仮面 -mask-

多田いづみ

仮面 -mask-

 遠くで雷の鳴る音がしてふと上を見ると、からりと晴れた晩夏の空があった。


 夏の終わりとはいえ日ざしはまだ強い。が、湿気をたっぷりふくんで体にまとわりついてくる重苦しい空気は、近頃はだんだんと薄らいできて、日中を出歩くのもそれほど不快ではなくなっていた。

 空耳だったのかと一瞬とまどったが、ゴロゴロと腹にひびく雷に似た音は徐々にはっきりと、そして大きくなってわたしの背中に迫ってくると、ついにはわたしを追い越していった。


 それはスケートボードに乗った少年たちだった。

 一人が通りすぎると、続けて二人、三人と同じ年格好の少年たちが、見ているこちらが不安になるような速度でわたしを追い越していった。

 少年たちはみな痩せていた。背丈は伸びたものの体がそれに追いついていないというような、成長期特有の不安定さが見えた。それはわたしにひょろりと徒長した植物の新芽を思い起こさせた。


 そこは駅までつづく長い商店街で、左右には飲食店やら物販店やらさまざまな店がびっしりと建ち並ぶにぎやかな通りだった。

 車の乗り入れができないのにくわえて、端から端まで歩くとゆうに五分はかかる長くて平坦な道だったから、それが禁止されているということを除けば、スケートボードをやるには絶好の場所のようだった。

 実際、夜ごとスケーターたちが集まってきて騒ぐので問題になっている、という話をどこかできいたこともある。


 昼過ぎの商店街は、買い物客でけっこうな人出だった。少年たちはいきかう人びとをまるでゲームの障害物のように巧みにすり抜けながら、あっという間に小さくなっていったが、商店街の出口に警官らしき人物が仁王立ちになっているのを見ると、あわてて方向転換をしてこちらに舞いもどってきた。


 先ほど通りすぎたときは彼らの背中しか見えなかったから、こちらに向かってきてはじめて気がついたことがある。

 少年たちは揃いの面をつけていた。それは髑髏どくろの面だった。

 若者のあいだでそういうものが流行っているのか、なんらかの反抗心のあらわれなのかよくわからないが、髑髏の面をつけてスケートボードで迫ってくる少年たちの絵面は、安っぽいホラー映画のワンシーンのようだった。


 彼らのつけている面には、他人をびっくりさせよう怖がらせようとする意図があったのかもしれない。しかし、わたしはたいして驚きもしなかったし、それほど不気味とも感じなかった。少年たちから溢れ出る若さや生気が、そうしたものを上書きして打ち消していたからだ。

 しかし、これから向かう先のことを考えると、この出来事は奇妙な暗示のように思えた。そしてそれはわたしの心のなかに不安の芽を作り出した。


 少年たちは、予測がつかない変化球のような複雑な軌道を道に描きながら、ふたたびわたしの横を通りすぎて視界から消えた。

 しかし、ゴロゴロという雷のような音はずっと耳に残ったままだった。



    *



 わたしの実家は、いま住んでいる場所から電車を乗り継いで三時間ほどのところにある。

 そうたいして時間もかからないけれど、これといって用があるわけでもないし、成人してからは年に一度帰るか帰らないかぐらいの頻度だった。

 それがここ一、二年は毎月のように行き来している。


 特急を降りてローカル線に乗り継ぐ途中、売店で赤福を売っているのを見つけた。

 父の好物だったからみやげに買って帰るのにちょうどよいと思った。

「赤福をひとつください」と店員に呼びかけると、「赤福はおいていません」と店員はぶっきらぼうに答えた。

 ひどくぞんざいな口調だったのにくわえて、店員のつけている面は接客業でよく使われる微笑をたたえた面だったので、顔と言葉のずれからくる違和感で余計に不愉快だった。

 わたしは少しムッとしながら、「そこにあるのは赤福じゃないんですか?」と積んである商品を指さすと、店員は「これは御福おふく餅です。よく見てください」と言った。


 そう言われてよく確かめてみると、ピンク色の包装紙は赤福にそっくりだったけれど、たしかに〈お福餅〉と書いてある。そしてその隣にはおかめの面が描かれていた。たしか赤福には橋の絵が描かれていたはずだった。

 店頭に開けておいてある見本も、赤福にくらべるとちょっと餡がざらっとして、色も黒っぽいように思えた。


「赤福とどう違うんですか?」とわたしが訊ねると、

「どう違うもなにも赤福とはまったく別のものですけどね。まあ、おもちを餡で包んであるところは同じですが。赤福よりも美味しいと言って買っていかれるお客様も多いですよ」

