第17話

「おはよう、今宮くん!」

 翌日の病院内で、朝の勉強会に行く途中、後ろから秋津さんが声をかけてきた。

「おはよう、元気なの?」

「大丈夫よ、あれくらい」

 結構酔っていらっしゃいましたけど。

 あれから何とか秋津さんのマンションのある駅を聞き出し、そこまで一緒に送って行ったけど、結局はマンションまで送る羽目になった。秋津さんは、駅から一人で歩けるような状態ではなかった。

 なんとかカギだけカバンから出してもらい、僕がカギを開けて玄関に入るとその場で眠り込んだ。仕方ないので、ベッドに横にして、逃げるように部屋を出た。

 覚えているのかな、昨日のこと。

「なんか気がついたら自分のベッドで寝てたから、私って偉いわ。帰巣本能が強いのかしら」

 やれやれ、本人がそれでいいなら黙っておきましょうか。

「おい今宮、行くぞ」

「あ、はい、先輩!」

 そうだ、勉強会の会場であるミーティングルームに行く途中だった。ゆっくり話してはいられない。

「じゃあ、またね!連絡するから!」

 周囲の先輩にニヤニヤされてしまった。

「もう彼女ができたのか?」

「いや、そんなんじゃありません」

「またまたー。隠さなくたっていいじゃん!」

「違いますって!」

「こんな朝早くから声をかけてくる異性なんて、何かの関係があるに決まってるだろうよ」

 あー、もう説明するのがめんどくさい・・。


 勉強会が終わって、秋津さんからメールが来た。

 次の休みはいつかという問い合わせだった。

返事をしたら、ちょうど同じ日がオフだったみたいで、午後から時間が取れるかという話になった。

「何か用事があるの?」

 僕の方には特に当てがない。交流会の準備で、買い物か何かだろうか。

「空いてるなら、買い物に付き合って。できたらお昼も一緒にしない?11時に駅で待ち合わせね」

 ほとんど僕の意向を聞かないで、さっさと彼女は自分で決めてしまった。

 まあ、秋津さんとなら、そんなに肩肘張らないで話ができるようになったから、いいけど。


 よく考えると、女性と待ち合わせをするなんて、この間の交流会の下見以来だ。あの時は幹事という使命感があったから、こんな風に意識しなかったけど、今度こそデートなのではないだろうか?

 緊張していたわけではないが、かなり早い時間に自分のマンションを出て、駅に着いた。約束の時間までまだ30分以上もある。

 どこか駅の近くで時間をつぶそうかな。あんまり早く来てるのも、なんかカッコ悪いし。

 そう思って、駅前の本屋で専門書を見ようかと思い歩き出した。


 その時、突然周りがぐらぐらと揺れ出した。初めは周りが揺れているのか、自分の頭がぐるぐる回っているのかわからなかった。目眩を起こすくらいの揺れで、自分が何かの病気になったのかと思ってしまった。

 いや、身体は普通に動くから自分のせいじゃない。地面が揺れているんだ。

そうか、地震だ。

 そう気がついて、周囲を見渡すと、歩行者が立てなくて地面にしゃがみ込んでいる。街頭や、ビルの看板が激しく揺れて、今にも落ちそうになっている。

 これは大きい。ケガ人が多く出そうだ。いや、ひょっとしたら亡くなる人も出てくるかもしれない。

 ここから大学病院は少し距離がある。電車でなら3駅程度なのだが、歩くと30分以上かかるだろう。

 大学病院は3次救急をやるので、多くの人が運ばれてくるだろう。僕は直接の救急担当ではないけれど、人手は多い方がいいだろう。

 そう思い、まずは駅に向かった。しかし、駅からは人が大勢出てきて、駅前広場に人があふれかえっていた。電車は止まっているようだ。

 秋津さんはどうしているだろうか。メールをしようとしたが、通信エラーが出てなかなかつながらない。みんな考えることは同じだから、大量の通信で規制がかかっているのだろう。

 どうしよう。彼女は救命救急部の看護師だから、急いで病院に戻らなきゃならないんだろうな。だったら、一緒に病院に向かえるといいのだけれど。

 どこにいるんだろう?

