2、選択肢も簡単、明るい未来

「好きです。付き合ってください」


 彼女ができた。攻略サイトが正解の判を押した通り、好きなところもないけれど、許せないところもないいい子だ。普通に可愛くて僕のことを好きでいてくれる子。やっぱり攻略サイトは信用できる。


 攻略サイトが良いと言うのならきっとこの子と付き合うことが僕にとっての最善に違いない。結果、初めてできた彼女は別段悪いものでもなかった。嫌いでもなければ好きでもなかったけど、好意を向けられるというのが単純に心地よかった。


 クラスのマドンナに淡い恋心を抱いていたなんて時期ももちろんある。けどあんな一本の高値の花を取り合うなんてなんて非効率的だったんだろうと今は思う。


 手に入るか分からない夢物語より、着実に手に入るものが良いに決まっている。

「ごめんね、ちょっと遅くなって」

「ううん、いいの。私が待っていたかっただけだから」

 彼女はそう言って笑う。クラスのマドンナには欠片も似ていないあどけない顔。でもお高くとまったあの子と違って彼女は僕の隣にいてくれる。


 下校時間を少し過ぎた紫に染まりかけの空の下を二人並んで歩いていく。なんとなくまだ手はつなげていなかった。


 今はまだはっきりと気持ちは分からない。でもきっとこれから徐々に好きになっていくに違いない。攻略サイトは僕らを祝福したのだから。


※※※ 


 本当なら皆が書くことを面倒くさがる進路調査。考えたくなかった未来を突き付けられ、自分の限界を知ってしまう嫌な取り決め。実際この期間に思い詰めて命を絶つなんて生徒も過去にはいたらしい。


 だが僕らの筆は軽いものだった。だって攻略サイトのとおりにやればすべてが順風満帆だ。なんせあいうえお順に職業を攻略サイトで調べて、正解の中から好みの仕事を選ぶだけでいいのだ。


 攻略サイトが選んだ職業ならな違いないし、自己分析なんてものしなくても成功なんて約束されたようなもの。将来の心配で顔を曇らせるなんてそれこそ時代遅れも

甚だしい。


 進路票を手に、僕は左目で攻略サイトを見る。親は食事中くらい見るのをやめろってうるさいけど、くだらない時代遅れの笑いのワイドショーなんかより今起きていることをリアルタイムで追った方が面白いに決まっている。


 テレビの中では僕と同い年ほどの若い女性がコードを揺らして笑っていた。最近ネットで有名な動画配信者だ。クラスの女子たちがやっていたように、コードにつけられた色とりどりのカラーストーンたちが光を反射する。それらはカラフルに彼女の白い頬を彩った。


 女も男もきゃあきゃあと言ってしまいそうなほど美しく笑う彼女を見て、両親は盛大に顔を顰める。


「こいつもつけてるのか、このコード」

「いやあね。こんな、体に傷が残るような手術。親御さんが悲しむでしょうに」

「嘆かわしい。それもこれもサロンだかなんだか知らんが、無料手術サービスなんてことしてるからだ」


 そう言った二人の視線が僕をちらりと見るのが分かった。こういう二人なのだ。時代遅れで、僕らくらいの年代のやることにとにかく目くじらを立てる。二人を無視して手術に向かった僕は英断だったと思う。こんな言葉に耳を傾けていたら彼らのようにきっと時代遅れのままだっただろう。


 自分たちが理解できないからってどうしてこうも頭ごなしに否定できるものか。


「ごちそうさま」

 その視線から逃れるように席を立った。彼らの言い口はいつも同じだ。口を揃えて「嘆かわしい」だの「親御さんが悲しむ」だの。勝手に考えて自分の考えをさも正しいことのように相手へ押し付ける。テレビの中の彼女の親のことなんて見たことも話したこともない癖に。


 結局大人たちというのは自分たちが新しいものを受け入れたくないだけなんだ。この便利さを体感してもいないのに。


 言いたいことは山のように溢れ、危うく口からこぼれ落ちるところだった。それをぐっと押しとどめて二階の自室へと駆けこむ。左目のモニターにはさっき僕が打ち込んだ文字への回答が書かれていた。


「親に今思ったことを話すべきか」

 ―――不正解。


 攻略サイトはよく分かってる。考えを正させるなんて非効率を僕が被る必要なんてないのだ。


※※※


 ベッドに寝転がりながらさっきの続きを再開する。勝手に埋まることのない空欄を前に、なりたい職業ランキングの一位から順番にいれていく作業だ。だが、延々と繰り返される同じ回答に僕は早くも飽き始めていた。


「はあ………」

 不正解不正解不正解不正解不正解。なりたい職業ランキングはとっくに圏外へ。それならと自分が興味を持ったものを入れてみるもこれまた不正解。どうにも僕が成功できるルートというのは限られているらしい。


 こうも将来性のない男だとは自分でも思っていなかった。少しショックではあるがまあ仕方がない。僕の適正なんて僕には分からないことだ。自分の勝手な思い込みで苦手だと思っている分野が実は得意なのかもしれない。


