第134話 領都に迫る者 黒霧紗良という武人
左沢領の領都を前に、菊一たちは息を殺して潜んでいた。
「おう菊一。本当にやるんだな?」
「ああ」
菊一はここにきて戦略を変えた。五陵坊との約束の期限は守ったのだ。後は皇都での作戦次第。ここまでくれば左沢領がどうなろうと、もはや関係ない。
それに思っていたより「成った」妖が多い事も関係していた。領都に残された大部分の戦力は、あ東の街へと向かっただろう。領都を荒らすには今が絶好の機会だ。
「これで……俺のここでの役目は終わりだ。後は五陵坊と鷹麻呂の成功を願うのみ」
五十鈴は生天目領、栄六は羽場真領でそれぞれ自分たちの役割をこなしている。ここ左沢領で自分と佐奈が役目を果たせば、あとは五陵坊たち次第。
だが作戦が成功した時の事も考え、今の内に力ある武人術士の数を減らしておきたいという事情もある。
「ここまで長かった……。だが、今。奴らに五陵坊にした事の報復ができる」
菊一たちがその感情を向けるのは個人ではなく、もはや皇国という一つの国家、その枠組みである。そして国家に向けられる怨念は、そこに仕える多くの武人術士、国家の根源たる皇族に向けられる。
ここにいるのは菊一たちと志同じくする同志たち。皆、程度の差はあれ少なからず皇国に恨みを持つ者たちである。
「菊一。引き際を間違えないでよね」
「分かってる。これから新しい明日が始まるんだ。ここで落とす命なんて持ってねぇよ」
菊一、佐奈。そして多数の「成った」妖たち。彼らは真っすぐに領都へと足を進める。
■
「やっぱり来やがったか……!」
領都内に複数の妖と破術士が流れ込んできた。東に現れた破術士集団は囮。この襲撃が本命だろう。しかも。
「紗良殿。妖は全員、人型に成った奴らとの事だ。俺も羽場真領で相対したが、全力を出す必要がある手合いだ」
「確か剛太殿が成ったとおっしゃられていましたね。その身に宿った霊力に、神徹刀の御力。すさまじかったとか」
紗良は何かを考える素振りを見せる。この間に狼十郎は領民の避難指示や、妖の迎撃指示を出していた。
「妖は無理に相手取るな! 俺が出る!」
さすがに今いる戦力で、成った妖の相手は難しいだろう。しかし元が破術士であれば、剛太ほどの脅威は無いはず。そう考え、狼十郎自身前線で対応しようと動く。これに続いたのは他ならぬ黒霧紗良だった。
「狼十郎殿。私も参りましょう」
「え……。しかし……」
「どの道これを防げねば、領都が荒らされる事には変わりないのです。それに件の妖。いかほどの者か、武人として気になりますしね」
狼十郎は瞬時に現状を整理する。黒霧紗良は今の左沢領で最大戦力。その武は第一軍の将を務めるだけあり、自分を超えるだろう。敵の狙いがはっきりしていない今、その戦力は温存しておきたい考えもある。しかし。
(ここにきて敵側も、人型に成った妖を惜しみなく使って領都に攻め込んできた。……陽動の可能性も捨てきれないが、こんな戦力を陽動にしてまで何か狙えるものがここにあるとも考えづらい。確かにさっさとこれを片付けて、左沢領の混乱を拭うのが先決か)
そう考え、二人はいくらかの手勢と共に領都へと向かった。領都では妖が好き勝手に暴れ、家屋を含めて大きく荒らされている。
「思っていたより多いな……! だが間違いなく、敵からしても今日まで温存していた戦力のはず!」
狼十郎の視界には七人の妖が映っていた。全員が人型で、胸には黒い杭が刺さっている。相手も狼十郎たちに気付いた。
「武人が出てきたかぁ!」
「はっはは! 調子に乗った貴族様に俺らの力、思い知らせてやるよぉ!」
先日見た妖よりも、明らかに強烈な霊力の気配。しかし神徹刀を抜いた剛太ほどではない。
狼十郎は冷静に、しかし決して油断せず対処しようと刀を抜く。だがその狼十郎より一歩前へと、紗良は足を進めた。
「紗良殿!?」
「……ふふ。あれが人型の妖ですか。狼十郎殿、お下がりを。まずは一つ、私が試させてもらいましょう」
そう言うと紗良は刀に手をかける。腰を落とし、しっかりと柄を握り込んだところで。その相貌が大きく見開かれた。
「神徹刀、花水仙。御力解放。……絶破・水瞬気閃」
神速の居合いが放たれる。紗良が刀を鞘に戻した時。目の前に迫る二人の妖の首が飛んだ。
「な……!」
狼十郎は一瞬ではあったが、確かに見た。紗良の抜き放った太刀が伸びたのを。
(神徹刀の御力は絶破! 刀身に
絶破は刀身に御力を纏わせる能力。黒霧紗良は刀身に水気を纏わせ、それを伸縮自在に操る。
