第10話 カンナのための花束
佐々木は黒いスーツを着ていた。喪服のつもりだろうか。
「この度はご愁傷様です」
佐々木は冷静にはっきりと言い、その割には深く頭を下げた。
「ご遺体は今後の研究のため寄贈していただくこともできますが、ええ、はい、そうですね、ご両親にお返しします。残された方々のことは、金銭面だけのフォローにはなりますが、安心してお任せください」
佐々木はうっすら笑った。蓮太郎にはもう何がなんだかわからない。
カンナはすっかり清められ、血を吐いたことが嘘みたいにきれいな顔になっている。昨日見た寝顔のようだ。このまま起こしたら突然不機嫌になるんだ。もう少し考えて起こしなさいよ、と蓮太郎に当たっていた。
「カンナ」
呼んでみるが、何度呼んでもこの寝ぼすけはぴくりともしない。
帰ったらキスしようって言ったじゃないか。
果たされなかった約束が頭から離れない。
帰ったらキスをいっぱいしてあげる。訓練を頑張ったらキスしてあげる。明日は新しい服を着て海を見に行こうね。それから、それから、それから。
仕方ないから、蓮太郎のお嫁さんになってあげる。
ツインテールと言うほど長くない髪を頭の両側で縛ってにっこり笑った、おませな女の子。ずっと一緒で、一緒に大きくなって、ポニーテールが似合うきれいな女性に成長した。元気な、夏のカンナの花のような女の子。
カンナ。カンナ。カンナ。カンナ。
蓮太郎は泣いた。
佐々木は蓮太郎が泣き疲れておとなしくなるまで、そこで静かに待っていた。蓮太郎はだいぶ時間が経ってからそれに気付いた。
蓮太郎は涙を拭いながら尋ねた。
「何か、ご用ですか。俺は明日カンナとここを出る許可をもらいました。もう用はないはずです」
「こんな時にと私も思うのですが」
佐々木は静かに言った。
「あなたをお呼びしたのは、本当は別の魔女の操縦者になってほしかったからだったんです」
魔女、と蓮太郎は繰り返した。
「俺の魔女はカンナだ。他にはいない」
「操縦者は魔女が選びます。逆はありません」
佐々木は言い、蓮太郎は激昂した。
「ふざけるな!」
蓮太郎は佐々木に掴みかかった。
「俺はカンナのためにあれに乗ったんだ、もう乗らない、俺の魔女は死んでしまった、もういないんだ!」
蓮太郎は佐々木を揺さぶり、壁に叩きつけた。佐々木のメガネが飛び、床に転がる。しかし佐々木は静かに繰り返した。
「魔女があなたを選んだんです。操縦者になってください」
「じゃあカンナを生き返らせてくれ、カンナとならいくらでも乗る。カンナを返してくれ」
「中村さんのことは大変お気の毒です。中村さんのお葬式の外出許可だけでも大変な時間のロスですが、それが我々にできるせめてもの誠意です。敵は待ってはくれないのです。操縦者になってください」
蓮太郎は佐々木を離した。カンナを振り返り、ふらふらとすがりつく。こんなに大騒ぎをしても、蓮太郎が他の人に乱暴なことをしても、起き上がって叱ってくれない。
カンナ。何やってんのよ、って言ってよ。蓮太郎は私がいないとダメなんだから、って笑ってよ。
「カンナ……カンナを返して」
「できません。別の魔女の操縦者になってください」
蓮太郎は答えなかった。
「明日、中村さんのお葬式が終わってあなたがここに戻ったら、その魔女と引き合わせます。そのつもりでいてください」
佐々木はメガネを拾い上げ、何の反応も示さなくなった蓮太郎の背中に言った。佐々木はメガネを拭き、蓮太郎の返事をしばらく待ったが、蓮太郎は答えない。
もうしばらく待った後、佐々木は言うべきことは言ったので霊安室を出ようとした。その時蓮太郎が小さく言った。
「もし……もし俺がその魔女に嫌われたら、俺はもう帰っていいんですか」
