第3話 会いに来た。(前半)
◇
「矢野、おはよー」
朝、HRが始まる十五分前。友達の鳥羽が登校してきた。鳥羽彰(とばあきら)。
「おはよう」
高校に入ってできた一番目の友達で、唯一俺が女装をすることを知っている人物でもある。
なぜ俺が鳥羽にだけそれを話したかといえば、彼は漫画が好きだ。部類でいえば、オタクで。
入学式当日、俺は鳥羽に似たようなものを感じた。だからといって見た目があれなわけではなく、普通にモテそうで。
「夏休み中もアレしたの?」
教室では誰が聞いているか分からないからと、鳥羽は女装のことをアレと呼ぶ。
俺たち二人だけしか通じない言葉だ。
「うん、そりゃあもちろん」
夏休み最後にと思って気合いを入れて街を歩いた。
そのおかげもあって、たくさんの視線を集めたし自信だってついた。
──のは、よかったのだが。
「じゃあなんでそんな元気ないわけ」
かばんの中から教科書を出しながら、ちら、と俺の方へ視線を向ける鳥羽。
だてに友達をやっているわけじゃないらしい。俺の小さな変化を読み取ったのだろう。
「元気ないわけじゃないんだけどさー……」
机に項垂れて頭を抱える俺に、
「じゃあ、何かあったの?」
手を止めて全神経を俺に向ける鳥羽。
〝何か〟は間違いなく。
「……あった」
が、言おうか言わないか悩む。
右と左を確認した鳥羽は、俺に顔を寄せて、
「何があったんだい」
耳に手を当てて聞く準備万端だということをアピールする。
やっぱり一人で抱えるには荷が重過ぎて打ち明けることを決意する。
「……実はさ、夏樹先輩に俺が女装してるってバレちゃったんだよね」
と、俺が言うと、目を白黒させて固まった鳥羽は、
「夏樹先輩って生徒会副会長の?」
ようやく頭が回転したのか、浮かんだ疑問を俺にぶつける。
「うん、そう。副会長」
「あの先輩に?」
「うん」
「まじで」
「うん」
信じられない、とでも言いたげな顔で俺をしばらく見つめたあと、
「なんでバレたの?」
疑問をぶつけられる。
「なんでってそりゃあ──…」
……あれ、なんで先輩に女装していたあれが俺だってバレたんだろう。
「分かんない」
気の抜けたように俺の口からぽつりとこぼれる。
すると、なんで、とでも言いたげな表情を浮かべて俺を見つめる鳥羽。
「いや、だって……聞いてないから」
「え、そこが一番肝心じゃないの」
「そうなんだけど、この前はそれどころじゃなかったっていうか……」
いきなりの話題振りに、先輩からの言葉に、驚くことがたくさんあって。どうしてあれが俺だと気づいたのか聞くのを忘れていた。
「ああ、まあそういうときあるよな」
ポンッと俺の肩に手をついて何度も頷いた鳥羽。
──どんまい、という訳か。
「でもさ、そこ聞いてた方がいいんじゃないの?」
「……なんで?」
「夏樹先輩にバレるってことは他の人にも気付かれる可能性があるってことでしょ」
「……ほんとだっ…!」
こんな呑気にしている場合じゃない。
女装するにあたってもっと対策を練らないと……あっ、でも今度女装するときは先輩の前だけでって言ってたっけ……
「いやいやっ、何言ってんの!」
何も先輩の約束を守る必要なんかないし。
そもそも俺、約束したわけじゃないし。うん。
「矢野こそ、一人で何言ってるの」
「……え?」
何って……俺、今心の中でしゃべってたよね?
「心の声かなりダダ漏れだったけど」
「……うそっ!」
「いや、ほんと」
「ぅわあぁぁぁ……」
最っ悪……! よりによって友達の鳥羽に醜態を晒すはめになるなんて。普段の俺からは考えられないほどに、相当テンパっていたらしい。
「で、何を考えてたわけ?」
当然それをスルーするはずもない鳥羽。
でも、俺は。
「……言いたくない」
だってあれは、そういう意味にも捉えかねないわけだし。変な誤解されたくないし。そもそも俺、承諾したわけじゃないし。
「言った方がすっきりしない?」
「それは、そうだけど……」
「俺、べつに誰にも言うつもりないし」
そりゃあね、俺だって。
「……きみが誰かに言いふらすとは思ってないけどさ」
鳥羽は信用できる人間だ。中学の頃に俺のことを女顔だとからかっていた男子とは違うことも知っている。
「じゃあいいじゃん。話してみたら?」
「えー……」
「アドバイスできるかもだし」
たしかに一人で悩むよりはいいかもしれない。
「うーん……」
けれど、勝手に夏樹先輩の言葉を教えちゃっていいのかな。先輩嫌がらないかな。……って、べつに口止めされてるわけじゃないし、先輩だってあの言葉に深い意味はなかったかもしれないし!
