【短編】屋上から飛び降りようとしている俺に君は言った「今からデートへ行こう!」

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【短編】屋上から飛び降りようとしている俺に君は言った「今からデートへ行こう!」

 この世に未練はない。


 俺こと夏木柊なつきしゅうは約十七年の人生に幕を閉じようとしていた。


 眼前に広がるのはグラウンド。

 俺は今、学校の屋上にいる。

 そして屋上の柵に手をかけ、乗り越えた。


 時刻は12時10分前。

 もう次期に四限目の授業が終わってお昼休みが始まり、生徒たちが出てくるだろう。


 学校の屋上を選んだのは、なんとなく。強いて言えば、高い場所で気軽に入れる場所がここくらいだったと言うこと。そしてとある人物に俺の死を知らしめることができる、というのが理由だった。


「結構高いな」


 下を見て少しだけ怖気ずく。

 だけど目を瞑って落ちてしまえば、それもすぐになくなる。少しの浮遊感を我慢すればいいだけ。


 俺は覚悟を決めて、息を深く吸った。


「何してるの?」

「ッ!?」


 飛び降りようと思った刹那、俺は後ろからかけられた声に心臓が止まりかけた。

 そして軽く息を整えてから声をかけてきた人物の方へ振り返る。


「飛び降りようとしてるんだよ」


 その人物、春海楓はるみかえでに俺は淡々と答えた。

 春海は、そのビー玉のように綺麗な双眸を大きく見開く。

 艶やかな黒髪が風に靡いた。


「ちょっと待ってよ!!」


 彼女は俺の現状をようやく理解したのか、声を荒げて制止する。


 面倒なことになった。

 ここで騒ぎになれば、俺も飛び降りづらくなる。

 無視して飛び降りればいいんだが、こういうのって目撃者に余計な罪悪感を持たせてしまいそうで、なんだかいやなのだ。


「できれば見なかったことにして去ってほしいんだけど」

「それはできないよ」


 しかし、彼女は屋上から出ていくつもりはないらしい。

 俺は眉を顰めて今一度、口を開く。


「説得しようとしても無駄だぞ」


 既に覚悟なら決めた。誰になんと言われようと俺は、今日死ぬと決めている。


「いやいや、説得なんてそんな面倒なことしないよ」

「──は?」


 いや、しろよ。

 人の命かかってんのにそれを面倒とか言うな。

 いや、説得してほしい訳じゃないけど、そこはね、ほら。倫理的に。倫理的に説得が正しい。


「じゃあ、一体なんの用だよ」

「いやー、お願いがあって……」


 お願いってなんだよ。今から死ぬ俺にするお願いとはなんだ。


「んーとね、どうせ死ぬなら、その命、もったないないから私にくれないかな?」

「……」


 待ってくれ。ちょっと分からない。

 何言ってんだ、こいつ。


 春海の言葉を理解できずに固まっているともう一度、彼女は言った。


「だから、どうせその命無駄にするんなら、私にちょうだいって言ってるのっ!!」

「だから、何言ってんだ、お前」


 やっぱりこいつおかしい。

 美人で学校中からもチヤホヤされまくってて、アイドルもやってるくらいだから倫理的におかしくて当然か。芸能人はみんなサイコパスって聞いたことがある。

 こいつも多分、それだ。


「お前に命あげたとして、何させるつもりだよ」

「そりゃあ、もう……奴隷?」

「悪いけど、すぐにでも飛び降りさせてもらうわ。一瞬でもお前にトラウマ残るかもって心配した俺が馬鹿だった」


 俺は再び、前を向く。

 やっぱり高い。


「ああああ、ちょい待ち!!! 待って、お願い!!!」

「……なんだよ」


 あまりにしつこくうるさいものだから俺は再び、後ろを向いた。

 決してビビったわけではない。


「さっきのは冗談だから! 本当の用件は別にあるの!!」

「……じゃあ、早く言えよ」

「今からデートへ行こう!」

「一体、どうなったらそんな話になるんだ」


 今をときめく、スーパーアイドルが俺にデートしようだ? やっぱり頭おかしいのか。


「こんなところで人生終わらせるのもさ、味気ないから、私が君に人生とはいかに楽しいものか教えてあげようと思って、うん。君、女の子とデートしたことある?」

「余計なお世話だ。それくらいあるわ」

「え? ……え? あるの?」


 なんで聞いておいて驚いてんだよ。

 デートしたことなさそうで悪かったな。


「そういうお前はどうなんだよ。男とデートしたことあんのかよ」

「そ、そ、それくらいあ、あ、あ、ありゅよ?」

「わかりやすい、嘘だな、おい」


 噛みすぎだ。ありゅよってなんだ。不覚にも可愛いと思ってしまった。


 しかし……どういうつもりだ? 俺とデートする? 人生の楽しさを教える?

