第9話 試練の幕開け 開始された生存競争
「……惚けている場合じゃない。ここからどうするのか考えるんだ!」
改めて全身の状況を確認する。さきほどの鳥との戦いで満身創痍……とまではいかないが、元々の怠さもあり万全ではない。
傷は熱を持ち始め、どこかで休める必要がある。島は無人のどことも知れぬ人外魔境。おそらく安心して過ごせる場所は存在しない。どこへ行っても危険は変わらない。であるならば。
「まずは食料、それに水……だ。やはり基本方針は変わらない」
ここがいかに人の世から離れた場所であろうとも、俺は死ぬ訳にはいかない。生きてやらなければならない事がある。パスカエルへの復讐。シュドへの恩返し。そして。
「甲板で戦ったあの破術士……」
あいつは俺の事を罪人と呼び、神徹刀を欲していた。国外に出ていたから、見つけるのも手間取ったとも話していた。その事から推察できる事は。
「皇国の誰かが差し向けた刺客……!」
神徹刀を盗み出すという行為は、罪人認定に十分な理由だ。見た目や言葉から、奴も皇国の人間なのだろう。そして皇国の誰かから俺の殺しを請け負った。そこまで理解し、俺の全身は怒りで震えていた。
「どこのクソ野郎だ、俺を狙ったのは……! パスカエルの野郎も! 俺に刺客を向けた野郎も! 全員許さねぇ、絶対に殺す! 絶対だ!」
家に居た頃は周囲に対して強い劣等感を感じていた。皆の前で年下に嬲られるのも屈辱の極みだった。しかし実力がものを言う武家の世界において、俺は最底辺の弱者。心の内にどれほどの怒りを抱えていても、何かできる訳ではない。
だが群島地帯でシュド一家に拾われた時。俺はこの居心地が良い場所を守るため、もう逃げないと決めた。そんな俺の居場所をめちゃくちゃにしたパスカエル。奴は絶対に許さない。魔術師だろうが関係ない。
「そうだ……関係ない」
そしてガイナル一家との抗争の時。怒りに身を任せて人を斬った時に、ある事に気付いた。これまで感じていた左目の疼き……怒りに呼応して強く疼いていたそれが、スッと引いて行くという事に。
その時理解したのだ。この左目と怒りは、俺に躊躇いなく人を斬る自由を与え、心に平穏と救済、それに生きる活力をもたらしてくれる。そして常に感じているこの疼きは、怒りをぶちまける事で和らぐいう事に。
以降、俺は自分の怒りに素直になろうと決めた。相手が格上でも関係ない。次に年下の武家……例えば賀川誠彦。奴が舐めた真似をしてきたら、俺はどんな手段を使ってでも報復を決意するだろう。
そんな俺の怒りを買ったパスカエルと皇国の誰か。こいつらに復讐するまでは絶対に死ねない。ここがどこであろうと、意地でも生き抜く!
「そうと決まれば……まずはさっきの鳥だ」
俺は山を降りると、足音を立てない様に慎重に森を進む。しばらくして見えてきたのは、さっき仕留めた鳥の死体だった。
「もう他の幻獣に食われたかとも思ったが……。さっきの咆哮で、この辺りから幻獣が消えたのか……?」
俺は鳥の死体を掴むと新徹刀で捌いていく。皇族より賜りし神秘の刀を肉切り包丁に使ったと知られれば、いよいよ反逆者の誹りは免れないだろう。だが国を捨てた俺には、もはやどうでもいい事だった。
「これは……何かに使えるか?」
霊力を通していないとはいえ、神徹刀を以てしても斬れなかった鳥のくちばしと爪。食えはしないが、何かの役に立つかもしれない。
俺は懐に解体したそれらを入れる。続いて足を切り捌く。皮を剥いでいくとそこには真っ赤な肉があった。俺はそれをためらわず……いや、多少ためらいながらもかぶりつく。
「う……げええぇぇ」
血のにおいがきつい。くさい。吐きそうになる。だが吐かない。肉は今の俺にとって貴重な食料だ。どれだけ獣くさくて血のしたたる、調理の施されていない生肉であろうと。生きるために必死で食らう。
「う……おえぇ……」
何度も吐きそうになったが、もも肉は完食した。続いて先ほど見つけた川へ向かい、そこで口をそそぐ。口の中に残る獣臭を洗い流しながら、鳥との戦いを思い出していた。
「あの鳥……かつての清香や誠臣よりも洗練された動きだった……」
もちろん数年前の話だが。鳥はくちばしを槍に、足の爪を刀の様に振るってきた。只の獣とは違う、武器を使った洗練された動き。
あの鳥を前にしては、ほとんどの剣士は敵わないのではないだろうか。さらにそれらを隙なく振るう、流れる様な動き。まるで一つの流派を修めた剣士が如き強さだった。
「あの鳥だけか……? それともここではあの種類の鳥はみんな、あんな動きをするのか……?」
確かな事は、あの大きさの幻獣でさえ俺よりも強いという事。そして常に気を張り続けていなければ、死ぬのは俺だという事。なにせ瞬き一回の間にあの鳥は目の前に居たのだ。油断は即死につながる。
日も暮れてきた頃、俺は太い樹の根本、人一人分の大きさのある窪みに身を隠す。無事に朝を迎えられます様にと、死んだじいちゃんに祈りながら俺は神徹刀を抱く。そしてその態勢のまま眠りについた。
■
「ん……」
どうやら無事に朝を迎えられた様だ。慎重に、ゆっくりと身を起こす。物音を立てない様に、そっと頭をくぼみから出し、周囲を伺う。
(あれは……)
少し距離を空けた前方、そこでは昨日戦った四匹の鳥と一匹の魔猿が戦っていた。
(幻獣同士の殺し合い!? あまり多い事とは聞いたことがないぞ……)
魔猿といっても群島地帯で見た様な奴とは違う。大きさは俺と大差ない。何より全身が紅く、動きがやたら人間臭い。猿の様に腰が曲がった立ち姿ではないのだ。何よりも驚いたのは、その戦い方だった。
(魔猿が……まるで人間の体術を……!?)
鳥の強さはやはり種族個性だったのか、どれも昨日の鳥と同じく熟練の武人の様な動きで、連携をとりながら魔猿に襲い掛かる。だが魔猿はその攻撃を素手で受け流しており、傷を負っていなかった。
(切られる瞬間に……手の甲を側面から押し当てて、足爪の軌道をずらしている!? 一歩間違えれば自分が切られるというのに、なんという動きだ!)
それも四匹を同時に相手取り、冷静に鳥の足爪を捌く。鳥の攻撃をかわし、反撃を見事に決め、一撃で鳥の頭部は破壊される。実力差は明らかだった。二匹の鳥が殺された時点で、残りの鳥は撤退していく。
(あの魔猿の体術……あれも並の武人が敵うものではない……!)
魔猿はその場で仕留めた鳥を食べ始めた。骨を豪快に噛み砕く音が聞こえる。俺は見つからない様にするのに必死だった。
どう考えても俺が敵う相手じゃない。いや、あんなの霊力持ちの武人でも勝てるのか? それほどまでにあの魔猿の強さは際立っていた。
絶対に感づかれない様にと息をひそめ続ける。やがて食事の終わった魔猿が立ち去る音が聞こえたところで、俺は再び頭を出した。そこには食い散らかされた二匹の鳥の残骸が残っていた。
「……行った、よな?」
俺は懐にしまっていた梨を食べると、樹の窪みから身を乗り出す。
「すごいな、骨ごと食べていたよな……」
豪快に食い散らかされた鳥だが、俺はその残骸のある部分に注目する。鳥の足だ。たっぷりとモモ肉がのっかった状態の足が一本、放置されていた。さっきの魔猿の食い残しだ。
「残飯さらう様だが、これも生きるためだ」
よりによって幻獣のおこぼれに授かるなんて屈辱だが、そうも言っていられない。この島において、俺は我を通せるほど強くはないのだ。そして鳥の足を拾おうとしたところで。背中に悪寒が走る。
「っ……!?」
俺は咄嗟に足を手放し、その場を離れる。それはさっき立ち去った魔猿の剛腕が、俺の居た場所を通り過ぎるのと同時の出来事だった。
「他の獲物を呼び寄せるための罠……っ!? 食い残しはわざとか!」
急いで距離をとり、刀を構える。魔猿は奇襲が失敗した事で慎重になったのか、直ぐに仕掛けてくる事はなかった。拳で隙のない構えを取り、俺の出方を伺う。
「つくづく人間みたいな野郎だ……!」
まずい。これはまずい。こいつは昨日の鳥とは、比較にならない強さを持った幻獣だ。その剛腕から繰り出される一撃は、怪物となったベックをも凌駕するだろう。
俺の緊張が伝わったのか、魔猿はじりじりと歩を詰めてくる。格下が相手でも決して油断は抜かない。そんな姿勢が伝わってきた。
(先手で仕留めなきゃ、やられるのはこっちだ! 相手との距離をよく測れ……今!)
俺はこれまで繰り出せた事のない、人生最速の速さの踏み込みで魔猿に斬りかかる。命のかかった極限の状態において、今の俺にはかつてない集中力と力が湧いていた。
だが魔猿は俺のそんな渾身の一撃を、あざ笑うかのように冷静に対処する。刀の切っ先付近、腹の側面部分を手の甲で軽く押し出される。たったそれだけで俺の刀は、魔猿には届かない軌道にずらされていた。
(まずい、このままじゃ! 鳥と同じだ!)
前へ踏み込んでいた体重を斜めにそらし、そのまま頭を下げて右斜め前方に飛び込む。一瞬前まで俺の頭のあった場所には、魔猿の剛腕が音を立てて通り過ぎていた。俺は地面で一回転しながら直ぐに起き上がる。魔猿は既に目の前へ迫っていた。
(こうなりゃやってやる!)
