AM11:40 有給休暇の狼

 浮島を吹き渡る戦神の風が、セリアルカの手元の新聞に金色の木漏れ日を散らす。眩しさに、読んでいた箇所を見失って、セリアルカは隣に寝そべる大きな狼の背にもたれかかった。

 冬毛でもふもふとした金色の被毛はふわふわで温かく、背中がしっかりと支えられるサイズ感も背もたれに丁度良い。セリアルカは欠伸を噛み殺して、芝生に敷いたレジャーシートに足を伸ばした。


 イオス島に在る遺跡公園は、真昼のこの時間、学生や研究者の休憩場所となっている。周囲にはセリアルカと同様に、芝生の上にレジャーシートを広げて昼食をとったり、昼寝をしている人々が見受けられる。


「『第一騎士団が白大蛇のものと思われる遺骸を発見。一部を採取し、王国立大学魔生物研究所にて解析中』……だってさ。さすがにこれだけ大事になると、倒して終わりってわけにはいかないかー。夜間外出禁止令が完全に解除されるまでは、まだまだかかりそうだね。…………って、聞いてる?」


 セリアルカが狼の耳をつつくと、狼はくすぐったそうに後ろ足で頭の後ろをカイカイと掻いた。その間も眼は瞑ったままで、一向に起きる気配が無い。飲み会の翌朝、よく床に転がって寝ている父の姿に重なって、セリアルカは大きなため息を吐いた。


「もう……すっかり怠け癖がついちゃったなぁ」


 花びらのような白い蝶がひらひらと舞って、狼の鼻先に止まる。あまりに長閑な光景に、セリアルカも眠気に負けて狼を枕にレジャーシートの上に寝転んだ。



 ここ数週間、浮島の住民を脅かしていた雪女の脅威は、二人の王子によって撃墜された。激戦の舞台となったシス島には、その夜の戦いを目撃した者も多く、まだ騎士団本部から『雪女討伐成功』の確報が出ていないにも限らず、早くも戦勝を祝う気運が高まっている。


 一方、近衛騎士団が布陣していたイオス島では、三百年ぶりに白大蛇が出現したとして、魔物や幻獣の研究者たちが嬉々として遺骸の解析に当たっている。その他の島民たちは相変わらず自分が抱える研究に忙しく、二人の王子を取り巻く世論に興味を示すのは、政治学者や軍事学者、または官僚志望の学生ぐらいだろう。


 シュセイル一薄情な街イオス島は、浮島四島の中でも最も早く日常に戻ったと言っても過言ではない。

 尤も、獣人であることを隠して生きているセリアルカにとっては、他人との距離が遠いイオス島の気風は居心地が良いのだが。


 立ち上がったら軍馬ぐらいの巨大サイズの狼を連れ歩いていても、誰にも文句を言われないのは、シュセイル広しと言えどイオス島ぐらいだろう。には、そのイオス島独特の気風に大いに助けられた。




 ††




 時間は少し戻り、今朝のこと。

 前日夜にアルファルドの主治医にして兄でもあるデニス・セシル医師より退院の許可が下りたため、セリアルカはアルファルドの退院の手続きに早朝から奔走していた。広い院内を往復して、入院費の清算や薬の受け取りなどを済ませ、荷物も既に纏めてある。あとは病室で待機しているアルファルドを迎えに行くだけ。

 もう着替えは済んでいるだろうと、ノックもせずにガラリとドアを開けると、ここ数日間で見慣れた白衣の後ろ姿があった。


「手続き全部終わったよ。帰ろー……って、デニス兄さん?」


 洗濯のためシーツが剥がされたベッドに腰掛けるアルファルドの前には、不機嫌そうなデニスが立ちはだかっていた。

 セリアルカやアルファルドと同じく王立学院を卒業したデニスは、医師免許の前に準騎士位を取得している。背はアルファルドと同じくらいで、平均的なシュセイル人より高く、白衣の上からでも見てわかる筋肉で引き締まった腕や広い肩幅を見れば、従軍医師として騎士団の遠征に同行することもあるというのも頷ける。――デニスにされた騎士は大人しくなって帰ってくるという噂は、もしかしたら本当なのかもしれない。本人に確かめようとは思わないが。


「ど、どうしたんですか? もしかして、退院できなくなっちゃいました?」


 入院した時の事件を思い出したセリアルカが無言で睨み合う兄弟の間に割って入って尋ねると、デニスは神経質に眼鏡のブリッジを押し上げて顎で窓を指す。


「いや。俺としては一刻も早く退院してほしいが……そこの窓から外を見てみろ」


 デニスに言われるまま、セリアルカはカーテンを薄く開き外を覗いた。アルファルドの病室からは病院の正面玄関が見える。季節の花が寄せ植えされた大きな花壇を囲うように馬車寄せが作られ、外来の患者が行き交っている。その中に、黄土色の制服の騎士たちが何人か紛れ込んで、病院から出てくる人たちを監視していた。


