第136話 絶望の黒炎 紗良 対 菊一
「下がってください!」
二人の術士は協力して結界を張る。なんとか黒い炎を防ぎきったものの、その一撃で結界も効果を失った。
「なんだ……あいつは……」
目の前の妖は、それまで見てきた者たちと大きく違っていた。人の姿でありながら両手両足に黒い炎を纏い、どういう仕組みなのかその炎に妖自身は焼かれていない。
さらに通常の槍とは違う、明らかに異様な存在感を持つ槍を持っている。異質な存在である事は明らかであったが、狼十郎はその顔に見覚えがあった。
「霊影会……烈火の菊一……」
かつて毛呂山領で狼十郎と直接やりあった破術士。その胸部に刺さる杭を見て、狼十郎は経緯を察した。
「まさか霊影会幹部も使うとはね……」
「ほう……。あれが噂に聞く菊一ですか」
紗良は一歩前へと出る。その表情には余裕があった。
「紗良殿。あの槍、普通の槍とは違います。ご注意を」
「ええ。……きますよ」
狼十郎たちの姿を確認した菊一は、槍を構えて駆けだす。紗良は正面から迎え撃つ様に腰を落とした。
「神徹刀、花水仙。御力解放。……絶破・水瞬気閃」
神徹刀に纏わせた水気が、鞘から抜かれると同時に薄い刃と化し、菊一を斬る。しかし菊一の身体に触れると水気は蒸発した。
「!」
「シャアッ!!」
お返しとばかりに、菊一は槍を真一文字に振るう。同時に再び黒い炎が襲い掛かってきた。
「うあああ!」
紗良、狼十郎はとっさに横へ跳んで躱し、術士の一人はその身を多少焦がしたものの、結界で致命傷は防ぐ。だが残りの一人は術が間に合わず、焼かれてしまった。
「菊一相手に術の溜めは致命だ! ここから離れろ!」
「は、はい……!」
強力な術が撃てる術士ではあるが、菊一の様な規格外の相手に立ち回るには難しい。また狼十郎たちも、術士に気を使いながらこの強力な妖と対峙する事になる。それは避けたかった。
「狼十郎殿! どうやら菊一の身体は見た目通り、かなりの熱を持っているようです! 私の絶破では斬れません!」
「どうやらそのようで……! 仕方ない、神徹刀久保桜。御力解放!」
神徹刀の力無しで立ち向かえる相手ではない。狼十郎の判断は早かった。横を見れば紗良も神徹刀の御力を常時解放している。
これまで抜刀の瞬間しか神徹刀の御力を解放してこなかった紗良であったが、それで敵う相手ではないと認識していた。二人とも身体能力を向上させて、改めて菊一に対峙する。
「コロス……! テメェラゼンイン! ミチヅレダアァァァァァァァ!!」
「……っ!」
菊一が槍を構える。来るか……と思った瞬間。既にその矛先は眼前まで迫っていた。
「な……!」
狼十郎はぎりぎりのところで絶影を用いて距離をとる。あらかじめ神徹刀を抜いていなければ、確実に今ので終わっていた。そう感じさせる速度。
そして今、菊一の握る槍は、全体的に淡く輝いている。それを見て紗良は僅かに目を見開く。
「十六霊光無器、柳震時閃槍……!」
「え!? まさか……あれが……!?」
柳震時閃槍。皇国で管理できていない、行方不明の十六霊光無器の一つである。その能力の全貌は明らかにされていない。
だが過去の記録では、柳震時閃槍の使い手は全員共通して老いるのが早かったとある。その事から寿命と引き換えに、使い手に大きな身体能力をもたらすと考えられていた。だが別の説もある。それは。
「今のは身体能力の強化と言うには不自然な動きだった……!」
「……ええ。動きが倍速化された様に見えました。どうやら持ち主の時間だけ早めるという噂は本当の様ですね」
持ち主だけ時の理から逸脱させ、独自の時を与える。世界が十秒の時を刻むのに対し、柳震時閃槍の持ち主は十五秒、あるいは二十秒。周囲よりも早く時が流れる。使い手の老いが早まる原因ではないかと言われていた。
だが時が早く流れるという事は、周りが一の動作をするのに対し、二の動作がとれるという事。菊一は速度を上げた自身の槍を遺憾なく振り回す。
「アアアアアアア!!」
