第133話 左沢領の変事 とある武人の意地
黒霧紗良は理玖がいなくなったところで、改めてその印象について考えていた。
(ふふふ……ふふふふふふふふ。なかなか良いですね、陸立理玖。いけすかない朱繕よりも全然いいと言えるでしょう。あの生意気な態度、正面から私に挑む眼力。武人では久しく見なかった手合いです。ああ……正面から斬り合ってみたいものです。そして私の身に付けた剣技こそが最強なのだと、強く感じたい)
理玖の考察通り、黒霧紗良という女は強者と戦い、これを斬り伏せる事で自分が強いと満足感を感じられる類の武人だ。そして模範的な武人である天倉朱繕とは、極端に折り合いが悪い。
(朱繕も神徹刀の御力は絶刀だし、身体能力だけでいえば私よりも強いのですが。それでも私の居合には届かない。いえ、誰であれ本気を出した私の居合には誰も敵わない。なのに……)
紗良の相貌が淡く輝く。紗良も雫と同じく、霊視の眼を持っていた。その能力は、万葉とはまた違う種類の未来視である。
自分がこの行動を取った時、相手はどう動くか。そういう一瞬先の「もし」の未来をその目に映す。
この能力と自身の神徹刀の御力、そして磨き抜いた抜刀術。これらが黒霧紗良を最強と言わしめる、武の源泉だった。
紗良は理玖と目を合わせた時、この霊視を行った。「もし」の未来の中で紗良は神徹刀の御力を即座に解放、遠距離から居合の太刀を理玖に放った。
結論から言えば、理玖の未来は見えなかった。こんな事は初めてだ。だが自分に対する未来は見えた。何故か自分の胸には、理玖の刀が刺さっていたのだ。
あの状況からどうしてそうなったのかの過程が見えない。だがやり合えば自分が負ける可能性もある。現在の皇国に、自分に比肩する強者がいる。その事実を前に、紗良は喜びを隠すのに必死だった。
(どうやったのか分かりませんでしたが、初見で私の居合を躱す者なんて随分久しぶりです。ああ……いけない。いけないわ。彼を見るたび、この目が発動してしまいそうです……!)
常に同門の強者と戦いたい紗良ではあるが、決してそんな事はしない。さすがにそれは、武人として問題ある行動だと自覚がある。
それに霊視で「もし」の未来を覗き、そこでの勝敗を確認するだけでだいたい満足できていた。
この紗良の悪癖とも呼べる性格を知っている者は、紗良を指して「夢斬りの紗良」と呼ぶ者もいる。
しかし霊視を向けられた者の中には「もし」の未来の中で自分が斬られている事を自覚する者もおり、その事に強い不快感を示す者も多い。天倉朱繕などがその筆頭だ。
一方で霊視の眼も、発動には多大な霊力を消耗する。理玖を見るたびに発動させていては、いくら霊力があってももたない。さすがに今は何を優先すべきなのかくらい、将として理解している。
「……さん。黒霧さん」
物思いに耽っていたが、自分を呼ぶ声に意識を戻す。呼んでいたのは狼十郎だった。
「何かしら?」
「今ある戦力の確認と領内の巡回経路など、いくつか確認したい事があるんだが……」
「あら。聞いていた噂と違って随分真面目なのですね?」
「……柄じゃないって思ってるよ。他に任せられる奴がいるなら喜んで任せるんだが……」
「今は人材に余裕がありません。頼りにしていますよ」
■
事態は左沢領に来て直ぐに起こった。東の街に妖が多く姿を現したと報告が入ってきたのだ。
その数は十を超えており、これまでの襲撃の中で最も大規模なものだった。狼十郎は俺に対処してくれないかと頼む。
「妖の正確な数は分かっていないし、破術士も暴れていると聞く。悪いがこれを収めてきてくれないか。もちろん武人術士は多く出す」
「それは構わんが。今回の襲撃は……」
「陽動の可能性もある、な。だからこそ将軍様にはあえて領都に残ってもらう」
そう言うと狼十郎は黒霧紗良に視線を向けた。紗良も静かに頷く。
これまで散発的な活動をしてきた敵勢力が、ここにきてある程度のまとまりをもって、その姿を現した。普段巡回させている武人術士の組規模では対処できない。
これを確実に制するには、紗良の様な実力者が必要になる。そうして紗良が領都を出た時を狙っている者もいるかもしれない。
「幸い、こちらには狼十郎殿と理玖殿がいます。まずは理玖殿に向かってもらい、確実にこれを抑えます。次に陽動らしき動きがあった場合は、狼十郎殿に出てもらう事になるでしょう」
「理想はこれが単に敵側の考え無しの行動で、なおかつすべての敵勢力を殲滅できれば良いんだが」
「考えていても分からないところだな。今は既に起こっている事に対処する方が先だろう。早速向かう」
そう言うと俺は、幾人かの武人術士たちと共に現地へと向かう。中には涼香や雫、誠彦の姿もあった。
■
妖に破術士たちは、犠牲を出しながらも街に駐屯していた武人たちを倒した。今は街で好き勝手に暴れている。すでに領民たちは逃げ出していたが、中には逃げ遅れた者もいた。
「はははは! こうして好き勝手に暴れられるなんて最高だな!」
もはや事態は収拾がつかなくなっていた。しかしそこに、新たに武人たちが到着する。武人たちは各々対処に向かった。中には誠彦の姿もある。
「破術士如きがぁっ!」
絶影。一気に距離を詰め、次々と斬り伏せていく。相手が武人でなければ、必勝の戦法だ。そのはずだった。
(……くそ!)