「じ、実は……」
近くに誰もいないのを確認してから、
「夏樹先輩に〝女装するなら俺の前だけにして〟って言われたんだよね」
小声で鳥羽に説明する。
「………へ」
すると、あの日俺が先輩にしたような態度でぽかんと固まった鳥羽。
「やっぱり、そうなるよね……」
自分と同じ反応をした鳥羽を見て、思わず苦笑いを浮かべる俺。
「いや、うん。ちょっと待って」
俺に手のひらを向けて、もう片方の手を自分の頭に添えて、頭の中であーでもないこーでもないと何かを考えたあと、
「その言葉を砕くと、他の人には女装見られたくないってことになっちゃわない?」
頭にピンっと冴え渡るものが見つかったのか、俺に指をさしながら鳥羽が先輩の言葉を訳すから、
「だ、だよねえ……」
恥ずかしくなって、頬をかいた。
──俺も、先輩に言われたあの瞬間思った。
それってなんか〝独占欲〟みたいだって。
だけど、先輩に限ってそんなはずないし、きっと深い意味はなかったんだと思うようにしていた。
が、身近にいる鳥羽でさえも言葉の意味をそう紐解いたなら、ありえない話でもないわけで。
「どうするの?」
「……どうってなにを」
「え、先輩のこと?」
「……どうもしないけど」
そもそも、先輩のことをどうするって言うんだ。べつに告白されているわけでもないし、あの言葉に深い意味だってないだろうし。
「なんで?」
「いや、逆になんでそんな発想に至るの!」
「だってそれ、告白みたいなものだし」
………はあっ?!
「全っ然違うから!」
何をどうすれば告白になるんだっ。
男が男に告白するはずないだろ。
「可能性もないわけではないと思うよ」
鳥羽がそこまで言うって珍しい。
「……どうしてそう思うわけ」
もしかしたら何か思い当たるフシがあるのかもしれないと思って尋ねてみると、
「この前読んだ漫画でさー、すっごいかっこいい先輩が後輩に告白してたんだよ。矢野の話聞いてそれ思い出しちゃって」
かっこいい先輩が後輩に告白?
「それ、どんな本なの」
「ああ、ジャンル的に言えばBLだね」
顔色ひとつ変えずにさらりと言ってのける鳥羽に、
「そっちに触発されすぎだから!!」
思わずツッコミを入れた俺。
そうだった。鳥羽は漫画が好きで、ジャンル問わずありとあらゆるものを読み漁るから、それがたまたまBLに当たっても無理はない。
「もー……鳥羽のアホ」
真面目に聞いた俺がバカみたいだ。
「ごめんごめん」
と、ケラケラ笑いながら言ったあと、
「だけどさぁ、一度先輩に聞いてみた方がいいと思うけど」
目尻を拭いながら俺に言う。よほどさっきの俺がツボに入ったらしい。
「……聞くって何を」
むすっとしながら俺が尋ねると、
「先輩は俺のこと好きなんですかって」
冗談を言ってるような表情には見えなくて。
「……え」
俺は一瞬、頭の中がフリーズする。
時間が止まったみたいに教室にいる人や全てのものが止まって見える。
しばらくして、
「ちょ、きみ、自分が何言ってるか分かってる!?」
盛大に驚いて、思わず椅子から立ち上がる。
そのせいでクラスメイトはどうしたどうしたと俺に注目が集まる。
……ああほんっと最悪だ。俺は極力目立たないようにと心掛けているのに。
何でもない、と笑って誤魔化すと、誰も気に留めなくなった。
それを確認してからするすると身を縮めるように椅子に腰掛けると、
「くっくっくっ……」
笑いを堪える鳥羽と目があって、
「……ちょっと、きみのせいで酷い目に合ったんだけど」
「いやー、今のは俺の責任じゃないでしょ」
「なんで。間違いなく鳥羽が原因じゃん!」
いきなりあんなこと聞いてみろなんて言うから、動揺するのは当然だ。
「でも、先輩が言ったことが気になるんでしょ」
「そ、それは……」
気になるかならないかで言えば気になる。
「で、でも、本人にわざわざ聞くようなことでもないっていうか」
仮に俺が先輩に聞いたとしても、先輩にとってあの言葉に深い意味はなかったって言われたら、俺が恥ずかしいやつになるし。
「じゃあそのままにするの?」
「いや、だからべつにそういうつもりじゃなくて……」
言い返そうと思った矢先、
「…──矢野くんいるー?」
聞き覚えのある声が廊下から響いて、俺の意識は全てそっちへ注がれた。
廊下へ顔を向けると、そこにいたのは話題の中心にいた夏樹先輩だった。
──えっ、なんで、先輩が……! 今まで教室に現れるとすれば会長くらいだったのに、なんで……
「呼ばれてるけど」
鳥羽の声にハッとすると、
「……ああ、うん」
慌てて席から立ち上がるが、笑いを堪えている鳥羽と視線がぶつかって。
「……なに」
「ううん、なにも」
絶対よからぬこと考えてる顔だよ。
「それより早く行ってあげれば」
楽しげに俺を急かすから、
「あとで覚えておいて」
捨て台詞を残してから俺は廊下へ向かった。
──それにしても先輩、背が高いなぁ。おまけに髪、茶髪だから余計に目立つ。
「あ、矢野くんいた」
俺に気づくと、ニコリと微笑んだ先輩。
「せ、先輩…どうしたんですか」
緊張のせいで唇がうまく動かない。
おまけにあんなことを言われた手前、二人きりで話すのは恥ずかしくて顔見れそうになくて、少しだけ俯いた。
「ああ、うん。この前さー、俺が……」
──あっ、嫌な予感がして。
「あああのっ、先輩!」
大きな声をあげると先輩はびっくりしたのか、
「ど、したの」
口をぽかんと開けたまま目を白黒にする。
自分でも驚くほど大きな声で、一気に羞恥が俺を襲う。
でも、ここじゃダメだ。
「その話は、ここだと目立つので……」
恥ずかしくなって口元を手のひらで抑えると、
「……ああ、うん。そうだね」
俺の言葉の意味を理解したのか、
「じゃああっち行こっか」
と、先輩は微笑んだのだ。
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