第40話 寒空のアイス
すごい剣幕で叩き出され、蓮太郎は呆然と鍵のかけられた自分の部屋の扉を見た。
玄関から出るまであやめに座布団で攻撃されて、靴を引っ掛けるのが精一杯だった。上着も何も手にする暇がなく、持ち物は投げつけられて思わず手にした湿ったタオルだけだ。泊まりに行くつもりで、ラフだが外にも行けるような服を着ていてまだ良かった。
あやめがあんなに怒るなんて。蓮太郎は驚いていた。余計なお世話だったかもしれないが、それにしても。
「どうしよう……」
寒い。この辺りは日中汗ばむほどでも夜になると急に冷える。
玄関の前にずっと立っている訳にもいかなくて、蓮太郎はとにかくひと回りしてこようと歩き出した。動かないと風邪を引きそうだ。
操縦者をクビになったのなら、もう風邪を引いてもいいのかな。念のため晩酌も控えたのだが。
あれだけ嫌われたのだから、この町ももう出ることになるのかもしれない。魔女はもう白い魔女しかいないこの町に、もう花屋は必要ない。蓮太郎も。
もとの生活が思い出せない。いっそもとの町には帰らず、知らない土地で暮らそうか。
寒さで早足になりながら、蓮太郎は取り留めのないことを考えた。死なずに済んだ感慨も特にない。この町に来て人の死に随分触れたが、自分のこととなると却って人ごとみたいだ。
あやめはまた戦うのだろうか。次の人とは仲良くできるといい。あんなにわがままだとは思わなかった。ファウストも今度はちゃんと手綱を引ける人を選んでくれるといいのだが。
あてもなく歩いていると、頭上で窓の開く音がした。音につられて蓮太郎が見上げると、小ぶりなバケツのようなものを抱えたファウストが、あちらも思わず動くものに目を捉えられた風に蓮太郎を見た。そして蓮太郎を認識すると、あからさまに嫌な顔をした。
蓮太郎は窓を見上げて思った。この建物も軍の何かの施設のようだが、ファウストがいるということはデアクストスの修理をするところなのだろうか。どこか隅にでいいから、一晩泊めてもらえないかな。
ファウストは蓮太郎の情けない顔に気付いたのかどうか、嫌そうに顔を背けて窓を閉めてしまった。蓮太郎はしょんぼりした。仕方ない。とにかく歩こう。
「おい、花屋」
とぼとぼ歩いていると、乱暴に声をかけられた。
「君のその格好は何だ。いかにも厄介だ。僕には星を眺めながらアイスを食べる暇すらないのか」
「ファウストさん」
ファウストが表に出てきてくれた。蓮太郎は感激して涙が出そうになった。
ファウストが抱えているバケツのようなものは特大のアイスクリームのカップだった。チョコレート味だ。この寒いのに。ファウストはそれに直接スプーンを突っ込み、アイスを頬張りながら不機嫌そうに蓮太郎を見た。
「君には操縦者としての自覚もないのか。この寒い中を散歩して風邪を引いても関係ないぞ。乗せるからな」
「それなんですが、俺はクビになりました」
蓮太郎が率直に報告すると、ファウストは大きなため息をつき、いかにも使えないというように蓮太郎を見、頭を抱え、天を仰いだ。その合間にもアイスを食べる手は止まらない。
「ただでさえ時間がないのに。君のくだらない話に時間を潰されなくてはことが進まないなんて、なんて悲劇だ」
ファウストはそして白衣を翻し、建物に向かった。蓮太郎は戸惑って立ち尽くした。ファウストが顔を向けるか向けないかの角度で足も止めずに言う。
「君はそこから僕のデスクに聞こえる大声で状況を説明する気かい」
「いいえ」
蓮太郎は慌ててファウストの後を追った。
入り口には警備に立つ軍人がいた。この町がほぼ軍の施設だから、わざわざ警備員までつけるこの建物は、かなり重要な機密を扱う場所なのだろう。まあファウストがいるので、デアクストスの整備場なのは間違いない。
「俺が中に入ってもいいんですか」
「君が操縦者ならかまわないだろう」
「それはさっきも言ったんですが、クビに」
「話は席についてからだ。君の無駄な質問に答えるのはなるべく少ない回数で済ませたいからな」
蓮太郎は黙った。ファウストは扉の少ない廊下をずんずん進み、階段を上って、ある扉の前で身分証をかざした。ピッと電子音が鳴り、解錠したらしいかちりという音がする。
「あまり中を見るな。余計な発言もするな。僕はプライベートにはあまり触れられたくないのだ」
そこはファウストの研究室らしかった。モニターがいくつもある。真ん中のいくつかは作業用のようで、ファウストが動かしていない今は止まったままだ。
他に、監視カメラのような映像が切り替わりながら延々と映っているもの、空と海らしき青い画面、黒い画面にひたすら緑色の文字が下から上へ流れているもの、白い画面に黒い数字がすごいスピードで果てしなく現れていくものなどがあったが、蓮太郎には全部よくわからない。
そしてそのまわりには山のような本、書類、メモ、ゴミ。隙間に物置のようなベッド風のものもあり、もうほぼ住んでいるような生活感があった。
見るなと言われても、よく見ないと何か踏んでしまいそうだ。蓮太郎はおそるおそる進み、示された台の隙間にたどり着いた。そこには何とか座れそうな椅子があった。
ファウストは器用にすいすいと歩き、入り口にあったコーヒーサーバーで使い捨てのカップにコーヒーを淹れた。ひとつだけだったのでファウストの分かと思ったら、蓮太郎に渡してくれた。手にじわりと伝わるあたたかさにほっとする。
「僕はアイスを食べている時はアイスだけを食べることにしている。味が混ざるのは邪道だ。本来は匂いも嫌なんだが、君が話しやすくなるなら我慢しよう」
暗にさっさと話し始めろと言われた気がして、蓮太郎は慌てて話し出した。
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