第86話 父と子 3

 誠臣との会話を終え、俺は今度こそ帰ろうと廊下を出る。長い廊下を歩いていると、正面からこちらに向かって歩いてくる男がいた。父の錬陽だ。何だか目が腫れている様にも見えるな。


「これはこれは親父殿。宴会に呼ばれておられたので?」

「さっきからおったわ。気づいておっただろう。厠へ寄っていただけだ」


 確かに宴会場に居た事には気づいていた。厠に行っていたのは気づかなかったが。


「……帰るのか?」

「ああ。用は済んだからな。というか何で俺が呼ばれたんだ……」


 場違いにも程がある。錚々たるメンツがいる中で、いい見せ物だ。そこまで考えて、ある事に気付く。もしやこれが指月の狙いだったのか……? 


 まぁいい。俺がやる事は変わらない。そう思い、さっさと親父の横を通り過ぎようとしたところで、親父は俺に話しかけてきた。


「丁度良い。少し話さんか」

「えぇ……」


 心底面倒くさいという感情を隠さずに漏らす。そんな俺の態度をどう考えたのか、親父は少し笑うと庭先に歩み出た。


 ここで親父を無視して、御所から出る事は難しい事ではないだろう。親父もわざわざ後を追ってこないはずだ。だが涼香に妙な事を言われた俺は、それを否定する様に親父の後に続く。


(俺が……自分の心から目を背けているだと? そんなはずは……ない)


 このまま御所を出ると、涼香に言われた事を認めた事になりそうで嫌だった。結果的にこうして親父を含めた、葉桐一派の武人と普段より接触する事になっているだから、これが涼香の策略だったとすれば相当な策士だと認めざるをえない。


 いや、あいつに限ってそれはないだろうが。ある程度廊下から離れたところで、親父は振り返らずに口を開いた。


「あの時。お前を陸立家から出すと決めた事。俺は後悔していない」

「いきなり何の話だ?」


 そんな事は分かっている。親父は自分の行動に、後悔や反省をするような奴じゃない。間違えたとしても、それらを飲み込んだ上で前に進む奴だ。


 俺に陸立家に戻ってこいと言った時も、決して自分の過去の行動を反省したのが理由ではない。純粋に俺の実力を評価しての事だ。


「霊力の目覚めなかったお前を、あのまま葉桐一派に置く事はできなかった」

「ああ。武家の生まれでありながら、霊力を持たない奴に価値はないからな」

「違う」

「……あん?」

「あのまま葉桐一派に身を置けば。お前がより苦しむ事になるのは目に見えていた」


 親父の言葉の意味を考えてみる。あの時の時点でかなり苦しんではいたが。確かにあのまま葉桐一派に身を置いていても、無駄飯食らいとして居心地は相当悪いものになっていただろう。


「まぁそうだろうな……」

「それは俺の実体験から出した判断でもあった」

「え……」


 親父の……実体験? 俺が苦しむ事になるという予測が? 何を言っているんだ? まるで自分も苦しい思いをしてきたかの様に言うじゃないか。


「訳が分からない事を言うな。あんたはじいさんに続いて、陸立家を盛り上げた立役者だろう。何せ皇国軍の武術指南役を務めたほどだ。それに陸立家には今や、じいさんと同じく十代で近衛入りを果たした偕もいる。あんたはその偕の父でもあるんだ」


 陸立家の歴史において、一際異彩を放っているのはじいさんの陸立時宗だ。じいさんは多すぎる伝説を残している。


 厠で小便している時に霊力に目覚め、あらゆる能力に秀でるばかりか、史上最年少で近衛入りも果たした。初めて神徹刀を賜ったその日、嬉しさの余り振り回している最中に御力を開放し、御所の一角を崩壊させた。


 他にも近衛を五回も首になっていたり、気に食わない皇族に対して正面から意見したり、近衛を首になっている期間に単身帝国へ密航した事もある。


 帝国で騒動を起こして捕まり、強制送還されたが、その時帝国で見聞きした事を書いた著書「西大陸見聞録」は大いに世間を賑わせたと聞く。


 これがきっかけになり、武人ではなく文豪として生きていた時期もある。その時は避暑地の旅館に泊まり込み、本を執筆していたそうだ。


 他にも近衛頭の推薦を蹴ったとか、酒を飲めば飲む程強くなる「酔刀乱麻」なる剣技を身に付けていたとか、嘘か誠か怪しいものも多い。


 とにかくじいさんは武人として破格の実力を持っており、当時の葉桐家当主もじいさんには強く出る事ができなかったという話だ。


 そんなじいさんの子供が親父の錬陽な訳だが、今も親父は葉桐一派で上位に入る実力者に数えられている。俺自身、術無しでは警戒する相手だ。

  

 何より武人としてはじいさんに劣らない、数多くの実績もある。陸立家はじいさんが台頭させ、親父が地盤を固めた家と言っても過言ではないだろう。そんな親父が何を言っているのかと、俺には理解できなかった。


「俺が霊力に目覚めたのはな。十五になる半年前の事だった」

「え……」

「知っての通り、十五を超えて霊力に目覚める者はいない。当時の俺は葉桐一派の中にあって孤立していたよ」


 今の話は初めて聞いた。俺が十五の誕生日を迎える前日、親父と道場で打ち合っていたのを思い出す。あの時、親父はどんな気持ちで臨んでいたんだろうか。


「じいさんは知っての通りの傑物だからな。そんな人の子だ、周囲の期待は大きかった。だが俺にはじいさんみたいな破格の才はないし、あんな行動力もない。偉大過ぎる父を持ったせいで苦労も多かった……」