 とまた店員はぶっきらぼうな調子で答えた。

「じゃあとにかくそれ、御福餅をひとつください」


 わたしからすると赤福でも御福餅でもどっちでもよかったのだ。どうせたいして変わりゃしない。

 それが店員のどうでもいいこだわりのせいで、こんなわけのわからない間違い探しのようなことをさせられて、ちょうどぴったりだった電車の乗り継ぎにもすんでのところで遅れてしまった。

 そして、次の電車をプラットホームで待つなか、わたしのなかの不安の芽はさらに大きくなっていった。



    *



 玄関の引き戸をあけると、しょう油とみりんの懐かしいような匂いがした。いまどきの住宅では珍しくなった高い上り框をあがって玄関からすぐのところにある台所に入ると、母がてきぱきと夕飯の支度をしているのがみえた。

「ただいま。これ買ってきたよ」

 わたしはそう言って、駅で買ったみやげ袋をテーブルに置いた。

「あら、赤福。おとうさんが喜ぶわ」

「それがこれ、赤福じゃないんだよ。御福餅っていうんだって。その赤福くださいって言ったら、いいえこれは御福餅です、って店員に怒られちゃった。ほらここ、おかめの絵が描いてあるでしょう。ここが違うところなんだよ、赤福と」

「そうなの、まあなんでもいいけど。それおとうさんに持っていって、ちょっと顔見せてらっしゃい」

「いい匂いがするけど、きょうの夕飯はなんなの」

「あんたの好きなぶり大根よ。おとうさんお魚はあんまり好きじゃないから、文句を言うかもしれないけれど。まあ出されればなんでも食べるから」

 そうしたやりとりのあいだに火にかけていた鍋がふきこぼれてしまって、母はあわてて家事にもどった。わたしはある理由で父に会うのがおっくうだったが、餅を皿に取り分けて父のいる部屋へと向かった。


 父はここ何年かで、なんでもないところでよく転ぶようになり、二年前に風呂場で転倒して骨折してからはほとんど寝たきり同然だった。足腰が弱ったというわけではなく何か神経の病気らしかった。それにくわえて以前から良くなかった肺がいよいよ悪くなり、酸素吸入器なしではいられなくなった。


 八畳のがらんとした畳敷きの客間にふとんを敷いて、父は寝ていた。

 父はむかしお茶やお花を教えていたこともあって、その客間はなんというか、ちゃんとした和室だった。

 ふつうの家庭にある和室というのは、たんすや鏡台やいろいろな家具なんかを置いてごちゃごちゃしてくるものだが、その客間には続きの納戸部屋があって、そうした家具やこまごましたものはそちらにしまうことができるので、いつも物がなくすっきりとしていた。

 ガラス障子のはまった地窓から差し込む西日が、父のふとんをあかあかと照らしている。

 部屋はすこし蒸し暑かったが、ゆっくりと扇風機がまわっているだけだった。父はエアコンの風が大嫌いなのだ。熱中症が心配だったが、ほとんど動かないからこれでも大丈夫なのかもしれない。


 ふとんの横には大きな四角い機械がおいてあった。これが酸素吸入器なのだろう、そこから延びた細い管が父の面の鼻のあたりへとつながっている。

 父は凝り性のたちで、有名な面打師に打ってもらったという立派な木彫りの面をつけていた。といっても能や狂言で使われるような繊細で写実的なものではなく、もっと荒彫りに近いノミの削り跡が残るざっくりとした仕上げで、それがむしろ現代彫刻のようなシンプルで力強い印象を面に与えていた。

 その父の自慢の面の鼻のあたりには、吸入器の管を通すために大きな穴がぽっかりと開いている。手入れもあまり行きとどいていないようで、ところどころ胡粉が剥げて木の地肌がむき出しになっていた。

 世の中にはもっと便利な医療用の良いやつがいろいろあるのに、父は頑なにその古風な面を使いつづけているのだった。


「もどったよ。はい、これおみやげ」

 わたしは餅をのせた皿を畳に置くと、父のわきに座ってあぐらをかいた。父は面の奥からわたしをいちべつしたあと、じっと天井を見つめていた。

 とくに無口というわけではなかったけれど、神経の病は言葉にも及んで滑舌まで悪くなった。それでもすこし前まではなんとかしゃべろうと努力はしていたのだが、だんだん何を言っているのかわからなくなって、同じ言葉をなんども繰り返さないと伝わらないことに疲れて、しゃべるのをあきらめてしまったのだ。