神徹刀を抜き、身体能力を強化した二人だからこそ、何とかこの動きについていけた。しかし近づこうにも熱気が強く、うかつに触れれば火傷しかねない。
動きの早い菊一の攻撃をかいくぐり、接近戦で刀を当てるには難しい相手であった。狼十郎も紗良も直撃を避けながらうまく立ち回る。
「くそ……! 完全に絶影にもついてきやがる……!」
「ふ……ふふ……」
だがこの状況下において、紗良の胸中には嬉しさがこみあげてきていた。
(すばらしい……。間違いなく近衛すら上回る実力と言えるでしょう。妖と化して得た霊力、火術。そして武器。そのどれもが、菊一生来の能力と相性が良いのでしょうね。これまで戦ってきた手合いでは間違いなく三本の指に入るでしょう。……久しぶりに)
「本気が出せそうですね!」
「紗良殿!?」
これまでの回避行動から一転、紗良は菊一へと駆け出す。その相貌は淡く輝いていた。
「金剛力! 破っ!」
槍と刀が打ち合わされる。両者ともに、目にも映さぬ速さで打ち合っており、狼十郎の眼を以てしてもどちらが有利なのか判断がつかなかった。
永遠に続くかと思われる攻防戦の中で、紗良は一瞬先の「もし」の未来を視続け、菊一の隙を狙う。そして勝利を確信し、一度距離をとると鞘に刀を戻した。
「アアアア!!」
追いすがる菊一。紗良の相貌は更に強く輝きだす。深く腰を落とし、十分に菊一を引き付けたところで、その刃を抜く。
「……絶破・水月閃」
確実に当たる事が視えた上で放つ、居合い斬り。その刃は確かに菊一の胴を寸断した。だが技を放った当の紗良は驚愕の表情を浮かべる。
「な……!」
次の瞬間。倍速化された菊一の槍が紗良を襲う。菊一の身体は実体を持たない炎と化しており、斬られたはずの胴は元に戻っていた。咄嗟に神徹刀で槍を受け止めるが、熱気も強く体力の消耗も激しい。
紗良とて第一皇国軍の将。日々の鍛錬は欠かしていないし、その実力は誰もが認めるところである。だがその紗良を以てしても、菊一を正面から斬り伏せるのは困難な事であった。
「紗良殿!」
狼十郎が援護に回る。だがさらに動きが早くなった菊一は、二人の武人相手に余裕の速度を以て立ち回る。それどころか。
「シャアアアアアア!!」
再び高まる霊力。菊一を中心に、巨大な火柱が吹きあがる。狼十郎と紗良はともにその場を離れたが、火柱発生の熱波と衝撃波が襲い掛かる。
「ぐ……!」
これにたまらず身を吹き飛ばされ、地を転がった。
「なんて……化け物だ……! 完全に剛太以上……!」
菊一は炎の霊力といい、どちらかと言えばその能力は術士に近い。剛太は一対一で戦うには強力な妖だった。だが周囲に振りまく災害や手にした武器の厄介さでいえば、確実に菊一に軍配が上がる。
さらにその熱気は紗良の居合を防ぎ、斬れたところで実体はもっていない。武人の速さにも完全についてくる。打つ手の無い相手に思えた。
しかし。そんな中であっても、紗良はどこか楽し気に菊一を見る。
「ふふふふ……。 杭と槍の力でここまで……!」
再び紗良は菊一に向けて走り出す。だが刀で打ち合いながらも、その懐から二枚の符を取り出しす。接近戦を行いながら至近距離で術まで完成させる。
「……我が顕現するは水龍の爪! 裂け! 千切れろ! 龍爪水鋼斬!」
一枚は水の術、もう一枚で対象を切り裂く術を完成させ、掛け合わせる。術によって生まれた大量の水の刃が菊一を襲う。避ける間もなく、全てが命中。菊一は苦悶の声をあげる。
「ウオオオオオ!!」
だがやはり切り裂かれた部分は実体を持っていなかったのか、直ぐに修復された。しかし紗良は今ので十分と笑みを見せる。
「やはり。さきほど我が絶破の刃で斬った時も思いましたが、効いていない訳ではないようですね……!」
「ガアアアアアア!!」
再び打ち合う二人。紗良はこの一瞬で菊一の分析を済ませていた。
(おそらく直接的な攻撃では、負傷を与える事は難しいでしょう。しかし私の絶破や術であれば、致命傷とはいかなくても効果自体はあります。このまま傷を負わせていけば、やがてその不安定な身体に限界がくるはず……!)
