第9話 好きな子。
◇
《 side 夏樹孝明 》
九月下旬。開けっ放しにしている窓からは生温い風しか入ってこなかった。
そんなある日の放課後。
「なんで俺、こんな面倒なことやってんだろー」
タケが椅子に全体重をかけて背もたれながら文句を言う。
「なんでって自分で立候補したからじゃないの」
「ちっげーよ! 俺はクラスのやつにもてはやされただけ! 俺は生徒会になんて入るつもりなかったんだよ」
またやってる。会長とのやりとりを毎日のように見ている気がするのは、きっと俺だけじゃない。
その証拠に、後輩は呆れたように笑いながら二人の姿を見ている。
「武田、生徒会に入ってもう二年目なんだからいい加減認めなよ。ほんとはこういう作業も得意でしょ」
「全然だっつーの! 俺は手先が不器用だってこと山崎が一番知ってんだろ!」
タケは、俺よりも面倒くさがりだ。おまけに口も悪いから後輩からは不良だと思われている。
前にタケにお前のが不良じゃんって言われたけど、俺は髪を染めているだけで喧嘩とかは無縁だ。
「こんなちまちました作業よりも外で走り回りてー」
プリントを宙に放り投げて頭をわしゃわしゃと掻き分ける。相当ご乱心だ。
「ちょっと武田。それ大事なプリントだから」
それを会長と後輩が拾い集める。矢野くんも自分の手を止めて手伝っていた。
「だって外、見てみろよー。サッカー部めちゃくちゃ元気じゃん。俺もサッカーやりてえ……」
タケは、文化系より体育会系だ。だからきっと身体が疼くんだろう。
「じゃあ部活に入ればよかったのに」
「うーん、部活で学校生活縛られるのもちょっとなぁと思って。ほら俺、団体行動とか不得意じゃん?」
「ああ、うん。そうだね」
「ちょ、マジに受けとんなよ! そこはふつー否定するだろっ!」
会長に肯定されたのがショックだったのか、焦って詰め寄るタケに、
「えー、もう面倒くさいなぁ」
と言いながらもクスクスと笑う会長。
タケの接し方には一番会長が慣れている。きっと一枚も二枚も会長の方が上だ。
「それより武田、プリント拾って」
会長の言葉には渋々従うタケ。その証拠に「ちえー」と言いながらもプリントを拾う。
なんだかんだ言ってタケは会長のことを信頼している。だからこうやって素直に言うことを聞くんだろう。
「武田先輩、こっちにも飛んでましたよ」
プリント数枚拾った矢野くんが、タケに手渡す。
「おーサンキュー」
ニカッと笑ったあと、タケは矢野くんの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「わっ、ちょ…っ、武田先輩…!」
驚いた矢野くんは声をあげる。
「つーか、矢野の髪、やっわらかいなぁ!」
今度は優しく撫でだすタケ。
今すぐにでも止めたい。やめさせたい。
でも、この状況でそれをすれば周りが怪しむから。
我慢しろ、俺。我慢しろ……
心の中で一人呪文のように唱える。
「ちょっ、先輩……っ」
「少しくらいいーだろー」
矢野くんは椅子に座ったままで、タケは目の前に立って矢野くんの髪の毛に夢中だ。髪の毛の質感を確かめるように、ひと束ひと束摘む。
その様子が視界に映りこみ、俺は思わず立ち上がりそうになる。
「っ…」
いや、ダメだ。ダメだ俺。我慢しろ。机の下で、腕をもう片方の手で押し込める。
俺が矢野くんを守ったら、何かと怪しまれる。だから堪えろ、我慢しろ。
「うわっ!」
ふいに、驚くような声が響いて、何事だと思って恐る恐る顔をあげると、
「お前、肌もきれーだな」
と、今度は矢野くんの頬を指でふにふにしだすから、さすがの俺も動揺して、立ち上がろうと焦るとテーブルの裏で膝をガンッとぶつける。
「痛っ…」
その反動でシャープペンは床に転がった。
「おいおい、夏樹大丈夫か?」
「夏樹、大丈夫?」
みんなの視線は俺に向けられる。
「あー……うん、まぁ」
やばい。俺、ダッサ。ダサすぎるだろ。
「ちょ、武田先輩! いい加減、手離してくださいよ!」
タケの意識が俺に逸れている間に強引に押しのける矢野くん。
「仕方ねーなぁ」
と、渋々手を離すタケを見て小さくホッとする。
「でもさー、お前の肌、綺麗すぎ。何かしてんの?」
「なっ、何もしてませんよ……!」
「まじで? いやでも……」
今度は矢野くんをじーっと見つめるから、また俺の心は心中穏やかではなくなる。
すると、タケが、
「よーく見ると可愛い顔してんじゃん」
そう言って、一瞬固まる矢野くんは、ぶわっと顔が赤くなる。
「ちょ、そういうこと言うのやめてください……っ!!」
「えー、なんで」
「なんでもです……!」
両手を顔の前に覆って、見えないようにする矢野くん。
俺以外のやつにそんな顔するのやだ。
──そう思ってしまった。
「と、とにかく、俺は男です! 武田先輩なんてタイプじゃないので勘弁してください!」
「はぁ? なんで俺が振られる形になってんだよ。矢野、このやろー!」
なかなか会話は収まりそうになったが、
「はいはい、二人ともそこまでにして。まずはやること済ましちゃおうよ」
会長の一言により、矢野くんもタケも言い返そうとしていた言葉を飲み込んだ。
そのおかげで俺の感情も少しずつ正常になる。
よかった、会長のおかげだ。
──そう思っていたのも束の間。
「つーか、来週体育祭だよな! ぜってえ晴れてほしいなぁ」
タケの口は機関銃のようにとまらない。
