第8話 試練の無能力者
「ん……」
全身が怠い。痛みも感じる。左目は熱を発している。身体の状況を確認しながら、俺はゆっくりと右目を開けた。
「ここは……」
船から投げ出された俺は、必死になって近くの積荷に手を伸ばした。幸い積荷も倒壊し、いくつか大きめの木片が浮いていたのだ。後は刀を手放さない様に注意しながら、流れに身を任せていた。
「どこだ……」
途中で体力の限界を迎えた様だが、生きて陸地に辿り着けたのは奇跡だろう。ずっと海をさ迷っていた可能性もあるし、海に巣くう幻獣に殺されていた可能性もある。あるいは嵐に飲まれて、海の藻屑と消えていたかもしれない。
だがどういう導きがあったのか、俺はこうしてどこかの地に流れ着いた。ゆっくりと身体を起こす。刀が無事だった事も確認し、安堵する。
「とりあえず、ここから離れよう……」
襲い掛かる脱力感に逆らい、陸地を進む。海岸線を歩くか目の前に広がる森を行くか考えるが、森を選ぶ。
もしここが人里からかなり離れた場所であったなら、食料と水の確保を考えなければならないからだ。森へ入れば川があるかもしれないし、食べられる実がなっているかも知れない。それに幻獣が現れれば肉の確保もできる。ほどなくして俺は果物の成っている樹を見つけた。
「これは……梨の実だ」
実をむしると勢いよくかぶりつく。梨はとても甘く、水分も多く含んでいた。疲れ切った身体に活力が湧いてくるのを感じる。
いくつか梨の実を服に詰め、さらに足を進める。かなりの時間歩いたが、川を見つける事もできた。水はとても透き通っており、冷たくて美味しい。
「水と……食べ物は、ある。方角も理解した」
この数時間の間で太陽も動く。俺はそこから自分がどの方角に向いて歩いていたかを推察する。流れ着いた浜辺は南方。俺は北に向けて歩き続けていた。
「だめだ、場所が全く分からない。確認するには……」
前方には小高い山が見える。浜辺からも見えていたし、この辺りでは一番高い場所だろう。俺は身体を休めた後、その山を目指して歩き出す。山に登れば周囲の地形も確認できるだろう。
だが行く手を阻む存在が草陰から現れた。いるだろうと予想していた幻獣だ。
その幻獣はこれまで見た事が無く、座学でも習った事のないものだった。鳥の頭を持っており、それが人間の頭ほどの大きさがある。だが身体は無く、頭からは長い鳥の足が生えているのみ。とても奇妙な幻獣だ。
「グ、グァ……」
鳴き声まで鳥っぽい。まぁそれほど大きな幻獣でもない、大した脅威ではないだろう。こいつには俺の食糧となってもらおう。そう思い、刀を抜いた矢先。俺の眼前には鳥のくちばしがあった。
「……っ!?」
まさに紙一重。俺は大きく横へ跳んでそれを躱した。転がりながらもそのまま勢いを利用して立ち上がる。あわてて刀を構えようとした時には、鳥の鋭い足爪が目前まで迫っていた。
「う、おおおお!」
これもなんとか躱す! だが完全に避ける事は叶わず、身体は真一文字に切り裂かれた。周囲に血が飛び散る。
この鳥、これまで相手してきた幻獣を遥かに超える強さだ! 幻獣の強さは基本的に大きさに比例すると言われている。群島地帯の魔猿と大して変わらない大きさだった事から、完全に油断してしまった。
「グァ!」
まるで何十年も繰り返してきたかの様な、自然な動作で鋭く足とくちばしを振るってくる。あまりに滑らかなその動きに対応できず、俺は次々と手傷を負わされていった。
「この……!」
しかも足の爪もくちばしもかなり堅い。神徹刀の刃をもってしても斬る事が叶わないのだ。俺が一本の神徹刀を振るうのに対して、鳥は両足の爪とくちばしを器用に繰り出してくる。手数の多さ、身体能力の差。いずれにおいても俺は劣っていた。
「うあっ!」
鋭く突き出されたくちばしに、浅く右肩の肉をついばまれる。もはや全身傷だらけであった。
「くそ、害獣如きがなめるな! 俺は霊力こそ持たなくとも、葉桐一刀流を修めた剣士だぞ! 獣如きに劣るものではないわっ!」
叫ぶ事で自分に喝を入れる。だが鳥は俺が人生を懸けて習得した剣術を、まるであざ笑うかのようにその爪とくちばしで軽く受け流す。
いつしか俺は、熟練の剣士を相手にしているかのような錯覚に陥っていた。そしてその熟練の剣士の振るう神速の太刀に、とうとう神徹刀が弾き飛ばされてしまう。
「グァ!」
鳥は大きくくちばしを開けながら迫ってくる。勝利を確信したのだろう。
(こんなところで! 訳の分からない獣に! 負けて、たまるかあああぁぁぁ!)