 父はそれまでわたしが戻るたびに「これで会うのはもう最後かもしれん」と言うので、顔を合わせるのがなんだかおっくうになっていたから、言葉がしゃべれなくなったのは気の毒だが、わたしにとってはむしろよかった。


 しばらくすると、父がむにゃむにゃとよくわからないが何かを言った。手を前にのばして、体を起こしてほしいと言っているようだった。

 手をとって父を起こすと、わたしがもってきた皿を膝の上にかかえて、わたしをじっと見つめた。どうやら面を取って食べているところを見られたくないようだった。

 近ごろでは家族だけのときには面なしで過ごす家庭も多くなっているらしいが、父はそういうところも古風だった。


 それでわたしは、父の顔が見えないところまでいったん部屋の後ろに下がった。すると父はすかさず面をとって、ばくばくと餅を食べはじめた。足は不自由だったが手の方はまだなんともないようで、ちょっと多めにのせすぎたかと思った餅はあっという間に皿の上から消えた。

 すべてを食べ終わると父はひどく咳込んで、水差しの水を飲んでまた咳込んだ。昔からよく食べる方だったが、病気になってから食欲はさらに旺盛になったようだった。まあ食べることくらいしか楽しみがないというのもあるだろうし、食欲があるのは、ないよりもずっといい。


 もってあと半年だろう――と、父が余命宣告を受けてからもう二年が過ぎようとしている。

 その二年のあいだにも何度か入退院をくりかえして、とくに肺の病状は進行しているはずだったが食欲はほとんど衰えなかった。

 検査のたびに担当の医者は「おかしいなあ。こんなはずはないんだが――」と首をひねった。医者は検査のあいだじゅうおかしいなあ、おかしいなあ、と言い続けたが、良いほうにおかしいのであれば家族としてはべつに問題はなかった。


 餅を食べたあとすぐ夕食になったが、父は出されたものをぺろりと平らげ、それどころかご飯のおかわりまでした。

 ただ寝ているだけで、どうしてこんなにも物が食べられるのか不思議だった。そういえば、食べるわりに父はずいぶん痩せている。さっきふとんから起こしたときも、父の腕は骨だけのように細かった。その旺盛な食欲でなんとか病に対抗しているようにも思えた。



    *



 帰りの電車のなか、ついうとうとして夢を見た。

 いつもなら小説の文庫本をぱらぱらとめくっているうちに着いてしまうのだが、父が思いのほか元気だったから少し安心して、張りつめていた気持ちが緩んだようだった。

 それは数分か、もしかするとほんの数秒の夢だったのかもしれない。が、その夢の中でわたしは長い時間を過ごした。


 夢のなかで、わたしは墓掘り人だった。

 そこは草木がほとんど生えていない乾いた荒地で、日が陰るということはほとんどない。熱い太陽が白茶けた大地にじりじりと照りつけている。が、あまりにも乾いていたので、そうして地表が熱せられても陽炎かげろうの一本も立つことはなかった。


 荒地には、かつての神殿か何かの大きな遺跡があった。遺跡の基壇には、何本かのギリシア風の巨大な円柱が倒れずに残っている。円柱の上には今にも崩れ落ちそうな石の梁がかろうじて乗っかっていて、そこには古代ギリシア語らしい文字が刻まれていたが、もちろん読むことはできなかった。

 わたしがこの遺跡を見てさいしょに思ったのは、古代ギリシア人は重機もなしにどうやって重い石の梁を柱の上に載せたのだろう――ということだった。


 遺跡のそばには崩れ落ちた遺跡の断片が、まるで巨人が掃き掃除をしたように寄せ集められていた。大半はどうということもない石のかけらだったが、そのなかにローブをまとった女性の石像があった。石像は半ばがれきのなかに埋もれるようなかたちで地面にすえられている。石像の下半身は失われ、両腕も欠けていたが、シニョンに編んだやわらかな髪や、肩からふわりとかかったローブのひだの見事な曲線がきれいに残っていた。

 そして、その像はギリシアの神々の一柱に違いなかった。


 石像が遺跡から崩れ落ちたのがどのくらい前のことなのかわからないが、女神の石像には未だに力が残っていた。そして、それはわたしを完全に支配していた。抗うことはできなかった。なぜならわたしは石像に自分の影を奪われていたからだ。影を奪われたわたしは考える力を失い、石像のいいなりに動くしかなかった。