「みんな体育祭、なにすんの?」
今度は、体育祭の話題に切り替わる。
「俺は、玉入れと短距離かな」
会長は、タケの会話に仕方なく付き合うことに決めたらしい。
となると、当然俺にも話は回ってくる。
「ふーん。じゃあ夏樹は?」
ほらやっぱり。
「俺は、借り物競走」
「えっ、あの何を書かれるか分からない難題だらけのやつ? よくする気になったなぁ」
「居眠りしてたらもう決まってたんだよ」
「ああ、だよなぁ。そんな面倒なのわざわざやらねーもんな」
借り物競走のお題は、男子校ではおもしろおかしく書くらしい。
去年クラスメイトが引いたときは『好きなやつ』だったっけ。男子校なのにいるわけないってなって、男を女装させて一緒に走ってたよな。
「じゃー、矢野は?」
「あっ、俺はパン食い競走です」
「へぇ。じゃあ楽だなぁ!」
「そう思って選びました」
ふーん。矢野くん、パン食い競走なんだ。
……絶対見よ。
あとのやつは、長距離だったり短距離だったりだった。
生徒会に入っている生徒は、種目は一つだけと決まっている。定期的に校内を見回ったり、備品確認をしたり、作業が山積みだからだ。
「学年対抗だけど、今年は絶対二年が勝つからな!」
タケは相当やる気みたいだ。
去年は、二年生が勝ったからなぁ。
「俺たち一年だって負けませんから!」
珍しく矢野くんが意気込んでいた。
「じゃあ勝負だな!」
「分かりました。受けて立ちましょう!」
へえ、意外と負けず嫌いなのかなぁ。
知らない発見に思わず頬が緩みそうになる。
矢野くんと出会ったのは、今年の二月。
ちゃんと矢野くんのことを知ったのは、四月。
矢野くんのことを好きになって半年。
知らなかった感情に新たな発見に、俺の心は大忙しだ。
「……そーいえば夏樹さぁ、この前女といた?」
突飛なことを突然告げられる。
「……は?」
だから、当然俺は困惑してぽかんと固まった。
女? …女って彼女ってことか? いやでも俺に彼女はいないし、姉貴だっていない。
それなのにどうしてそういう噂が……
「いやー、なんか俺のクラスのやつがお前のこと駅前で見かけたって言ったんだけど、そんとき女といたって聞いたから」
……ん? 駅前?
それってもしかして──
……矢野くんのこと?
「なに。夏樹、彼女いたの」
会長もびっくりした様子で俺に尋ねる。
「いや、あれは……」
彼女じゃない、と言おうと思った。
タケや会長の視線から逃げるように逸らしたその先に、矢野くんの瞳とぶつかって。矢野くんは、俺を見るなり顔を真っ赤にさせて俯いた。
矢野くんも気づいてる。あれが自分だということに。
(……顔真っ赤にして、可愛すぎ)
胸が、どきどきする。
「夏樹?」
固まる俺に声をかける二人。
矢野くんに迷惑かけちゃダメだ。みんなにあれが矢野くんだって気づかれちゃダメだ。
「いや、彼女じゃないよ」
まるで自分にそう言い聞かせるように。
「じゃあなんで一緒いるんだよ」
なんでって、それは──
「好きな子だから」
そう言葉を紡いだ瞬間、聞き取れないほどに小さくてか細い声で「え」と驚いたのを、俺は見逃さなかった。
矢野くんが、俺の言葉に動揺した証拠だ。
でも、さっきタケの言葉に顔を赤くした矢野くんを思い出し。
あんな顔見せていいのは俺だけだ。
他のやつには見せないで。
頭の中が独占欲で支配される。
「彼女じゃないけど、好きな子には間違いないよ」
気がつけば俺は、そんなことを言っていた。
もっと俺を意識してほしい。
そう思って、矢野くんに向ける。
俺の言葉に動揺する矢野くんは、顔を真っ赤にさせて下唇をきゅっと噛む。
(……あー…ほんと、可愛すぎる)
無意識にぎゅっと拳を握りしめる。
あの柔らかい髪を撫でたい。綺麗な頬を撫でたい。優しく抱きしめたい。いろんな欲望が現れる。
「俺にも会わせろよ!」
「なんで。やだよ」
「じゃー、あんな可愛い子とどーやって知り合ったのかだけでも教えてくれよ!」
タケの言葉にビクッと肩を揺らす矢野くん。
おそらく俺が言わないか不安なんだろう。でも、そんな心配しなくてもいいのに。だって俺、言うつもりないから。
「うーん、それも無理」
そう答えると、矢野くんは少しだけ顔をあげる。
俺の言葉を気にしている。
「なんでだよ」
「なーんでも」
誰にも教えるつもりはない。
矢野くんとの時間は、俺だけの秘密だから。
「ちぇー、せっかく女子と出会える方法聞けると思ったのに。これじゃあ意味ないじゃん」
と、ぐでーんと机に項垂れるタケ。
「出会い方なら近くに共学校があるけど」
「そーだけど、どうやって知り合うんだよ! 知り合いなんかいないしなぁ」
あーあ、と大きなため息をついたタケは、よほど女子と知り合いたいらしい。
「俺、そこに知り合いいるよ」
急に現れた会長の言葉に、
「えっ……まじで?!」
「うん、ほんと」
「紹介してくれ!」
タケは食い入るように会長席に詰め寄った。
「どうしようかなぁ」
俺の話に興味はなくなって、今は会長の話に夢中みたいだ。
「頼むよ、山崎!」
けれど、当然会長の方が一枚も二枚も上手で。
「じゃあ残ってる雑務、まじめにこなしたら考えてあげてもいいよ」
ニコリと微笑む会長。
その笑顔の奥に何か見てはいけないようなものを感じたのは、気のせいではなかった。
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