第5話 一緒に帰ろう。
◇
《side 夏樹孝明》
──キーンコーンカーンコーン。
今日もまた放課後、生徒会室で雑務に追われている。
生徒会って俺の口から出るとはな。
それもそのはず。まさか俺が生徒会の副会長をするなんて高校に入るまで思ってもみなかった。
俺は何事にもテキトーで、何かの中心になって率先することなんかなかった。楽が一番で、テキトーに三年間過ごすつもりだったからだ。先のことなんてたいして考えられないただの子どもだった。ずっとそれが続くのだと思っていた。
そんなある日、一年の頃に隣のクラスの山崎とひょんなことから仲良くなった。そのときに、一緒に生徒会に入らないか?と誘われた。
なんでそんな面倒なのにわざわざ入るんだよって思って、初めのうちは断っていた。
けれど、山崎は何度も俺を誘った。
何度も何度も誘われるから、どうして山崎は生徒会に入りたいのかと尋ねると、
『高校なんて三年間しかない。適当に過ごしていたらあっという間に三年間終わってしまう。でも俺は、その短い時間をかけがえのないものにしたいんだ。あとになって思い出したとき、あのときよかったな、楽しかったなって思いたい。俺は、人生を後悔したくないんだ』
──山崎が言った。
その言葉にあの頃の俺は、何かを突き動かされて。そして今に至るわけだが。
「なぁなぁ、これもう終わりでよくね?」
「ちょっと武田なに言ってるの。後輩の前でそんな発言やめてよね。真似したらどうするの」
「山崎こそ、その真面目すぎる根どうにかしろよー!」
生徒会室の中は、今日もにぎやかだ。
俺と同じ二年の会長と副会長がなにやらやりとりをして、
「矢野っ、もうすぐそっち終わるんだろ? こっち手伝ってくれよ」
「ちょ…、俺まだおわってないので自分の分は自分でお願いします」
「そうだよ、武田。後輩に頼むなんて先輩の名がすたるよ」
ときおりこうやって後輩に絡む光景を、俺は生徒会に入って何度も見てきた。
入学したばかりのあの頃の俺が知ったら、どう思うんだろう。なんでそんな真面目なことやってるんだよってバカにするだろうか。
──まあ、それでもべつにいいや。だってこうやって楽しく過ごせてるんだ。過去なんてどうでもいい。
「おーい、夏樹もぼーっとしてないで手動かせよー!」
生徒会で一番面倒くさがりなタケが俺に絡みだすから、
「手動かさないで口ばかり動かしてるタケに言われたくない」
今までの俺ならすぐに投げ出していたが、今はちゃんとできるようになった。それがおかしくてフッと笑って止まっていたシャープペンを走らせる。
「なっ、なんだとー!」
俺がタケのことを笑ったのかと勘違いしたのか、タケは過剰に反応した。
けれど、
「夏樹に一票」
「俺も夏樹先輩に一票です」
会長だけならず後輩までもが俺の意見に票を入れるから、タケは顔を真っ赤にして立ち上がる。
「そういうわけだから口ばかり動かしてないで手も動かしなさい」
クスクスと笑った会長の一言により「ぐっ……」悔しそうにしていたがタケは渋々、腰を下ろして放置されっぱなしだった資料に目を通し出す。
同じ二年なのに俺もタケも会長には逆らえないのは、やっぱり会長がすごいから。すごいの一言では片付けられないほどに、会長は完璧だ。
教師からの信頼も厚く、後輩からも慕われて、勉強にスポーツに万能で、朝誰よりも早く生徒会室に来て誰よりも遅くに帰っている。
近くにそれだけ頑張ってるやつがいたら触発されて、俺だって頑張るようになってしまうってわけだ。
二年に進級してもう五ヶ月も過ぎた。
あと少しすれば、進路を決める時期がやってくる。進学をするのか就職をするのかまだ決まってはないけれど、自分の人生だからテキトーでいいやって諦めることだけはしたくない。
──なんて思ってることは、誰にも秘密だ。
「会長ー、これ終わりました」
刻々と時間は過ぎ、時刻は午後十八時。
矢野くんが雑務を終えて会長に提出に向かう。
「どれどれー」
会長はそれを受け取ると、確認をする。
それが終わったらきっと矢野くんは帰れるはずだ。今日の雑務は終わるから。
……まだ、一緒にいたいなぁ。
そんなことを考えていると、身体は脳に突き動かされて、プリントを握りしめて立ち上がった俺は会長席へと向かった。
「うん、矢野くんのまとめ方は上手だからとても見やすくていいと思う」
「ほんとですか? ありがとうございます」
まだ俺が後ろにいることに気がついていない矢野くん。俺よりも背が低くて、頭が撫でやすいところにある。
「うん、じゃあ矢野くんもう帰っ──…」
