異世界探検部
からぷる子
第1話
原案:からぷる子 原作:白野うい
私の朝の身支度は、枕に擦れて絡まった髪を梳かす所から始まる。容姿に自信を持っているわけではないけれど、人から褒められることが多いさらさらの黒髪は私自身も気に入っていた。いつも通り朝ごはんを食べて、着替えに歯磨き。いつも通り始まっていく生活も、放課後になれば少しだけ非日常の色を帯びる。
異世界探検部。
恐らくこの学校以外には無いであろう個性的な部活名に違わず、その内容にもボランティア活動の他に「異世界へ転移した場合に備えたサバイバル訓練」というものがある。最初はその独特な雰囲気や部活内容に戸惑っていた私も、部長や他の部員の明るい性格のおかげで一か月もすればもう馴染むことが出来ていた。
「織絵!おはよ!」
「おはよう綾香。今日も迎えに来てくれたの?」
家を出てからまだ数十秒。学校に行く道の最初の曲がり角を越えた頃、同学年の友達である綾香に声をかけられた。彼女は私が危ない目に遭わないよう何かと世話を焼いてくれていて、いつもこうして家のすぐ近くで待っている。こうして綾香と一緒に登校するのはすっかり通例となっているけれど、今日はもうひとつ人影があった。
「織絵、綾香。二人とも今日の部活には来るよね?」
そう言って彼女の背後から顔を出したのは、異世界探検部の部長を務めているあさひ先輩。実は「部」という漢字がついているにも関わらず異世界探検部はまだただの同好会に過ぎず、あと一人部員を集めなければ部に昇格することが出来ない。最初は自分一人で発案した活動に私達二人を巻き込み、同好会という形で活動権をもぎ取ったのがこの人だ。
「あれ、あさひ先輩?」
「おはよう織絵。今日は学校に行く途中に相談しておきたいことがあるの」
高身長の綾香とは対照的に背が低いあさひ先輩は、学年が違いにも関わらず綾香とは頭一つ分以上の身長差がある。しかしその態度はいつも堂々としていて、部活を引っ張る人物にふさわしいものだった。
「それで、相談事っていうのは来月のボランティア活動についてなんだけど…」
予定の兼ね合いや準備すべき物など細かな点について話しながら、あさひ先輩も交えて三人で学校に向かう。その後ろからじっと私を見つめる男子生徒がいることに、私達三人は気付かないままだった。
部活が始まるまでの授業は流石に退屈することもあるけれど、それさえ終わればこっちのものだ。うつらうつらと舟をこぎながら授業を受ける他の生徒を横目に板書を取り、課題を提出し、終礼が終わると弾んだ足取りで教室を出る。
「糸川ー!」
しかしその時背後から他の男子に声をかけられ、私ははたと足を止めた。
「ん?」
「あ、今度の日曜なんだけどさ」
声をかけてきた男子生徒は僅かに頬を赤くし、照れくさそうに指でかきながら口を開いた。彼の話によるとその日は先日の合唱祭の打ち上げがあるらしい。話の内容はその打ち上げへのお誘いと、それが終わったら個人的に遊びに行かないかという提案だった。
「なるほど、それなら」
その時、返事をしようとした私の背後の廊下からぱたぱたと足音が聞こえてきた。私と男子生徒がそこに視線をやると、今走って来たらしい綾香の険しい目とぶつかる。
「その日は駄目。織絵は部活で忙しいの」
私よりも先に応える綾香の言に、私は思わず首を傾げてしまった。
「え?そうだっけ」
その日は特に部活の予定も入っていなかったはずだ。そう言おうとした私の腕を引っ張り、綾香は半ば強引に廊下へと連れ出す。男子生徒は綾香に反論することすら忘れて、気迫に気押されたのか呆然とした表情で私達を見送っていた。
「あ、えっとごめん!急用が出来たからまた今度!」
そんな彼を精一杯フォローしつつ、引きずられるようだった体勢を立て直して自分の足で歩き始める。隣を歩く綾香は眉をひそめたまま、ツンと顎を上げていた。
「全く、あの男ってば絶対織絵に変な気起こしてるって!ああいう誘いに乗っても良いことないよって言ってるでしょ?」
「そうかな…?別に悪い人ではないと思ってたけど」
「アイツ学年でも有名な寝取り魔なんだよ。織絵可愛いんだからもっと気をつけなきゃ」
「そっか…」
綾香は男性嫌いであるにも関わらず、こうして自衛する為に学校内外の男性に関する情報を頭に収めている。矛盾しているようにも思えるけれど、色恋沙汰のトラブルに巻き込まれずに済むのは良いところ…なのかな?