「あれは……第四騎士団? また来たの!?」

「セラが会計に行ってる時にね」


 アルファルドが肩を竦める。セリアルカは思わず「暇なのかな?」と溢してしまったが、そう言ってしまいたくなるほどに、第四騎士団には悩まされていた。


 というのも、雪女との戦闘の際、大破した橋をつたで繋いで崩落を食い止めたアルファルドに、天空橋梁工事を主な仕事とする第四騎士団が目をつけたのだ。団長のマクシーム・タルスノフ卿がわざわざ何度も病室まで足を運んで、アルファルドを第五騎士団から引き抜こうと口説いていたが、アルファルドは頑として首を縦に振らなかった。


「もちろん今回も断ったよ! だけど、あいつらしつこくてさ。僕がなかなか説得に応じないからって、狙いを変えて周りから攻めようとしているんだ。今一緒に出て行ったら、僕らの関係がバレて君も付き纏われるよ」

「えぇっ!? 私も?」


 アルファルドに加え、デニスも渋面で頷く。


「昨日は見舞いに来たヴェイグに絡んでいたぞ。それで諦めればいいものを、今日は俺のところにまで来た。診療の邪魔だと追い返してやったがな。まったく、余計な仕事を増やしやがって」

「だから、僕のせいじゃないって言ってんのに、このクソ……お兄様は」

「まあまあ」


 植物を操る樹の魔法はセシル家の祖神に由来し、直系の子孫しか扱えない珍しい魔法である。現在、樹の魔法が使えるのは、セシル伯爵とその四人の息子たちのみとなっている。末っ子のアルファルドに断られたので、兄たちに矛先が向かったのだろう。しかし兄たちもダメとなれば、残る手は婚約者のセリアルカを動かすしかない。流石に乱暴な手段は取らないだろうが、付き纏われれば面倒である。


「第四騎士団には、リヴォフ団長から抗議してもらうとして、私たちはここから出ることを考えないと。他人のふりして別々に出てどこかで落ち合うか、それとも別の出入口があればそこから出るか……どうする?」

「僕はセラに他人のふりされたら生きていけない」

「尾行されるだろうし、撒いたら撒いたで、騎士の尾行を撒くなんてあいつは何者なのかって余計に興味を惹いちゃうし、この手は無しかなぁ」

「別の出入口なら職員通用口があるが、そっちにも張り込んでいたぞ」

「本当に暇なんですね。あの人たち……」


 ひしっとしがみ付いてくるアルファルドには慣れたもので、セリアルカは全く取り合わない。見慣れた光景なのか、デニスも何も突っ込まずに話を続ける。


「用務員さんに頼んで、リネンカートに隠れて外に連れて行ってもらうとか?」

「この病院は専用の洗濯室があるから、リネンは外に出さない。怪しまれるだろうな」

「うう〜ん……困ったな」


 相手は曲がりなりにも騎士団なので、セリアルカが思いつく程度の策は考えているだろう。先回りされているに違いない。

 かくなる上は、変装するか、暗くなるのを待って窓から脱出するしかないのか……等々、頭を悩ますセリアルカの後ろで突如金色の光が弾けた。嫌な予感に振り返れば、案の定、大きな金色の狼がベッドに寝そべっている。


「こらアル! 誰かに見られたらどうするんだ!」


 声を潜めて背中をつつくが、アルファルドは臍を曲げたのか、セリアルカに背を向け前足で顔を隠してフテ寝している。こうなると、しばらくもふもふ撫でて慰めないといけないので非常に面倒である。セリアルカは、脱力して金色の狼の背中に顔を埋めた。


 シュセイルでは獣人に対する迫害や差別が法律で禁じられているとはいえ、未だ根強く残っている。特に狼の獣人は満月が近付くと凶暴化しやすいなどの理由から恐れられてきた歴史がある嫌われものだ。誰が見ているか分からないような場所で獣化するのは極めて危険な行為である。


 飼い犬よろしく耳をぺたんとしてしょぼくれている狼を撫で回すこと数分、セリアルカの脳裏にも金色の星が弾けた。


「デニス兄さん! 職員通用口の場所を教えてください」

「構わないが、どうする気だ?」


 銀色の光がセリアルカの身体を包み形を変える。光が消えた後には、美しい白銀の狼がちょこんとお座りしていた。


『いつもよりすこし、ちいさくへんしんすれば、いぬにみえるでしょう? だれかの、かいいぬのふりして、でていきます』




 ††




 少し離れた場所でこそこそと話し合う声に、セリアルカの意識は急浮上した。

 ――まさか、脱出したのがバレたのか?

 寝返りを打つふりをして声の方に顔を向ける。薄く眼を開いて見れば、十歳ぐらいの少年と、妹だろうか五歳ぐらいの幼女が怯えた顔で、大きな金色の狼を見つめていた。

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