もしも……あの時に。
浜里十寸
もしも、あの時に……。
「はぁ……」
ため息をつきながら、僕、北内智一はお気に入りの場所である、イチョウの木が並んだ公園の芝生で寝転がっていた。空には、今の自分の心を映しだしたかのような黒い雲がかかっていた。色のない空だと思った。
「……なんでこうなるんだろう」
誰に聞かせるわけでもなく独りごちる。僕の視線は右手に握られた携帯の画面にくぎ付けになっていた。画面に表示されているのは彼女である、杉崎美雪との会話だった。
「はぁ、最近あいつとの喧嘩多いよな……」
最近、美雪との喧嘩が絶えないのだ。最初は小さなことからだった。キノコ派か、たけのこ派かそんなくだらないことで喧嘩をしていた頃が懐かしい。毎日繰り返される喧嘩で別れた方がいいのかな。と、考えるほどになっていた。
「あぁっもう!! どうしてこうなった」
どこで何を間違えたのか。考えれば考えるほど、底なしの沼にはまっていく気がした。
とりあえず、ここで延々と悩んでいても仕方がないので、携帯をポケットにしまい立ち上がる。
そして、家に帰ろうと公園を出て帰路を辿る。
……もう、彼女の心は僕にないのかもしれないな。
と、自虐的な笑みを浮かべたその時だった。
「っ!?」
キィィィィィという甲高い音と同時に体に激しい衝撃が走る。骨が軋み、痛みと呼べない痛みが全身を支配した。
……これは死んだかな。
だが、痛みは長く続かず次第に視界が暗闇に包まれ消えた。
『ね? 生きたい?』
暗闇の中で声が聞こえた。耳触りのいい女性の声だ。
……生きたいに決まってる。
『どうして?』
そんなの決まっている。
……まだ、美雪と仲直りできてないから。
もし、もしもあの時に謝れていたら。
ずっと後悔していた、喧嘩になった時点で僕が謝れていたら、もしかしたらこんな結果にはならなかったのかもしれない。
……あぁ、死ぬ間際にこんなことに気が付くなんて。本当に僕ってやつは。
『……わかった。あなたの思い私がかなえてあげる』
再び、意識がまどろみ始める。
『でも、これはあなたにとってつらい選択を強いることになるかもしれないね』
その声を最後に、僕は意識を手放した。
「……とも。起きてよ」
「うわあああっ!?」
体を起こし辺りを見ると、教室の中だった。
「うわっ!? ちょっと!? どうしたの?」
「っはぁ、はぁ。あれ? 夢だったのか」
「……大丈夫?」
美雪が僕の顔を覗き込んでいる。黒髪で後頭部で結ばれたポニーテールの髪型に胸がドキッとした。
「えっ美雪っ!? なんでここに」
なにかがおかしい……。僕は今ひかれたはずなのに……。気が付くと……教室で眠っていた。なんだ……どういうことなんだ。
「……よくわからないけど。早く帰ろ? 今日特番やってるし!!」
「え、あ、いや。とっ特番? あ、ちょっ、ちょっとっ!!」
美雪に引っ張られる形で、僕たちは後にした。こんなの、周りから見ていると完全なバカップルだ。
学校から出ると、まばらだが、下校している生徒たちが目に入った。彼らは、ちらちらと僕たちを横目で見ながら歩いていた。
事故に遭う前、曇っていた空は色を取り戻したかのように赤く。輝いて見えた。
「空なんか見ちゃってどうしたの? 今日はチ流星群の日じゃないよ?」
「なぁ、僕たちって最近ずっと喧嘩してなかったっけ?」
僕はふと疑問に思ったことを美雪に投げかけた。
「え? 最近私たちって喧嘩してたかな?」
何のことだといわんばかりの顔をする美雪。
体が硬直して思考がフリーズする。
「……え?」
どういうことだ?
