意外な適正
「ただいま」
生まれた時から何も変わらない暗い家に足を踏み入れ、壁に手をつく。手探りでフックを探して杖をかけ、綺麗とは言えない床を這う。左手に重みのある食器がぶつかった。
「また、か」
これで何日目だろうか。そんなことをふと賢は思った。もはや数えるのも億劫で仕方がない。それほどの期間を目の前の部屋に閉じこもる祖父は一食も食べずに過ごしている。いや、もはや死んでいるのかもしれない。
「じいちゃん、ご飯」
部屋から返事はない。ドアノブに手をかける。しかし、脳内に響く条件未達成の通知。魔法で創られたセキュリティが賢の入室を拒む。
「食べてよ、温めてでもいいから」
そう言い残し、右手の扉の取っ手を探す。
廊下の奥からはおぞましい呪詛が聞こえる。それは胸の奥に過去の家族風景を嫌でも思い出させて来る。まだ父がいた、今に比べれば俄然楽しかった日々のことを。
取っ手を握り、扉を押し込む。少し汗臭い臭いが鼻をついた。
「俺は、上手くやっていけるだろうか?」
慣れた足取りでベッドに向かい、倒れこむ。埃が舞い、それに合わせて賢がせき込む。せきとくしゃみを繰り返しながら、賢は眠りについた。
「青葉! 石田! 石井! 上田! 岡崎! ……」
翌日早朝。眠い目を擦りながら賢はバジリスクの統括本部前へと来ていた。今日から始まる対ヒトガミ訓練に参加するためだ。
整然として立つ賢の周囲は懐疑の視線で溢れている。
「最後に、立花!」
「はい!」
全員がいることを確かめた大吾は小さく頷き、左手にはめられた青い腕章に触れる。
「転移B1」
声と同時に賢たちの周りを白い膜が覆った。その膜は強く光を放ち、各人の視界を奪っていく。光が消えた先にはどこまでも続く空間が広がっている。
足裏をくすぐる細かい砂利に気づき、賢は目の前に広がっているであろう光景を想像する。しかし、サンプルのない賢の脳ではどんな光景も目に浮かぶことはなかった。
「今から腕章を渡す。この腕章はバジリスクの隊員であるための証拠であり、バジリスク本部内の設備に移動するための交通許可書だ。失くすなよ。
それと、コートな。期待を込めて、これを渡す」
大吾は真っ白な腕章を一人一人に巻き付け、黒い生地で創られたロングコートに着替えさせた。コートは手首、裾、襟に青いラインが引かれていた。
全員が着替えたことを確認した大吾はおもむろに訓練開始を宣言した。
「じゃあまずは基礎体力でも見ていこうか。俺が線を引いたところまでを自分の体力の限り往復してくれ」
そう言った大吾は開始線を引き、物凄い速さで駆けて遠くに一本の白線を引く。
その距離はぴったり100メートル。それと同時に全員の頭上にカウンターが浮かび上がる。
「大友教官、頭の上に出たこれは何ですか?」
「これのおうふっ回数を記録する物だ。魔法で創ってあるから壊れないし、正確だぞ」
賢は頭上にあると言われたその記録する物に触れようと手を伸ばす。が、手はただ虚空を切るのみ。他の人が言うようなものは自分にはない。またか、とため息を吐く。
買い物に出た時に商人にされたことと同じだった。見えないことを理由に自分を騙す。それは誰であっても、何処であっても変わらない。
この試験の結果も、俺はどこにどれだけ走ればいいのかもわからない。簡単に騙せてしまう。
そんな肩を落とす賢の横に大吾が立った。
「立花、お前の回数は俺が数えよう。開始線がどこか、往復する線がどこか、それもお前はわからないだろうからな」
賢は気配のある方向に向けて思いっきり目を見開く。何を言っているんだ? 唐突に放たれたその言葉に賢は困惑した。その様子を知ってか知らずか、大吾は賢の頭を優しく叩いた。
「条件を平等にしなければ正確な能力は測れないからな」
「あ、ありがとうございます」
頑張ってみよう。胸の奥からそんな思いがこみ上げた。しかし、大吾の助力があったとしても賢の走力と体力は最低値を記録していた。
「人それぞれ得手不得手はある。落ち込むことはない」
そう励ましの言葉を受ける賢。それに対する返事はどこか気の入っていない軽い返事だった。自身のあまりの出来なさに失望し、うなだれる。その姿に周囲からは小馬鹿にしたような言葉が浴びせられた。
「10回とかレベル低すぎ」
「上には上がいるけど下にもいるもんだねぇ」
「彼に戦闘員は無理だとはっきり伝えた方がいいのではないか?」
周囲の意識が賢に向かってしまったのを理解した大吾はすぐさま次の訓練内容を伝え、彼らの思考を訓練へと引き戻す。
「立花、次の試験は正確性と攻撃の測定だが大丈夫か?」
「……大丈夫です」
「そうか」
