その3
〈これより、ノーシード組、予選第一試合を行います。〉
無機質な音声が、観客たちの微かなざわめきをもすべて舐め尽くし、闇よりも深い静寂の中が訪れる。
スポットライトが照らすのは、フェンスに囲まれたリングと、その中に大蛇のように横たわる回転寿司レーン。
これが、『マッシヴ・フード・コロシアム』――!
私はフェンスに着いた扉を開け、リング上の椅子に腰かける。
〈ファイトネーム、ミチル。年齢データなし。身長体重計測なし。職業アルバイト。所属なし。戦績0戦0勝0敗。本日が初戦です〉
静かながらも、何か呆れるような雰囲気が場内を支配する。
でも私に対してっていうよりは、むしろ金網の外に座ってるゴンドウへの冷ややかな目線……当のゴンドウは憮然とした表情でじっと一点を見つめている。
反対側の扉から私の対戦相手が現れた。
その威容には、勝負なんて関係ないと思っていた私も思わず息を呑んだ。
……でかい!
〈ファイトネーム、
真っ黒に焼けた顔にねじり鉢巻き姿の対戦相手は、椅子に座る前に私をじろりと一瞥し、「……チッ」と舌打ちしてドカリと座った。
……ちょっとカチンとくる。
「こんなのが俺の相手とはなぁ! 俺も舐められたもんだ」と、聞こえよがしにマグロ男が言う。「皆さんもそうでしょう、エエッ? こんな勝負、賭けになんねえよなぁ」
我慢我慢……無視無視……。
「……ちったあなんとか言えよ、つまんねえ。ま、連れて来たのがあのつまんねえ男だから仕方ねえかッてな!」
会場のところどころから失笑が起こる。
「まったく今更何の用があって戻って――」
「うるせえよデカマグロ野郎」と、ゴンドウが口を開いた。「お前の口はしゃべるためにあんのか? だったらとっとと帰って生け簀の魚にでも話聞いてもらえや」
照明が落ち、ただでさえ暗い会場がさらに暗くなる。
リング上部に吊り下げられたデジタルタイマーに「10」の文字が赤く表示される。
〈両者、席について両手を机に置いてください〉
レーンが動き出す。大蛇の鱗のようなコンベアの上を、あっという間に色とりどりの寿司が埋めていく。
〈ノーマルレギュレーション、予選用短縮ルール、20分一本勝負です。カウント0で開始となります〉
デジタルタイマーが動き出す。
「9」
「8」
「7」
「6」
普段と違う環境とはいえ、寿司は寿司。
これがおなか一杯食べられるとは……場違いかもしれないけれど、私は自分史上最高にワクワクしていた。
「5」
「4」
「3」
「2」
「1」
ジリリリリ、とベルの音が鳴り響き、私たちは同時に皿へ手を伸ばした。
*
回転ずし屋は普通一皿100円~500円程度。
たとえ、たとえ1万円の大金を握りしめて回転ずし屋に向かったとしても、一番安い皿換算でも100皿しか食べられない。
それが、今日は!
目の前を行き交う、トロ、いくら、ウニ、ウナギ!
すべて無制限の食べ放題!
「小娘が、そんなちまちま食って勝てると思うなよ! 見ろ、日々ダンベルを嚙み続けて鍛えたこの俺の咀嚼速度を!」
トロ→中とろ→大トロと順番に食べて、そのとろけ具合を比べるなんてこともできる。このローテーションに赤身やネギトロを付け加えれば、決して大げさじゃなく死ぬまで食べ続けられる……っと、そういえばこの勝負は制限時間があるんだった。
「そろそろ本気を見せてやるぜッ! 喰らえ! 必殺の20貫流し食い“底引き網”ッ!!」
時間制限は20分間。ちょっとみじかすぎ。でもタダメシ食べてて文句は言えないか。
とにかく流れてくる皿をすべて机の上に広げつつ、そのうえで自分の食べたいものを順番に食べていこう。
食べた皿は念のため、机の端っこから丁寧に並べていく。こうするとよりたくさんの皿が机の上に乗るのだ。
「なかなかやるじゃねえか……だがまだまだ終わらねえぜ! 秘技! 最高時速80キロの“高速振動食い”!!!」
机の上の皿がまるで地面が隆起してくるみたいにじわじわ高くなってくる。
ただ……今気づいたけど、流れてくるネタは見たところ完全ランダム。マグロ系や高い皿ばっか食べてると、流れるネタにどんどん偏りが出てきてしまう。
ちゃんとバランスよく、いろんなネタを食べないとダメだねこりゃ。
光物とかイカ・タコ・貝も……あ~~~やっぱりこういうのもおいしい! そりゃトロだのウニだのに比べたら安いお寿司かもしれないけど、私にとっては身近な旨さ。安心感も味のうち!