そもそも実体がなければ、どうやってそこに存在しているというのか。そこに意思があると言えるのか。初めて見る手合いではあったが、菊一の身体を見た時に紗良にはいくつか疑問が浮かんでいた。
おそらくは菊一自身、かなり無理をして、奇跡の様な天秤の上に存在できている状態。そして肉体を持たない代わりに、霊力によってその存在を維持しているとすれば。同じ霊力によって影響を受けやすい状態にあるのではないか。
そう考えた紗良は神徹刀に常に水気を纏わせ、菊一の身体を斬りながらも時折術も交えていく。武人でありながら術も扱う。紗良が皇国において異質の武人と目されている所以だ。
だが菊一自体、全く油断できる相手ではない。その速度はどこまで早くなるのか限界は掴めず、近くで戦っているだけでも熱気で体力を削られる。
さらに菊一も時折火術を放ってくるのだ。これにも対応を迫られる。自分の攻撃が通じるからといって、決して有利になった訳ではない。しかし紗良は今のこの状況が楽しくて仕方なかった。
「ふふふふふふ! 神徹刀を抜いて! 術まで使い! 全身全霊を以て相対する敵などいつぶりでしょう!」
周囲を破壊しながら高速で打ち合う二人に、もはや狼十郎はまともに立ち入る事ができなかった。
(……俺の神徹刀では援護も難しいな)
これは相性の問題でもある。狼十郎の神徹刀の御力は、霊力の消費を大きく減らす事ができるというもの。長期戦には最も長けた能力だ。
しかし刀身に御力を纏える訳でも、放射する事ができる訳でもない。そして当然ながら符術なんて使えない。
今できる事といえば、紗良の代わりに菊一の槍を捌くくらいだろう。幸い、槍の方は実体があるのだから。
(とはいえ、あの中に俺が入っても紗良殿の足を引っ張るだけか。……俺の神徹刀は並程度の敵が相手なら相性が良いんだが、ああいう極端な手合いとなるとどうも向かないね……)
狼十郎自身、並の武人よりも上位に位置する実力があると自負している。しかし特上には届かない。霊力の総量を含む才能面からそれは自覚があった。
そして特上に届く才がある者は。年齢など関係なくその域に到達するのだと考える。現に目の前では年下の紗良が、徐々に菊一の動きを見切り始めているのが分かる。
(武才……か。俺の様なはりぼてではなく、本物の。紗良殿もどういう遍歴を歩んで、あそこまで偏執的な武を高めたのか)
■
熱い。身体が。心が。頭が。心臓が。腕が。全てが。
菊一は自分が今、どういう状況なのか正しく理解できていなかった。ただ視界が常に赤い。そして目の前に武人がいる。その事は理解していた。
激情に身を任せ、槍を、腕を振るう。一振りで黒い炎はどこまでも舞い上がる。さらに槍の力も使い、どこまでも早く動ける。今はただ、視界に映る全てのものを破壊しつくしたかった。
「ウオオオオオ!!」
本物の妖の様な叫び。それに呼応し、手足の炎も強く燃え上がる。だがどれだけ槍を振ろうが。その身を燃やしてやろうが。目の前の女武人は全くひるまなかった。
それどころか、確実に自分という存在を削ってきているのが分かる。このままでは自分を維持するのは難しいだろう。
(……ふざけるなあぁぁ! 俺は! まだ! 何も! 壊しちゃいねぇぇぇぇぇ!)
さらなる怒りが菊一の霊力を高める。女武人が刀を振った瞬間、膨大な霊力を爆発させる。
「っあ!」
まともに爆発を受けた女武人はたまらず飛んで行った。これを逃す手はない。菊一は自身に流れる時を早め、女武人に追いすがる。
そしてその姿を確認し、槍で叩きつけようと腕を振るった。だがその腕に、槍はない。
「……!?」
気付けば槍も菊一の熱に耐えられず、半ばから溶けていた。同時に菊一に流れる時も通常のものへと戻っていく。
だが槍がなくとも問題ない。腕を振るって炎を巻き起こそうとする。しかし。今度は両腕がなかった。いつの間にか正面には、刀を振り抜いた姿で女武人が立っている。
「一度切断してしまえば、元に戻るまで時間がかかる。そして今の私にはその隙で十分」
女武人の相貌は淡く光っていた。体当たりをしかけようとする菊一に向けて、いつ準備していたのか符術を発動させる。熱さしか感じない身体に一瞬、温度が下がった様な感覚が襲う。そして。
「これで終いです。神徹刀花水仙、御力解放。……絶破・水月閃・乱れ吹雪」
水気を纏った斬撃が、菊の花びらを描く様に幾重にも重なり、菊一を襲う。その斬撃は菊一の温度を確かに下げた。いくらか意識を取り戻した菊一の脳裏には、佐奈の笑顔が想い描かれる。
(佐奈……はは、なんだよ。そこに……いた、のか)
そして。炎の化身は、その姿を消した。
■
「紗良殿!」
菊一を斬った後、紗良はその場に倒れた。霊視を酷使し、神徹刀に符術まで使い続けていたのだ。もはや霊力に余裕はない。狼十郎は倒れたその身を起こすが、その顔を見て言葉に詰まった。
「紗良……殿……」
紗良の顔は右半分が焼けていた。他にも腕や身体にも火傷の痕が見られる。いくらか術や神徹刀の御力で熱を和らげていたのだろうが、それでも限界はあった。
菊一もまごう事なき強敵、その攻撃全てを無傷でやり過ごす事はできない。
「しっかり! ……くそ、手当が先だな!」
狼十郎は紗良を背負うと、未だ解放中だった神徹刀の御力を利用し、全力で屋敷へと戻った。
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