PM13:00 しつけのできた良い子です

 眠い眼を擦りながらセリアルカが上体を起こすと、二人は手を繋いだまま少しずつ近づいて来た。少年の真新しい白のコートに、真昼の日差しがキラキラと舞う。隣を歩く幼女は淡いクリーム色のドレスに温かそうな白のポンチョを着ている。子供ながら上等な布を使った綺麗な服装だ。貴族の子かと一瞬身構えたが、付き添い無しに子供だけで出歩くとは思えない。裕福な商人か、騎士の子供だろうか。ざっと思い返してみてもセリアルカの知り合いにこのような兄妹は居ない。敵意も脅威も感じないが、なんだか厄介事の気配がする。セリアルカの緊張を感じ取ったのか、背後で大きな金色の狼が身動ぎした。


「貴女がセリアルカさんですか? アルファルド卿のご家族の?」


 二人は大人の足で数歩の所で立ち止まる。少年は顎を上げて、やや尊大な態度でセリアルカを見下ろした。『生意気な』と無視しても良かったが、背中に幼い妹を庇う姿は威嚇する仔犬のよう。警戒よりも微笑ましさが優ってしまった。


「……ご家族? えーと、まぁ、そう、です。……あなた方は?」


 厳密に言えば、まだ家族ではない。けれど、いちいち指摘して話の腰を折りたくなかったので、セリアルカは渋々認めた。視界の端にもっふりした金色の尻尾がふよんと揺れている。


「僕はフレッド・オルセン。こっちは妹のメイサ。第一騎士団所属のエイリク・オルセン卿の子です」


 第一騎士団といえば、近衛騎士団に次ぐエリート中のエリートである。自信満々に名乗ったのを見るに、フレッドは父親を誇りに思っているようだ。いまいち状況が飲み込めず首を傾げるセリアルカに、フレッドはムッとした表情を浮かべる。


「アルファルド卿が僕の母と妹を雪女から守ってくれたんです。その時にコートを貸してくれたのでお返しに行ったら、ほんの少し前に退院したって……。困ってたら眼鏡の先生が、遺跡公園で大きな犬を連れているセリアルカという名前の黒髪の女の人がいるから、その人に聞きなさいって教えてくれました」

「ああ、そうでしたか! ご丁寧にありがとうございます。私がお探しのセリアルカです」


 眼鏡の先生というのは、デニスのことだろう。デニスからの紹介ならば、とセリアルカは頬を緩めた。人間嫌いで気難しいアルファルドの思いがけない優しい一面を知って、胸がほかほかする。自分のことのように嬉しい。

 ――君が貸したコートって、まさかヒースのじゃないよね……?

 という疑問は、胸にしまっておくことにする。


「お怪我はありませんでしたか?」

「はい! この通り」


 フレッドが振り返ると、妹のメイサはフレッドの後ろに隠れたまま、セリアルカが背もたれにしている大きな金色の狼をじっと見つめていた。金狼は興味津々な視線を浴びて、居心地悪そうに顔を背ける。すすっと、セリアルカの背後に隠れようとするが、軍馬ほどの大きさの狼が隠れられるはずもなく、ふさふさの尻尾が丸見えである。


「……わんちゃん、大きいね!」


 メイサは丸く見開いた目をきらきらさせている。大人しいので大きな犬のぬいぐるみとでも思われたのか、完全に遊び相手として目をつけられてしまったようだ。


「もしかして……触りたい?」

「うん!」

「えっ!? メイサ待って!」


 駆け出そうとしたメイサを捕まえて、フレッドは青い顔で首を振る。


「こ、こいつ、吠えますか?」

「この子は強いから滅多に吠えないよ。吠えるのは仲間を呼ぶ時だけかな」

「わおーん! てするの?」

「そうだよー。上手だね!」

「ううっ……じゃあ、咬みます?」


 メイサは「すごーい」と感心するばかりで、一向に怖がる様子が無い。金狼は先に手を出されない限り咬んだりしないが、他の狼に同じような態度で近づいては危険である。少し意地悪かもしれないが釘を刺しておこうと、セリアルカはニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。


「咬むよぉ〜。ほらほら、こんなに立派な牙があるからね」


 金狼の口を開けて、子供の掌ぐらいある大きな牙を見せると、フレッドはメイサを背中に庇って息を飲んだ。


「怖がらせてごめんね。でも怖いと思う君は正しいよ。この子は犬じゃなくて狼だから、本当はとても危険な生物なんだ。子供なんて頭からバリバリ食べられちゃうよ。……でも、今日は私が一緒だから、優しく触るだけなら大丈夫。こうして私が抱いているから背中のこの辺を撫でるといいよ」


「今日は特別だぞ」と言い置いて、セリアルカは金狼の頭を膝に乗せて抱きかかえた。金狼ももはや諦めたのか、されるがままになっている。くたりと頭を預けて気持ちよさそうに寝ている金狼を見て、フレッドとメイサは恐る恐る金狼の背中に手を伸ばした。