誠彦の脳裏に浮かぶのは、群島地帯での敗北。相手は昔、格下と侮っていた理玖だった。
理玖は今や、葉桐善之助を含めて、その実力に信を置かれている。日に日に高まっていく理玖の評価に、誠彦は苛つくのみだった。その苛つきをぶつける様に、一人また一人と破術士を斬っていく。
(……そうだ! 僕は強い! こんな武人術士のなりそこないの様な奴らなんて、相手になるはずがないんだ!)
「死ねぇっ!」
夢中になって斬っていたからか、誠彦はその存在の異常さに気付くのに遅れた。人の姿をしながら、尋常ならざる霊力を放つその存在を。その存在は、誠彦の太刀を正面から素手で受け止めた。
「な、にっ!?」
咄嗟に刀を引こうとする。だがその者は、そのまま刀を強く握ると捻る様に腕を回し、勢いのまま折ってしまった。
「そんな!?」
異常事態に誠彦はようやくその者を正面から見る。見た目は普通の人間。だがその胸部には黒い杭が刺さっており、全身を乳白色に輝かせていた。
「あ……」
この時になって、誠彦はようやくそれが妖だと気付く。
「へへ……。武人が調子にのりやがってよおぉぉ!」
無造作に振るわれた腕に反応が遅れるが、強硬身の霊力でその一撃を受ける。大きな負傷は防いだが、その身は吹き飛ばされてしまった。地に身体が付き、そのままゴロゴロと転がる。
「ぐぅっ!」
周囲を見渡し、先ほど自分が斬り伏せた破術士の死体から刀を拾った。普段使っている物よりも明らかに粗悪品だと分かるが、文句を言っていられる状況ではない。
「お、おま!? あ、妖っ!?」
「おっと。その辺の妖と一緒にしてくれるなよ。俺は「成った」方だ。くくく……いーひっひっひっひ! 最高だぜぇ! この圧倒的な霊力ぅ! てめぇら武人なんてカスに見えるぜぇ!」
目の前の妖が、絶影もかくやの速度で迫る。誠彦は何とか応対するが、刀でいくら腕を斬ろうともまったく傷を付ける事ができない。防御を気にしなくていい妖は、無造作に腕を振るい続ける。
「ひゃーはっは! おら、死ねやぁ!」
「う、うわあああぁぁぁ!?」
誠彦の顔面に妖の拳が迫る。受ければ頭蓋は砕かれるだろう。しかしその拳が誠彦に届く事は無かった。目の前に現れた結界が、寸でのところで拳を食い止める。
「ああん!?」
「二進金剛力! 破っ!」
横から姿を現した涼香が、妖に向かって刀を振るう。妖はとっさに距離をとるが、その腕は僅かながら切り裂かれていた。
「誠彦さん! 大丈夫!?」
続いて姿を現したのは雫だった。雫はとっさに結界を張り、誠彦を致命の一撃から守ったのだ。涼香は誠彦の隣で刀を構える。
「誠彦! 協力して討つわよ!」
「おいおいおいおい、雑魚武人がまた来やがったのかよ! 俺のこの力が分からねぇのか!? てめぇらがどれだけ集まろうが、勝てる訳ねぇだろぉがぁ!」
ふん、と涼香は薄く笑う。
「だからなに? あなたがどれだけ巨大な霊力を誇ろうが、それは私が退く理由にはならないわ! そして! 霊力の有無や大きさが、強さの絶対的な尺度じゃない!」
誠彦は涼香の言葉に、こいつは何を言っているんだと思った。霊力の有無は選ばれし者とそうでない者の絶対的な差であり、そして持たざる者は何をしたところで霊力を持つ者には敵わない。そこまで考えて、再び理玖の姿が脳裏に映った。
(……!)
この胸に宿る気持ちはなんだと誠彦は考える。間違いなく苛立っている。理玖にも、涼香にも。
そして今も圧倒的な霊力をみなぎらせている目の前の妖。自分たちが協力したところで、こいつには勝てないだろう。誠彦は何か理由を付けてこの場から去ろうと考える。そこまで考えたところで。
「やるわよ、誠彦! 雫!」
涼香は前へと駆けだした。雫も援護の術を準備し始める。
(じ、冗談じゃない! これ以上付き合っていられるか!)