 同情か、はたまた時間を稼いで決心を鈍らせるつもりか。


「なんのつもりか知らんが、例え俺がお前とデートしたって俺の気持ちは変わらないぞ」

「うん、別にいいよ。だから言ってるでしょ。別に私は君を説得したいわけじゃないって」


 あまりにもあっさりとそう言い捨てる春海に少しだけ戸惑う。


「マジで何を企んでやがる……?」

「そりゃあ……ほら、そこに無駄になりそうな命があったらちょっと利用してみたくなるじゃん? 例えば、コンビニで廃棄されそうなお弁当を目撃したみたいな? どうせ捨てられるなら私が食べてあげたくなるじゃない?」

「俺の命はコンビニ弁当と同じ価値か。それでお前、いつもそんなことしてんの?」

「あ、いや、その……いつもしてないよ!?」


 偶にしてんだな。アイドルの意外な、というか知りたくもない一面を垣間見た。


「まさか本当に、ただデートしてみたいとかいうことじゃないだろうな?」

「あ、え? そ、そ、そんなこと……いいじゃん、デートくらい。その命私が拾ってあげたんだから今日一日、私の言うことは全部聞いてもらいますっ! はい、命令!!」


 春海はビシッと俺に指を差す。

 開き直りやがった。

 別に拾われたつもりもないけど。自分が無茶苦茶なことを言ってるってわかってんのか、こいつ。


「それで終わったらここに戻ってきて飛び降りるでも好きな子に告白でもなんでもすればいいよ」


 屋上から告白なんて青春満ちたイベント死んでもやるつもりはない。


「後、できれば保険金の受け取りを私にしてくれたら嬉しいな。はい、これも命令!!」


 おい、仕事しろ、倫理。

 こんな頭おかしい奴、テレビに出してるなんて芸能界イカれてやがるな。


「……分かったよ」


 だけど、あまりにバカバカしく、バカバカしいことを彼女は言うものだから俺は思わず彼女の提案に了承してしまった。


「あ、保険金の話?」

「デートの話だ、ボケ」

「……チッ。じゃあ、決定!! 今日は、私と一日デートね!!」


 アイドルが舌打ちすんな。


「ただし、俺は今日中に絶対ここから飛び降りる」

「OK!! 十二時間後にまたここに戻ってこよう!!」


 それに十二時間後に戻ってきたら、告白もクソもねぇよ。真夜中じゃねぇか。

 本当に一日中、連れ回すつもりらしい。


「…………」


 決心が鈍ったとかそういうわけじゃない。

 ほんの気まぐれ。最後の余興。


 ちょっと変なやつだけど、人生最後にこんな可愛い子とデートして終わるのも悪くはない。そう思った。


 俺は、再び、柵を跨ぎ、春海と同じ場所に立った。

 そして俺と春海は屋上を後にした。


 ◆


「ところで名前聞いてなかったんだけど、なんて言うのかな?」

「今更だな」

「だって、聞くタイミングなかったし」

「……まぁ、そうだな。夏木柊」


 学校を抜け出した俺たちはとりあえず昼食を食べるべく、春海が行きたいと言っていたカフェへと向かう。

 そこで改めて自己紹介をすることになった。


「柊くんだね! 私は──」

「春海楓。お前を知らない奴なんて学校にいねぇよ」

「……」

「どうした?」

「……いや。私も有名になったんだなーって」

「なんだそれ」


 妙な間があったのは気のせいか。


「じゃあ、私のことも楓って呼んでね! 私も柊くんって呼ぶから!」

「ハードル高いな」


 今日、初めて話した女子の下の名前をいきなり呼ぶっていうのは難しい。


「飛び降りるより低いと思うよ」


 確かに。

 納得させられてしまった。

 それでもなんとなく気恥ずかしさがあった俺がどう呼ぶか迷っていると、


「あれれー? どうしたのかな? デート経験者の柊くんは、女の子の下の名前を呼ぶこともできないのかなー?」


 煽られた。


 未経験者のくせに。

 しかし、そこまで言われれば俺も言うしかあるまい。

 何より、さっきも言われた通り、今日死ぬことを考えれば、別に気にすることでもないか。


「分かったよ。楓。早く、目的のカフェへ行こう」

「……」

「楓?」

「ふぇっ!? 早く行くよ!!」


 一瞬固まった楓の顔を覗く楓は、我に返り、俺を置いてぐいぐいと先へ進んでいった。

 煽ったくせに結構、耐性ないのな。



「いやー、ここのパンケーキは最高だね。やっとこれたよ」