まだまだ、食べていいんだよね。ほんとに食べていいんだよね。
ほんとゴンドウ、まじでありがとう。
「な、い、一体なにが……お前のその体のどこにそれだけの寿司が……」
……あれ、なんか、お寿司出てくるスピード遅くない??
もうちょっと早いペースで出てきてくれないと20分でお腹いっぱいにならないんだけど。
で、審判っぽい人にお願いしたら、別でじゃんじゃん持ってきてくれるようになった!
あと、隣のレーンの寿司も流れてるやつ手に取っていいらしい。
言ってみるもんだなぁ。
私レーン&あいつレーン&レーン外からの寿司、寿司の完全包囲網、私が幸せになるだけのプライベート寿司生け簀!
「おい……そんなの反則じゃねえか……なんでお前、俺の寿司まで食ってやがる……!」
最初こそここは悪夢か何かかなって思っちゃったけど、それは訂正。
これは正真正銘、幸せな夢だ!
私は立ち上がる。
立ち上がらないと机にお皿が置けなくなってきたんだ。
不正防止だからちゃんと見える場所にお皿を置かなきゃいけないらしくてそれだけがちょっと煩わしい。
「う……あ……」
ダメだ、もう時間がない。
最後のために貯めといたタマゴのお寿司を食べきる時間は用意しておかないと。
ああ、もう終わってしまう。
神様、どうかあと少しだけ、このお寿司を楽しむ時間をください……!
*
「でたらめだ……ふざけやがって……俺だって……個人記録なんだぞ……それを……!」
なぜこんな幸せな場所で恨み言なんて出てくるんだろう。
寿司をお腹いっぱい食べていい気分じゃないのかな。
「おい」
と、ゴンドウが私に声をかける。私は反射的に、
「ありがとう! こんな素敵な場所を紹介してくれて!! こんなにたくさんお寿司食べたの、生まれて初めて!!」
と彼に土下座せんばかりで感謝を述べた。
「おい……お前……これが勝負だってこと、忘れてねえか……?」
確かに……と思い返して隣の席をもう一度見ると、鮪太郎はもう言葉も発せず、口をパクパクさせながら、椅子に座ってのけぞっている。
次第に椅子は後ろへ倒れていき……ドサッ、と彼はその場に倒れてしまった。
静まり返る会場内。
私は「あ!」と思い出し、そしておもむろに手を合わせる。
「ごちそうさまでした。どのお寿司も、とってもおいしかったです!」
その瞬間、会場内に、まるで戦場のような怒号や歓声や地団駄が鳴り響いた。
その爆音にかき消されそうになりながら、アナウンスは、
〈ミチル、325皿。港鮪太郎、152皿。よって勝者、ミチル〉
と、このマッチの勝者を告げる。
私は急にスポットライトが恥ずかしく思えてきて、そそくさとリングから退出した。
戻ってきた私を、ゴンドウはジッと見つめている。
そしてハッと何かに気が付いたようにその表情が驚愕に染まり、
「お前……ひょっとして……!」
とか言ってくるので、私は、
「何? なんかお米粒でもついてる? ってかお金もくれるのよね?」
と質問で返す。
すると今度は、
「……ふ、ふ、ハハハ! たしかに米粒ついてるぜ、ほれ」
と急に笑いながら、私のほっぺたについた米粒を取った。
「触るなッ 自分でやるしッ」
「あと金な……金なら払ってやるとも!」
と彼は言って、私に向かって手を差し出した。
その手には、白い紙テープが巻かれた1万円の束!
「え! こ、こここれってまさかひゃひゃひゃひひゃく……」
「賞金の一部は仲介料ってことで俺もいただくがな……お前の取り分だ。使い方はもちろんお前次第」
これだけあれば……サヤカ先生を少しは助けられる。
ゴンドウがもう一度手を差し出す。
細くゴツゴツと節くれだった、しかし迫力のある手。
「まあ、これからもよろしく頼むぜ。たらふく食って、楽しく勝って、人生のし上がっていこうや」
……正直、私には自分の人生なんてどうでもいい。
このオッサンの人生にもそんなに興味はない。
ただ。
ただ、自分が大事な人たちが守れるのならば、それで良い――
「……こちらこそ、よろしくね」
と、私はその手を強く握り返した。
(了)
マッシヴ・フード・コロシアム ~ミチル豪食伝~ ワッショイよしだ @yoshida_oka
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