反不可能協会との出会い
俺が、最初にここに来た時の話だ。
大学からの帰り道に突然意識を失って、目を覚ますと知らない場所にいた。
昔からよく、たくさんの友人と広い公園を駆け回って遊ぶ夢を見る。実際、俺には友人なんてものはいなかったし、そもそも俺に近づいてくる奴なんていなかった。
辺り一面が真っ白なその部屋で、俺は椅子に座らされていた。
ついに警察に捕まった。脳内をよぎったそんな考えは、すぐに打ち消された。
「おはよう」
親しげに俺に話しかけてきたのは、少年だった。
としは十歳前後だろうか。少年特有の妙に白くて細い手足が衣服から伸びている。
「誰、ですか」
人と言葉を交わすこと自体が久しぶりな気がして、少年相手に敬語になってしまった。しかし、初対面なのに変に馴れ馴れしくするのも気が引けた。
「初めまして。ボクの名前はレッドローチ」
おかしな名前だ。
「あだ名、ですか」
「ううん、本名だよ。君は?」
俺は自分の名前が嫌いだった。それでも問われたのだから応えるしかない。嫌々に口を開いた。
「華胥私立(かしょう しりつ)」
「素敵な名前だね」
そんなはずがない。俺の名前を褒めてくれる人など、今までに人生に一人もいなかった。
「突然のことで混乱していると思うけど、君のことを誘拐させてもらった」
やはりこれは誘拐なのか。だとしても、こんな子供がどうしてそんなことを。
頭に浮かぶ疑問を読まれたかのように、少年は続けて喋る。
「単刀直入に言うよ。君、周りで人がよく死ぬでしょう」
心臓がドクリと脈打った。なぜバレているのだろう。
「俺は殺してない」
無意識にそう口にしていた。事実、俺が殺している訳ではないのだ。
ただ、どういう訳か、俺に近づいた奴はみんな徐々におかしくなっていて、死ぬ。
気がついた頃からずっとそうだった。今じゃあ俺の周りには人なんて集まってこない。「あいつと親しくなった人間は必ず変死を遂げる」そんな迷信めいた噂が広まっているからだ。
「分かってるよ。だから君を誘拐させて貰った」
その「だから」がどこからの順接なのか、俺には分からなかった。
「何が何だか分からないって顔してるね」
「そりゃあ」
俺は苦笑をこぼしながら言う。
「じゃあ、そろそろちゃんと説明するよ。君をここに監禁した理由」
少年が一歩後ろに下がり、両手を大きく広げた。
「ボクらは『反不可能協会』って言う団体なんだ」
「反不可能協会」
なんとなく、その言葉を復唱した。
「そう。君もボクも、ここにいる人たちは皆、人間社会に馴染んで生きられなかった『不可能』なんだよ」
少年は一息おいて更に喋る。
「ボクらはここで共に支え合って生きながら、人間社会に害を与える不可能たちを懲らしめている。それが、ボクらの上手く生きる術だ」
「懲らしめるって……?その『不可能』って人たちは、仲間じゃないんですか?」
「仲間とか仲間じゃないとかは関係ないよ。人間だって、悪いことをしたら同じ人間に罰せられるでしょ。ボクらも悪いことをする不可能がいたら懲らしめる。そうしていつか、ボクらは人間社会で普通に生きられるように、人間たちに受け入れてもらえるようにする。わかった?」
つまりここは、俺のような奴らばかりのコミュニティと言う事か。
周りで不可解に人が死ぬ俺のように、みんな嫌な思いをしていて、みんな迫害されている。だとしたら、今までのように暮らすよりは生きやすいのかも知れないな。
「ここにはすっごく頭の良い人もいるから、その人に調べてもらえば、君の周りで人が死ぬ原因もきっと分かるよ」
「あの」
少年の話を遮ってしまった。でも、どうしても聞きたかった。
「あなたも、周りで人が死んだり、変なことが起こるんですか?」
少年が一瞬、キョトンとした表情を見せた。
「ああ、そういえばまだ言ってなかったね」
突然、少年が鼻が触れ合いそうな距離にまで迫ってきた。なんだか不穏な空気を感じる。
「ボクは周りで変なことが起こる訳じゃない。ただ、ボク自身が変なんだ」
そう言うと、俺の目の前で口を大きく開いた。
奥の方、口蓋垂のあたりで何かが蠢いているのが見える。
他人の口内をそんなにまじまじと見ても良いものかと躊躇いはしたが、その蠢いているものが気になるので目を細めて奥を覗き込む。
瞬間、その蠢いていた「何か」が口内から飛び出し、俺の顔についた。
「うわっ」
反射でそう声をあげた。
続いてもう一つ、飛び出したものが今度は俺の手の上についた。
それを目視した途端、全身に鳥肌が立った。
これ、ゴキブリだ。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!」
俺はわけも分からずに大声をあげた。
どういう訳か、俺に集るゴキブリは徐々にその数を増していた。するとやがて、大きく開いた口の中にまでゴキブリが遠慮なく入ってくる。