「というか二時間もよく並んだよな」

「ここ今話題の大人気なおしゃれカフェだからね。ほら見てよ、この生クリームの量。やばくない?」

「ああ、ヤバイな。さっきからその同じやつを三枚も食べてるのはヤバイ」


 俺の目の前で楓は、まるでタワーのように高くそびえ立った生クリームが盛り付けられているパンケーキを食べていた。


 本日、三枚目。

 俺は一枚で限界だった。


「同じじゃないから。さっきはチョコクリームだった」


 似たようなもんだろ。どちらにしろ、それもタワー盛りだったので量は同じだ。


「それに甘いものは別腹って言いますから」

「甘いものしか食ってないだろ」

「まぁね」


 俺がツッコミを入れると楓は屈託なく笑った。

 その笑顔を見て、アイドルってやっぱ美人しかなれないんだななんてくだらない感想が降ってきた。


 未だ現実感がない。さっきまで死のうとしてた俺が、こんな可愛い子とデートしてるなんて。


「それでなんで死のうとしてたの?」

「……説得はしないんじゃなかったのか?」

「しないしない。興味本位。あまっ、うまっ!」


 ……まぁ、別にいいか。隠すようなことでもないし。


「俺さ──」

「あ、すみません、このバナナクリームパンケーキを一つお願いします」

「おい」


 聞く気あんのか、こいつ……。

 というか、まだ食うのかよ。まだ残ってるじゃん。


「あ、こんなところにクリーム」


 楓は、口の横についたクリームを指で拭い、舐めた。


「…………」

「あ、ちょっと見惚れてたでしょ。やらしー」

「……違う」

「はいはい」


 この野郎……。

 確かにちょいエロいって思ったけどっ!!

 さっきからおちょくられまくってるな。

 俺は諦めのため息を吐いた。


「話聞きたいのか、聞きたくないのかどっちなんだよ。話聞くならその手を止めろ」

「え? うーん……むむむ……」


 葛藤すな。

 俺が死ぬ理由は、パンケーキ以下か。


「わかったよ……」


 楓は仕方なさそうにつぶやいた。


「じゃあ、食べ終わったら聞くよ!!」


 パンケーキに負けた。





「では、どうぞ」


 結局、あの後来たバナナクリームパンケーキを平らげてから改めて聞かれた。

 楓は今は、ホットカフェラテを飲んでいる。

 完全に食後のティータイムである。そんな時に聞くような話じゃないぞ。

 それに改められると言いづらさが増した気がする。


「まぁ、端的に言えば、振られた」

「……え? そんなこと?」


 あまりに大したことのない理由に楓は目を丸くした。


 確かに振られただけで死ぬなんて命を粗末にしているにも程がある。

 だけど。

 俺はそこから彼女に俺の生い立ちを含め、なぜそこに至ったかを話した。


 ***


 俺さ、両親がいないんだ。

 昔、事故で亡くなって。俺の誕生日の前日だった。

 それから俺は、親戚をたらい回しにされて、ようやく引き取ってくれる人が見つかったんだけど……その人らはただ、俺の両親が残した遺産が目当てだったみたいでな。


 そこには俺と同い年の息子がいたんだけど、何かと比較されてたりして。

 後は、気に入らないことがあると殴られたりしてさ。

 俺はいつも邪魔者扱いされてた。


 それでも高校に入ってから、小さい頃に遊んだ女の子と偶然再開して。幼なじみってやつになるのか。

 いろいろあって付き合うようになったわけだ。


 不幸だと思っていたけど、その子のおかげでようやく幸せを感じられたんだ。

 相変わらず義両親とか義兄弟からの扱いは酷かったけど、彼女ことを思えばそれも耐えれてた。


 だけど、見てしまったんだ。


 ──彼女が、浮気しているところを。


 しかもよりによって、相手は義兄弟だった。


 ***


「それで俺はもう生きる意味もないなーって、死のうって思ったわけ。どうせなら両親と同じ日にと思ってな。振られて死のうだなんて情けないのはわかってる。笑いたきゃ笑えばいい。だけど、俺が死んで少しでもあいつらにダメージ与えられるならそれもいいかなって思ったんだ」


 楓は俺の話を静かに聞いていた。

 楓がどう思ったかは分からない。

 もしかしたら、情けないと思われたかもしれない。

 はたまたかわいそうだと思われたかもしれない。


「うぷぷ……」


 ……ん?


