあやめが顔を上げた。汗と涙でぐしゃぐしゃになっている。

「青紫が花を思っていた」

「花?」

「そう、花のことを思っていました」

 どういうことだろう。故郷に咲く花をもう一度見たかったとか、そういうことだろうか。

「違うかもしれません。真紅も同じ花を思っていました。それから、間に合わなかったというような気持ちがその花のそばにあったように思います」

「花が間に合わない……季節が合わなくて見られなかったってことかな」

 あやめは必死に記憶を探っていたが、ぐったりと蓮太郎にもたれかかった。

「わからない。大きな感情に隠れて、少しだけ見えただけだから」

 花。花って、何だろう。あやめはその花を、桜に似ているけれど、一輪がもう少し大きな花で、木ではないものだと教えてくれた。

「コスモスではないけれど、そんな花みたいです。でも小さな花がたくさんつくの。花は桜にそっくりで」

 何だろう。思いつかない。この星にある花ではないのだろうか。でも、何かにつなげられるかもしれない。


「あやめさん、ありがとう」

 蓮太郎はあやめを抱きしめた。信じてもらえて、つらいことをがんばってくれて、本当に嬉しい。

 少しあやめが落ち着くまでそうしていた。あやめは頭をなでられるのが好きなようだ。猫みたいに気持ち良さそうな顔をして、おとなしくしていた。


 猫が蓮太郎の膝から下りてあやめにすり寄った。あやめがなでると、にゃあと鳴く。あやめが微笑んでうなずいた。

「あやめが、もう行こうって」

「あやめさん、疲れてない?もう少し休んでも」

 あやめは悪戯っぽく笑った。

「蓮がキスしてくれたら大丈夫」

 昨日数え切れないくらいしたはずなのに、改めてあやめに言われて蓮太郎は怯んだ。あやめを抱きしめていたことにすら緊張しはじめてしまい、キスの前にはどんな体勢を取れば良かったのかわからなくなる。

 肩を持つのか、片手は腰に手を回すんだったか、いや腰になんか触らなかったか、背中だったかな。

 猫がうろうろする。わかってる、わかってるからちょっと待って。

 あやめが待ちくたびれてもぞもぞ動く。ごめん、心構えが、もうちょっと待って。

 蓮太郎はがちがちに緊張して、結局手はどこにも行き場がないまま、ぎこちなくキスをした。あやめが我慢できなくなったように笑い出す。

「私、蓮のそういうところが好き」

 そんなに笑いながら、そんなことを言う。蓮太郎はどんな気持ちになっていいのかわからなくて、あやめを見た。あやめは蓮太郎の首に抱きついて、頬にキスしてくれた。あやめが優しい目で見つめてくれるから、いいことにする。

 今日も蓮太郎の頭に猫を乗せて、あやめと手をつないで海まで散歩した。


 海まで、あやめはあまり話をしなかった。

 キスが下手過ぎたのかな、と蓮太郎は少し落ち込んだが、波打ち際を歩きながら、あやめはぽつりと話し始めた。

「どうしたら、敵と話ができるのかなって、考えていたんです」

 蓮太郎はあやめを見た。蓮太郎ですら、本当に戦わないことができるか半信半疑なのに、あやめは信じて考えてくれていたのか。

「私も蓮も、あんまり知らない人と話すのが上手じゃないでしょ。きっと世界で一番上手な人でもうまくいかなかったんだから、言葉では伝えられないと思うの」

「そうだね、確かにそうだと思う」

 あやめはつないだ手を蓮太郎に示した。


「だから、手をつないでみたらどうかと思うの」

「手を?」


 蓮太郎はびっくりしてあやめを見た。

「あの人たちの機械は、手のひらで動くわ。私の力も手から伝えるのが一番強いし、操縦桿も手のひらから操縦者の考えを読み取って補助すると聞きました。だから、私たちが思っている以上に、手のひらから何かが伝わるかもしれない」

 あやめは少し足を止めた。

「イリスと乗って、私が気を失ってしまう直前、倒したと思っていた真紅に足を掴まれたの。それで逃げるタイミングがずれて、攻撃を受けてしまったのだけれど、あの時、ただでは死なないって強い思いを受けたの。その時は魔女がもう切れかけていたからそれでかと思ったけれど、もしかしたら」

 それからあやめははっとしたように呟いた。

「今倒さなければもう間に合わないって、思っていたわ。自分が死ぬよりも何よりも、私を殺したくて、それは、そうでなければもう間に合わないって……」

 あやめは記憶をたどり始め、手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。

「あやめさん」

「わからない、焦りと、悲しいのかしら、もう間に合わないって、だから絶対に殺すって」

 蓮太郎はあやめを支えながら公園に戻り、ベンチに座らせた。顔が真っ青だ。

 上着を羽織らせて、少し落ち着いてからお茶を渡した。あやめは少し微笑んだ。

「ありがとう。相変わらず準備がいいのね」

 蓮太郎は笑顔を返し、しかし重い気持ちで海を見た。


 やはりもう話なんかしている場合ではないのかもしれない。

 戦うとは相手を殺すことだ。敵はそのつもりで来ているのに、手をつないで、気持ちを伝えることなんてできるのだろうか。例えできたとしても、わかってもらえても、もう間に合わないのかもしれない。

 あやめは猫を膝に乗せて、猫の前足をふにふにしている。あやめは猫の足の柔らかいところを触るのが好きだ。

 共存しようと訴えても、ダメだったら。

 その時は戦わなければならない。どうせ戦うことになるのなら、下手にお互いを理解などしない方が楽なのかもしれない。だから今まで誰も話してみようとしなかったのかもしれない。みんな、戦うということをわかっているから。


 蓮太郎はうつむき、呟いた。

「やっぱり、無理なのかな」


 あやめが少し座り直して、蓮太郎を見つめた。

 あやめは蓮太郎が初めて見る厳しさで、言った。

「迷う程度の思いなら、戦って」

 蓮太郎ははっとした。あやめは静かに続けた。

「迷いながらではきっと話しても通じないし、相手の思いに勝てない。あの人たちの気持ちは、強い。命を賭けて、自分だけでなく船のみんなの分も、もしかしたらもう亡くなっているかもしれない他の船の分も背負って来ているのよ」

 そうだ、と蓮太郎は奥歯を噛んだ。あやめの言う通りだ。こんなあやふやな気持ちでは、話ももちろんできないし、戦ってもあやめを危険に晒してしまう。


 蓮太郎は海と空を見た。公園の中の木や草、あやめ、猫。

 あやめが、カンナが、みんなが守ってきた、人の生きられる世界。

 でも、それでも、と蓮太郎は思う。

 うつむく蓮太郎のそばに、あやめは静かに座っていた。その膝の上で、猫が気持ち良さそうに寝ている。

 日が動き、風が変わる。

 寝ていた猫が起きた。猫が遊びたがったので、あやめは立ち上がって猫の好きなおもちゃで遊んだ。蓮太郎はうつむいていた。

 遊び終わって猫が今度は蓮太郎の膝に飛び乗る。あやめも戻ってきて元のように隣に座った時、ようやく蓮太郎は口を開いた。

「やっぱり、手をつないでみる。話したい」

「わかりました。そうしましょう」

 あやめはうなずき、微笑んだ。

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