慣れっこだ、こんなことは日常茶飯事だ。そう自分に言い聞かせ、賢は顔を上げた。賢の眼の前に拳大の透明な球体が出現する。的確に狙わなければ計測すらできない計測球だった。
「立花、次の試験だ。今お前の眼前に拳を2回り大きくした球がある。それを殴れ」
賢は暗い虚空に手を伸ばし、光を感じ取ることの無い世界の外に触れる。
球。その形を思い浮かべながら目の前の空間を探る。しかし、一向にそれに触れられない。
ないのではないか。ふと、その考えが脳裏をよぎった。自分は騙され、滑稽な姿を晒しているだけなのではないか。彷徨う手がピタリと止まった。
「き、教官! も、もう少し大きくしてあげることはできないのですか?」
手探りで計測球を探す賢を見て、一人が声を上げた。その場に居た全員のにやけた顔が真顔へと変化する。つまんねえことするんじゃねえよ、彼らの目はそう言っていた。
「美香、やめなって。さっき教官も言ってたでしょ、条件は平等じゃないといけないの」
声を上げた子が連れられて行く。その一部始終を聞き、こんな俺にも配慮してくれる優しい人はいるのだな、と賢は心を和ませる。
それと同時、教官は自分を騙していないと確信する。
「立花、さっき言った通り条件は平等にしなければならない。が、今回は少し実践的な狙いもある。今、お前の目の前に出ている球はヒトガミの原核の大きさに設定している。これはヒトガミの原核の中心部にどれだけ正確に攻撃を入れられるかと言った試験。もし結界の外に出ればお前もヒトガミと戦うことになる。目が見えないと言うハンデを背負いながらな。……一度だけ手伝おう。感触を覚えろ」
言って大吾が賢の腕を引く。ピンと両腕を伸ばした先、空気に触れるのとは少し変わった感触がある。
「ここだ。この手と手の間に中心がある。覚えて、打ち込め」
大吾の手が離れ、宙ぶらりんの両腕がだらりと垂れる。一点に向かう滑走路は消えた。しかし、賢の黒い視界には一直線に的へと延びる線が映っている。
拳を握り、右手を引き、賢は白眼を剥き出しにする。白い瞳は的確に的だけを睨みつけ、纏う空気は周囲の意識をもロックする。
嘲る小手も、罵倒する声も賢の迫力にかき消された。
「はっ!」
気合一閃。腰から真っ直ぐに放たれた拳は見事計測球の中心を打ち抜いた。
大吾の眼前に賢の試験結果が浮かび上がった。
想定筋力値はやはり最下位だが、そんなことを大吾は気にしていなかった。
正確性の欄には『高』の文字。
「いいぞ、立花」
「あ、ありがとうございます」
「あと2回、頑張れ」
「え? あ、はい」
まだやるの? といった表情を見せた賢だったが、首を横に振ってすぐさま周囲に手を伸ばし始める。計測球は賢の背後に設置されており、今度は次の計測球を見つけ、狙いを定めて打ち抜くまでのタイムまでもが試験対象となる。
難しいかもしれない、と逡巡する大吾は数秒の黙考のうえ賢に手を伸ばす。が、その手が賢に触れることはなかった。
「立花?」
賢がある一方向に手を伸ばし、肘を引いた。その先には空中に浮かばせてある計測球。周囲の視線がより一層集まる。賢の白い瞳は先ほど同様一点のみを見続けている。
「まさか……」
誰かの言葉と同時、拳が放たれ大吾の前に試験結果が出現する。正確性『高』。その文字を認識し、大吾は体中に電流が走ったと錯覚する程の衝撃を受けた。
それは、初めて水神優とう『希望』を見た時と同じものだった。
「つ、次だ。立花」
新たに出現する計測球。試験開始が言い渡され直後に計測終了の知らせが入る。再三眼前に浮かぶ記録には正確性『高』の文字。水晶の原石を見つけたような高揚感が大吾の宮中を満たし、大吾のめは 輝きに満ちた。
「「「「「は?」」」」」
それまで賢を煽り、罵っていた他の新兵の目が点になっていた。誰も彼もが唖然とする中、たった一人、孝だけはその光景に腹を立てていた。
彼の算段ではこの時点で立花賢という『無能』は全員から見限られているはずだった。しかし、現実はどうだ。大した能力を持っていないにもかかわらず、目が見えないけど目標物を攻撃できるというだけで他者からの評価が高まっている。
それまで自分と同様に立花を嫌っていた者達も感心した様子だ。
「クソが」
孝はその身に秘めた想いをより一層堅固にし、怒りの炎を滾らせる。
「全員終わっているな? 次の試験にいくぞ」
その後、試験は滞りなく進められた。
その過程で賢には火水風地のいずれの魔法適正もなく、現在4つの魔法では足りない難点を補っている補助魔法の適正さえもないことが判明した。
僅かに上がっていた周囲からの評価はすぐに元に戻っていった。
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