第2話 再会

「先行くよ」

「はーい、また後で」

兄のお下がりの制服を身にまとい秋は家を出た。中学の通学路とは違う駅への道を辿る。

 4月7日。多くの学校で入学式が行われている今日、秋は高校生になる。駅のホームのあちこちに真新しい制服を着た高校生が親連れで電車を待っていた。

「まもなく2番線に電車が参ります。危険ですので、黄色い線までお下がりください。」

アナウンスと共に電車が到着した。流れるままに電車に乗り込む。

「おー秋やん、久しぶり」

陽気な声に顔を向けると友達の太地が立っていた。

「久しぶり。元気してた?」

「見ての通り、秋も元気そうやな」

相変わらずの元気さに秋は知らぬ間に固まっていた頬を緩めた。太地とは中学の2年の時同じクラスになり、部活も同じだった。笑顔を絶やさない太地は秋の救世主とも呼べる友達だ。

 中学生になる前の春休みに、水族館で前世の恋人の柾也に会った。柾也もちろん「秋」の姿をする恋人に気づいた様子はなかったが、秋は柾也の存在をひしひしと感じたのだ。

 あの後レストランで家族と合流しても柾也の子が頭から離れず、両親と別れるとすぐに柾也とぶつかった場所に戻った。が、もう既にそこに柾也はおらず、館内の至る所を探し回ってもついに見つけることはできなかった。

 理由もわからず泣きじゃくる秋に家族は困り果て、少し早めに家に帰ることになった。次の日もその次の日も沈んだ様子の秋に家族が色々と手を尽くしてくれたが、中学の入学式までの2週間、戻ることはなかった。学校に行くかすら怪しかったが、静かながらも登校した秋に家族はほっと一息ついた。

 秋は秋で今まで軽く受け流していた前世のことをどうにか受け入れようと悩んでいた。しかし、柾也と繋がりのあることを思い出すと、感情が高ぶり泣いてしまう。今の「秋」として日常生活を送り、前世と距離を置こうと考えた秋は普通に過ごし、普通に学校に通った。周りから見れば秋の様子は普通ではなかったが、秋は精一杯だった。

 そんな時部活で太地に出会った。太地の朗らかな雰囲気にいつしか秋も和んでいた。誘われるままにテニス部に入ったことも良かった。放課後も、土日もテニスに打ち込み、考える暇がないくらい熱心に取り組んだ。そのおかげで実力は伸び、悩んでいたことも段々と薄れていった。部活を引退してからはテニスの代わりに勉強に取り組み、高校にもなんなく入学することができた。太地が同じ高校に受かったことが1番驚いた。

「今日入学式だけやろ?帰りどっかよって帰ろや」

「うん、じゃあラーメン食べたい。」

「いいな、学校周りのラーメン屋行こうや。卒業までに全部制覇するで」

太地とスマホを覗き込んでラーメン屋を探していると目的地についたので電車をおりる。駅から15分程歩くと学校が見えてきた。入学式と大きく書かれた門を新入生が通っていく。秋達も同じように門をくぐり予定表を受け取る。

