第4話

 李奈は駅徒歩十七分、木造アパート一階の1DKにひとり暮らしだった。

 阿佐ヶ谷文士村には、ぶせますや太宰治もいた。そんなエピソードが心の支えではあるものの、後付けにすぎなかった。売れない文筆業はちゆうおう線沿いに住む。お洒落しやれとんちやく、大手出版社へ行きやすく、そもそも物件探しに手間暇をかけたくない。あらゆる条件による結果論だった。ずぼらな作家志望こそ、中央線かいわいに引き寄せられる。

 インターホンが鳴った。李奈はボタンを押し応答した。「はい」

「宅配便です」

「ドアの前に置いといてください」

 置き配が常識になってからは、宅配業者と顔を合わせずに済む。幸いだと李奈は思った。ノーメイクでジャージ、髪はぼさぼさ。ふだんの李奈はとても人に会える状態にない。

 靴音が立ち去ってから、そろそろとドアを開けた。各部屋のドアは外廊下に面している。コンクリートの上に小ぶりな段ボール箱が置いてあった。

 とたんに胸が高鳴る。大きさで中身に察しがつく。ただちに拾いあげ、室内に運びこむ。伝票を確認した。KADOKAWAからだった。やはり著者献本だ。新刊をだせば、発売日より一週間ほど早く、ほんぼんが十冊分け与えられる。

 大急ぎでこんぽうを解く。真新しいハードカバー本が五冊ずつ二列、透明なビニール袋にくるまっていた。『トウモロコシの粒は偶数』杉浦李奈。まさしくトウモロコシを載せただけの装画はえないが、帯は光り輝いていた。


 フードミステリーの新境地。感動的な青春群像と、みつな心理描写に酔いしれました。

──岩崎翔吾(作家)


「やったぁ」李奈は思わず声を発した。

 推薦文つきの帯が巻かれた自著は、これまでの三冊の文庫と、まるでちがって見える。岩崎翔吾の愛読者らは、きっとこの本が気になるだろう。

 ハードカバーだけに価格も、税抜き千八百円と高い。けれどもこの帯が呼び水となり、ひとりでも多くの読者の目に触れてほしい。売れなければ困る。都内は地方出身者にやさしくない。手狭な部屋、二階の住人が歩きまわるたびに天井がきしんでも、家賃は八万六千円もする。

 たった二千部の初版で印税六パーセント、報酬は二十一万六千円。源泉徴収で一割引かれて十九万四千四百円。さらに復興特別所得税とかも引かれる。二か月ぶんの家賃を払えば、残りはほとんどない。この本は李奈にとって、じつに八か月ぶりの新刊だった。どうあっても増刷がかかってくれないと、この先やっていけない。

 スマホが鳴った。画面には〝KADOKAWA 菊池〟と表示されている。

 喜びとともに通話ボタンをタップした。李奈は声を弾ませた。「杉浦です」

「ああ」菊池の声がきこえた。「杉浦さん」

「いま見本が届きました。本当にありがとうございます」

「届いた? いつ?」

「……ついいましがたですけど」

「同居人はいたっけ?」

「いえ。ひとりです」

「ならその本は、まだ誰にも見せてないね?」

「ええ。これからバイト先のコンビニに持っていこうかと……」

「知ってるかな」菊池の声は不穏な響きを帯びていた。「人は絶望にとらわれると、架空の相手と電話ごっこを始めるそうだ。言語性幻聴、対話性幻聴からもう一歩進んだ、通話性幻聴と呼ぶ症状らしい」

「はい?」

「本当に幻聴で相手の声がきこえるのか、あるいは演技性の行動なのか、研究者によって見解が分かれる。なんにせよ悪夢のような電話は、幻聴だと信じたくなるよな」

「あのう。それはいったいどういう意味で……」

「最悪なのは、耳を疑うような電話が幻聴でなく、本当だったときだ」

「菊池さん。いったいどうしたんですか。なにかあったんですか」

「その本を外に持ちだすなよ。友達だろうが知り合いだろうが、あげちゃいけないどころか、見せてもいけない」

「な……なぜですか」

「帯を外すことだ。とにかくすぐ帯を全部外して、ゴミ箱に捨てるように」菊池の声が受話器から遠ざかった。ほかの人となにやら話している。ふたたび菊池の声が大きくなった。「いや、帯は返送してほしい。ちゃんと十本、耳を揃えて返送すること」

