第4話 会いに来た。(後半)


 ***


「さっきの話だけどさぁ」


 非常階段に腰を下ろすなり、しゃべりだす先輩に何を言われるのか心臓バクバクの俺は、


「あれから女装した?」


 と、言う先輩の言葉に、


「ふあっ?!」


 なんともおかしな声を漏らしてしまう。


 すると、当然先輩はふはっ!と吹き出して、


「矢野くん、どーしたの」


 と、楽しそうに笑うのだ。


「いやっ、あの、だって……!」


 ドッドッドッ……心拍数が上昇する。


 俺ばかりが恥ずかしい気がする。


 あー…もうっ! なんで先輩は、すぐこうやってストレートに聞いてくるんだろう。もっと言葉をオブラートに……


「その反応は女装した?」


 …──あーもうっ、だから……!


「しししっ、してません!」

「ほんとに?」

「ほんと…です!」


 半ばやけっぱちになって言い返すと、


「そっか、よかった」


 と、口元を緩めて安堵する。


 ──どきっ


 何だよ今の、どきって。これじゃあ俺が先輩にどきどきしてるみたいじゃないか……


 ……じゃなくて!!


「な、なんで、そんなこと聞いてくるんですか」


 言った。言ったぞ、俺。


 鳥羽のようなストレートな言葉は無理だけれど。


「この前、言ったじゃん」


 先輩の声のトーンが少しだけ下がる。


「言ったって、なにを……」


 それが気になって俺は、顔を上げると、


「女装するなら俺の前だけにしてって」


 と、真っ直ぐ俺を見つめる先輩の瞳とぶつかって、思わず息を飲んだ。


「それとも矢野くん、それ忘れてた?」

「……お、覚えて、ます」


 そんなこと、忘れられるはずがない。


 あの日から先輩の声が、言葉が、やけに頭にくっきりとこびりついて離れないんだ。


「で、でも、どうしてそんなこと……」


 先輩は言うんだろうってびっくりして。


 俺の頭をひどく動揺させる。


「どうして、か」


 俺の言葉を反芻したあと、しばらく黙り込む先輩。

 俺は、先輩の言葉の続きが気になって耳を傾けていると、急に真剣な顔をして、


「…──もしも俺が、矢野くんのこと好きって言ったらどうする?」


 やけに、クリアに聞こえてきた、それに。


「………え、」


 真っ直ぐ見つめられる視線に、張り詰める空気に、息を飲む暇さえ与えられなかった。


 先輩が俺のことを……?


 いや、まさか。

 でも、もしかして。


 二つの感情が錯綜する──


「なーんて」


 パチンッと聞こえた音にハッとすると、たった今先輩が両手を叩いた音だと気づいて。


 それが冗談だったのだと理解する。


「ちょ、先輩……今のは冗談がすぎます……」


 ガクッと力なく項垂れると、


「ごめんごめん」


 先輩は、悪びれる様子もなく謝る。


「もう〜……」


 おかげで俺の寿命はかなり縮んだ気がする。


 先輩の言動は、いちいち心臓に悪い。


「今のは違うけど、今度いつ女装するの?」


 あっという間に会話は進んでいくから、気力がないままに、


「…まだ分かりませんけど……どうしてそんなに気にするんですか」


 ちら、と先輩を見上げると、


「俺もついてくから」


 さも当然だ、と言いたげな表情を浮かべていた。


 夏樹先輩ならほんとにやりかねない。


 俺の前だけってのも実質、ほんとのことなのかもしれないし。


 でも、だからってそれは。


「…やですよ」

「なんで?」

「普段の俺を知ってる先輩に、女装してる姿見られるなんて恥ずかしくてできません」

「一度見た仲なのに?」

「それはそうですけど……ってなんかその言い方はちょっと語弊を招くというか……ゴニョゴニョ……」


 語尾を濁して、目を逸らすと、


「何を気にしてるか分からないけど」


 と、言って頭を掻いたあと、


「約束は守って女装するときは俺のこと呼んでね。絶対だよ」


 満面の笑みを浮かべた先輩。


 約束は絶対ってほんとかなぁ……


「……じゃあもしも、俺が約束を破ったらどうなるんですか?」


 恐る恐る尋ねてみると、


「どうって、お仕置きしちゃうかなぁ」


 ……お仕置き。


 どういうのが当てはまるのかな。


「生徒会の雑務を代わりに請け負うとか? 購買でパン買って来てとかですか?」

「なんかそれパシリみたいだね」

「……違うんですか?」

「うーん、ちょっと違うかなぁ」


 先輩は、おかしそうにクスッと笑った。


 俺の頭では考えることに限界があって、これ以上は見当もつかなくて先輩の言葉を待っていると、


「俺のいないところで女装したら」


 と、前置きをしたあと、俺を見てニコリと笑って、


「矢野くんにキスしちゃおうかな」


 ──と、言うから。


 一瞬で、顔が熱くなった。


「なっ、何言って……」


 言い返そうと言葉を選んでいる間。


 ──キーンコーンカーンコーン。


 予鈴が鳴って、会話が遮られる。


「あ、残念。そろそろ俺、教室戻らないと」


 冷静に立ち上がる先輩は、俺とは違って余裕があって。


「じゃあまた放課後に」


 軽く俺に手を振って、トントン……と階段を降りていく。


 一人取り残された俺は、いまだ放心状態で。


「……今の、何だったんだ」


 頭を抱えてしばらく動けなかった。

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