 そう思って最後の最後、僕がいれたのは特に興味もやる気もない職業だった。けれどそれを入れた途端攻略サイトは華々しく「正解」の文字を叩き出す。

「まじかよ」

 誰に言うでもない言葉が口から出る。ただ何度見返してもその文字は変わらない。やっぱり自分から見た自分なんて、あてにならないものだ。


 攻略サイトがそう言ったのだからこれが正解の道に違いない。白紙の空欄をとりあえず埋めてからカバンへ仕舞う。少し眠気が出てきた夜の十一時、僕は攻略サイトに再び文字を入れた。


「今からゲームをするべきか」

 ―――不正解。


 今日はもう寝た方がいいらしい。ひとつ間の抜けた欠伸をして毛布に体を潜り込ませる。目をつむっても悪夢を見ることはない。明日何をすればいいか考えることも特になかった。考える必要もなかった。


※※※


 朝。教室はいつも通りのクラスメイト達がいた。けど今日はちょっと騒がしい。僕が席に着くと、隣で話していたらしい男子が僕の顔を見て唐突に言った。


「お前さ、進路票なんて書いた?」

「え?」

「ほら今日が期限のやつだよ。もう書いただろ?」

 意味が分からない。一体聞いて何になるというのか。しかし男子は僕の回答を待たずに勝手に話し始める。だが、その口から出た言葉に思わず目が丸くなった。


、研究員だよな」

「――――――」

「だよなあ、そうだよなあ。やっぱ」


 その後も彼は僕が一言も話さなくてもどこの何のための研究員かすらすらと言ってのける。まるで僕の進路票を見てきたかのような口ぶりだった。どうして分かるんだと聞けば彼はさっと進路票を見せてくる。


 そこには


「僕と、同じ?」

「お前が言いたいことなんて聞かなくても分かるよ」

 僕たちだけじゃない。のだと言う。彼は僕にこう言った。


「どうせ、?」


※※※


「……どうしたの? ぼーっとして」

「あ、いや。ええっと」

 ほぼうわの空で授業を過ごし、気づけばもう下校時間だった。僕の隣を歩く彼女が不思議そうに顔を覗き込む。


「そ、そういえばさ。君はどうして僕にしようと思ったの?」

「え?」

「いや、ほら。僕らって一回も同じクラスとかにもならなかったしさ、どこが、決めてだったのかなって」

 突拍子もない僕の言葉に彼女がきょとんとした顔になる。子猫にも似た、同い年にしては幼い顔。


 僕が選んだ未来のはずだ。僕が選び取った未来のはずだ。そのはずなのに拭いきれない違和感が思考をノイズをかけていく。考えたこともない気味の悪さをどうにかして取り払いたかった。


 僕だから、僕であったから、僕がやって来たから、彼女は僕を好きになったのだろう。僕が選んだから今の彼女が隣にいるという未来があるのだ。外野が勝手に決めたことでなく、僕だったから彼女は告白をしてくれたはずだ。


 肺が急に小さくなったように呼吸が浅くなり、足元がぬかるんでいるかのように覚束ない。久々に感じた不安から縋るように彼女を見る。

「うーん、実はね。高校時代に一回は彼氏作りたいなって思ってて」

 彼女は困ったように言った。


「攻略サイトに下駄箱の名前をね、の」


 ああそうか、僕の名前はあいうえお順でずっと上の方だから。


「それで、最初に正解って言われたのがあなただったから……」

 無垢に無邪気に、当たり前とでも言いたげに彼女は笑う。まだつなぐ気になれない小さな手が照れたように頬を掻いた。


 そういえばあのラブレターには僕の名前が書いていなかったと、今さらのように思い出す。僕の下駄箱に入っていただけの、誰にでもあてはまるラブレター。


 彼女は立ち尽くす僕にこう聞いた。


「私も聞きたかったんだ。?」


 名前も顔も知らなかっただろうにと、彼女が言う。初めて出会った彼女の告白をどうして受け入れたのか。

「どうしてって、それは―――」

 あの日のことを思い出す。しわくちゃになるまで放置したラブレター。それなのに僕がわざわざ告白を受けに行ったのは。


 勝手にショックを受ける権利なんて、初めから僕にはなかった。だって、僕も彼女もなのだから。

 

※※※


 陰りがあった。僕の進む道は本当にこれで正しいのか分からなくなったのだ。


 僕が選んできた道は、ただ攻略サイトに強制されているだけではないか。正解ではなく攻略サイトにとって「都合がいい」道ではないか。彼女も、僕らの将来も。


 けれど不安でたまらない。今こうしていることはあっているか分からない。明日どうするか、何を選択すべきか分からない。だって間違いかもしれない。それはとりかえしのつかない致命的な間違いに進むかもしれない道なのだ。


 震える指先でコードを繋ぐ。ぱっと左目の前に開いたのは攻略サイトの文字だった。


「僕は、攻略サイトを使わないべきか」

 ―――不正解


 固定化される未来より、どこへ行けばいいか分からない未来の方がずっと怖くて怖くてたまらない。暗闇を恐れて火を一度使えば、もう一寸先も見えぬ闇など歩けないように、何も分からない未来を生きていくなんて耐えられない。外れかもしれない選択肢を自分から選ばなければいけないなんて、どう考えても無理だった。


 膨大な時間に足が竦む。僕らはもう、見えない先に踏み出すことなど恐ろしくてできない。


 サイトに照らされた道を進むように、僕らは歩み続けていくのだろう。確定された、最善の未来というやつを。

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