「ぷぷ、それで振られて死ぬなんて笑える……うぷぷぷ、あはははははははははははっ!!!!!」


 モラルッ!!!

 誰かこいつにモラルとか倫理を持ってきてくださぁい!!

 え、そんなに笑う要素あった!? 俺の人生、結構、悲惨だったと思うけど!?


「リアルNTR……だ、ダメだ……笑うのを我慢できない……アハハハハハ!!!」


 やべぇよ。こいつやっぱり頭のネジどこかに忘れてきてるよ。

 アイドルやってる場合じゃないよ。


「……はぁ」


 だけど、逆によかったかもしれない。

 変に同情されるよりも笑い飛ばしてくれた方が気が楽になった気がする。


「アハハハハハ、ひぃひぃ〜だ、だめぇ……お腹痛い……」


 笑い過ぎな気もするけど。


「……」

「ごめん、ごめん。今年一番の笑いになったよ。ありがとう」

「いいのか、今年一番の笑いがこれで」


 なんて言っていいか、わからんがこいつサイテーなやつだぞ。


「うんうん、どんまいどんまい。ちなみにその彼女とは、どれくらい付き合ったの?」

「二ヶ月くらい……?」


 だいたいそれくらいだった気がする。

 俺は、話しすぎて喉がカラカラになったので水を口に含んだ。


「じゃあ、キスは? えっちもしてないの?」

「ぶっ!?」

「うわっ!?」


 思わず、吹き出した。

 本当にアイドルか?


「し、してねぇよ、どっちも」

「ほう。童貞か」

「ほっとけ。つーか、こんなところでする話じゃないだろ」

「それもそうだね! 出よっか」


 気がつけば、カフェラテを飲み干していた楓は席を立つと俺が財布を出す暇もなく、会計を終わらせていた。



 それからも俺は楓にデートを付き合わされた。


 ボーリングに行ったり、カラオケに行ったり。

 ゲーセンにも行ったり、その他にもお金を多く使うような遊びをした。


 俺は死ぬからあるだけのお金を気にしないで使っていたが、楓は別だ。

 問題ないのか聞いたが、楓は『せっかく今日で終わりなんだからパーっとしないとね!!』と言うだけだった。

 アイドルやってるだけあって、きっとお金はあるのだろう。


 そして行く先々でその度に、楓は俺をおちょくってきたりした。相変わらず、頭のおかしな発言も満載だった。

 だけど、俺も何度かそれを受けるうちに反撃までできるようになっていた。


 なんなら俺もそれを楽しんでいた。こいつの異常性が今の俺には心地よかった。


 笑ったのも久しぶりの感覚だったような気がする。

 楓も笑っていた。


 そうもしているうちに夜になって晩御飯も食べたことのないような高級料理を食べた。

 俺にそんなお金はもうすでになかったけど、楓が奢ってくれた。


「あーおいしかったね!」

「ああ、あんなにうまいの初めて食べた」

「だね! さぁ、これから何する?」

「何って、まだ何かするのか?」


 もう時刻は夜の八時を過ぎていた。

 もう遊び尽くすしたと言っても過言ではないくらいに濃い一日を過ごした。


「当然! まだ、日付が変わるまで四時間もあるからね!」

「本当に一日なんだな」


 適当に会話をしながら通りを歩いていると気がつけば、俺たちは怪しい雰囲気の通りに足を踏み入れていた。


 周りは薄暗くもネオンの光がよく目立っていた。

 これはいわゆる……。


「ラブホ街に迷い込んじゃったね」

「気まずいから言わないでおこうと思った俺の配慮を返せ」


 楓にはそんな気遣い必要なかったらしい。

 引き返そうか、楓にそう言おうと思った矢先、楓は気にせずに先へ進んでいく。そしてピンク色に発光した看板の下で足を止めた。


「ねぇ、ここ入る?」

「…………」


 え、まじ?


