第18話

「何笑ってるの?」

 職員ラウンジに行く途中で、またも秋津さんに見つかってしまった。

「ケガ人も多く出てるんだから、笑うところじゃないでしょ。見つかったら不謹慎だって、叱られるわよ」

「あ、いや、そうだね」

 ラウンジに入って、自動販売機で飲み物を買って席に座った。

「今日は大変だったね。お疲れさま」

「今宮くんもお疲れ様。でもこういう仕事だもん。わかってて選んでるんだから、仕方ないでしょ」

「うん、そうだね」

「でも、これで収まってくれたらいいわね。おおよその処置は終わったし。予想より被害が少なかったから、これで終わりそうね」

「うん、よかった。一時はどうなることかと思ったけれど」

「デートが途中で延期になったのは、残念だけど」

「そうだね。え、いま延期って言った?」

「そうよ。中止じゃなく、延期。だって、さっきまた二人で出かけようって言ってたじゃない」

 いや、そうだけどさ・・。それはあの場の勢いで・・。

「嫌なの?」

「嫌じゃないです」

「今日はもう無理よね・・。この状態じゃあやっているお店なんかないだろうし。電車も動いているかわからないだろうし・・」

 病院は自家発電があるから簡単に停電にはならないが、外を見ると、チラホラと灯りが見える。停電にはなっていないみたいだ。

「スマホで交通状況を調べてみたけど、全部止まっているみたいだよ。秋津さんの家は少し遠いよね」

「え、何で今宮くんが家を知ってるの?」

 いやいや、この間大層お酔いになられて、僕が家までお送りしましたよね。本当に覚えていないんだ・・。

「あー、もしかして勝手に調べちゃった?私のことが気になって」

秋津さんが、上目遣いで僕を見る。あー、これに弱いんだよな。

「いや、そんなことはないけれど、遠いなら送って行こうかなと」

「本当?うれしい!一人で帰るの、ちょっと不安だったんだ」

「実家は、どこなの?」

 秋津さんは、少しだけ間を置いて話し始めた。

「私ね、小さい時に家族を交通事故で亡くしてしまって、今は一人なんだ」

 え、それって。

「小さい時は親戚の家で育てられたけど、でも、なんか迷惑かけてるなって感じて、早めに家を出て寮がある看護学校に入ったの。看護師なら、収入もあるから一人でもやっていけるでしょう?」

 仕事中はあんなに強気そうに見えても、プライベートではこんな弱いところも見せるんだ。この間飲んだ時もそうだったけれど。

「あー、でも私の家まで来ると、今宮くんが帰れなくなるんじゃない?」

 確かに、電車がないなら、歩くのはちょっとキツイ距離だ。

「私の家で過ごす?私は、いいわよ」

「う」

「て言うか、一緒にいてよ。こんな日なんだから」

 秋津さんが、僕に背中を向けてぼそっと言った。

 そうだね。あの時も、車椅子を見張るからと、一人で決めて僕の部屋に来たよね。僕は緊張していたけれど。

「うん、わかった。それなら、僕の部屋に来るかい?ここからなら、僕の家の方が近いし」

「え」

「何かまずいことがあるかな。あー、女性だからいろいろ準備があるのかな」

「準備なんかないわよ!そんなことをしたいわけじゃないし!」

 おいおい、どんなことだよ!

「じゃあ、問題ないね」

 秋津さんが、心細そうな顔をしている。

「いや、あの、やっぱり準備、あります・・」

 か弱い声で、前言を翻した。

「どこか、コンビニでもいいから、開いてないかな・・」

 本当に困っているような表情だ。

「帰るまでにコンビニがいくつもあるから、どこかやっているところもあるかも」

「とりあえず、一旦職場に戻って、今後の状況を聞いてからだね」

「うん・・」

「あとでメールするから待ち合わせをしよう」

 急に僕のターンになったみたいで、秋津さんがモジモジしている。僕が冷静でいられるのは、向こうの世界での経験の賜物だ。

そうでなければ、女性相手にこんな余裕なんかあるはずがない。

「じゃあ、またあとでね!」

「うん」

 そう言って、恥じらいを秘めた表情で、彼女は自分の部署へ戻っていった。


 指定の時間に職員玄関に行くと、すでに彼女は到着して僕を待っていた。

「あー、遅いよ、今宮くん!」

 なんかさっきと態度が違うんですけど?