 もう一度、彼女を探すために周囲を見渡す。駅の正面からはまだ人が出てきている。

 そこに、見慣れたあの顔を見つけた。いた。

「秋津さん!」

 大声で叫んでから、逆流してくる人の波で彼女を見失わないように追いかけた。。

「秋津さん!こっち!」

 秋津さんは、僕の声を拾って、こっちを見てくれた。

「今宮くん!」

 僕は彼女の元へ走って行った。途中何度も周りの人にぶつかって転びそうになったが、彼女を見失うことはなかった。

「秋津さん・・、よかった、会えて。ケガはない?無事だった?」

「私は大丈夫。今宮くんは?」

「僕も大丈夫だよ。それより」

「うん、病院へ向かいましょう。でも電車は全部ダメみたい」

 まだ揺れが繰り返していて、周囲の人はどうしていいか戸惑っている。今ならタクシーを拾えるかもしれない。

「タクシー乗り場へ急ごう!」

「わかった」

 僕は、秋津さんの手を取ってしっかりと握りしめて、タクシー乗り場へと走った。

 まだ揺れが続いているため、幸い乗り場には人がいなかった。

 乗り場にはタクシーが1台だけ停まっていた。事情を話し大学病院まで行ってもらえるか交渉した。初めはもう営業はしないと言われたが、自分達が大学病院の職員だと告げたら、そういうことなら絶対に病院まで連れて行ってやる、と力強く言ってくれた。

 道路は渋滞が始まってきたが、この辺の道路事情に詳しい運転手なのか、こんなとこ通れるの?というような裏道を使って病院まで連れて行ってくれた。

 料金を払おうとすると、頑として受け取ってくれなかった。あとは任せたぞ、というカッコいいセリフを言って、今度は病院からの客を乗せて行ってしまった。

「素敵な運転手さんね」

 医療は、医療職の人間だけでやっているんじゃないんだ。そう思わせてくれる運転手だった。


 病院のロビーには、人があふれていた。ケガ人もいるが、何回も起きる揺れに不安を感じて、人のいる場所にいたいという思いの人も多かった。

 これでは、救急活動に支障が出てしまう。

 そこへ、事務部の主任がやってきた。手には拡声器を持っていた。

「避難された皆さん、お怪我や体調が悪くなった方はいらっしゃいますか?もしいれば近くの職員までお申し出ください。また、体調に問題のない方は、大学の講堂を避難場所として開放いたしますので、そちらに移動をお願いします。今から職員が誘導しますので、それに付いて行ってください。ここにはこれからケガ人が多く運び込まれます。ご協力をお願いいたします!」