ポケットに入っていた携帯を取り出し、会話アプリを開く。そこに書かれていたのは喧嘩の内容だった。昨日揉めた内容もしっかりとある。しかし、確かに喧嘩の内容なのだが、不思議なことにただのカップルがじゃれてる会話のようにしか見えなかった。
「あーそうだね」
理解不能な現象を前に僕はそう口にするしかできなかった。
歩いて行くと次第に自宅が見えてきた。
「あっじゃここでお別れだね……またね」
玄関前に来た時、美雪は少し寂しそうな顔でそう言った。
「……美雪。ごめん」
突然の謝罪された美雪はしばらく固まっていたが、すぐ、母神のような笑顔を浮かべ、
「何を誤ってるのかわからないけど。いいよ。またね! とも」
それだけ言い残して走り去っていく彼女の姿を見届けた僕は家に入るのだった。
家の中に入るとまず状況を整理することにした。
携帯での会話もそうだが……。と思いつつ携帯を目の前に机に置く。
あの時、確かにひかれたはずだ。
思い出そうとするとすぐに体の四肢が、腹部があの時の衝撃を連想させる。
「……やっぱり、僕は轢かれた……はず」
額から冷えた汗がしたたり落ちる。瞬間、机の上の携帯が通知音ともに震えた。
「……誰だろ」
画面を確認すると美雪からメッセージが届いていた。
『明日予定ある?』
明日は学校なんじゃないだろうか?
壁に掛けられていたカレンダーを見ると、明日は土曜日だった。
僕は迅速にスマホの画面を触り返信した。
『予定はないかな』
送信するとすぐ、既読が付いた。
『じゃあ、明日は私に付き合ってよね!!』
「え……まじ?」
そこから美雪の怒涛のメッセージが押し寄せてくる。
『じゃあ明日、駅の入り口に8時半に集合』
最後にそう締めくくられ拒否する暇もなく、会話は終了した。
「えぇ……」
空いた口がふさがらない。最近は喧嘩してて忘れてたけど、そういえば、美雪はいつも僕を振り回していたな。
「……やっぱり、僕はあいつが好きなんだよな」
幸せだった日々を思い返しながら僕は呟いた。
久しぶりに感じる、胸のドキドキ。
明日を楽しみにしながら眠りについた。
時刻は午前十時。駅の入り口に来たのだが、あまりの人の多さに言葉を失った。
眼前をイチャイチャしているカップルばかりが通り過ぎていく。
その奥で、小さな人影が次第に大きくなり見えてきた。
「ごめん……遅れちゃった」
顔を俯かせたまま、美雪が涙声で言う。
「いいよ。いつものことだし」
美雪は、人との約束を守るのが苦手だ。そんなことは、とうの昔にわかっていたことなので今更気にすることはない。
「いや……フォローしてよ……」
涙目になりながら僕の胸に顔をうずめる美雪。
その動作にドキッと胸が高鳴った。
「それより、早く行こう……時間がもったいない」
集合時間から二時間も遅れているのだ。美雪の予定もかなり巻きでいかないとまずいだろう。
「時間がもったいないって。とも。どこか行きたいところあるの?」
「いや、美雪の行きたいところに行くよ。予定だって詰まってるだろ?」
「え? 予定なんてないよ? 私はただ、ともとデートしたかっただけだし」
思わぬ美雪の発現に僕は顔を背けた。すると、反応が面白かったのか。美雪は意地悪な笑みを浮かべ。
「ちょっ、なにするの!? やめろって」
ナデナデ? それともくしゃくしゃ? どちらかわからない力加減で僕の頭の上で手を動かす美雪を何とか制止する。
「早く、行こ」
「むぅ~分かったわよ。分かりました」
止められたことが気に入らないのか、そう言って歩き出す美雪だが、その歩はほんの数歩で止まってしまう。
