病魔の英雄

鋼の翼

プロローグ ――盲目の青年――

「こんな数、捌ききれるわけがない……」


 目の前に数多広がる奇怪な形をした生物――ヒトガミ《等神》を前に洋平ようへいは足を震わせた。ヒトガミの突然の侵攻、それの足止めを命じられここに来た洋平だったが、眼前の光景に恐怖が彼の心の中を支配した。

 かつて彼の住んでいた村で神として信仰していた存在達が迫っている。

 もうすぐ生まれる我が子のことを考える余裕もなく、洋平は茫然と案山子のようにたちつくす。その肩を一人の男が叩いた。


「固まってるぞ、洋平。そんな怖気づくこと――」


 男は洋平の視線の先にある光景を見て言葉を失った。結界の中から見るのと外から見るのと絵はその圧も数も、圧倒的な違いがあった。男の顔はすぐに青ざめた。


「おい、おいおいおい。正気かよ。この数を相手に探索班の帰宅まで待てだと?」


 男の唇は震えていた。男はその唇で何度も何度も「俺には子供がいる」と小さく小さく呟き、はっとしたように洋平を見た。

 洋平には妊娠中の妻がいる。生まれるのは五日後あたりだろうと言われた妊婦だ。それを思い出し、男は口を一文字に結んだ。目を据え、震える手で剣を強く握る。

 直後、洋平の両腕に切り傷が生まれた。裏切られたような表情をした洋平を尻目に、男は血の付いた剣を払った。


「洋平、ケガをしたと言って結界の中に戻れ」

「何言ってんだ? 一人で勝てるわけないだろ!」

「ああ。でも、二人で勝てる保証もない。だから、俺が犠牲になる。お前はさっさと結界ににげろ」

「そんなことで納得できるとでも?」

「はぁ。お前は、生まれてくる子供に、親の顔すら見せないのか?」

「それは……だが、高俊たかとしだって同じだ。まだ生後二か月なんだろう?」

「俺は、しっかりと子供の姿を目に焼き付けた。子供にもお前よりは愛情を注いだ。お前とは違う『ウインド』」


 高俊と呼ばれた男が手をかざすと同時、突風が吹き、洋平は易々と吹き飛ばされた。


「待て! 高俊!」

「とっととそのケガ治せよ」


 遠のいていく洋平の姿を確認し、もう5メートル先にまで迫っている異形の集団に高俊は向き合った。

 より強靭な四肢を手に入れた熊型、鋼鉄よりも硬い毛を纏う羊型、子供の身長をゆうに超える角を持った牛型、その絶望的な状況に高俊は笑った。


「こいよ、ヒトガミ」


 武者震いし、高俊は目をつり上げた。息を吸い、地を踏みつけ、中指を立てて吼える。


「守るべきものがある奴はな、死なねえんだよ!」


 剣を振りかぶり、勢いよく突撃していく高俊。


「うおおおおおおおおおおお!」


 生命の咆哮がうねりをあげた。



 とある山奥。杖を突き、微かに伝わる振動を頼りに歩を進める少年――立花賢がいた。彼の服装は、ボロボロで黄土色に汚れた半そで短パン。その服さえも所々布がほつれて防寒具としての機能をはたしていない。


「おい、見ろよ」

「あ? あー『あの』女の子供か」

「気持ち悪いったらありゃしねえよな」

「浮気する女の子供とかあいつも性根が腐ってるに決まってる」

「それに両目が見えねえんだとよ。生きてる価値のないゴミと同列だぜ」


 その姿を見て道の傍らにいた男たちは気味悪そうに声を上げ、女子供は賢の異様な容姿に目を背ける。黒く伸びた髪を下ろしたまま、痩身に鞭を打って足を動かし、迷惑をかけまいと奮闘する姿は、周囲に醜態のみを見せつける。


「ママ、あれ何?」

「しっ。見てはいけません」

「なんで? どーしてあの人は目が真っ白なの? ママとボクは白だけじゃくて赤色もあるのに」

「ちょっとこっち来なさい」


 不意に賢の足が止まった。周囲の視線も自然彼の方へと向けられた。しかし、その視線は憐憫など一切なく、不快、軽蔑、警戒、様々な負の感情が含まれている。賢は寄り添う意思のない視線に射抜かれ、生まれてより一度として光を見たことの無い眼から一筋の涙を流した。


「ちっ」

「帰るぞ。酒が不味くなる」


 齢15の少年の涙は、バジリスクの居住区に住まう唯の一人の心も動かすことはできない。それが常であった。賢が立ち止まってからしばらくして表通りには人っ子一人いなくなった。それを敏感になった聴覚で察し、彼は八百屋で食料を買って憂鬱な面持ちで居住区から離れた小さな廃屋に帰宅した。

 沈鬱な空気の流れる屋内。玄関の奥にある部屋からは絶え間なく呪詛が聞こえ、玄関左隣の仏間には手の付けられていない朝食が置かれている。唯一肉類で手に入れることのできる高価な牛肉とあまり買わないトウモロコシを使った単品。上出来には程遠い、それでもじいちゃんの誕生日だからと頑張った料理だった。