 僕と秋津さんは、すぐに自分の部署へ行くことにした。

「今宮くん、がんばろうね」

「これから何が起こるのかわからないけど、落ち着いたらまた二人で出かけよう」

「うん、わかった。楽しみにしてるね。約束だよ!行ってきます!」

 秋津さんは、走って救命救急部へと向かった。

 僕もリハビリテーション部へと急いだ。

 スタッフルームに入ると、今日の出勤者とそれ以外の何人かが、ユニフォームを着て準備をしていた。

「あれ、今宮も来たのか。お前の家、病院から近かったか?」

「いや、たまたま駅にいて、タクシーで来たんだ」

「へえ、彼女といたのかな」

 先輩の冷やかしには応えず、黙々とユニフォームを着込んだ。

 何人か揃ったところで、リハ部長がやってきた。

「おう、今日は少し多いな。駆けつけてくれたやつもいるな。後でたんまり飲ませてやるから、今夜は帰れないと思え!」

「はい!」

「まずは二手に分かれて、第一班は病棟の応援に向かってくれ。第二班は、1階のロビーに出て、救命救急部のトリアージの補助だ。主任、今いる人員を2班に分けてくれ」

 僕は第2班に入った。救命救急部か・・、秋津さんに会えるかも。

 いや、今はそんな状況じゃない。まずは目の前の仕事に向かっていかなければ。

 それから班長の主任と打ち合わせをして、どのように活動するかの手順を決めた。班長の指示下に入るが、現場では救命救急部の指示に従うことが優先されるとのことだった。

「あと、休息も必ず交代で取ること。無理をして自分が救助される側に回ってはいけない。何があろうと、決められた時間で活動するように」

「はい!」

 何があろうと、ね。本当にこれから何が起こるのか、想像もつかない。

 でも、何が起きても対応できるような気がする。向こうでの経験があるから。

「よし、行くぞ!」

「はい!」


 1階のロビーは、すでに人であふれかえっていた。事務からも増員が出て、ケガをしていない人の誘導が始まっている。それで、スペースが開き、玄関外とロビーを第一段階の処置をする場所とすることになった。

 休日だった職員も、近場の者には出勤要請が出て、徐々に人が増えて来た。こういう時、動ける人がいるのは心強い。安心感が湧く。

 そこに、救命救急部が登場して、ロビーが俄にざわめいた。

「これからこの現場は救命救急部が指揮をする!各応援部隊は、その下で活動してください!」

 一際大きな声で指示を出し、ロビーを静まり返らせる大男がいた。

「私は部長の長柄だ。みんな、今日はよろしく頼む!」

 長柄と名乗った救命救急部長は、身長が2m近くあり、みんなの中にいても頭一つ上にあり、どこからでも探すことができる。

 あいつだ。僕はとっさにそう思った。

 そして、長柄部長の後から救命救急部のスタッフが流れ込んできた。

そして、彼女がいた。

「よーし、それじゃあ、取り掛かろうか!気を引き締めていくぞ!」

 こんなところで、また会えた。

 戦いに赴く二人の姿とシンクロしてしまう。

「第5班の方、私と一緒に玄関外のテントでトリアージをします。話ができる方にはケガの状況の聞き取りをお願いします!」

 秋津さんが声を張り上げて、みんなを引っ張っている。戦いに行く彼女そのものだ。

「さあ、行くわよ!」

 彼女の声が掛かる。彼女が小走りに玄関から外に出る。まるでスローモーションのように走る姿が流れていく。

 僕の前を通り過ぎる。一瞬僕と目が合って、走りながら僕を見て、僕には何も言わず、また前を向いて走り出す。

 後ろで束ねた髪が揺れている。長い髪が流線になって彼女の走った後を追いかける。

 君の姿を見て、美しいと、ただ単純に思った。

 君が、自分を顧みないで人を助けようとするその姿が、向こうでも、こちらでも、僕は愛しい。

 僕も、この仕事を選んでよかった。君の美しい姿を見られたから。

 君に会えたから。

 

 余震は、何度も波のように押し寄せてきたが、小1時間くらいで収まった。ケガ人も相当数運ばれてきた。

 それでも、2時間も経つと運ばれてくるケガ人の数も減り始め、班長から交代で休憩を取ってこいという指示が出された。

 僕の休憩時間になって、スタッフルームに戻ろうとした時、後ろから声が聞こえた。

「今宮くん!」

 秋津さんだった。

「今宮くんもこれから休憩?」

「うん、そうだよ」

「じゃあ、一緒に休まない?」

「いいよ」

「一度ユニフォームを取り替えてくるから、職員ラウンジにいて」

「オッケー」

「すぐ行くわ」

「待ってる」

 僕も一度リハビリテーション部のスタッフルームに戻って、ユニフォームを着替えよう。止血を手伝ったケガ人もいたから、シャワーも浴びたい。

 止血かあ。そういえば向こうで肩の止血をしたなあ。

 いろんなことが思い出される。ここは戦いの場ではないけれど、現代の戦いの場かもしれない。

 どの時代にいても同じようなことをやっているんだなあと思って、一人で笑ってしまった。


   

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