「んーどうした」
「ねぇ? どこ行こう……」
そういえば、ただ僕とデートしたかっただけって言ってたっけ……。
「じゃあ……最近できた喫茶店でも行こうぜ、今日何も食べてないし……」
「ともって意外と女子っぽいよね」
「うるさいっ!! 行くよ!!」
美雪の手を握り歩き始める。美雪の手ってこんなに柔らかかったかなと内心で重いながら、目的の喫茶店まで向かうのだった。
「ほぉ~意外とおしゃれな店ですな」
口調が変になっていますよ……。美雪さん。
午前10時半、モーニングとランチの間の時間であるせいか、喫茶店の中は人が少なく、待つことなく窓際の席に案内された。レトロな雰囲気がする、おしゃれな内装をしている。
美雪と向い合せで座りメニューをとる。
「早く、メニューを決めた方がいいんじゃないかな」
今は静かでも、これから忙しくなる時間だ。ゆっくりしていられるうちに頼む方がいいだろう。
メニューを渡すと美雪はなぜか笑顔でこちらを見ていた。
「……なんだよ?」
「別に~」
美雪はメニューを決めたのか机の隅に置かれていたベルを押す、客数が少ないおかげですぐ店員がきた。
「ご注文は……て、智一じゃん」
「えっ……あ……宮原……」
「え……。まじ? 智一彼女いるの? マジで?」
「初めまして。私、とも……じゃなくて、智一の君の彼女の杉崎美雪って言います。いつもともがお世話になってます」
まるで、母のような口調で自己紹介をする美雪の姿を見た宮原は、
「……あ、はい。本当に彼女なの?」
僕にだけ聞こえる声で宮原が聞いてくる。
「……そうだよ」
「智一に彼女なんてできないと思ってたけど……雇った?」
完全にあざ笑われている。だが、今の僕は客。つまり……
「すみません~店長いませんか~」
大きな声で呼ぶと厨房の方から優しそうな女性が出てくる
「お客様、どうしました?」
日本では帽子とエプロンという厨房の恰好をした店長。帽子の隙間から、少し白髪が見えているのが見えた。日本人ではないのだろうか。
それはそうと、宮原を訴えなければ。
「この店のバイト。特にこの方。態度が悪いと思うのですが……」
「申し訳ございません。先ほどからずっと見ていたのですがあれは指導が行き届いておりませんでした。本当に申し訳ございません」
頭をさげた後店長は宮原を連れていき、別のバイトがメニューを聞きに来てくれた。
去り際、白髪の店長が、こちらを見詰めながらわずかに口を動かしていた。
なんと言っていたのか聞き取ることはできなかった。
「まさか……あいつがいるなんて……」
注文を言い終えた僕は思わずそう呟いた。
「ねぇとも? 今の人誰?」
「僕の中学の同学年」
「へぇ~。ともとどんな関係なの」
「赤の他人」
「あっそうですか」
などと会話していると注文したものが運ばれてくる。
見ると、店内は混み始めていた。
僕と美雪はそれらを早々と食べ、お会計を澄まして店を後にした。
「さて、色々あったけど。次はどうする?」
「うーん……私は別にどこでもいいよ」
「うーんでもだんだん天気も曇り始めてるし。そうだ。ゲームセンタ―行こうよ」
「そうだな……そうするか」
美雪が僕の手を掴み走り出した。しかし、僕の胃の中に納まった食べ物たちはまだ消化されずに這い上がってこようとする。
「はい! 次、ゲームセンターに行くよ」
「分かったって……。おっぷ。お腹が……」
近くのショッピングモールまで休むことなく走り続けたのだった。
どうして彼女はあんなにも元気なのだろうか?
