第137話 虚無の聖騎士 混迷の皇都、琴桜京

「理玖殿。お疲れ様です」

「ああ……」


 近くにいた武人が労いの言葉をかけてくる。街に現れた妖は全て片付けた。誰もが規格外な霊力を持っていたが、それだけで勝てるほど俺も武人たちも甘くはない。


 霊力を持たない俺が、多くの妖を斬り伏せる姿を見ていた者は多く、今では武人術士たちも俺に対していくらか敬っている様に見えた。


(そういや紗良は俺が、指月に雇われた万葉の護衛だと知っていたな。案外みんな知っていることなのかもしれん)


 だとすれば、罪人に対して恭しい態度をとっていることにも納得がいく。少なくとも左沢領に来てから今まで、俺を捕えようとしてくる奴はいなかった。実力のいくらかを見せた今なら尚更だろう。


 しばらく街の中心部で皆が戻ってくるのを待っていると、涼香たちの姿も見えた。誠彦に肩を貸しながら歩いている。何があったのかは直接見ていたため、おおよその事情は理解している。


「無事なようで何より」

「理玖も。……て当然よね」


 俺の前で情けない姿は見せたくなかったのか、誠彦は涼香から離れる。ほとんど霊力が残っていないな。直ぐには回復しないだろう。


 誠彦は周辺に散らばる、複数の人型妖の死体を見て目を丸くする。


「これ全部……お前がやったのか?」

「あん? ……全部ではないが」


 ここで俺の言葉を近くにいた武人が引き継ぐ。


「ほぼすべて、理玖殿一人で片付けられたじゃないですか。我々がやった事といえば、理玖殿が弱らせた妖に留めを刺しただけですよ」

「いくらなんでもそれは言い過ぎだ」


 実際、妖は数が多かった。俺も理術を使わない以上、一体ずつ相手していくしかない。そんな中、武人術士たちは周囲に被害が広がらないよう、上手く立ち回っていたと思う。


 それに俺は武人と違って、妖を斬るのにわざわざ金剛力などの霊力は必要としていないからな。どうしても効率が違う。だが武人の言葉をどう捉えたのか、誠彦は軽く鼻を鳴らした。


「ぼ、ぼくだって妖を斬ったんだからな!」

「ああ」


 そこも実際に見ていたから知っている。正直、涼香たちでは人型の妖は荷が重いのではないかと思い、助けに行こうかと考えていたところだった。


 だが誠彦は見事に妖を斬り伏せて見せた。誠彦の武才は涼香に劣る。だが……。


(いや。そもそも武人でない俺が考える事ではないな)


 一通りこちらの被害や街の様子の確認、破術士の残党がいないかの確認を終えれば領都へ戻ろう。そう思った時だった。


「これは……」

「どうしたの、理玖?」

「涼香! 後を頼む!」

「え!?」


 若干の焦りを滲ませた俺の声に、涼香は何かあったのだと悟る。


「万葉からだ! 俺は今から皇都に跳ぶ! 狼十郎たちにも説明しておいてくれ!」

「ちょ、理玖!?」


 何が起こっているのかは分からない。万葉の時が動いた気配はない。だが俺を呼ぶほどの事態が起こったのだろうと想像するのは容易い。俺は契約に従い、万葉の求めに応じた。





 時は少し遡る。皇都、琴桜京。日もそろそろ落ちるかという時だった。頭巾を深く被った男が皇都の大通りを悠々と進む。


 その人物は帝国の元聖騎士、ジルベリオだった。ジルベリオは皇都に住む人々に目を向ける。


(ここが帝都であれば。俺の目には彼らがどう見えていたのだろうか。レイハルト様もおらず。聖騎士の復権も叶わない。今の俺は……抜け殻だ)


 聖騎士の復権を願ったのは、自身の家の事を思えば当然といえた。何より聖騎士の技は、決して魔術師に劣るものだとは考えていない。


 過去はともかく、今は互いに帝国を支える同志でもある。それなのに、極端に魔術師偏重の枠組みができあがっている帝国には不満があった。


 しかしそこに住む人、平民にまで迷惑をかけようと考えた事はない。むしろ魔力を持つ身として、積極的に守ろうと打ち込んできた。それが自分の目指す聖騎士像でもあった。


 だが今のジルベリオに、そこまでの熱意も情熱も何もない。周りがどうなろうと、もはやどうでも良かった。どうしようもない虚無感が、破滅願望へと昇華されていく。

  

 ジルベリオは路地裏に入ると、懐から赤い杭を取り出した。


「これで……。ああ……レイハルト様……。もう……すべて……。どうでも、いい……」


 自分にどういう役割が期待されているのか、よく理解している。自分の様な精神が壊れた者は、五陵坊にとって都合の良い人物だっただろう。


 それでも。もはや誰がどうなろうと、何も思うところはなかった。自分でさえも。


 ジルベリオは無言で赤い杭を、自身の心臓に突き立てる。


「ぐはっ……!?」


 これで失敗して死ぬならそれでいい。だが。もし怪物へと編生を遂げたのなら。


(その時は。こんなになった俺の心にも、また何か感情が生まれるのだろうか……)





