第41話 バカな頑固者に野暮な解説を
「つまり、君が配慮に欠ける発言をしたために魔女がヘソを曲げたということか」
ファウストの要約は身も蓋もなかった。
「くだらない。さっさと帰れ」
ファウストは食べ終わったアイスの箱を書類の山の上に投げ出した。あの量をもう食べてしまったらしい。
「配慮というか、だって、ここはちょっとおかしいし、あやめさんもこの前会ったばかりの俺みたいなのにすぐキスしてくれるし、あやめさんがそんなだと何だか危ないって言うか」
「余計なお世話だな。全く君はお節介が過ぎる。彼女は大人の女性だぞ。誰とキスしようが、それこそこの前会ったばかりの君みたいなのがする心配じゃないだろう」
「それはそうなんですけど。でも、あやめさんが嫌な思いをしたら可哀想だから」
ファウストは持っていたスプーンを放り投げた。スプーンは軽い音を立ててどこかに紛れた。
「花屋、白い魔女が今しているのがそういった思いなんじゃないのか」
蓮太郎はぐっと詰まった。
「君には弟がだいぶ世話になったようだが、自分のこととなると途端に女心がわからなくなるようだな。ひとつ教えてやろう。白い魔女は今まで、操縦者を変えたいと言ったり部屋から叩き出したりしたことはないよ」
蓮太郎は言葉もなく、うつむいた。それだけあやめから嫌われたということか。
「君の考えていることはいつも的外れだから、今考えたこともハズレだ。余計なことは考えるだけ無駄だ。僕の言う通りにしろ。さっさと帰って謝っておとなしく寝ろ」
「……でも、だから、俺は」
ファウストは手近な本を投げた。固い表紙の重い紙の塊が真っ直ぐに飛んできてはっと顔を上げた蓮太郎の額で跳ね返り、床を埋め尽くした書類とゴミの上にどさりと落ちる。蓮太郎は首が折れるかと思った。
「全く君はバカな上に頑固だな。女性の心理を解説するほど野暮なことはないが、ご要望とあらば聞かせよう」
ファウストは億劫そうにコーヒーサーバーに向かい、コーヒーを入れた。これは自分で飲むらしい。
何度か立つのが面倒なのだろう、両手に2杯ずつ持って戻ってきた。
「機械のコーヒーは大してうまいものではないのに、習慣になるとそうは知りつつ摂取せずにはいられなくなるのだ。時間の無駄だが、僕はこれだけ奉仕しているのだ。このくらいの無駄遣いが、僕に許された貴重な娯楽だ。天才の才能は僕だけのものではないからな。君のように全ての時間を無駄に自分のくだらない悩みに使えることが羨ましくて仕方ないよ」
この嫌味は娯楽のうちに入るのではないだろうかと蓮太郎は思った。
思ったと同時に別の本が、さっきより重い本が蓮太郎に降ってきた。今度は山なりの放物線を描いていた。さすがに理系と思える見事なピンポイントの放物線だった。蓮太郎はまた首が折れるかと思った。
「……ファウストさん、女性の心理の解説は」
「これだけ時間をやっても自分では考えられなかったのか。君の首の上についているものは、耐久性がない分サンドバッグ以下だ」
ファウストはまた手近な本を手にした。これ以上本の攻撃を受けたら本当に首がどうにかなりそうなので、蓮太郎は慌てて物陰に隠れた。
そこには小さな棚があり、写真立てが伏せられていた。
そこだけやけにきれいにしてあるので、蓮太郎は気になって写真立てを手にした。
「おい花屋!それに触るな!」
ファウストが大声で蓮太郎を制した。
「すみません」
謝る蓮太郎の手から写真立てを奪い取り、ファウストは自分の椅子に戻った。いつ席を立ったのかわからなかった。この床でファウストの移動速度は異常だ。何もない床を歩くより速そうだ。
一瞬だけ見えた、写真立てに入っていたのは女性の写真だった。
「きれいな人ですね」
何も言わないのも変かと思い、蓮太郎は言ってみた。ファウストは写真立てをまた伏せて置き、舌打ちした。
「僕の妻だった人だ」
「え」
まさか妻帯者だったとは。蓮太郎は驚いた。しかし、だった、ということはやはりそういうことだろう。この惨状を見るに、人と生活なんてできそうにない。
「その頭はくだらないことに働く上に、全く的外れだとさっきから言っているだろう。君の考えは全て間違いだ」
ファウストが苛々と言う。
「妻は死んだ。異星人との最初の交渉に参加していたんだ。優秀な通訳だったからな」
「それは……」
蓮太郎は何も言えず、ただ小さくお気の毒です、と呟いた。
「人は死ぬものだ。わかっていた。しかしあの日だとは、やはり思ってもいなかった。僕は無駄が嫌いだが、彼女の仇が討ちたいと思った。相手もその気がなくて、仕方ないことだったのは理解している。だが、それでもなお暴力で相手を屈服させたいと思った。そうしたら僕の気も済むだろう。気が済むということにこんなに重要性があるとは思わなかった。だから僕はデアクストスに手を出したんだ」
ファウストはコーヒーを一気に流し込んで続けた。
「さて、これで僕が女心を熟知している訳がわかっただろう。君のような童貞とはキャリアが違うのだ。拝聴したまえ」
「……」
蓮太郎は返す言葉もない。
「いいか、白い魔女は今まで非常にいい子にしていた。相手を好きになれと言われたらそう努め、人付き合いの器用な方ではないのに、ケンカもせずに相手を受け入れてきた」
それは、相手が優しくていい人だったからだろう。蓮太郎とは違って。蓮太郎は思う。
ファウストはまた蓮太郎の考えていることを見透かしたような顔をして、ため息をついた。
「女性というものは本来理不尽なのだ。優しくすれば怒り、静観すれば冷たいと泣くのだ。そうしないのは、相手に遠慮があるからだ。我慢しているのだ。笑っているからいいというものではないのだ」
「……ええと、それはつまりどういう」
話が終わってしまいそうで、蓮太郎が慌てて続きを促すと、ファウストはまた天を仰いで飲み終わったコーヒーのカップを投げ捨てた。こうしてゴミが溜まっていくのだろう。
「本当に君はバカだな!つまり、白い魔女は初めて甘えたんだ。君になら甘えられると思ったんだ。だが甘えが通らなくて癇癪を起こした。それなのに君は魔女を宥めもせずにこんなところで油を売っているのだ。魔女は今頃泣いているぞ」
蓮太郎は動揺した。
「だってあやめさんは、イリスのことが好きで、佐々木さんのことも大事にしていて」
「では君はどうなのだ。君も、君の魔女のことが今でも好きだろう。寂しくてたまらないだろう。誰かにすがりたくはならないのか」
なった。だからキスの提案にも飛びついてしまった。
「それを認めてしまえばいいのだ。お互い納得しているならいいじゃないか。死んだ者は還らない。義理立てしても寂しさは埋まらないんだ。君が君の魔女にしてやれなかったことをしてやればいい。もちろん相手が一番大切だというフリをしながらな。人の心は見えないものだ、君が話さない限りわかりゃしない」
「でも」
「往生際の悪い男だな。君が寂しさを紛らすためにそばにいてほしいのが白い魔女で、彼女も君に同じ役目を求めているなら、それがこの世で唯一の相手と思えるのなら、それは君の言う好きという感情の意味するところと結局同じことなのではないのかね」
ああ、そうなのか。蓮太郎はようやく納得した。
俺はあやめを好きでいいんだ。
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