 親父の言葉には、その時の苦労を実感させるだけの感情がこもっていた。親父に言われて想像してみる。確かにあのじいさんの子ともなれば、周囲は強い期待感を持っていただろう。だが実際蓋を開けてみれば、まったく霊力に覚醒しない。


 十五が近づいて霊力に目覚めない者の辛さは、誰よりも理解できる。同世代には置いていかれ、下の世代からは追い抜かれていく。そうして「あいつは武人の恥さらしだ」という空気が醸成されていく。


 それがじいさんの子ともなれば、その時の辛さは俺以上だったかもしれない。そう思った時、俺は初めて親父に親近感を覚えた。


「お前が十五に近づくにつれ、どの様な心境で日々を迎えているのか考えない日は無かった。俺も霊力の覚醒が遅かったからな。お前の覚醒が遅いのも俺のせいでは、と考える日もあった」

「……初めて聞いたな、そんな話」

「言った事はなかったからな。俺も親だ、子の前で無様な話はしたくない」


 今まで知らなかった、親父の一面が明らかになっていく。考えてみれば、俺があのじいさんの子として武家で過ごすと思うと、とてもじゃないが耐えられそうにない。親父も親父なりに苦労があったのだろう。


「……で、その無様を話す気になったのはどういう心境の変化だ?」

「親というのは妙なものだと、最近になって思う事が多い」

「……なに?」

「俺は陸立家にあって、やはり凡百の武人だったのだろう。じいさんや偕、お前を見ているとそう思う日が多くてな」

「はは、なんだそりゃ。歳かよ」

「あるいはそうかも知れぬ。だがそれで自分が惨めだと思う事はない。嬉しいのだ。自分よりも優秀な子というものが」

「…………」


 俺は子を持つ親ではないし、親父の言う事はいまいち理解できない。だが本心から話している事はよく理解できた。


「お前がじいさんの神徹刀を盗んでいったと知った時。俺はお前の中にじいさんの面影を感じた」

「……なんだそりゃ」

「皇族より下賜されし神徹刀を盗むという発想、それを行動に移し、国外へ出るという行動力。じいさん以外にそんな事をやりそうな者、少なくとも俺には思いつかん」

「あー……」


 確かに、あのじいさんならしそうな事ではある。


「そして再びこの地に戻ったお前は、どういう訳か霊力を持たないまま大きな力を見せつけた。さらには今、帝国の王女の信頼も獲得し、共に帝国へ行こうとしている。じいさん以外にこんな奴がいるのかと思っている者は多いだろう。目上の者に対して遠慮のないその態度といい、本当にお前はじいさんそっくりだ」

「さすがにそこまで破天荒に過ごしているつもりはないが……」


 いや、見方によっては十分じいさん並に破天荒に見えているか。そもそも皇都を出て最初に向かったのが群島地帯だからな。


「不思議なものだ。あの真面目で近衛になる夢を追っていた理玖が、戻ってきたら真面目さの片鱗も見せず、遠慮もなにもない奴になっていたのに。悪い気がしていない自分がいる」


 親父は相変わらずこちらを見ず、ずっと俺に背を向けながら話している。その声色を聞いた時、俺は親父の目が腫れていた事を思い出した。きっと宴会で俺が指月と話している時、今と同じ心境になってその場を後にしていたのだろう。


「俺はじいさんや、お前たち程の才に恵まれた訳ではない、が。お前の成長が嬉しいという気持ちは本当だ」

「……そうかい。あんたを喜ばせるつもりで皇国に来たという訳じゃないが。どう思うかは親父の自由さ」

「己が成すと決めた事のために、帝国へ向かうのだったな」

「ああ」


 その辺りの事情を知っている奴は限られているんだが。指月か、涼香か雫か。それとも母上経由で、万葉に話した事でも聞いたか。


「お前の道行きが……いや、よそう。今生の別れでもあるまい」

「ま、そうだな」

「だがいつか。じいさんの神徹刀を家に返しに来い」

「……無理やり奪わないのか?」

「皇国の誰が、今のお前から無理やり奪えるというのだ。善之助殿や指月様の命にも従うお前ではないだろう」

「そりゃそうだ。何せ無国籍だからな」


 強いていえば群島地帯の籍になるのか。今でもシュド一家に名を連ねているはずだし。


「ま、珍しい話が聞けて良かったよ」


 これまでとは親父に対する見方が大きく変わった。これは間違いない。だがやはり決定的に違う点もある。


 それは親父は霊力に目覚め、皇国の武人として名を上げたが、俺には結局霊力に目覚める事が無かったという点だ。


 だが親父の考えや、思いのいくらかは理解できた。相変わらずこちらを見ないまま、親父は言葉を続ける。


「帝国から戻ったら。じいさんの様に向こうの話を聞かせてくれ。酒でも飲みながらな」

「……そう、だな。というか、一ヶ月後には一度戻るんだが」

「…………なに……」

「というかこのやり取り。さっきもしたな……」


 これ以上は親父にも恥をかかせるか。さすがに今の自分の顔を子に見られたくはないだろう。


 俺はこちらを見ない親父の背に向かって軽く笑うと、その場を後にした。

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