佐々木は足を止め、振り返って笑った。
「せっかくですから、それでもその魔女と乗ってもらって、あなたには死んでもらいましょうか」
蓮太郎はぼんやりとカンナを見つめ、それならそれでいいかもしれないと思った。カンナがいないなら、もう。
佐々木は蓮太郎に向き直った。振り向かない蓮太郎の背中は疲れ切っている。
「……もっとあなたが落ち着いてから説明しようと思っていましたが、あなたを指名した魔女こそ私たちの切り札なんです。彼女が誰かに心を開いて、他の魔女のようにデアクストスを動かせたなら、おそらく戦況は打開できるはず。あなたはその可能性のひとつです」
佐々木は蓮太郎に言った。
「中村さんは私たちを、人間を守るために亡くなりました。あなたは、そうして中村さんの死を悲しんで、何もしないで、中村さんが守りたかった世界が壊れていくのをただ眺めているんですか」
蓮太郎はカンナを見つめた。
カンナ。カンナが守りたかった世界。守りたかった俺。守られた命。
「つらいでしょうが、どうか、落ち着いてよく考えてください。中村さんならあなたにどうしてほしいか。きっと彼女なら私が言ってほしいことを言ってくれるでしょう。私はほんの短い付き合いでしたが、……あの子はいい子だった」
佐々木の言葉に初めて、悲しみがにじんだ。蓮太郎ははっと佐々木を見た。
こんな仕事をして、死にゆく魔女をずっと見送り続けてきたであろう佐々木も、やはり毎回つらいのか。それでもやらなければならないほど。
世界はもう、後がないのか。カンナが守った世界が。
扉の閉まる音がした。蓮太郎はカンナを見つめた。
蓮太郎は立ち上がり、佐々木を追った。
蓮太郎は佐々木に頼みごとをした。佐々木はその無茶な頼みごとをを顔色も変えずに請け負った。
霊安室はさほどしないうちに色とりどりの花で埋まった。
「今集められるのはこのくらいです。道具なども、これであるだけです。足りないものややりにくいところは何とか工夫してください」
佐々木は投げやりに聞こえるような言い方をしたが、あれだけの申し出でこれだけ揃えてくれたのは、佐々木の誠意と優しさのおかげだと蓮太郎は思った。
蓮太郎は自分の供花をここで作るつもりだった。告別式の会場などで祭壇の傍らに供える、生花を籠盛りにしたフラワーアレンジメント。普通は葬儀社と提携している花屋が一手に引き受ける。その方が祭壇や他の供花との統一性もはかれるからだ。
しかし、蓮太郎はどうしても自分の分は自分で作りたかった。少しでもできることをしたかった。花屋の自分が、他の人の手で作られた花をカンナに贈るのは嫌だった。
カンナに花を贈ったことはなかった。初めて贈る花が供花だなんて。
花は佐々木が1台作るだけならあり余るほど揃えてくれた。蓮太郎の言った通り、白だけでなく鮮やかな色の花も。
カンナは真夏のような人だった。眩しいほど明るくて、生き生きしていて、笑っても、怒っても、泣いても、何でも全力で、一瞬もとどまらなくて、極彩色の万華鏡のようだった。
カンナらしい花を作りたい。
それでも動き出せないでいると、佐々木がふと顔を出した。
「花が余るようでしたら、私の分も作って下さい。出発の時間は変わりませんから、時間がなければ結構です」
蓮太郎は時計を見た。ひとりで2台作るならもう徹夜しないと間に合わない。しかしその方がいい。佐々木の言い方は毎回トゲがあるが、それも佐々木なりの気遣いなのかもしれない。
蓮太郎はカンナを見た。
カンナ、見ていて。きっと君に似合う、きれいな花を飾るよ。
蓮太郎は涙を拭った。
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