幼い頃から叩き込まれてきた葉桐一刀流。その剣術を以て正面から挑む。だがやはり魔猿には動きを読まれ、一切の傷を付ける事ができなかった。ある程度刀を振るったところで魔猿は俺の実力を測り終えたのか、攻勢が強まる。
「くっ!」
魔猿は人間そっくりの流れる様な動きで、俺に拳を繰り出す。さらにはたまに足払いもかけてくるので、足元も油断できない。あたれば必殺の剛腕。だがこの極限状態において、俺の右目も徐々に魔猿の動きを捉えつつあった。
(体力が続かない! ここで決めないと死ぬのは俺だ!)
現実を理解しつつも決して焦らない。左目に感じる熱が、逆に俺の頭を冷やす。負けた方が食われる、正真正銘生存をかけた殺し合い。
この一瞬、俺はこれまで常に感じていた怒りも、サリアの事も、パスカエル事も。左目で感じつつも、頭の中からは全て消えていた。
今頭にあるのは、どうすればこの魔猿を倒せるか。どうすればこの生存競争に勝ち残れるか。それだけだった。
(思い出せ! 鳥は何故強かった!? こいつは何故強い!? 俺は何故こいつらが並の武人よりも強いと思った!?)
それはこいつらが自分の武器を理解し、それを十分に活かせる動きを体得していたから。自分の強みがどこにあるのか、しっかり把握できているから。
(なら俺の強みは!? こいつらにできて俺にできていない事は!?)
鳥は手数の多さ。魔猿はどれだけ自分の実力を上手く発揮できるかを意識した体捌き。昨日の鳥の動き、そして魔猿の動きを頭に強く思い描く。
「つあっ!」
刀を真一文字に斬り込む。これは身を引いて躱された。だが刀の勢いを止めず、身体の回転を活かして左足で蹴り上げる!
「ホッ!」
これまでと違う俺の動きに驚いたのか、魔猿は初めて声を出す。蹴りも躱されるが身体をそのまま一回転させ、再び正面に魔猿を捉える。そして素早く刀を突き出す。
魔猿は態勢をやや崩してはいたものの、これも軌道を逸らそうと手の甲を押し当ててくる。俺はそうしてくるだろうと読み、途中で刀を引いた。
「うおおおお!」
同時に再び突き出した左足で、魔猿の胴体を蹴り込む。初めて攻撃を当てる事ができた瞬間だった。
だが体重差もあるためか、魔猿は倒れない。刀を引き、左足を地から離した姿勢で、今度はこちらに隙ができてしまった。魔猿はその隙を逃さない。距離を詰めると刀を持つ俺の右手首を掴む。
「がああああああ!!」
そのままぎりぎりと握力で右手首がつぶされていく。そして右手に持っていた刀を手放し、魔猿の意識が落ちる刀に向いたその瞬間。俺は左手で懐から昨日解体した鳥のくちばしを取り出し、今や手を伸ばせばとどく距離にある胸部に向かって突き出した。
「ガッ……!」
くちばしの先端は魔猿の胸部にたやすく食い込む。鳥の爪やくちばしが魔猿に通じる事は、何となく分かっていた。そうでなければ多勢に無勢とはいえ、鳥どもも魔猿と戦わないだろう。あれは鳥たちも経験上、集団であれば自分たちのくちばしと爪で魔猿を狩れると学んでいたのだ。
僅かに俺の右腕を掴んでいた魔猿の手が緩む。その隙に手を引き抜きつつ距離を空ける。魔猿は胸部にくちばしを刺されながらも追いすがってきたが、そこで俺は懐から取り出した鳥の爪を勢いよく投げる。
先ほどまでの魔猿であれば見切れただろう。だが思わぬ深手を負い、決着を焦った事で、動きの精細さが失われていた。爪は狙い通り、魔猿の眼球に突き刺さる。
「オッ……アッ……」
大きく態勢を崩す魔猿。もちろんこの隙は逃さない。俺はさらにもう一つの爪を魔猿の足に打ち込む。魔猿が倒れこんだところで距離を詰め、刀を拾い上げ、喉元に突き刺した。確実に息の根を止めるため、何度も刀を魔猿の肉体に突き刺す。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ! 勝った……!」
俺はずっと刀で戦う事に拘っていた。霊力は持たずとも、葉桐一刀流を修めた剣士であるという誇りが、俺の動きを制限していたのだ。
こいつらはそんな俺をあざ笑うかのような強さを持っていた。意識したのは、鳥の見せた流れる様な連撃。そして武器を刀に絞らない事。
こいつらにできなくて俺にできる事。それはこいつらの武器を利用し、自分の武器にするという事。動きを学び、戦い方の幅を広げる事ができるという事。だがいずれも死と隣り合わせの極限状態で得られた動きだ。そう何度もできるものではない。
「だがいつでも必要な時に動ける身体にしなくては、ここでは生き残れない……!」
島に流れ着いて二日目。この日は朝から改めて、ここで生きていく事の厳しさを思い知らされた。
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