おもむろに顔を上げた会長が俺に気づいて、
「二人とも帰っていいよ」
と、言葉を言い換えた。
「えっ、二人……?」
その言葉に困惑した矢野くんは、会長の視線をたどって振り向いた。
そして、俺の視線とぶつかって「あ」と声を漏らす。
少し背の低い矢野くんは見上げる形になって。
(……あー、やばい。かわいい)
思わず、そう思ってしまう。
「なっ、夏樹先輩…も終わったんですか?」
矢野くんの、少し上擦った声。
昼間に俺が言った言葉を意識しているのだろうか。
ほんのりと頬も染まっていて、視線も慌ただしく動いていて動揺しているのが見て取れる。
「うん、終わったから会長に持ってきたところ」
「そー…だったんですね!」
口元に手を添えて緊張を隠す矢野くん。
「夏樹のはあとで確認しておくから、もう帰って大丈夫だよ」
と、俺に手を伸ばすからプリントを手渡した。
「えっ、あっ……」
あからさまに動揺する矢野くん。
今朝のあれ、気にしてるんだろうなぁ。
さすがに言い過ぎたよなー。
でも、今さら手を緩めるなんてことできないし。
そうやって、もっと俺のこと意識してくれたらいいのに。
「矢野くん、一緒に帰らない?」
「あっ、えっと……」
なんて返事するかな。無理って言われちゃうかなぁ。
「矢野くんに話したいことあるんだけど」
最後の一手をダメ押しですると、
「……わ、分かりました」
きゅっと唇を結んで、顔を真っ赤にする矢野くん。
俺の言葉を意識して、そんな反応をする。
その姿が可愛くて、思わずニヤケそうになった顔を手で覆ったのは言うまでもない。
***
公道を二人して並んで歩くのなんて初めてで、少しわくわくした。
「矢野くんは歩き? バス? 電車?」
「あー…俺は、電車で来てます」
少しだけ距離を空けて歩く矢野くん。
よっぽど俺のことを警戒しているらしい。
「そうなんだ。俺も電車だけど、どこから乗ってるの?」
「…ちゅ、中央線から乗ってます」
「あ、じゃあ、ホーム一緒だねぇ」
そっかそっか、知らなかった。もっと早くに聞いてたらこうやって一緒に帰れたかもしれないのに。
新たな発見に嬉しくなる。
「……あ、あの、先輩……」
恐る恐る口を開く矢野くん。
「ん? どしたの」
こっちまで緊張が伝わってくる。
「今朝のあれって……」
ちらっと俺を一瞬見たあと、すぐに目を逸らされる。
……〝今朝のあれ〟か。
思い当たるのはひとつしかない。
「んー、ああ、あれね。矢野くん気にしてたの?」
「や、べつにそういうわけじゃ、ないんですけど……」
嘘ついてるの、バレバレ。
嘘つくの、下手くそ。
それすらも可愛くて。
もっと俺のことを意識してほしいって意地悪言いたくなる。
「今朝も言ったけど冗談だよ」
けれど、俺は嫌われたくない。
「だからそんなに気にしなくていいから」
冗談だと言わないと、あんなこと面と向かって言えない。
勇気だってない。
それほど、矢野くんのことが──…
「え…で、でも……」
すると、言葉に詰まらせながら俺の方を見上げた矢野くん。
視線も、言葉も、全て、俺のものにできたらいいのに。
なんて思うのは、俺のわがままで。
「ほんとーに冗談だから、気にしないで」
伸ばした手を、ポスッと矢野くんの頭に落とすと、
「ちょっ、先輩っ……なに、して……」
乱暴に頭を撫で回すと、矢野くんは困惑しながら赤面する。
柔らかい髪を、もっと撫でていたい。
そんな欲望が心の底から湧いてくる。
「それともあれ本気にしようか?」
もっと優しく、撫でてあげたい。
けれど、矢野くんに警戒心を持たれるのは嫌だから、わざと乱暴に頭を撫でる。
そうすれば今朝のあれが冗談だと信じてくれるから。
「なななっ、なにバカなこと言ってるんですか……っ!」
慌てて俺から距離を取る矢野くんは、顔が真っ赤で可愛くて、つい手が伸びそうになる。
けれど、それをグッと堪えて。
「あはははっ」
笑って誤魔化すことしかできなかった。
それだけ俺は、自信がない。
一歩歩み出すのが。
「あー…笑ったぁ」
「先輩、ひどいですよ…!」
まだ頬を染めて抗議する矢野くんに、
「ごめんごめん」
謝ってみるけれど、相当ご立腹なのか頬を膨らませて顔を逸らされる。
ご立腹っていっても本気で怒ってるわけじゃないみたいだけれど。
──でも、矢野くんとこうやって一緒に帰れるのが奇跡みたいだ。矢野くんが生徒会に入らなければ関わりだってなかった。この学校に入学しなければ出会うことだってなかった。
「もうっ、先輩って冗談ばかり言うから……」