 石像はいろいろなことをわたしに命令した。そしてそれが石像からの命令などではなく、最初から自分の考えでそうしたのだと思いこむように仕向けた。

 うごく体をもたない石像は、そうやって人びとを支配して自分の望みをかなえてきたのだ。


 石像の指示で、わたしは地面に穴を掘った。が、同時にそれは自分の望みでもあった。

 固く乾いた荒地にスコップで穴を掘るのは困難な作業だった。

 土の下にはたくさんの石が埋まっていて、それらがカチンとスコップにあたるたびに手で取りのぞかなければならなかった。石や岩のかたまりを指で掘りおこしているうちに指紋はすり減って消えた。誤って爪を剥がしたことも一度や二度ではなかった。スコップはしだいに摩滅してただの鉄の板になり、穴を掘るのは更に困難になった。

 そうして途方もない時間と労力を費やしながら、日が昇ってから落ちるまで、わたしは穴を掘り続けた。


 ひとつ穴を掘り終わると、どこからか死体が現れた。わたしは死体をそこに埋めた。

 埋め終わると、隣にまたあたらしい穴を掘りはじめた。

 死体はみな、特徴のない中肉中背の男性で、これといって特徴のない面をつけていた。上品な黒の三つ揃いを着せられていたが、風が吹くとすぐに砂まみれになって白く煤けた。棺がなかったので、死体をひきずって穴のなかに落として、そのまま土をかぶせた。


 穴はできるだけ深く掘らなければならなかった。穴が浅いと、どこからか飛んできた大きな鳥が長い首を地面に突っ込んで、鋭いくちばしで埋めた死体を引きずり出すからだ。

 鳥は黒い羽毛に覆われていたが、首から先にはそれがなかった。鳥の頭から首までは、まだ羽根の生えそろっていない雛のようなピンク色の肌がむきだしになって、どこか不潔で卑しいような感じがした。地面に首を突っ込んでいるうちに羽毛が抜けてなくなってしまった、そんな印象もあった。


 そうした鳥の行いにたいして、石像はまったく無関心だった。もし埋めた死体を荒らされることが気に入らなかったのなら、鳥もわたしとおなじように支配すればよいはずだから、それをしないということはやはり興味がないのだろう。

 あるいは石像は、鳥がわたしの仕事を邪魔するのを楽しんでさえいたかもしれない。

 だが、わたしはそうではなかった。死者への敬意などとは関係なく、苦労して掘った墓を荒らされるのが我慢ならなかったのだ。


 それでわたしは鳥を追い払った。

 追い払うのはかんたんだった。わたしがスコップを振り上げて威嚇したり、小石を投げつけたりすると、鳥はあわてて逃げていった。が、それは一時的な避難のようなものだった。

 鳥なんだからどこへでも飛んでいけばいいものを、遺跡の梁のうえにとまって――鳥がよくやるように首をきょろきょろとせわしなく動かして、いくらお前でもここまでは手出しできまい、とからかうようにぎゃあぎゃあ鳴きながら――わたしの様子をうかがって、注意がすこしでも外れたとみると、また地面に舞い降りて埋まった死体を引きずり出そうとするのだった。


 ある日、穴を掘って死体を埋めるだけの変わらぬ毎日に、いつもと違うちょっとした出来事がおきた。

 その日もわたしは地面に穴を掘り、鳥を追い払っていた。

 いつもと違うというのは、たまたまわたしの投げた石が鳥の翼に当たってしまったのだ。

 もともと石を投げるのは鳥をおどして追い払うためで、殺したり傷つけたりするつもりはなかった。それどころか、わたしはいつのまにやら鳥に好意さえ抱いていた。

 なぜなら、この憂鬱で単調な世界でいちばん自分に近い存在がその鳥だったからだ。

 死体は、もし生きているときだったら友人になれたかもしれなかったが、ここにあらわれたときにはもはや物言わぬ存在だった。

 石像はわたしの支配者で命令するだけだったし、わたしの感覚からすると、生きているとさえ言えなかった。

 その点、鳥は間違いなく――仕事を邪魔する厄介者ではあったけれど――生きていた。そして今ではわたしは鳥とのやりとりを楽しむようになっていた。どうせ急いで穴を掘ったところで得るものなど何もないのだ。鳥と追いかけっこをしていたほうがよっぽどましだった。


 わたしの投げた石が鳥の翼に当たったとき、鳥はびっくりして声も出さずに飛んで逃げたが、わたしのほうも同じくらい驚いていた。

 鳥はいつものように遺跡の梁にとまって、首をかしげながら様子をうかがっていたけれど、片方の翼はだらんと半分開いたままだった。鳥の骨は細くて軽いから、小石が当たっただけで折れてしまったのかもしれなかった。

 わたしはうろたえながらもまた穴を掘る作業にもどった。が、わざと隙をつくってみせても鳥は梁にとどまったまま降りてこようとしなかった。

 ときたま上を見て、鳥の折れた翼が目に入ると、胸がすこし痛んだ。


 それから何日か後、あることに気づいた。

 地面に落ちる影が短くなっていたのだ――わたしは自分の影を奪われていたので、遺跡の柱が落とす影を見てそれに気づいたのだが――。

 太陽は頭上の高いところ、ほとんど天頂にあった。石像がわたしを支配する力は、影が短くなっていくにつれて日毎に弱くなっていった。なぜこのことにいままで気づかなかったのだろう。たぶん石像がわたしに気づかせないよう工作していたのに違いない。

 もしかすると鳥に石をぶつけたことで、そして折れた翼に何かを感じたことで、わたしにあたらしい心が――考える力が芽生えたのかもしれなかった。


 そしてついに運命の日がやってきた。

 その日の正午、太陽は完全に天の中心にあった。空には雲もなく、風も止んで、荒地は世界の終わりのように静かだった。いつもは梁にとまってギャアギャアとうるさく鳴くあの鳥さえどこかにいなくなっていた。

 わたしのほかに動くものはなかった。

 荒地のあらゆるものから影が消え、わたしは石像の力から完全に開放されたのを感じた。


 わたしはなにげなく、小用にでも立つかのようにふらりとそこを離れた。わたしを支配する力が消えているとはいえ、石像に気づかれるのがおそろしかったのだ。そして、遺跡もなにもかもが地平線のかげにかくれて見えなくなるところまで一度も休まずひたすら歩きつづけた。

 まわりにだんだんと緑があらわれ、木々の生い茂った深い森の中までくると、ようやく大きなけやきの根元に腰を下ろして息をついだ。

 そうしてわたしは石像が支配する世界から抜け出したのだった――。



    *



 わたしが実家から帰ってすぐ、父は亡くなった。

 誤嚥性肺炎だった。とうぶん大丈夫そうだと思ったわたしの見通しは外れた。

 あの途方もない食欲は病の進行をくい止めていたけれど、最後には父の命も喰い尽くしてしまったのだ。


 通夜にいちばんはやくあらわれたのは、わたしの知らない人物だった。

 ひげづらで丸めがねをかけた小太りの中年男性で、焼香をしたのち棺の小窓から穴のあいた父の面を見ると、

「なんということを!」と声をあげた。

 話を聞くと男は父の友人ではなく、美術商をやっているとのことだった。どうやら父の面を打った面打師の評価が最近とくに上がっているようで、生前父に面を譲ってもらえないかと何度も頼みこんでは断られていたらしい。


「作家の方は十年ほど前に亡くなっていますから、欲しいと思っても手に入らないのですよ。もともと寡作な方でしてね。最近になってまた再評価と言うんですか、美術品としての価値はたいそう上がっておりまして。もちろん、あの穴は修復しなきゃなりませんがね。まあその費用を差し引いてもこれくらいは……」

 そう言って男は紙に数字を書いてみせたが、それを見てわたしの喉はごくりと鳴った。びっくりするような数字が並んでいたのだ。書かれたゼロの数をかぞえると、一瞬心が揺らいだ。が、もうしわけないけれど父の遺言で一緒に火葬することになっておりますので――と言って断ると、また「なんということを!」と声を荒らげて怒りながら帰っていった。


 そういえばかつて景気がよかった頃、どこかの金持ちが世界中の名画を買い漁って、死んだら自分と一緒に棺に入れて燃やすと公言してひんしゅくを買った、という話をきいたことがある。

 わたしが今していることも、それと同じだろうか?

 たぶん違う。長年つけていた面というのはもうその人の体の一部であって、本人と一緒に灰になるのがやはり正しいのだ。遺品として身内が持つというのならわからなくもないが、無関係な他人が抜けがらになった面をどこかに飾って眺めるなんて、あまりいい趣味とは思えない。


 夜おそく、生前も何度か見舞ってくれた父の古い友人がやってきた。棺の窓から父を眺めると、

「長いことわずらわれて大変やったが、今はおだやかないい顔をしていなさる」

 と言って手を合わせた。

 それは、遺族への慰めの言葉にすぎなかっただろう。あるいは、こうであってほしいという願望を面の中に見出した、ただそれだけのことかもしれない。

 けれどわたしは、棺から見えているのは面なのに変なことを言う人だなと思って、その言葉がずっと心に残っていた。

 そしていろいろ考えた末、長いあいだ面をつけているとそういうこともあるのかもしれないな、と後になって思い直したのだった。

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仮面 -mask- 多田いづみ @tadaidumi

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