「じいちゃん、またご飯食べてないの?」


 それを確かめて賢は扉に問いかける。返事は沈黙。暗い表情のまま食器を片付け、向かいの自室のベッドへ身を投げる。なぜ自分はこうも嫌われ、虐げられ、辛い思いをしなければならないのだろうか。


「幸せになりたいよ……」


 賢はベッドの横に彫られた、ここには居ない母からの言葉に素直な心を打ち明けた。



――――

「今日より君たちはバジリスクの隊員だ! 今まで通り親兄弟と話すことも、自由気ままに遊び惚けることも許さん」


 バジリスクでの新人教育係を担当する大友大吾は広々とした講堂に数列に渡って並ばせた新隊員へそう叫びながら、違和感を感じていた。

 毎年バジリスクは16歳となる青年達を徴兵し、ヒトガミに対する特殊訓練を行っている。これに参加する者達は皆、緊張な面持ちで佇む者や責任感に押しつぶされそうな表情をする者、怯えた表情をする者、強い使命感とあこがれを抱く者で溢れていた。

 しかし、今年の、今目の前にいる者達は全く違う。彼らは皆、ある一人を意識し、その者に強い忌避感や嫌悪感を覚えその顔を歪ませていた。


「どうした? そんなにこの生活の場を守ることが嫌か?」


 思わず大吾は問を投げる。それに対する回答は一際目立つ美青年――国谷孝の口よりもたらされた。


「違います。ボクたちが嫌なのは……あいつと同期で寝食を共にしなければならないことというです」


 孝の指さす先には白い眼を剥き出しにした青年がいた。

 黒く長い髪を後ろに流し、周囲の気味悪がる反応を無視し、一本の大樹の如く彼はそこに立っている。容姿は端麗、肉付きは薄い物の骨と皮というレベルではなく、背は比較的高いものの威圧感はない。

 一般的に見ればモテる男と言ってもおかしくないスペックを持っている。


「なるほど……」


 そんな彼が何故嫌われているのか。それは見るもの全てが一瞬にして判断できることだろう。『白眼』その不気味な眼が彼の最大の特徴であり、最大の欠点であった。


「なんとかしてください。ボクたちはあいつさえいなければ忠実に働きます。いや、殺してください。存在する意味なんてないじゃないですか。あんな、杖がなければ何もできないような、足を引っ張る邪魔者なんか!」


 孝は声を荒げた。瞳にはただの嫌悪では説明がつかないほどの憤怒と憎悪が宿っている。それは、この空間にいる20人の新入隊員の中でも特別強すぎる想いだ。

 その想いは周囲に波及し、空気を震えさせる。同調の声が小さく上がった。


「国谷孝……だったかな? とりあえずこの式は我慢していてくれ」


 大吾はそう言い式を続行した。孝は納得のいかない表情をしながらも黙り込む。

 そんな中、突然大吾の立つ場所に光が差し込んだ。全員の注目がその一点に集まる。

 大吾が下がり、光の中から一人の女性が現れる。膝裏まで伸びる翡翠の髪と、髪と同色の瞳を持った背の高い女性だ。凛とした空気を纏う彼女に、直前の演出に騒いてでいた空気が静止する。


「バジリスク統括長、天城葵あまぎ あおいだ。まずは、この場に集結してくれたこと感謝する。諸君らも知っての通り近年ヒトガミの侵攻は激しさを増している。この拠点を囲む結界がいつ壊されるかもわからない。

 だが、バジリスクに生存する者全員を守る、なんてことを考える必要はない。自分にとっての大切な人を守るために努力しろ」


 呼吸音さえ聞こえない静寂の中、統括長は長髪を揺らして光の中へ消えて行った。


 式が終わり、翌日の話をされた新兵たちは各々の家へと帰宅していく、全員がいなくなったのを確認し、大吾は孝に声をかけた。


「国谷、今も昔もバジリスクは人手不足だ。探索班は水神優が率いる精鋭の第一班のみ。それ以外はすべてこの土地の警護に回っている。たった一人とはいえ、戦力に欲しい状況なんだ」

「あの目が見えない奴が一人いたところで何が変わるんですか? 変わりませんよ。それどころか無駄に犠牲を増やしますよ」

「お前も知っているだろ。水神は目が見えない。それでも今精鋭として戦っている。目が見えないってだけで使い物にならないとは限らない」

「あれは水神さんが特別なだけでしょう。それを他の奴にあてはめることはできません」


 一歩も引かない孝に大吾は内心で頭を抱えた大吾だってあの盲目の青年が戦力になるとは考えていない。しかし、たった一人の新兵の意見を聞いて隊員を辞めさせたとあれば大問題になることは明白。

 自身の面子、バジリスクの統括組織としての評判、新兵の気持ちを天秤にかけ、慎重に言葉を選んでいく。


「……国谷、あの青年――立花賢はお前たちと共に訓練に参加させる」

「なっ! あいつは目が見えないんだ!ボクたちと同じ訓練なんて受けられるはずがない!」

「喚くな。これは決定事項だ。立花が全員と同じメニューについこれるのであればこのままバジリスクで戦闘員として戦ってもらう。無理であれば辞めさせる。それでいいだろ」

「そんな、結果の見えたことやるのは……」


 無駄だ、という孝を講堂において大吾はその場を去った。

 心の中のチェックリストの要注意人物にその名を書き残して。

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