「うわあああああああ!おええええええええええええええええ!」
俺はボロボロと涙を流しながら恥も外聞もなく闇雲に暴れ回る。いつの間にか、目の前にいたはずの少年はいなくなっていた。
そうして俺の声も枯れた頃、ゴキブリたちが操られているかのように列をなして俺の体から降り、一箇所に集まって上へ上へとそれぞれがそれぞれを踏み台に塔のような形を作り始めた。その光景のあまりのグロテスクさに吐き気を催す。
喉まで来ていた朝食だったであろうものを飲み込む。なんとか嘔吐を堪えて再び顔をあげれば、そこにあったゴキブリタワーはなくなり、先ほどまでと同じように少年が立っていた。
少年は涼し気な顔をしていたが、俺はただ全身を覆う鳥肌とガチガチ音を立てる歯と格闘する他なかった。
「煩いぞ、レッドローチ。何を騒いでいるんだ」
いつの間に入ってきたのか、別の男の声がする。俺は依然震える体をいなしながら声のする方に顔を向けた。
瞬間、体の震えが止まった。
これは良い意味ではない。恐怖で体が硬直したのだ。
少年の隣で俺を見下ろす妙に背の高いその男性は、全身におびただしい数の傷跡があった。
袖をまくっている腕、首、顔にさえも。ナイフで深く切られたような傷跡が、雑に縫われている。中には新しい傷もあり、まだ赤く腫れているそれは見ているだけで痛い。
「あ、睡ル(ねむる)さん。今ね、この人にボクの特技を見せてあげたの」
「ゴキブリで全身這い回るヤツか」
「そう」
睡ル、と呼ばれたその男性は深くため息をついた。
「毎回毎回、そうやって初対面の人にトラウマを植え付けるのは辞めろと言っているだろう」
「だって、楽しいんだもん」
2人の会話に、俺は全くついていけなかった。気まずさと恐怖の狭間に揺れながら「あの」と口を挟む。
「なに?」
「今のゴキブリは、なんだったんですか」
そう問うと、答えたのは傷だらけの男性の方だった。
「今見たから分かるだろうが、こいつは超高度な知能を持つゴキブリの集合体だ。普段はこうしてゴキブリ同士で積み重なってる。人間に見えるのは視覚及び触覚模倣子による受動異常だ」
分かるわけがない。どう言うことだ。
この少年が、ゴキブリだって?
「睡ルさん、いきなりそんな説明しても分かるわけないでしょ。まあ、簡単に言えば、ボクはちょっと頭が良くて人間の言葉を操れるだけのゴキブリなのに、人間の脳味噌って馬鹿だから、細工をすれば客観的にボクも人の形に見えちゃうんだよねってこと。ほら、中学二年生くらいの時に考えなかった?『自分が見てる世界と周りが見てる世界は同じなんだろうか』って。あれが、ボクの体には実際に起きてるんだよね。ボクの中のゴキブリ同士が積み重なって人間の形を作った時点で、人間に見えるようになる」
やっぱりよく分からなくて、俺の本能が考える事を拒否しているかのように頭が回らない。
「そんなの、ありえない」
何とか口にできたのはその言葉だった。
「ありえない、か」
そう呟いたのは背の高い男の方だった。男はおもむろに、ポケットから小型のナイフのような物を取り出す。
そして次の瞬間、己の首にそのナイフを思いっきり突き立てた。
「え」
驚きのあまり動けない俺を他所に、男は首に突き立てたナイフを抜き差しするのを辞めない。
飛び散る血など気にも留めないようにナイフを動かしていた男の首が、ついに胴体から離れた。
生首が、床にごとりと重たい音を立てて落ちる。
「ありえないから、不可能なんだ」
そう言ったのは生首だった。この男は、首を切られても死なないのだ。俺の脳味噌は、反射的にそのことを理解していた。
これはひょっとしたら、悪い夢かもしれない。
俺は全身の体温が一気に引いていく感覚に襲われながら、その場に立ち尽くしていた。
「この人は道化詩睡ル(どうけうた ねむる)さん。見ての通り、不死身なんだよ」
その少年、レッドローチの口調は妙に楽しげだった。
俺はついに自分の足で立っていることもままならなくなり、硬い床に尻もちついた。
男は胴体が生首を拾って元あったように首に乗せる。そして当然のように胸ポケットからホチキスを出すと、切断された首を繋ぐようにバチンバチンと留めはじめた。グロテスクだ。
「さて、華胥私立くん」
その少年、レッドローチさんが今一度俺の目を真っ直ぐに覗き込んだ。隣で起きている奇怪な事象には興味など無いようだった。
「ゴキブリであるボクも、不死身の睡ルさんも、周りで人が死ぬ君も、今日からここで一緒に暮らす仲間だ。仲良くしようね」
レッドローチさんの目には1点の曇りもなかった。
やっぱり帰りたい。
俺は確固たる信念をもってそう思った。
不可能は死なないし、語らない 王子 @ax_ax_0603
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