私は特にその件についてそれ以上考えることもなく、彼女と共に部室へと向かった。
「異世界探検部」と堂々と表示されたドアを抜ければ、そこには既にあさひ先輩が待っている。
「二人とも早いな。部活熱心なのはいいことね」
先輩はホワイトボード用のマーカーを握り、ちょうど白板に何かを書いている途中だった。そこには次のボランティア活動の内容がざっとまとめられており、実行日の候補や必要なものなども書かれていた。
「あさひ先輩、いつもどうやって私達より先に来てるんですか…」
授業が終わってからなるべく早く来るようにしているのに、どういうわけか彼女はいつも先に着いている。本当に部活熱心なのはどう考えても先輩の方だった。それだけ部活に思い入れがあるのはどうしてなんだろう。
「まあ色々。そんなことより、二人とも席について。そろそろ部活開始時間よ」
放課後のチャイムが鳴ると同時に、私達の部活動が始まる。ボランティアの日程を決め、必要なものを準備し、無い物は買い出しに行くため金銭出納帳に整理。色物部活として有名なここも、活動内容はいたって健全だ。サバイバル訓練は流石に人を選ぶけれど、普段からしていることといえばこういう打ち合わせである。
「ボランティアなんて優等生ぶったぶりっ子がやること」
だなんてことをいう生徒もいるものの、この活動に退屈したことはない。設立時は苦い顔をされていたこの部活も、徐々に受け入れられる存在へと変わっていった。
その頃のことだ。
徐々に賑やかになっていく部室の外で、先ほど声をかけてきた人とはまた違う男子が立ち尽くしていたのは。
「今日こそ…!」
そう小さく呟く彼の手にあるのは、既に記入済みで先生のハンコも押された入部届。それに手の跡が付くほど緊張しつつも、彼はとうとう意を決して部室のドアを開けた。
「しっ、失礼します!」
気を張るあまり場違いな程大きな声が出てしまったのか、今しがた入って来たその男子ははっと自分の口を押さえた。恥ずかしさから顔を真っ赤にしつつも、自分へと一斉に集まってくる私達の視線を受け止める。
「誰?」
どうやら部活動の監査にきた生徒会のメンバーではないようだし、上履きの色からしてそもそも学年が違う。あさひ先輩に誰何され、彼は一瞬固まった後口を開いた。
「す…末広駿です!入部届を出しに来ました!」
その声を聞いて眉を吊り上げたのは綾香である。男とあれば誰彼構わず噛みついているわけではないものの、部活動にまで男の邪魔が入るのは許せないといった様子だ。
「部室どこかと間違えてるんじゃないの?」
「こら、綾香」
棘のある言い方をする彼女を先輩がたしなめるものの、ここで引く気はないらしい。ガタンと大きく椅子を揺らして立ちあがった綾香をなだめるべく、私も小さく声を上げた。
「いやほら、せめて話は聞いてあげよう…?」
名前を聞いてやっと思い出した程度だけれど、私と彼―――末広くんには面識がある。
文化祭の実行委員に抜擢された生徒が集まる打ち合わせで、自分から望んで立候補したわけではないらしく戸惑う彼とペアを組んだのだ。
「大丈夫?他にわからないところとかない?」
「だ、大丈夫です…!先輩、ありがとうございます」
恥ずかしがりながらもそう言って笑う彼を見て、悪い子ではないんだろうなと思った記憶がある。綾香は別の委員会に参加していたので、最初は私達の関係については知らないはずだった。しかし委員会活動の場を出れば話は別で、彼は何度も綾香による洗礼を食らっている。
「だって下心があるとしか思えないもの、アンタ何度も織絵のこと連れ出そうとしてたでしょ!」
「下心…!?」
綾香の言い方が刺さったのか、年下の末広くんもたじろいだようだ。しかしすぐ歯を食いしばり、彼女の剣幕に負けじと言い返す。
「別に不純な動機で入部しようとしているわけではありません!」
「あんなにアタックしておいて今更そんなこと言われたって信じられるわけないでしょ!」
段々不穏な空気になってきた。徐々に苛立っていく二人の言葉の応酬を、私は黙って見ていることしか出来なくなってしまう。
「そこまで!二人とも座れ!」
ここであさひ先輩の一喝。
末広くんも綾香もびくりと肩を震わせ、彼女の方に視線をやる。部活動中に関係のない内容で言い争いをされるのは気に食わないらしく、あさひ先輩は小さな身体全体でため息をついた。
「二人ともそろそろ頭を冷やしなさい。特に綾香」
先輩の目と指が彼女を指す。綾香は一旦矛を収めたものの、僅かに俯いてからおもむろに部室の入り口へと走った。
「…もういいです!」
「綾香!?」
そのセリフと共に、綾香の背中があっという間に廊下へと消えていく。慌てて立ち上がって後を追おうとすると、先輩は末広くんに声をかけていた。
「末広くん。貴方にも話がある」
「はい…」
ばつの悪そうな顔をしつつも、彼は彼で話を聞く気があるようだ。彼のことは先輩に任せるとして、やっぱり私は綾香を追いかけよう。あさひ先輩と目線を交わし、私は今度こそ部屋を出た。
「綾香?どこ行っちゃったの」
放課後の学校は既にがらんとしていて、それぞれの部室以外は静まり返っている。その中を歩き回りながら、どこにいるともしれない彼女に声をかけた。