「秋、先クラス分け見に行こ」

太地について行くとクラス分け表はすぐに見つかったが、その前は1年生で混雑に混雑していてなかなか近づけない。

「俺三組やわ」

隣で太地がそう言う。前に太地が視力検査で2.0あったと豪語していたことを思い出し、秋は苦笑した。

「俺は何組?」

「お、三組やで。一緒やん」

太地の言葉に秋は胸を撫で下ろした。高校生は記憶の中では2回目だが、知らない人で囲まれるという感覚は未だに慣れない。馴染みの友人が同じクラスなのは心強い。

「良かった、またお世話になります。」

「何言うてんの、お世話されるのは俺やろ。宿題とか、宿題とか、宿題とか。」

「高校生になってんから自分でしろ。」

楽しげに二人は教室に向かう。

 教室に入り、黒板に貼ってある座席表を見て席を探す。早速太地は近くの子に声をかけていた。

「どこ中?」「上山、どこ中?」「俺、十岡中」

教室の中で繰り広げられていた会話はチャイムが鳴ったことで一気に止まる。生徒の視線は教卓の前に立つ先生に向けられた。

「おはようございます。そして入学おめでとうございます。皆さんの担任の林奈緒です。自己紹介はまた今度にして、早速なんですが……」

と、先生は入学式の一連の流れを説明した。

「こんな感じで今日は終わりです。明日はまだ授業はありませんが、課題の提出日ですのでしっかりと持ってきてくださいね。」

優しそうな先生だが、厳しい時は厳しいよだ。念入りに押してきた釘は何人かに刺さったらしく、太地も例にもれず顔を引き攣らせていた。若さと元気さを兼ね備えた良さげな先生に、秋は今日二度目の安堵の息を吐いた。



「戸山秋」

「はい」

名前を呼ばれできる限り大きな声で返事をして立ち上がる。

 広い体育館を入学生とそれを見守る親が埋めつくし、肌寒いはずの空気は少し暑いぐらいだった。入場する時に両親を見つけ、その隣に座る兄に驚いたものの、おかげで秋の緊張は解れた。つつが無く式は終わり、教室に戻る。

「お疲れ様でした。さっきも言ったけど明日は課題を忘れないように。あと、自己紹介をしてもらおうと思ってるので考えてきてください。では、さようなら」

「「さようなら」」

特に片付けるものも無くカバンを持って秋は太地のもとに向かう。太地は隣の男子と話していた。

「太地」

「おお、ラーメン食いに行こ」

秋が声をかけると、太地は思い出したように返事をした。

「同中なん?」

太地と話していた隣の子が秋に話しかけてきた。よく焼けた肌に太目の眉毛がくっきりと浮かび上がり、スポーツ少年のような凛々しさがある。

「あ、うん。部活が一緒で」

「そうなん!俺もテニス部やってん。あ、俺春川康二。」

「俺は戸山秋」

よろしくと自己紹介し合っていると、太地が「康二もラーメン食べに行く?」と康二を誘った。

「え、行きたい。俺ラーメン好きやねん。特に豚骨が」

「あー、俺は醤油やわ」

康二がラーメン屋に行くことは決まったようで、ラーメンの話を始めてしまった。秋はクラスメイトとはいえ初対面の人と食事をすることに動揺を隠せなかった。太地の行動力に感心を通り越して少し引いてしまう。そんな秋の様子に太地と康二は気づかずラーメンの話で盛り上がっていた。秋は二人を追いかけるように教室を出た。



「おはよー」

入学式の翌日、教室には少し緩んだ空気が漂っていた。秋が教室に入ると康二が話しかけてきた。

「今日新入生歓迎会あるらしいで。部活紹介もあるって」

「おはよ。そうなの?楽しそうだな」

「やっぱりテニス部やろ。打ってくれるんかな」

「体育館だからね、軽くなら打ってくれるかも」

昨日ラーメン屋に行ってからだいぶ康二と打ち解けた。高校でもテニス部入るという太地と康二は息があったようで、帰る時には親友かのような様子だった。2人は秋もテニス部入ると思っているらしく、当然のように話を振ってくる。秋は打ち込めるものなら何でも良かったので話の流れに乗っかかっていた。

 始業のチャイムの2分前にようやく太地が登校してきた。息を切らして1人暑そうな太地を笑う康二と目が合い、秋はつられて笑ってしまった。

「1、2時間目は課題とか集めたり色々配ったりします。時間が余ったら自己紹介にしたいと思います。3時間目からは新入生歓迎会なので、テキパキ動いてくださいね。」

前に課題回してという先生の言葉に太地が秋を見つめていが、秋は自業自得だと無視することにした。案の定先生に怒られた数名は意気消沈していた。

 自己紹介も終わり体育館に向かう。体育館に1年生がずらりと並ばされる。生徒会の司会とともに新入生歓迎会は始まった。1年生の視線は舞台で行われる各部活のパフォーマンスに釘付けだった。バレー部の鋭いスパイクに感嘆の声が上がり、新体操部の回転技に拍手が集まる。