隣でぶつぶつと文句を言う矢野くんの声を聞きながら、俺は少しだけ遠い日のことを思い出す──…
〜 回想 〜
今年の一月二十五日。高校の受験日。
俺は、そのとき生徒会書記をやっていたこともあり、人手が足りないからと学校から手伝いをするように言われていた。
その頃の俺は、まだテキトーが抜けていなくて朝早く眠たいのに面倒だなぁなんて思いながら、学校に来た。
受験時間の一時間前になると、受験生がぞろぞろと入って来た。もちろん男子ばかり。手伝いがない生徒は休みなのに、生徒会に入ったばっかりにその休日が潰れて、さすがの俺はうんざりした。なんで男ばかりを見なきゃならないのかと。
そんなことを考えてぼーっと歩いていたから、前になにが迫っていたかなんて気づかなかった。
──ドンッ
ぶつかった瞬間、「ぅわっ」前方から声があがり、咄嗟にハッとして前を見ると、そこにいたのは尻餅をついていた男子だった。
学生服が違ったこともあり、おそらく彼は受験生。
「悪いっ、大丈夫?!」
怪我してないかな。緊張解いちゃったかな。不安要素を与えてしまってないか心配になり、慌てて手を伸ばす。
「あ……は、はい。大丈夫です」
俺の手に気がつくと、顔を上げて手を掴む。
──ドクンッ
目の前の男子を見て、胸が騒いだ。
それに困惑して、俺は固まった。
「……あ、あのー……?」
ぼーっとする俺に困惑して声をかける。
その声にハッとして、
「あ、ああ、なんでもない」
やっべ、俺今、固まってた。
グイッと腕を引いて、立ち上がらせる。
「それよりぶつかってごめん。大丈夫?」
「…あ、はい。大丈夫です」
男……だよな……? でも、顔が可愛いし……いやでも、ズボン履いてるし男に間違いないよな。
だけど、顔可愛い……
なんだこれ、ざわざわする。
「……あの」
目を左右に動かして恥ずかしそうに唇を結んだあと、
「そ、そろそろ手を……」
顔を真っ赤にするから意識は全てそっちに行きかけたけれど、言葉を聞いて首を傾げた。
「え?」
手がどうしたんだろう……と、目線を下げると、まだ握りしめたままのことに気づき。
「あー…ごめん!」
しまったと思った。
「……い、いえ」
パッと手を離すと、かばんの紐をぎゅっと握りしめる。
顔は真っ赤に染まっていた。
この寒さのせいなのか、それとも俺のせいなのか──…
「今から受験……だよね?」
「は、はい……」
「ぶつかってごめん」
「あ、いえ……」
お互い口数少なく、そして黙り込む。
そりゃあそうだよな。見ず知らずの俺とは話すことだってないわけだし、受験で緊張してるわけだし。
でも、でも……
「きみ、ここが志望校?」
「え? …あ、はい、そうですけど」
受験前にあんまり無駄話しても迷惑かけるのは分かってるけど。
それでも──。
「後輩になるのを楽しみに待ってる」
言わずには、いられなかった。
もっと話したいと思った。
もっと関わりがほしかった。
「……ありがとう、ございます」
そうしたらきみは、ホッと緊張が解けたように微笑んだ。
そして、軽く会釈をしたあと、校舎の中へ向かった。
「あー……」
その場に力なくしゃがみ込み、口元を両手で覆った。
「すっげえ、緊張した……」
いまだ鳴り止まぬ、鼓動。
寒いのに、熱い。
「なんだこれ……」
体験したことのない感情に、そわそわして落ち着かない。
おもむろに手のひらを見つめる。
男の手だったが、俺より小さな手のひら。
まだ感触が残ってる。
「……また、会いてーなぁ」
分からない感情に、そわそわして。
全然、落ち着かない。
けれど、もう一度キミに会えたら、分かるような気がするんだ──。
「…──ぱい? 夏樹先輩!」
どこか遠くで俺の名前を呼ぶ声がする。
その声にハッと意識を戻されて、
「……あ、な、なに?」
固まる俺に、覗き込むように顔を向けられる。
「なにって、先輩今ぼーっとしてましたけど、大丈夫ですか?」
その距離に思わず、ドキッと胸が鳴る。
さっきまで矢野くんの方が意識して、俺に近づかないようにしてたのに。
「あー……うん、大丈夫」
今度は俺が意識して、視線を逸らす。
「この暑さで体調悪くなったのかと思ったけど。安心しました」
「心配かけてごめんね」
「いえ、大丈夫ですよ」
矢野くんは、まだ知らない。
まだ、気づいていない。
俺がきみのことをどう思っているのか。
きみが知ったら、どう思うのかなぁ。
まだ俺の気持ちは、誰にも秘密だ──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます