第二章『悔恨』 第五話



「今、すごいスピードでシゲが出ていったけど…何かあった?」

 唖然とした表情を露にした青年がデパートの紙袋を片手に喫茶店へと現れる。カウンター内に突っ伏せしていた一樹は憂鬱げに顔をあげて、「よお」と新年はじめましての挨拶とは思えない言葉を投げかけた。

 青年は困惑したように眉を下げて、低い声で「あけおめ」と持っていた紙袋をカウンターに置いた。

「あざーす。」

「こら、これは一樹の家族用。こっちが一樹用。」

「なんだよ俺用って、一緒にまとめればいいのに。」

「だってお前チョコレート嫌いだろ?お前には良さげなクッキー買ってきたからそれで我慢しな。」

 幼馴染からの有難い気配りに一樹は顔を綻ばせた。

「流石持つべきものは幼馴染だな?あざーす、湊。」

「はいはい、どうぞ。」

 低い声で湊は肩をすくめた。

 有輝也と成亮は珍妙な親友同士だとよく言われている。彼らの両親からも、一樹からも。彼らの同級生からでさえそういう評価だ。その二人の間で一樹は飄々と存在している。だけれど、一樹にだって親友と呼ばれる存在くらいある。

 それがこの眼前に立っている青年―――桜庭湊さくらばみなとである。いわゆる、幼稚園から一緒に過ごした幼馴染という存在でそのまま適度な距離で過ごしてきた親友であった。そして一樹と湊も、有輝也と成亮同様に、ちぐはぐな二人だと言われている。

 適当で女遊びが激しかった陽気な一樹と生真面目で無口で大人しい湊。二人は同じバスケ部だったからここまで親密になったと言っても過言ではない。小学生時代はお互いに嫌いあっていた過去もあるくらいだ。

 一樹は慣れた手付きで彼にコーヒーを注ぐ。

「はい。」

「ありがとう。煙草、やめてなかったんだ。煙草臭い。」

「お前までそれ言うのかよ。シゲにも煙草辞めたんじゃなかったの?って言われたよ。」

「はは、だろうね。シゲ、火はそんなに好きじゃないだろうし。」

 受け取ったコーヒーを一口飲んで、彼は唇を引き結んだ。

 確かに成亮の家族は火災で焼死してしまった。本人はその現場を見ていないと言えど、いい気持ちはしないだろう。分かってはいるのだけれど、一樹はやめれずにいる。

 そんな一樹の気持ちさえ察しているのか、湊は「まあストレスの吐き場所があるだけましなのかもしれないね。」と染めていない自分の黒髪をくしゅりと撫でた。

「それで?シゲとはちゃんと話せたの?ちゃんと話すの、二年ぶりでしょ。」

「んー、まあ話せたよ。ただやっぱりショックというか、色々と心苦しいなと思う部分はある。今度はシゲが死んじゃうんじゃないかって、やっぱり思う。そう思うくらい、シゲは有輝也みたいな装いをしてる。まるで自分が有輝也になろうとしているみたいな…。」

 湊は口を挟まず、ぽつぽつと話す一樹の様子を静寂の眼で見ている。

「俺は怖い。」

 彼の瞳は一樹の本音を引き出す能力があるようだ。隠蔽して誤魔化し続けていた一樹の本音を彼の瞳は裂くように求めている。一樹の言葉に、湊は安堵したのか僅かに口角を上げて、緩やかな仕草でカップを口元に寄せた。

「一樹まで引っ張られる必要はないよ。」

 幼馴染の湊はどこまでも一樹に優しくて、残酷だ。

 あれはいつのことだっただろうか。確か、成亮と有輝也が高校生になる一歩前の春休みのことだ。

 その日、成亮と有輝也は珍しく口論になった。思春期が通り過ぎようとしている真っ最中、様々な要因があって彼らは通常の少年少女らが通り過ぎる思春期をひどくうねるように通過した。まるで蔦のように絡み合った思惑が、上手に処理できずに積もり積もって過激な口論まで発展したのだ。

 最早、二人とも何で喧嘩しているのかそのきっかけさえ曖昧な状態。その間にいたのが一樹だった。最初はすぐ治まるだろうと様子見していた一樹も、間に挟まれ、二人の怒鳴り声に鼓膜を揺らされればいつか限界が来る。

 不快感が極まって、湊に助けを求めた。無口で真面目な彼は即座に状況を察して、白々しい溜息を吐いた。

「一樹に迷惑かけるんだったら今後一切一樹に関わらないでくれる?迷惑だから。」

 たったそれだけだったのだけれど、ぴたりと二人の口論が治まったのを一樹は鮮明に覚えている。

 迷惑という言葉は、この二人の最も嫌う言葉であった。彼はそれを察して、的確に傷を抉ったのだ。

「わかったならくだらないことで喧嘩しないでさっさと仲直りして。」

 冷酷に、残酷に一樹の為だけに悪者になる湊が、一樹自身、少し恐ろしかった。

 過去のことに想い馳せながら、一樹は冷めたコーヒーを啜る。それなりの豆を使っているとはいえ、熱いものに比べたら酸味を苦みが覆い尽くしている。

 口を引き結び、ぽつりと一樹は呟いた。

「苦い。」

 今の感情にぴったりだ。

 一樹の呟きを聞いたのか、わざとらしい溜息を吐いた湊は同じく冷めたコーヒーを飲み干した。そしてカウンター席から立ち上がる。

「それじゃ俺は帰るね。」

「え、もう?」

「うん、流石にそんな長時間家を空けられないし、一樹にも迷惑だしね。」

「俺は別に大丈夫だけど―――。」

 咄嗟に一樹は口を噤んだ。

 湊が見透かすように目を細めた。垂れ目であるはずなのに、どこか鋭利に見えるそれに一樹は言葉を飲み込んだのだ。

「一樹は意外と疲れてる。見て分かる。大人しく正月特番でも見て、こたつでごろごろと過ごしてなよ。変にごちゃごちゃ考える癖あるんだから、君たちはみんな。」

 それだけを言い残すと、「じゃ」と一樹に背を向けて、店を出ていった。

 彼らの残り香がまだ存在している喫茶店。そこにまた取り残された一樹は遣る瀬無い気持ちを抱えて、表情を歪めた。なんだか肩がずしんと重い。

「うるせえよ、ばーか。」

 歪な三人を、湊は俯瞰している。

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