第18話 花言葉を花束に添えて


 施設部の人にも、軍の関係者にも、蓮太郎が操縦者だったことは誰にも口外しないよう強く言われていた。魔女に関することを、パートナーの操縦者の意図しないところで漏らされたくないからだろう。

 蓮太郎にもそれはわかっていたので、了解した。しかし関係者が心配しているのは蓮太郎のことではないようだった。


「なあ花屋、他に何かあやめが喜ぶようなことないかな?」

 あれから毎日顔を見せるイリスだ。軍は彼にも口止めはしたようだが、彼のわかったはどれだけわかっているのかわからない。

 イリスは魔女が検査などでいなくなる時間は必ず店に来て、蓮太郎と話をしていく。客がいてもおかまいなしだ。

「昨日はあれから猫を捕まえてやったんだけど、あんまり喜ばなかったんだ。いじめないであげて、ってすぐ放しちゃってさ。あと何をあげたら喜ぶのかわかんねえよ」

 定位置になってしまった事務机に肘をついて、イリスがふてくされる。蓮太郎は苦笑した。

「無理して毎日贈り物をしなくてもいいんじゃないですか。物じゃなくて、一緒に何かしてみたら」

「一緒にって何だよ。俺たち一緒に暮らしてるんだぜ、飯でも何でも一緒だよ。……風呂はまだだけど」

 まだなんだ、と蓮太郎は思った。

「あ、お前、今まだなんだって思っただろ!」

 イリスが大声で言って立ち上がる。店にいたカップルが驚いてイリスを見た。イリスは慌てて座って黙った。自分で言っておきながら、彼にも恥ずかしく思うということがあるらしい。


「……何か、あやめは難しいって言うか、他の女の時はこんなにどうしたらいいかわかんないことってなかったんだけど」

 イリスは小声で続けた。

「昨日まで平気で手をつないだり抱きしめたりできてたのに、朝起きて、あやめの顔を見たら、そんなのも急にできなくなるんだ。あやめが、その、あんまりきれいだから」

 蓮太郎がカップルに花束を作り終えて戻ると、イリスがまだぶつぶつ言っていた。蓮太郎は少し笑った。

「あなたが彼女を好きになったからでしょう」

「俺?俺は、デアクストスに乗りたくて、それで」

 イリスはそれきり黙った。


 蓮太郎はさっき花を抜き取ったバケツを中心に花の位置を直したり、傷んだものがないか見て回った。ほどなく一周して戻ってくると、イリスが事務机に突っ伏していた。

「花屋、あんたの言う通りかも。俺、どうしたらいいんだろう」

 しばらくして顔を上げたイリスは、ひどく困惑した顔をしていた。

「どうもないでしょう。今までと同じようにしたらいいじゃないですか」

「できないんだ、したいんだけど、どうやってたのか思い出せない。どうしよう、俺、あやめに嫌われるかな」

 少年のようなことを言い始めたイリスを、佐々木にも見せてやりたかったと蓮太郎は思った。


 別人のようにしょぼくれたイリスが椅子にぽつんと座っている間に、蓮太郎は白いアヤメを使って小さな花束風のアレンジメントを作った。

「花には花言葉があるのを知っていますか」

「花言葉?」

「花に固有の意味を持たせて、言葉の代わりにして贈るんです。白いアヤメの花言葉に、あなたを大切にする、というものがあるんです。これであなたの気持ちを正直に伝えてみるのはどうですか」

 イリスは花束を見た。白を基調にしたので、小さなブーケのようにも見える。持ち上げれば余り気味に結んだ白いリボンがきれいに落ちるはずだ。

「きれいだな。これならあやめも喜ぶかな」

「あなたがちゃんと話をしたら、喜ぶと思いますよ」

 昔、カンナが中学生になった時、蓮太郎は急にカンナを意識してしまい、カンナによそよそしくしてしまった。カンナは訳もわからずに、蓮太郎の態度が冷たくなったと寂しがっていた。あの時はうまく言えないまま時間が何となく解決してくれたけれど、イリスと魔女には時間がない。ちゃんと話し合った方がいい。