「もう、きちんと来られる時間を伝えてよね!7分も過ぎてるんだから!」

 なんかあったかな?不思議な人だ。

「なんかいいことあったの?」

「今はナイショ。さあ、行きましょう」

 何でだろ。すっごく気になるんですけど。

 そうして二人で僕の部屋に向かった。

「何で機嫌が直ったの?」

「えー、大したことじゃないわよ」

「教えてよ」

「どうしよっかなー」

「何だよそれ」

「結構恥ずかしいことなのよ」

「じゃあ無理にはいい」

 ちょっと拗ねた表情をしてみた。

「あー、違うの。あのね、ロッカーに着替えと簡単な化粧品が置いてあるのを忘れていたのよ。救急で何か急に仕事が入って、泊まり込みになることがあるといけないと思って、就職したばかりの頃にお泊まりセットを置いてあったのを思い出したの、だって、下着とか・・」

「わーわー!、ごめん、秋津さん!もういい!わかったから!聞いた僕が悪かった!本当にごめんなさい!」

「何それ。こんな仕事だもん、そんなに恥ずかしくないわよ。いや、ここは恥ずかしがらなきゃダメなところか・・」

「本当に、ごめん!女の子のことがわからなくて、デリカシーがなくて」

「もうわかったって。十分気にしてくれてるじゃない」

 うー、僕のバカ。

「さあ、寒くなってきたし、早く連れていって。何か食べるものはあるの?」

 確かに、日が傾いて薄暗くなってきた。でも天気はいいので、夕焼けが見えそうだ。

「簡単なものなら何とか」

「ビールもある?」

 カッコいいところは変わらない。

「あるよ」

「よーし!今日は仕事のご褒美で飲み明かそう!あ、でもまだ完全に地震が収まったわけじゃないから、明日も動ける程度に、だね」

 お酒は弱いくせに、これだもの。

「はいはい、わかりました。こっちの道が近いから、商店街の方を通っていこう」

 今は一人暮らしをしているけど、元住んでた実家からは近い。商店街のはずれを反対側に曲がれば実家がある。

「へえ、こんな昔ながらの商店街があるんだ。何でも売ってそうで便利ね」

「僕の実家も近いから、昔からのお馴染みの店が多いんだ」

「あら、この辺に家があったんだ」

「うん」

 商店街は、地震の影響で全てシャッターが閉まっている。よかった、こんなところを商店街の人に見られたら、何て言われるかわからない。


 隣で秋津さんが少しはしゃぎながら歩いているのを見ていると、道端の背の高い街路樹に咲いている白い花に目が止まった。

 不意に柑橘系の香りがして、何かを思い出した。

「これは・・」

 秋津さんが僕の声に反応して、こちらを見た。

「どうしたの?」

 その香りのする木の方向を見ると、路地があった。路地の前で立ち止まり、奥を見ると神社の鳥居らしきものが見える。


 空を見上げると、夕焼けが出ていて、間も無く日が完全に沈む頃だった。

 そう、あの瞬間が来る。

 ダメだ、そっちへ行ってはいけない。本能的にそう感じた。

 でも、彼女に会えるかもしれない。会うのならこのチャンスを活かさなければ。

 行けば、この世界がどうなるかわからない。向こうには、もういないかもしれない。

 だって、本殿が焼け落ちた時に、彼女は。

 それに、またここに戻れる保証もない。


 秋津さんが、無邪気に笑って僕を見ている。進んではいけない。

「あれ?あっちに神社があるのかな?鳥居が見えてるよ。行ってみる?」

 秋津さんには見えているのか。ダメだって、行けば戻れない。

 でも、会いたい。

「アスカ!」

 僕はありったけの大声を張り上げて、今まで言えなかった名前で、秋津さんをそう呼んだ。

 秋津さんは振り向いて僕を見て、何かを思い出したように、苦しい様子になって、そして驚いた顔をしてつぶやいた。

「リョウ・・なの?」

 僕は秋津さんの手を取って、来た道を急いで戻ろうとした。

