第二章『悔恨』 第六話



 自宅に戻った成亮らは駆け抜けるように二階まで登った。有輝也の母であった美和子にも、父であった信二にもこのアルバムを見せてはならないと思った。成亮にはこのアルバムがどういう意味を孕んでいて、有輝也が何を考えていたのか、鮮明には見えてこない。どう足掻いたって、有輝也は死んでしまい、成亮や美和子は残された側の人間だからだ。残した側の気持ちなんて想像できない。

 だけれど、同じ残された側の人間の気持ちは手に取るようにわかる。成亮がこれを不愉快に思ったように、悲しみを感じたように、彼の両親はそれよりも根深い何かを感じるはずなのである。

 自室に戻った成亮と和は肺に満ちた苦しさを整えるように、肩で息をした。頬を伝う汗を、成亮は乱雑に拭い、床に座り込んだ。

「…シゲちゃん、大丈夫?」

「ん、大丈夫。このアルバムを美和子さんたちには見せられないからさ。」

「そう、だね。そうだと思うよ。そのアルバム、どうするの?」

 未だに胸に抱いたままのアルバムを、和は不安そうに見つめる。視線は小刻みに揺れていて、なんだか身じろぎがしたくなった。

「見なきゃいけない…と思う。」

 空気を揺らして、部屋の虚空に吸い込まれていく言の葉は恐怖で震えていた。

 外は静寂だ。新年を迎えたばかり、いつも雑踏は遠くに吸い込まれてしまったらしい。だから、成亮の声は部屋の中でよく響いた。

 和は目を細めて、口の開閉を繰り返す。何度か、口から情けない息が漏れ出た後、彼はおずおずとした様子で言葉を吐きだした。

「見れるの?今、それは必ずしもしなければいけないこと?」

 ほんの少しの残酷さと、優しさが滲んでいる。必ずしなければいけないことではない、きっと数年後にこのアルバムを見てもいいはずだ。だけれど有輝也が二十歳の成亮に向けて送ったアルバムを見過ごすことは、どうしてもしたくなかった。

 ああ、ごめんと和は顔を歪ませて、再度、口を開いた。

「意地悪言った。シゲちゃんのことを手伝うって言ったのに、こんなこと言ってごめん。でも、それを見なくても先に部屋を調べることだってできるしさ…。俺にはそのアルバムを見るのと、部屋を調べるの、どちらがシゲちゃんにとって辛いのか分からないからさ。シゲちゃんに任せるよ。どちらも辛いのであれば、必ずしも今日じゃなくてもいいし…。」

「見るよ。」

 成亮はゆっくりと首を横に振った。ぴくり、と和の肩が揺れる。そして成亮の気持ちを詮索するように視線を上下に動かした。

「そうやって、俺は今まで有輝也の死から逃げてきたから。」

「…そう、分かった。」

 和は小さく頷き、にっこりと笑顔を作った。

 成亮と和はベッドに腰掛けて、膝の上でアルバムを開く。懐かしい写真や撮られた記憶のある写真が言葉と共に収められていた。中には成亮の記憶にない、隠し撮りに近い写真もあったが、それはそれで自然体だと和が嬉しそうに頬を緩めた。

「シゲちゃん、有輝也さんってどういう人だったの?」

「…どうして?」

「写真を見ると本当に二人は仲良かったんだなっていうのが伝わってくるし、有輝也さんや一樹さんもすごく楽しそう。このアルバムも、すごく有輝也さんの愛が詰まってると思うんだけど…、自殺を選んでおきながらどうしてこれを作ったのか。有輝也さんの人物像を知ったほうが考えやすいのかなと思って。」

 そう言って和は一枚の写真を撫ぜた。一樹が成人式のために帰省した際に、海で不意打ちに撮影された写真だ。成亮と一樹が睨み合い、これから喧嘩でも始めると言わんばかりの場面が切り抜かれている。

「それは…。」

 再度、成亮は思考を回す。どういう人物かと尋ねられた途端、心の奥に仕舞っていた有輝也が霧散していく。有輝也という人物は言葉で言い表すには複雑怪奇な性質を持っているはずなのに、成亮が説明すれば、それが有輝也の本質となり、容易な性質になってしまうような気がした。

「シゲちゃん?」

 黙り込んだ成亮の顔を、和は覗き込む。

「あ、ごめん。」

「ううん、いいよ。」

「…どういう人かは分からないけれど、誰よりも繊細で優しくて、綺麗な人だった、と思う。」

 瞼の裏に浮かぶのは物静かに本を読んでいる彼。まだまだ子供のように陽気な性格だった成亮がちょっかいを出すと、口元に緩やかな笑みを浮かべて「仕方ないなあ」と言う。その表情がたまらなく可愛らしくて、美しくて。その表情を見るために何度もちょっかいを出した記憶さえある

「…繊細で、優しい、かあ。」

 含みのある言葉の連ね方。成亮がアルバムから視線を上げると、和は目を細めて、じっとアルバムの中で生きている笑顔の有輝也を見つめていた。刺すような視線に成亮は困惑の声をあげる。

「和くん?」

「…うん?」

「どうかした?」

「え、なんで?どうもしてないよ。ほら、早く捲ろ!」

 へらりと和は笑って、次のページへと進むように成亮を催促する。その笑みでさえ作られたもののような気がして、成亮は何か彼にとって不愉快なことを言ってしまったのだろうかと不安が募る。

 咄嗟に視線をアルバムに戻して、

「あ、うん。」

 と言った。

 胸の中に沸き上がった黒い疑問を無視するように、成亮はページの隅に指をかけた。

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