第3話
講談社で岩崎翔吾と対談してから、何か月かが過ぎた。
秋の深まりとともに、日が極端に短くなったと感じる。午後三時をまわると、陽射しは大きく斜めに傾き、すでに赤みを帯びていた。
KADOKAWA
三十代半ば、面長に丸眼鏡、スーツの肩幅にあまりがある。そんな菊池の外見は、初対面のころから変わりがない。
テーブルの上には、縦書きにプリントアウトした原稿の束が置いてあった。一枚目は題名と著者名のみの印字。『トウモロコシの粒は偶数』杉浦李奈著。これが初校ゲラの束に化けるまでが第一関門だった。
いつもなら
「ほんとですか」李奈の心は躍った。
「書いてあることは事実だよね? 終盤の謎解きに関わってくるからさ。奇数の粒のトウモロコシがあったりしたら、オチが微妙だよ」
「絶対にまちがいありません」
「なら出版してもおかしくない水準だよな」
笑顔が若干こわばり、半笑いに
「そう。でてもおかしくないと思う。けどさ、売れるためには、なんていうかこう……」
「セールスポイントとか?」
「それだよ。明確な売りがないとね。知ってるだろ、新刊本は書店に並んだら、たちまち売れなきゃいけない」
「宣伝していただけませんか。文庫じゃなく単行本なんだし……」
「うちが苦しいの知ってるだろ?
通話が始まったら、終わるまで待たされる。新人作家の常だった。売れればこんなことはなくなるというが、本当の話だろうか。
菊池は
大御所の純文学作家だった。ベストセラーランキングの常連でもある。李奈は
「やっぱ駒園先生みたいにね、名前があればちがうよね。角川文庫も苦労してる。たとえばマスコットキャラのハッケンくんだよ」
「ハッケンくんがなにか……?」
「着ぐるみには百万円かかってる。なのに行く先々でチーバくんとまちがえられる」
「鼻が赤くて身体が黒いのがハッケンくんなのに」
「いろが逆でも、みんなチーバくんと錯覚しちまう。それだけネームバリューは大きいってことだ」菊池はいま思いついたような口調でいった。「そうだ。前に講談社で岩崎翔吾先生と対談したろ? 帯に載せる推薦文を頼もうか」
「そんな。わたしからはとても」
「心配いらないよ。もちろん編集部から依頼する。杉浦さんは知り合いだから、たぶん引き受けてくれるだろ」
それが出版の条件だといわんばかりだ。おそらくもう決まっているのだろう。岩崎翔吾に推薦文を依頼する。受諾されしだい『トウモロコシの粒は偶数』は出版の運びとなる。断られれば出版は見送られる。
『黎明に至りし暁暗』に次ぐ、岩崎翔吾の第二作をめぐり、出版大手各社は争奪戦を繰りひろげた。ひところ出版界はその話題で持ちきりだった。KADOKAWAも岩崎にアプローチしていたが、結局は
「あのう」李奈は菊池にきいた。「わたしの本なら、岩崎翔吾さんに推薦文をねだりやすいってことで、ゴーサインがでたんでしょうか」
「そんなことはないよ」菊池の
李奈は落胆とともにささやいた。「ハッケンくん……みたいなもんですよね」
「まあ……現時点ではそうかな」菊池は人差し指の先で眉間を
互いの顔に笑いはなかった。李奈はため息をついた。「僕より全国区のハッケンくんをよろしくね。チーバくん」
「そう。キャッチコピーの趣旨はそんな感じだな」菊池が原稿の束を縦にし、テーブル上で揃えた。「『全国区の』より『世界の』としたほうがいいな。上のご機嫌とりには」
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