「わぁ、ふわふわ」

「……あったかい」

「そうでしょうー!?」

「なんでお姉さんが得意げなの?」

「んんっ、そんなことないよ。普通だよ」


 態とらしい咳で誤魔化すセリアルカの袖を、メイサがくいくいと引っ張る。


「わんちゃん、お名前なんていうの?」

「あー……えぇっと……あ、るー……」

「るーちゃん!」

「そ、そうそう! るーちゃん」


 あまりに適当な名前に、もの言いたげなの視線をひしひしと感じる。本人に言うと照れ隠しなのか否定するが、昔から子供に対しては優しいので、可愛過ぎる名前を付けられても怒りはしないだろう。――嫌そうな顔はするかもしれないが。

 るーちゃんと触れ合うことしばらく。メイサを見守りながら、フレッドが遠慮がちに囁いてきた。


「あの……アルファルド卿は、まだ具合が悪いの?」

「ああ、もうほとんど治ったんだけど、退院したばかりなので、家でのんびりしてるよ」


 今、君が撫でているそのもふもふがアルファルドです。とは言えないので、心苦しいがセリアルカは嘘をつくことにした。狼に怯えるのだから、普通の獣よりも大きく腕力も魔力も強い獣人はもっと怖いだろう。万が一悲鳴を上げられたら、イオス島といえど大騒ぎになってしまうかもしれない。


「それに、病院に黄土色の制服を着た騎士がいっぱい居たでしょう? あいつら、アルをスカウトしようと付き纏っているの。だから今はなるべく出歩かないようにしているんだ」

「そうだったんだ……じゃあ、会えないんだね」


 ダメ押しに第四騎士団の話も加えると、フレッドは悲しげに俯いた。

 良家の子供が、子供だけで会いに来るには“コートを返してお礼を言うため“という理由では弱い。やはり、他にもっと重要な理由があるに違いない。いつものセリアルカならば、『どうしたの?』とすぐに首を突っ込んでしまうのだが、獣化中のアルファルドが一緒なので慎重にならざるを得ない。励まそうと伸ばしかけた手が、行き場をなくして静々と金狼の頭上に戻る。


 仕方のないこととはいえ、どうにも後味が悪い。罪悪感におろおろするセリアルカの姿に、見かねた金狼がフスンとため息を吐く。金狼は身を捩ってセリアルカの腕の中から抜け出すと、居住いを正すようにその場にお座りして、セリアルカの膝をぽすんと大きな前足で叩いた。『いいよ』と、背中を押してくれた気がした。


「何か相談したいことがあるんでしょう? もし良かったら、うちに来る? 狼いっぱい居るけど……」


 アルファルドは家に居ると言ってしまった手前、一旦家に戻らなくてはならない。しかし外で会うには人目につく。ならば、うちに来ればいいと、思いつきで言ってみたが、流石に今日会ったばかりの子供を家に招くのはマズかったかもしれない。お互いにすっかり丁寧語が吹っ飛んでしまったが、しっかりしたお子さんである。怪しい大人の誘いには乗らないだろう。セリアルカは断られるだろうと踏んでいたのだが、フレッドの悩みはセリアルカの怪しさよりも深刻のようだった。


「……いいの?」


 芽生えた希望にフレッドは顔を上げる。縋るような眼で見つめられては、今更ダメだなんて言えるはずがない。


「いいよ。あっ、でもお母さんに許可を取ってからね! 勝手に連れていっちゃうと、私たちが怒られちゃうから」

「お母さん……今病院に居るから、行って戻ってくるまで待っててくれる?」

「それは構わないけど、お母さんどこか悪いの?」


 わんちゃんいっぱい! と嬉しそうに飛び跳ねるメイサを宥めながら、フレッドは視線を落とす。


「お母さんじゃなくて、お父さん。……お父さん、雪女を探しに浮島の下に行って昨日の夜に帰ってきたんだけど、帰ってきてからずっと、『さむい、さむい』って震えてて……今朝、ベッドの上で氷漬けになっていたんだ」

「え」


 忘れかけていた焦燥と無力感が身体の内から滲み出す。冷たく凍り付いたアルファルドを抱きしめて、後悔と自分の甘さに打ちのめされたあの時の――。この子もあんな思いをしたのかと思うと、言葉にならなかった。


「雪女は死んだんでしょう? なのに、どうしてお父さんは治らないの? 僕が知ってる中で、氷漬けから復活して退院したのはアルファルド卿だけだから、アルファルド卿なら何か知ってるんじゃないかって思って……」

「アルに話したいことって、そのことだったんだね」

「うん……」

「――よし! 行き先変更。私たちも一緒に病院に行く。お父さんに会わせて欲しい。もしかしたら、私が力になれるかもしれない」


 氷結魔法による麻痺毒なら、セリアルカの月魔法で解毒ができる。しかし……

 ――ここにヒースが居たら『嫌な予感がする』って言うんだろうなぁ。

 正午を過ぎてほんの僅か傾いた陽に、得体の知れない予感が影を落としていた。

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雪花に誓う騎士道 小湊セツ @kominato-s

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