秋津さんは、動揺して呼吸が荒い。顔面が蒼白になっている。これはよくない。

「秋津さん!大丈夫?息が苦しいの?」

「はあ、はあ。ここはどこ?あなたは、リョウなの?私は」

「アスカー」

「リョウなのね!よかった、リョウから思い出してくれたのね」

「アスカ・・」

「またリョウに会えてうれしい。これでもう思い残すことはないわ」

「そんなこと・・」

「リョウが私を思い出してくれてありがとう。でももう、これで満足よ。私のことは忘れてくれるわね?」

「アスカ!」

「あなたはあなたの世界で、幸せになって。それが私の幸せだから」

「そんな・・」

「今、宮くん・・?何だか、苦しい・・の。私は、誰?」

 アスカ、また会えてうれしい。

でも、もうこれでいいんだね。

 僕は深呼吸をして、ゆっくりと彼女に伝えた。

「君は、秋津さんだよ。この現代で生まれ育った人だから。それ以外の何者でもないよ」

 秋津さんは、それを聞いて安心した様子で、僕に尋ねた。

「アスカって、誰?なんだかどこかで聞いた名前のような気がして、思い出そうとすると頭が痛くなって、胸が苦しくなって・・。気が遠くなっていくの」

 ごめん、アスカ。

 アスカが、がんばってこっちの世界まで僕に会いに来てくれたんだね。でも、秋津さんと入れ替わることは、無理だよ。

 だって、秋津さんはアスカじゃないもの。

 こっちの世界でアスカを思い続ければ、秋津さんが苦しむみたいだ。きっと、このまま僕が秋津さんをアスカだと認識してしまったら、秋津さんは消えてしまうんだろう。

 そう思って、秋津さんを見た時から、アスカの名前は口にできなかったんだ。

 だから、今回はどちらかを選ばなければいけない。

 でも、もう答えは決まっている。


「秋津さん、僕と付き合ってください。そして、結婚しよう」

「え?何で?何それ?こんな時に今宮くん、何を言っているの?うん、わかりました。えー、わかんないよう・・。私、何を言っているの?・・」

 秋津さんが泣きながら、そして笑いながら、僕に返事をしようとしてくれる。よかった、秋津さんに戻ってきたようだ。だけどまだ。苦しそうだ。

 アスカ、ありがとう。僕はこの世界で生きていくから。

 あんなに自信がなかった僕を、ここまで導いてくれて感謝しているよ。僕は君に会えて、あの世界に行くことができて、本当によかった。

 さよなら。

「もう一度言います。僕は秋津紫野さんが好きです。結婚を前提にお付き合いしてください」

「はい、わかりました、リョウくん」

 秋津さんは、間髪を入れず返答した。

「シノ」

 シノ、と呼んだところで、秋津さんの状態が落ち着いた。顔色も良くなった。


 赤い夕焼けに照らしだされた彼女の顔は、前にどこかで見たような美しい表情だった。

 この顔を、描きたかった。

 日が落ちる瞬間、蒼い夕焼けは現れず、一瞬だけ太陽が金色に眩しく輝いて、そして辺りが暗くなった。

 それと同時に、商店街の街灯が灯り始めた。車の音や、人々のざわめきが聞こえてきた。

 後ろを振り向くと、もう路地も鳥居も見当たらなかった。

 街路樹には、季節外れなのに白い花が咲いていた。


 僕らは、手をつないだまま、何も言わずに僕のマンションに向かった。

「ただいま、リョウくん」

 僕がカギを開けて玄関に入った時、後ろから小さな声でシノがそう呟いた。

「お帰りなさい、シノ」

 そう答えて、涙が止まらなかった。

「今度、シノの絵を描かせてよ」

「え?私の絵?いいけど、どうしたの、急に」


 僕はそのまま玄関で長い間、シノを抱きしめていた。

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蒼い夕焼け 水月 友 @minatukiyu

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