 異常はすぐに訪れた。突如として皇都のど真ん中に大型幻獣が現れたのだ。この突然の事態でも指月は決して冷静さを失わず、関係各所に指示を出していく。


 幸い、敵の狙いが皇都である事はあらかじめ予想がついていた。皇都は厳戒態勢に入っていたのだ。数日前に作っていた対応室には、指月を始めとした皇国の中心人物たちが集まり、対策を練っている。


 ここには誰かが常に一日中待機しており、ここを中心に指示や伝令が飛ばせる様になっていた。


「第五から第七軍まで動かせ!」

「民の避難は楓衆を中心に!」

「大型幻獣を今の区画から出すな!」


 あらゆる事態を想定していたが、この事態は予想外だった。それでも皆、動揺少なくよく働いてくれていると指月は思う。


「指月様!」


 駆け足で対応室に入ってきたのは薬袋誓悟だった。


「破術士たちも姿を現しました! 中には人型の妖、それに霊影会の五陵坊、鷹麻呂の姿を見たという報告もあります!」

「なに……!」


 対応室の中心に広げられた皇都の地図。薬袋誓悟はその地図を使って、どこから五陵坊たちが現れたのかを説明する。


「西門から堂々と……!?」

「現在、多くの戦力が大型幻獣を対象に向けられております!」


 対応室に更なる動揺が広がる。だがそれに対して落ち着く様にと指月は声を上げた。


「大型幻獣に差し向けている戦力は皇国軍だ。……善之助殿」

「はい。一派から武人を向かわせましょう」


 善之助は幾人かの武人たちに指示を出す。その中には陸立錬陽の名もあった。話を聞いていた九曜静華も立ち上がる。


「指月様、善之助殿。術士も動員しましょう。五陵坊も姿を現した今、これが陽動の可能性は低いかと思います。戦力を各地にばらけさせているのはあちらも同様ですからね。御所には私を含め、高位術士の他に近衛もいるのです。今動かせる武人術士を用いて、確実に五陵坊を抑えるのが得策かと」


 指月は静華の言う事を考える。確かにここで術士を出しても、御所の守りに大きく穴があくという訳ではない。それにここで戦力を出し惜しみして五陵坊を逃がすのは避けたかった。


「分かった。頼むよ、静華殿」


 静華も善之助に続いて幾人かの術士に指示を出す。そんな中、新たな報告が入ってきた。


「指月様! 第五、第六皇国軍の両将軍ですが、現場には出ていない様です!」

「……では現場には南方虎五郎殿の第七軍のみだと?」

「い、いえ! 全軍ではありませんが、軍は出ています! 現場での指揮を虎五郎殿に一任し、本堂家の両将軍は後方支援の指示を執っておられる様です!」

「なんだと!?」


 声を上げたのは葉桐善之助だった。今は早期に大型幻獣を制するため、大戦力を以て即座の対応が迫られている。


 そもそも現在進行形で皇都のど真ん中に大型幻獣が現れているのだ、後方支援も何もない。


「本堂親子は何のつもりか!」


 軍といっても皇国軍は、他国と争うための軍隊ではない。集団行動に特化し、拠点の防衛や捜査探索、治安維持に犯罪調査、大型幻獣の様な災害を抑え込むための組織だ。


 一軍当たりの総数も何万とかいる訳ではないし、将軍もそれだけの人数を指揮する事はない。


 この緊急時に一時とはいえ、普段以上の人数の指揮を任されて上手く扱える訳がない。そもそも兵士からしてよその軍の者なのだ。急にそんな者たちも統合して一人で指示を出せと言われても、末端まで指揮する事はできないだろうと誰もが考えた。


「平民も多い皇都の中心部において、三人も指揮官がいれば現場は混乱するだろう、との事です」

「屁理屈を!!」


 滅多に見せない善之助の激昂する姿に、指月は珍しいものを見た気になった。だがその怒りの理由はよく理解できる。早急に対処しなければならない出来事を前に、本堂の判断は悪手と思えた。


「指月様。急ぎ私自身が現場へと向かいます」

「待て。皇国において善之助殿は代えの利かない存在だ。私の名で本堂親子に改めて指示を出すとしよう」


 しかし指月の言葉に善之助は首を横に振る。


「この窮地において判断を誤った本堂を、私は信じる事ができませぬ。それに葉桐の者が現場に出ねば、大型幻獣を前に兵士たちもまとまりを欠くでしょう。私は軍での指揮経験もあります。ご安心を」


 そう言って善之助は神徹刀を腰に挿す。指月は今、優先すべきなのは何かを改めて整理した。


「分かった。ではこれより善之助殿を臨時の皇国軍総大将に任命する。ただし善之助殿には、まだまだこれからの皇国でやってもらわなければならない事が多い。決して軽はずみな事はしないでおくれよ」

「ははっ!」


 こうしている今も、大型幻獣に破術士たちは皇都を荒らしている。判断を間違える訳にはいかない。


 指月は対応室に入ってくる情報を慎重に精査し、指揮を執り続ける。

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