第17話 ふたりの花束
開店初日の最初の客は、魔女とエースパイロットだった。
「本当に花屋なんだな!」
イリスは率直に言った。相変わらずイリスが好き勝手に魔女を引っ張り回しているようだが、魔女は楽しそうだった。
魔女がくれたカンナの花はまだ元気で、店の隅の事務机に飾ってある。
あの時まだ殺風景だった店には、花が溢れていた。魔女が嬉しそうに花を見ている。
「俺の女に花束作ってくれよ。赤いバラ百本」
イリスが注文し、魔女が苦笑した。そんな大きな花束は重くなるから女性にはあまり喜ばれないのだが、男性はどうしてもたくさんのバラが好きだ。そもそもこんな小さな店にバラは百本もない。このエースパイロットは百が好きだな。
「好きな花を選んでください、それで作りますから」
蓮太郎がイリスを無視して魔女に声をかけると、魔女はうなずいて店内を歩き出した。
「何だよ、女は赤いバラが好きなんじゃないのか?」
イリスは不満というより不思議そうに蓮太郎に尋ねた。
「好みや、その時の気分にもよりますし。選ぶ楽しみというのもありますよ」
「そうか、そんなもんなんだな。よし、俺も見る!」
蓮太郎が答えると、イリスはすぐに納得して魔女に駆け寄る。佐々木の言う通り確かに頭は空っぽそうだが、その分素直なようだ。
2人で仲良く花を見ている姿を見ると、蓮太郎も何だか気持ちがあたたかくなる。蓮太郎はそんな客の姿を見ているのが好きだったことを思い出した。
少しずつ、蓮太郎の時が元通りに動き始めている。
カンナの歩みが止まり、蓮太郎も共に止まってしまった。しかし、それはカンナが望むことではない。わかっていたけれど進めなかった。これからもずっとそうだと思っていたのに。
進むことに、まだ罪悪感がある。自分だけ生き残り、悲しみやつらさ以外で心が動くと、いけないことをしているように感じる。
蓮太郎は事務机のカンナの花を見た。
カンナなら進めと言うだろう。悲しみやつらさより、楽しみや嬉しさを、幸せを、蓮太郎に感じてほしいと言ってくれるだろう。
それでも事あるごとに、寂しさと罪悪感で死んでしまいたいと思う自分に、言い聞かせていく。
カンナが残した俺の命は、もう俺だけのものではないのだ。悲しいけれど、つらいけれど、苦しいけれど。カンナの分も大切に、カンナの分も幸せに、そしてカンナがきっとしたように、誰かのためになるように。
そう、生きていこう。怖がらず、勇気を持って。
死ぬならせめて誰かのために。
蓮太郎は小さくカンナに誓った。
「花屋、これだって!」
決まったようなので向かおうとしたら、大声で呼ばれた。魔女がイリスを引っ張り、恥ずかしそうにしている。
蓮太郎は魔女が示した花を中心にアレンジメントを作ることにした。他にもいくつか花を選び、作業台に乗せた。
「変な花だな、これ」
イリスは蓮太郎の手元をのぞき込んだ。あんまり近いので動きにくい。魔女が察してイリスを引っ張り、下がらせた。
「あんた、こんな花好きなんだな」
イリスが魔女の選んだ花を指差した。魔女がうなずき、微笑んでいる。
魔女が選んだのは白いアヤメだった。
「イリスさん、あなたの名前、誰がつけたんですか?」
手を動かしながら蓮太郎が尋ねると、イリスは嫌そうな顔をした。
「何だよ、女の名前だからか」
それは知っているらしい。
「ばあちゃんだよ、ばあちゃんはこの国の人でさ。
「この花の名前もイリスなんですよ」
蓮太郎がアヤメを見せる。えっ、と驚いて、イリスが花をまじまじと見た。
「あなたの国でアイリスと呼んでいる花よ」
魔女がイリスをまた引っ張って蓮太郎から離し、笑いながら教えた。
「この国ではアヤメというの」
アヤメ、とイリスは繰り返し、あっと叫んだ。
「あんたの名前って、確か」
「あやめ」
魔女は恥ずかしそうに微笑んだ。
「あんたと俺、同じ花の名前なのか」
イリスは突然魔女を抱きしめた。
「やっぱりあんたは俺を選んで正解だな!あんたは俺の魔女だったんだ!」
やかましいことこの上ないが、蓮太郎は少し楽しい気持ちで、文字通り魔女を振り回しているイリスを見た。魔女は抱き上げられて振り回され、目を白黒させている。なびく魔女の白い髪を見て、蓮太郎はアレンジメントのリボンを艶のある白にすることにした。
アヤメを使ったアレンジメントは少し背の高いものになった。
これからどこかへ行くなら部屋に届けておきますか、と蓮太郎が尋ねると、イリスはアレンジメントをひょいと抱えた。
「せっかくだから持って帰るよ。俺と俺の女の名前の花だもんな」
蓮太郎は帰り際、イリスだけを少し呼び止めた。
「イリスさん、あなた彼女のこと何て呼んでますか?」
「え?あんたとか、俺の女とか」
こいつはやっぱりバカなのかな、と蓮太郎は思った。
「名前で呼んであげた方がいいと思いますよ」
「何で?」
「女性はその方が喜びます」
そうか、とイリスは素直にうなずいた。
「あやめ!」
早速実行するのは彼のいいところだ。少し先で待っていた魔女はぱっと顔を赤らめた。
「ほんとだ、喜んでる。ありがと、花屋!」
イリスは嬉しそうに笑って、花を抱え走って魔女の元へ向かった。
蓮太郎は2人を見送りながら、少しだけ暗闇に光が射したような気がした。
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