 ◆


「あーー楽しかったっ!!」


 学校へ戻ってきて楓は大きな声でそう言った。


 もちろん学校はすでに閉まっており、俺たちは侵入した形となる。

 屋上へも無理やり登ってきたのだ。警備員さんに見つかれば怒られるどころでは済まないだろう。


 屋上で楓は汚れることも厭わず、寝転がる。

 俺もその横に座った。


「星がすごい」

「……だな」

「さっきのホテルのお風呂みたい」

「なんだか、台無しになった気がする」


 しばらく星を眺めた後、楓は唐突に起き上がる。

 そして柵の方へ歩いていく。

 そこは、俺が昼間にいた場所だった。


 柵に手をかけた楓が振り返った。


「どう? 生きたくなった?」


 それは今日一日を過ごした俺への質問。

 決意の確認だった。


「さぁ、どうだろうな。分からないな」


 生きたくなったとは答えない。俺は曖昧な言葉で濁した。

 俺の決意は決まっていた。


「ええ〜……こんな美少女を抱いておいて生きる活力が生まれないなんてさぁ……どうかしてるよ、ほんと。さっきまであんな顔してたくせに」


 くすくすっと彼女は笑った。

 先ほどの情景を思い出し、恥ずかしさが込み上げてくる。

 顔から火が出そうなほどだ。だけど俺も言われっぱなしでは癪だ。


「自分で美少女って言うなよ。美少女だけど。それに楓の方こそ、いっぱい声出してたじゃん」

「そ、それはっ!! そういうこと言う!? しょうがないじゃん!! 私だって初めてだったんだから!!」

「最初、めっちゃビビってたもんな」

「うぐぐ……夢中で私のにむしゃぶりついてたくせに」

「そういうこと言うな」

「ふっ、恥ずかしいところはもう全部見たよ」

「お互い様にな」


 勝負は引き分け。

 お互いがお互いの恥ずかしさを曝け出したところで俺たちは口をつぐむ。


 そして楓は暗いグラウンドを方へと向き直る。

 まだ耳が少しだけ赤い気がする。


 そんな楓に今度は俺から問いかけた。


「それでそっちこそ生きたくなったか?」


 楓はもう一度すぐにこちらに振り返った。

 初めて俺にあった時のように目を見開いていた。


「……いつから分かってたの?」

「途中からかな。違和感を覚えたのは最初だけど。死のうとしている相手にあれだけ適当な言葉投げかけるやついないだろ」


 ただの倫理観のないヤベェやつかと思ってたけど、それは違った。

 どこか投げやりだったのだ。今日一日、彼女とデートしてそれがわかった。

 それに初めて会ったような男とそういうことするようなやつじゃない。アイドルやってるなら尚更だ。

 