今回は霊視を使わなかったが、この神徹刀の御力を活用した居合に霊視を組み合わせた技こそ、黒霧紗良の秘技である。
一度その秘技が放たれれば、回避も防御も難しい。失敗すればなすすべなく斬られるのみである。
「ふふ。通じて良かったです。もしこれで斬れなければ、直接刃をあてに行く必要がありますからね」
しかも神徹刀の御力を解放したのは、刃を抜き放った一瞬。つまりそれほど霊力を消耗していない。
狼十郎は改めて、これが第一軍の将かと感銘を受けた。同時に黒霧紗良という武人の異才も再認識する。
おそらく他の武人と違い、居合いの修練に長く時間を費やしてきたはずだ。さらにそこに神徹刀の御力も組み合わせた。そこには相当な努力があったに違いない。
術にも精通している事といい、一体どんな環境に身を置けば、この様な武人が完成するのか。狼十郎は全く想像がつかなかった。
その秘技にいきつくまでの日々を思い、疑いなく皇国最強の武人であると納得する。
「なるほど。こりゃ強ぇわ」
「ありがとうございます。ですが、私の居合いも全員に通じる訳ではありませんよ」
「初見で見切るのは不可能かと思うがね……」
「……案外、近くにそういう人物もいるものですよ」
どれほど妖が強力な霊力を誇っていようが、届かなければ意味がない。そしてこの場にいる妖に、紗良までその暴力を届かせられる者はいなかった。
全員、なすすべなく間合いの外から斬られていく。しかし妖は目の前の七人だけではなかったらしく、ここでの騒ぎを聞きつけてさらにその数を増やした。
「狼十郎殿。ここは私一人で十分。他にも妖が暴れている箇所もあるようです。武人術士を率いて、そちらの対処に向かっていただけますか?」
「……了解」
そう言うと狼十郎は、この場を紗良に任せて立ち去った。すでにその実力を見た後だ、狼十郎から言う事は何も無い。残った紗良は改めて目の前の妖に視線を向けた。
「眼を使うまでもありませんね。通常の妖とは違うと聞いていたので、期待していたのですが。……ふ、ふふ。駄目ね。駄目駄目。あなたたちでは……私のこの渇きを満たす事ができない」
人目がなくなった事で、紗良の地が少し顔を覗かせる。自らが認める強者を斬り伏せてこそ、紗良は自分の強さを再認識できる。普通の方法で身に付けた強さで、普通に斬っても意味がないのだ。
異端な方向、異様な努力、異質な修練。そうした並の武人とは違う角度から身に付けた力で、真っすぐ鍛錬を積んで来た武人を打ち負かし、絶望した表情を見るのが。それまでの相手の努力をあざ笑うのが。そうして真っ当な武人を見下すのが。黒霧紗良はたまらなく好きだった。
「ふ……ふふ……ふふふふ。杭という異質さを用いても、その程度……。神徹刀を持って妖化したという剛太殿と戦ってみたかったけれど……。仕方ないわね」
「この……武人がぁ!」
迫る妖。それに対して紗良の動作は一瞬。いつの間にか抜かれた刀が鞘に戻る頃には、妖の首が飛んでいた。しかし。
「ほぅ……」
一人だけ、生き残った妖がいた。その妖は首に少し切れた痕が残っているが、徐々にその傷も塞がり始める。
「ふうぅ……! 遠距離から放つ居合いの太刀か……! 危なかったぜ……!」
妖は霊力を瞬間的に強硬身の様に使った。武人のそれと比べると拙いものではあったが、そこは莫大な霊力で補う。そうして身に付けた防御力で、紗良の一太刀を耐えきった。
「てめぇの切り札は俺には通じねぇ! 覚悟しやがれ!」
そう言い、駆けだそうとした時。すでに眼前に紗良の姿があった。
「え……!?」
「……絶破・水月閃」
鞘から抜かれた太刀が、妖を胴から寸断する。その刀身には産毛よりも薄く洗練され、常に流動している水の刃が纏われていた。
伸ばせはしないものの、切れ味だけなら皇国に存在するどの刀よりも鋭い。
既に周囲に妖の姿はない。だが紗良は物陰に向かって声を投げる。
「霊力の気配は消せていませんよ。出ていらっしゃい」
問われた方は隠れても無駄だと踏んだのか、物陰から姿を現す。その人物は妖ではなく、普通の女性であった。
「そ、その。私、元々ここの領民で……」
「嘘おっしゃい。その顔、霊影会の幹部、必中の佐奈でしょう。あなたが今回、この勢力を率いていた長ですか」
「……なーんだ。私のこと、知ってたんだ」
その人物は紗良の言う通り、必中の佐奈。烈火の菊一と共に妖を率いて、領都を荒らしにきたのだ。
だが佐奈も目の前の人物が並の武人ではないと感じ、内心焦っていた。
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