何故勝てない相手に挑むのか。その疑問を抱くと同時に、自分が苛立っていた理由に気付き始める。
(涼香は……勝てると思っているんだ)
気持ちが負けていない。自分が負けると考えていない。
それに対して自分がどうだ。あの圧倒的な霊力を見せつけられた時、すでに勝てない相手だと諦めていた。
不意に幼い頃、理玖相手に稽古と称して痛めつけていた過去が思い出される。
(あ……ああ……)
思えば自分は成人してから今まで、勝てる相手としか戦ってこなかった。父や兄など、負けて当然の相手にはどれだけ試合で負けても何も思わない。だが偕など世代の近い者に負けるのは我慢できなかった。
そして試合に負けた鬱憤を、様々な方法で晴らしてきた。群島地帯で圧倒的な武を振るえた時は気持ちが良かった。自分に勝てる者など誰もいない世界だったからだ。
常に勝てる相手だけを選んできた。そうして勝利を積み重ね、自分は強い、選ばれし武人であると満足してきた。
対して、涼香はどうだろうか。涼香の様に、格上と分かった上で相対する覚悟が、気概が。自分にはないのではないか。
だがそれを認められるほどの強さを、誠彦は持ち合わせていなかった。戦う前に気持ちで既に負けていたなんて恰好悪いこと、認められる訳がない。故に。
「おおおおおおお!!」
「誠彦!?」
目の前の妖に向かって駆ける。刀を振る。とにかく振る。
(認めない! 認めない! 僕が、戦う前に負けを認めていたなんて事、あるはずがないんだ!)
この場からどう立ち去ろうか考えていた事を無かった事にし、今は何も考えずに刀を振るう。自分は決して負けていない。涼香に対して、気持ちも気概も劣っていない。その事を証明するように。
しかしこれまで覚悟を決めた戦いをした事がない者が、急に強くなれる訳もなく。
「ああああ、うっぜえぇぇぇ!」
再び妖が誠彦に殴りかかる。そもそも妖からすれば、誠彦の太刀などいくら受けても傷つかないのだ。防御を捨て、誠彦に拳を繰り出す。
「うぐっ!?」
全身を強硬身で守るが、その拳は深く腹に突き刺さる。霊力がなければ貫かれていただろう。自分の死を間近に感じ、恐怖心が芽生える。
「破っ!」
誠彦を殴り、生まれた隙を涼香が金剛力の一撃で斬る。妖の右腕は半ばから斬り飛ばされた。
「あああああん!?」
妖も崩れた体勢から、強引に涼香に迫る。しかしその行く手を阻んだのは雫の結界だった。
「今! せいっ!」
さらに一太刀浴びせる涼香。その姿を見て、誠彦はこれまで感じた事のない感情に支配される。
葉桐の者だからあれくらいできて当然だ。……果たしてそうか?
葉桐の者だから自分にはできない事ができる。……果たしてそうか?
自分が弱いのではない、涼香が特別なだけだ。……果たしてそうか?
自分は並の武人だから、この妖に敵わなくても当然。果たして……。
「うあああああああ!!」
自問自答を繰り返し、誠彦は自分の心からの渇望を理解する。自分は特別な武人の中でもさらに特別な存在になりたかったのだ。近衛でも将軍でも、何でもいい。誰もが認める様な、その他大勢に一括りにされない様な存在に。
だが今の自分はどうだ。涼香は葉桐の生まれだから特別なのか? この妖を前にすれば、自分以外の武人も敵わないと判断するだろう。
だが涼香は。偕なら。兄なら。そして理玖なら。果たして同じ様に、敵わないと判断するだろうか? そこがその他大勢との差ではないのか?
そう思い至り、自分に対する強い怒りが更なる霊力を呼び覚ます。
「うるっせぇ!」
誠彦の太刀は自分を傷つけられない。その事を理解している妖は、また無造作に誠彦の太刀を腕で払おうとする。しかし。
「え」
誠彦の持っている刀は決して良い物ではない。長く手入れも行われていなかったのか、見た目から切れ味も悪いと分かるもの。粗悪品の類だ。
そんな刀による一撃を受けた妖は。腕もろとも身体を縦に両断されていた。
誠彦の霊力に耐えられなかったのか、刀は半ばから折れている。しかし今の一撃は、まごう事なき金剛力の一撃。涼香は大きく目を見開く。
「うそ……。こんな一瞬で、三進金剛力の一撃が放てるなんて……」
誠彦に覚悟はない。勝てる相手だけを選り好んできた事もあり、その実力は並の武人の域を出ない。ごく一般的な武人。その才に目を見張るべき点もない。
しかし。その驕りと誇りの強さが。自分の思い描く特別な武人に少しだけ近づけた。霊力を瞬間的に出し切った誠彦は、その場に倒れた。
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