「なんだ……バレバレだったのかぁ。これでもドラマとかも出てて演技には自信あったんだけどな」

「演技してたのか? してるときの声も?」

「だからっ!! それはちがっ……って何言わせるのっ!!」


 楓は顔を真っ赤にして怒鳴る。

 その姿がとても愛おしく思えた。


「ふんだ。よいしょっと」


 楓は、俺に背を向けるとそのまま柵を乗り越えた。


「私もわからないかな」


 それは先ほどの問いの答え。

 楓も同じく決意が鈍ることはなかったようだ。


 俺も柵を乗り越え、楓の横に並んだ。

 下はまるで奈落の底のよう。暗い暗いグラウンドが広がっていた。


「ちなみに理由聞いてもいいか? あ、説得じゃないぞ」

「いいよ、別に。柊と似たような理由だよ。私も親がいないの。寝取られてはないけどね」

「うるせぇ」

「ふふ。それで人間関係とかうまくいかなくて……そんな自分がどんどん嫌いになって……いろいろ疲れちゃった」


 楓はふと消えいりそうに笑った。


 芸能人ということだけで妬みや嫉みは一般人よりも桁違いに多いはずだ。それだけ悩みも多かったのだろう。


「よくそれで人のこと笑えたよな、ホント」

「ホントだね」


 今度はカラッと笑う。


「覚悟は変わらないか?」

「……そっちこそ」

「仕方ないから手を握ってやるよ」

「私も仕方ないから繋いであげる」


 俺は左手を楓の右手に絡めた。


「…………」

「…………」


 二人だけの空間。沈黙が支配する。

 ふと繋がれた彼女の右手から震えが伝わってくるのがわかった。


「怖いか?」

「少しね。そっちは?」

「怖いな」


 このまま落ちればきっと、何もかも忘れられるだろう。

 辛かったことも苦しかったことも。そして今日一日のことも。


 それでも──


「それでも二人なら」

「!」


 楓がこちらを見て言った。

 俺も楓に見て頷く。


「ああ、二人なら怖くない」


 俺と楓は目を瞑った。

 静かな夜に俺たちだけの秘密ごと。



 今日、俺たちという人間はこの世から消え去った。



 ◆


『昨夜未明、男女二人が──』


 リビングに置かれたテレビからはニュースが流れてくる。

 そのニュースを見ながら私は、暖かいカフェインレスのカフェラテを飲んだ。


 そして朝食の準備をし終わると今度は、寝室へと向かう。

 寝室からは穏やかな寝息が聞こえてくる。


 私はゆっくりとその寝息をかく人物に近づき、体を揺すった。


「起きて」

「うん……?」


 それでも彼はまだ起きない。

 今度は顔を近づけてから耳元で小さくささやいた。


「ねぇ、起きて。起きないといろいろいたずらしちゃうぞ?」


 私がそう言うとすぐに彼はガバッと体を起こした。


「起きました」

「よろしい。ご飯できてるから顔洗って早くきてね」

「……あい」


 寝ぼけ眼を擦りながら、寝癖を爆発させている彼を見て、私は笑った。




「よっこらせっと」

「おっさんくさいよ? よっこらせっと」

「おい」


 私と彼はダイニングテーブルの席についた。

 そこでいただきますをして、朝食を食べ始める。


 私は、味噌汁を啜る彼に聞いた。


「ねぇ、今日が何の日か覚えてる?」

「死に損ねた日」

「やっぱり覚えてたか」

「当たり前だろ」


 は、焼き魚をむしりながら答えた。


「忘れるわけがないだろ。こんな倫理観ないやつに出会ったの初めてだったし」

「失礼しちゃうなー。まぁ、忘れるわけないよね。柊が童貞を卒業した日でもあるし」

「朝からやめい」


 私たちはお互いに笑った。


 あの日、私たちは死ななかった。

 別に決心が鈍ったわけではなかった。


 ***


「じゃあ、行くぞ」


 目を瞑った彼は、私にそう声をかけた。

 今から私と隣にいる彼はこの世からさよならをする。

 だけどその前に。


「ちょっと待って」

「……なんだよ──ッ!?」


 私は、彼の唇を自分のそれで塞いだ。


「誕生日おめでとう」


 顔を離して、私は彼に言った。

 気がつけば、日を跨いでいた。


「そう……か」


 またしばらくの沈黙が流れた。

 そして。


「やめーた」

「え!?」


 彼は突拍子もなくそう告げる。

 一瞬何のことを言っているのか、わからなかった。


「言っただろ? 死ぬなら親の命日と同じがいい」

「…………」


 確かに彼は言っていた。だけど、じゃあ、さっきまでの決意は?


「それに生きたいかどうかわからないって言った」


 先ほど彼に問うた時、確かにそう言った。


「一人で生き続けるなら死にたいと思ってた」

「!」

「二人なら死ぬのも怖くないって思った。でも……二人なら生きるのも怖くない」


 それは私が同じように答えた理由と全く同じだった。

 私も同じ。一人ぼっちで生き続けるなら死にたい、そう思っていた。


「だから楓がどうしてもって言うなら、終わらせるのも付き合うぞ?」

「……そんなのずるいじゃん」


 ***


「全く……誰かさんが邪魔したおかげでこうやって俺も労働という名の社会の歯車を担う羽目になってるんだけどな。あー死にてー」

「それはこっちのセリフですー。あんな納豆みたいに臭いセリフ吐かれたら落ち落ち死ねません」

「飛び降りだけにな」

「はいはい。帰ったらいっぱいよしよししてあげるから今日も一日頑張るよ」

「仕方ない。今日も生きるとするか」


 ただ、あの日。彼と私は同じことを思っただけだ。


 二人で死ぬ勇気があるなら。


「そうだね。あの日、約束したもんね」

「……そうだな。二人なら」


 生き続ける恐怖にも勝てるってことを。


「違うよ。これからは三人だよ」

「……まじか!」


 そしてその途中、新しく生き続ける意味にだって出会える。


「ハッピーバースデー柊」

「一日早い」

「私、明日限定のホテルのスイーツバイキングに一人で行かなくちゃいけないから先に言っておこうと思って」

「理由イカれてんな、おい。普通、俺の誕生日祝わない? 一緒に行こうとかないの?」

「ないっ!!」


 どうせいつか終わるなら、彼とこの子とその日まで。

 

 いつかどこかで聞いた歌のフレーズがずっと頭に残っている。


 

                ──了。

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