 そしていよいよテニス部の順番になった。舞台袖から若い先生が現れ、舞台の真ん中にたった。その姿に秋は目を丸くする。

「こんにちは、男子テニス部顧問の古田柾也です。話を聞くより目で見た方が早いと思うのでどうぞ」

3年前と変わらない様子で柾也がそこにいた。

秋は自分の目が信じられなかった。

ダンダンと打ち合う音が聞こえ始める。隣で太地が「すげぇ」とラケットを握る2、3年生を見つめているが、秋の視界には舞台上のマイクを握っている柾也しか映っていなかった。

驚きの声すら出ず、口の中がかわいてくる。ひゅ、と自分の息を飲む音にここが体育館であることを思い出した。

──まさや?同性同名?

そう思って探るようその人物を見るが、舞台にいる1番背の高い生徒より少し高いぐらいの身長で、しっかりとした肩幅と遠目から見ても分かるスタイルの良さ、そしてスッキリと整った顔。全てが柾也そのものだった。

──俺教師になりたいんですよ。

柾也がそう言っていたことを思い出す。

──俺たちみたいに悩める子羊ちゃんを導くんです。

にやりと笑った柾也の顔を思い出し視界が歪んだ。

「秋?どうしたん?」

興奮していた太地が秋の変化に気が付いた。

「またあれか?最近なかったのにな」

中学校の時、突然泣きだす秋を何度も見てきた太地は驚いていたもののすぐに冷静になった。秋の手を取り、先生に体調が悪そうなんで保健室連れていきますと、声を掛け体育館を出る。

「唇噛むなって、血でるで。」

涙をぐっと堪える秋の頬を掴んで太地が言う。秋の顔を緩ませようと太地がむにむにと頬を揺らす。

「俺ハンカチ持ってないわ」

手に落ちてきた涙を見て太地がポケットを探る。そしてなにかに気づいたようにおどけてそう言った。秋がふっと笑ったのを見て太地は秋の頬から手を離した。

「ストレスか?秋はセンサイやからな」

落ち着いてきた秋は袖で涙を拭った。

「ごめん、俺もう少しここにいるからテニス部見てきなよ」

「そんなんもういいねん。俺はちょっと見ただけで分かるねん。ここのテニス部は強い。たぶん」

「ふはっ」

秋の目にもう涙はなかった。秋の横に腰をかけた太地は続ける。

「俺は今テニス部入るって決めた。秋は?」

「……入らない

秋の言葉に太地は思わず立ち上がった。

「え、なんでなん?秋強いやん。高校でもテニスすると思ってた」

「……さっきの顧問の先生」

「なんて?」

太地が聞き返す。秋はなんでもないと首を振る。もしあの先生が柾也で秋がテニス部に入ると、毎日部活で顔を合わすことになる。柾也に会いたいと思う気持ちとはある。しかし、柾也に前世の記憶を打ち明ける勇気もなく、秋として、一生徒として柾也と接する精神もない。秋には会わないという選択肢しか思いつかなかった。

 訝しげな太地を横目に、秋は目を瞑り柾也の姿を思い浮かべた。心がぎゅっと締め付けられる。

奇跡としか言いようのないことだ。水族館で柾也と離れた時もう二度と会えないと思っていた分、今日ここで柾也を見掛けたことは衝撃が大きかった。

──先生になったんだ。

前世の記憶と今世の記憶の間の抜けた16年。

柾也がどこで何をしてるかなんて全く分からなかった。むしろ思い出さないようにしていたので、知ろうとしなかったのだ。夢を叶えた柾也に急に嬉しさが湧き上がってくる。秋が頬を緩ませると、太地が驚いた表情で秋を見た。

「お前、ほんまに大丈夫なん?」

その表情に秋は感情のコントロールを頑張ろうと決意した。

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