「うん、話してみる。あやめは俺の魔女だもんな。きっとわかってくれる」

 イリスは少し元気を取り戻し、花束を持って立ちあがった。白いリボンが揺れた。

「花屋、あんたほんとに色々詳しいな。あんた、ええと、名前なんだっけ」

 尋ねられて蓮太郎が何ごとかと思いながら答えると、イリスは明るく笑った。

「蓮太郎、ありがと!蓮太郎の魔女、お前みたいないい奴に大切にされて、幸せだっただろうな」

 蓮太郎は笑顔を返せなかった。まだ不意にカンナを思い出すと心が苦しい。花に囲まれているのも、まだカンナがあの花の影にいそうな気がするからだ。

 イリスはそんな蓮太郎の気持ちなど全く気にしていない様子で、花束を抱えた。これだけ恥ずかしげもなく花を持って歩ける男性は珍しい。


「蓮太郎、約束するよ。俺とあやめが、もうあんたの魔女みたいな子を増やさない。誰も死なせない」


 蓮太郎ははっとしてイリスを見た。イリスは笑っていたが、目はいつになく真剣だった。蓮太郎の心が叫び出しそうになる。

 店を出てイリスは振り返った。

「俺もあやめを幸せにするよ!」

 蓮太郎は呆然とイリスを見送った。あの素直さは羨ましいほどだ。あれならきっとあの魔女も幸せだろう。

 すごい勢いで手を振った後、走って帰っていくイリスの後ろ姿に、蓮太郎も小さく手を振り返した。


 白い魔女の定位置は店の前のベンチだ。


 イリスが訓練などでいない時間は魔女が店に来る。彼女は静かに花を見ていて、時折少しだけ、花の名前を聞いたり、花がたくさん見られて嬉しいといったような話をする。

 蓮太郎は彼女が楽しめるように、店の前に置く花を毎日変えることにした。彼女は淡い色の花が好きなようなので、そんな色合いのものを中心に、でも時々飽きないように意表を突いて、どんな時でもベンチから見て花束のように見えるように。

 彼女が花を見ている姿はとても静かで、それを見る蓮太郎の気持ちも穏やかにさせてくれた。少しずつ話をするのも、蓮太郎の小さな楽しみになった。

 花が彼女の心を少しでも慰めてくれたら嬉しい。


 イリスが彼女を迎えに来た。イリスを見つけて彼女が嬉しそうに立ち上がる。

「イリスさんも毎日大変ですね」

「あの人、あなたにいつも話を聞いてもらって、感謝してました。昨日もらったアヤメの花束、とてもきれいでした」

「それは良かった」

「ただいま、あやめ!」

 イリスが彼の魔女を抱きしめた。白いアヤメの花束はうまく2人をつないだらしい。蓮太郎も仲のいい2人を見ているのは何だか嬉しかった。

「蓮太郎、いつもあやめのことありがと。あやめ、帰ろう」

「ええ。ではまた、雨野さん」

「イリスさん、黒塚さん、またどうぞ」

 蓮太郎と魔女は、挨拶が済んでも歩き出さないイリスを見た。イリスは2人の真ん中で、不機嫌そうに腰に手を当てている。

「お前たち、何だよそれ」

 イリスが魔女と花屋の背中をたたく。

「他人行儀だな!そういうのを慇懃無礼って言うんだ。蓮太郎、俺にはさん、なんて付けるなよ。あやめのことも名前で呼んでいいぞ。そのかわり俺もあやめも、蓮太郎って呼ぶからな!」

 イリスは何だか威張って言った。その申し出は蓮太郎には少し分が過ぎ、それでも嬉しいものだった。

「またどうぞ、イリス、あやめさん」

 少し照れながら蓮太郎が言うと、あやめも少し恥ずかしそうに言った。

「蓮太郎さん、ではまた」

 イリスはいつものようにこれでもかと手を振って帰って行った。蓮太郎は店の表まで出て2人の後ろ姿を見送った。

 あんなにひょろひょろでも、さすがに軍人は訓練などものともしないらしい。歩きながらすぐにまたあやめを抱き上げるイリスに、蓮太郎は目を細めた。

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