「本から帯を外して、KADOKAWAに送るんですか?」

「そう。きょうじゅうに頼むよ。じゃ忙しいのでこれで」

 通話が切れた。李奈はぼうぜんとしながら自著を眺めた。

 帯の推薦文の輝きは、いまだ失われていない。だが光の質が変異したように感じられる。どこか濁ったいろが混ざりだしていた。

 李奈はフローリングを歩いた。とトイレのドアに面した、小さな調理台つきの六畳一間が、ダイニングキッチンと称する部屋だった。引き戸を開けるともうひと部屋、六畳からなる仕事部屋兼寝室がある。シングルベッドには衣類が散乱していた。床にも生活用品があふれる。それなりに片付いているのはデスクの上だけだ。李奈は椅子に座ると、ノートパソコンを操作した。

 岩崎翔吾の名を検索する。ウィキペディアの記述は以前と変化がなかった。立派な経歴だけが掲載されている。

 ところがツイッターを開いたとたん、嫌な予感がしてきた。急上昇ワードに〝岩崎翔吾〟が含まれている。ほとんどのツイートはネット記事のリツイートだった。記事の題名は〝岩崎翔吾の小説二作目に盗作疑惑〟。

 衝撃とともにリンク先の記事ページを開いた。れっきとした大手新聞社のサイト、URLは正しく、フェイクニュースとも思えない。記事の掲載時刻は、わずか三十分ほど前だった。


 岩崎翔吾の小説二作目に盗作疑惑

 処女作『黎明に至りし暁暗』で、読書界の話題をさらった岩崎翔吾氏(41)の第二作、文芸新社で刊行されたばかりの『エレメンタリー・ドクトリン』が、先週発売された『陽射しは明日を紡ぐ(嶋貫克樹=著・雲雀社=刊)』の盗作ではないかという指摘が、読者から相次いだ。

 これら二作は「ストーリーのみならず、文章表現も似通っている(都内某書店員)」とのこと。発売が六日早かった『陽射しは明日を紡ぐ』の版元・雲雀ひばり社は「うちの作品がオリジナルでまちがいない」と主張している。一方『エレメンタリー・ドクトリン』を出版した文芸新社も「模倣の可能性はまったくない」としており……。


 李奈は動揺した。ただちに『陽射しは明日を紡ぐ』を検索してみる。アマゾンの販売ページがヒットした。評価の平均は星3つ、レビュー数は二百以上。岩崎翔吾のファンが「盗作したのはそっちだ」と星1つで攻撃する一方、擁護派やアンチ岩崎派が星5つをつけ応戦する。両者がきつこうした結果、平均は星3つ近辺となっている。しまぬきかつという著者名をクリックしてみたが、著作はこの一冊しかなかった。

 次いで『エレメンタリー・ドクトリン』の販売ページに移る。こちらの平均は星2つ。やはり批判と擁護が衝突しているが、それらに加え「盗作うんぬんは別として、単純に面白くない」という意見もめだつ。

 李奈は岩崎翔吾の第二作『エレメンタリー・ドクトリン』を読んでいなかった。バイトで忙しかったし、ハードカバー本は高価だった。文庫がでてから読むか、電子書籍のセールを待とうと思っていた。『陽射しは明日を紡ぐ』のほうは、存在すら知らなかった。

 あの岩崎翔吾が盗作。とても信じられない。取り乱しながら引き出しを開け閉めする。対談のときにもらった名刺をとりだした。記載された連絡先は、岩崎が勤務する駿望大学、日本文学研究ゼミのデスクだった。ここに電話するのは筋ちがいだろう。

 かといって李奈は文芸新社とつきあいがない。岩崎の処女作『黎明に至りし暁暗』を出版したほうすう社とも関わりがなかった。

 引き出しのなかには講談社の編集者らの名刺もあった。しかし岩崎は鳳雛社と文芸新社でしか書いていない。講談社に連絡したところで、記事以外の情報を得られるとは思えない。

 最後に見つけた名刺に、ふと注意を喚起された。ライター、秋山颯人とある。あの対談における進行役だった。フリーランスの彼ならあるいは……。

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écriture 新人作家・杉浦李奈の推論 松岡圭祐/KADOKAWA文芸 @kadokawa_bunko

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