綾香がああいう態度を取ることには、ちゃんと彼女なりの理由があるはずだ。もちろん必要以上にキツく当たってしまうのは悪いところだけれど、一概に責められるべきものだと言い切ることも出来ない。だって普段の彼女は明るくて面倒見も良い友達なのだから。
「…織絵?」
そう考え事をしながら歩いていると、私はいつの間にか校舎裏まで来ていたらしい。私の呼びかけにやっと答えた彼女の声は、酷く掠れて小さくなっていた。
「綾香!こんなところにいたの?」
掃除ロッカーの陰に隠れるようにして座り込んでいた彼女に駆け寄り、顔を覗き込む。その表情には先輩に怒られたショックだけでなく、流石に態度が酷かったかなという後悔の色も浮かんでいた。
「一緒に帰ろう…って言いたいけど、辛かったから出てきたんだもんね。しばらくここにいようか」
「うん」
少しほっとした様子の彼女の隣に並んで腰を下ろす。私からは何も言わない。言いたいことがあるなら、綾香のタイミングで自分から口を開いてくれるはずだから。そんな私の思いが通じたのか、しばらくすると彼女は何か言いたげに視線をゆらめかせた。
「言いたいことがあるなら、ここで言っちゃえばいいよ。秘密にするから」
「ほんと?」
「約束ね」
私と綾香は親友だから。そう言って差し出した私の手をそっと握り、綾香はぽつぽつと語り始めた。
「私、織絵にはあんな思いしてほしくない。男からじろじろ見られて、一方的な思いを押し付けられてさ」
私に対して過保護な一面は、彼女自身が男性に嫌な思い出を作られた悲しい過去からきているものだったらしい。抜群のプロポーションに整った顔立ちを持つ彼女は必要以上に男性からの注目を集め、いわゆるセクハラに遭うことも少なくない。彼女が語ったのは、その辛さについてのことだった。
「綾香が男の子のこと嫌うのって、誰なら信用していいのか分からなくなっちゃったからなんだね」
確かに、人の本性なんて見ただけですぐに分かるものではない。一見優しい人でもいざ近づいてみれば身体のことにしか興味を持ってくれなかったり、良いように使って放り出したりもする。そうして傷ついたこともある彼女は、小さく頷いた。
「でも、あんな言い方することなかったよね」
これは私の言葉ではなく、彼女自身の口から出たものだった。ごめんね、と繰り返しながら、滅多に見せない涙を零す。
「大丈夫、大丈夫だよ。きっと分かってくれるよ、綾香が友達思いの良い子だってこと」
だって私は知ってるもん。
そう言って笑ってみせる私を、綾香は涙で潤んだ瞳で見上げた。そしてしばらく躊躇った後、頷いたのだった。
部室に続く廊下を、二人並んでゆっくりと歩く。彼女のペースで、私のペースで。そうやって扉の前にたどり着いた時、綾香の顔に先ほどの苛立ちはもうなかった。
「おかえり、綾香」
そう言って彼女を出迎えた先輩も、打って変わって穏やかな表情を見せている。そしてもちろん、当事者である末広くんも。
「流石に言いすぎたと思う。ごめんなさい」
私が彼女と話している間、末広くんも先輩から綾香の事情について説明されていたらしい。彼は少し戸惑った後、綾香よりももっと深々と頭を下げた。
「僕こそ噛みついてしまってすみませんでした」
でも。
そう言って再び顔を上げ、緊張よりも決意の方が色濃い声音を持ち直す。
「糸川先輩に嫌な思いなんて絶対させません。だからどうか、入部を許可してください!」
彼は真剣だ。私も先輩も、もちろん綾香もそのことを分かっていた。彼女が首を縦に振るまで、そう時間はかからなかった。
「そういうことなら、許してもいいわ」
「えっ…!?」
意外なほどあっさりと下されたように見える決断に、末広くんは驚いて顔を上げる。でも私と先輩は、その返事の裏に隠された葛藤を知っている。
「偉そうにしてるけど私が部長だからね!?」
思い出したように慌てて突っ込む先輩と、「そうだったんですか!?」と驚く末広くん。確かに綾香の方が見た目も態度も目立つし、そう勘違いするのも無理はない。
「ただし、変なことしたら速攻叩き出すからね!」
照れ隠しのようにそう言い放つ綾香の様子から、弱弱しさはもう消え去っていた。ちょっとしたトラブルはあったけれど、やっぱり今日も私達は元気だ。末広くんという新しい風を巻き込みながら賑やかになっていく部員達に、私も笑顔で加わった。
今日も楽しかった。
私の一日を締めくくる言葉は、大体これだ。テストで酷い点数を取っても、クラスメイトのいざこざに巻き込まれても、あのちょっとだけへんてこな部員達がその暗雲を吹き飛ばしてくれる。やがて家に戻り温かい布団にくるまりながら、私は昼間の出来事を思い返していた。
末広くんも、あのまま部活に溶け込めるといいな。でも綾香と先輩のことだから、きっと大丈夫だろう。彼も加わりとうとう正式な部活動としてのスタートを切る異世界探検部は、これからどんな場所になっていくのかな。わくわくと膨らんでいく期待に胸を躍らせながら、私は今日も波瀾万丈な一日を終えたのだった。
異世界探検部 からぷる子 @karapulco
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