俺はその大きく開いたくちばしに、自ら左腕を突っ込む。
「グァ!?」
くちばしの中に歯は見えない。ただ先端が恐ろしくするどい。さっきはこのくちばしの先端を使って肉をついばまれたのだ。そのくちばしの先端は今、突っ込んだ左腕に強く食い込んでいる。
「おああああああ!」
咄嗟に右手で拾った石を、そのまま鳥の眼球に目掛けて渾身の力で叩きつける! 一度で駄目なら二度! 二度で足りなければ三度!
何度も何度も俺は石を力の限り叩きつけた。やがてくちばしは緩み、左腕を引き抜く事に成功する。
だが油断はできない。こいつはこれまで出会ったどの幻獣よりも強い。俺は倒れた鳥の頭を何度も何度も石で叩き続けた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
鳥はピクリとも動かなくなり、死んだ事を確認する。
「なんだ、こいつは……! こんな幻獣、聞いた事がないぞ……!」
俺は今、ひょっとするととんでもない場所に迷い込んでいるのではないか。不安が全身を襲う。
その時だった。俺の歩いてきた方角……南からとんでもない声量の獣の咆哮が聞こえてきた。その咆哮は遠く離れた俺にも、明確に殺意が伝わるものだった。周囲からは咆哮に合わせて、多くの生き物が動く気配を感じる。
「あ……」
絶対に遭遇してはならないやつだ。出会ってしまえば俺は何の抵抗もできず、無残に殺されるだろう。俺は傷ついた身体を押して咆哮とは逆方向、北へと再び歩を進めた。
「なんなんだ……ここは一体なんなんだ!? こんな場所があるなんて聞いた事がないぞ!」
あるいは東西両大陸の南部に広がる幻獣の領域ならば、こんな光景も広がっているのかも知れない。
だが俺の乗っていた西大陸行きの船は、群島地帯から北西の航路を取っていた。嵐に投げ出されても、大陸南部まで流れ着けるほど俺の体力はもたないだろう。ここは大陸南部ではないはずだ。
混乱しながらも俺は山の麓に到着し、周囲を警戒しながら登って行く。全身は悲鳴を上げ、さっきから左腕の感覚も鈍い。
だが足を動かしていないと、この不安と混乱はより強くなる確信がある。そして全身に鞭打ちながら山を半ば登ったところで、ある事実に気づいた。
「ここは……」
確認のためぐるりと山を移動し、周囲の景観を観察する。そして明らかになる俺の置かれた状況。
「島……だ……」
全方位が黒い海に囲まれた陸地。俺はどことも知れない島に流れ着いていた。海の向こうに陸地は何も見えない。ただどこまでも広がる海が見えるだけだ。
「う……そ、だろ……」
奇妙な島だった。山は島の南寄りに位置し、ここより南部には森が広がっている。だが西部には荒れ果てた岩場が広がっており、北部は常に雷と大雨が降っていた。
これだけでも奇妙な島だったが、もっと奇妙だったのは東部だ。そこには文字通り炎の平野が広がっていた。東部全域が燃えている訳ではない。ところどころではあるが、何も無い場所に炎が常に巻き上がっているのだ。
「なんだ……この島は……」
人外魔境。決して人の踏み込んではいけない領域。そうした場所に自分は流れ着いてしまったのだと理解できてしまった。
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