「ふぅ……。疲れた。疲れた」
「本当にとも、ガチゲーマすぎでしょ」
「いやぁ……つい……」
ゲームセンタ―で遊んでいる間に、完全に天気は崩れ小雨だが雨が降り始めていた。
ピトッっと鼻先に雨粒が落ちた。
「あー降ってきちゃったね……」
「急いで帰ろう」
言ってるそばから雨は勢いを増していく。このままでは風邪をひいてしまう。自分はいいが美雪に風邪をひいてほしくない。そう思った僕が走り出したその刹那。
「ともっ! 危ない!!」
ドンッと、身体を押され前方に飛んだ。同時に、大きな衝撃音が鼓膜を震わせる。
「……美雪?」
転倒した拍子に足を打ったが痛みはない。
振り返るとそこには……血を頭から……流したみ……ゆきが倒れていた。
耳障りなクラクションが鳴り響く。美雪を轢いた車両はそのままガードレールにぶつかり大破していた。そして、周囲にはやじ馬が集まり始めた。
「美雪!!」
美雪の元まで駆け寄り体を持ち上げ必死に彼女の名を呼ぶ。
「美雪!! 美雪っ」
必死に名前を呼ぶが彼女が目を覚ますことはない。それどころか……体が徐々に。
目尻が熱くなる。そして、目から何かが流れていることに気づいたのはしばらくたった後だった。
「ごほっ、、、と、も……」
「美雪っ」
彼女が意識を取り戻した。奇跡だと思った。
だけど、そんなことをしている場合じゃない。
慌ててポケットから携帯を取り出し、119番にコールする。
「良かった……」
美雪の手が頬に触れる。そして、その手はすらりと意思のないもののように落ちた。
希望は一瞬のうちに絶望に飲み込まれた。
「美雪? おいっ!?」
彼女の目から光が消えていた。
「あっあああ。ああ、ああああぁ、あああっあああああああ」
その場で絶叫しながら……そして後悔した。
……もしも、もしもあの時僕が……僕が、走っていなかったら。神様……お願いだ……美雪を生き返らせてくれよ。頼むよ。この幸せな時間をずっと……ずっと続けさせてくれよ。
奥歯を噛みしめる。たった一つの選択でこんなことになる。現実はなんて非情なのだろうか。
美雪を抱えその場を立った瞬間だった。
「っ……」
不意に激しい眩暈に襲われる。徐々に平衡感覚をなくしていく身体を支えきれずその場に倒れた。意識がもうろうとし、ここ二日間、何度も味わったようなそんな感覚と共に意識を失った。
「ともっ!! ねぇともってば!!」
現実と乖離していた意識が肉体に戻る。そこには美雪が……。生きている美雪がいた。
「え、美雪……?」
美雪に抱き着いた。細いけど出ているところはしっかりと出ている感触がとても心地よかった。
「えっちょ……いきなり何なの」
急に抱き着かれたことに美雪は混乱しているのか、腕をぶんぶんと左右に振る。
「良かった……良かった……」
時間が戻ったのか。でも、なんで? いや、そんなことはどうでもいい。今は美雪が生きてさえいてくれたら。
どうやら、事故自体がなかったことになっているようで、美雪が轢かれた道路は今も車が往来していた。
ただ美雪がいることがうれしかった。そして改めて実感した美雪という存在がどれだけ僕の中で大きかったのかを……。
「どうしたの? とも……大胆なことしてたけど」
「いや……付き合ってるんだから、これぐらいして当たり前かなっておもってさ」
「へぇ、えへへ」
僅かに赤面する美雪。その顔がとても愛らしく。尊かった。
先ほどの美雪の光の消えた顔がフラッシュバックする。もう美雪を失いたくない。絶対に僕が守らないと……。
「帰ろ? 今日はもう疲れちゃった」
美雪の手を掴みながら僕は告げる。
嫌な夢? かどうかはわからないけど、いつまでもここにいたくない。
早く、美雪を送り届けて帰りたい。
先ほどまで降っていた雨は、まるで最初からなかったかのように痕跡を消し。頭上には柔らかな光を放つ月と、穏やかな夜空が広がっていた。
そのあとのことはよく覚えていない。ただ、美雪とずっと手をつないでいた気がする。
そうして、美雪の家の前に来た僕たち。
「……今日は、楽しかったよ。またな」
今日の思い出を振り返りながら言葉を告げる。そんな僕をみて美雪は笑顔で
「……またね」
と言って走り出した。
家までの道すがら、今日起こったことを考察する。
時刻は午後10時、日が沈み、柔らかな月の光が世界を包みんでいた。
今日美雪とデートをした。その帰る時あいつは車に引かれた筈だった。でも気が付くとまるで時間が戻ったかのような美雪は元気な姿を僕に見せてくれた。どうなっているんだ……。ただ一つだけ言えるのは僕が車に引かれたのも美雪が轢かれたのもまぎれもない事ということなんだよな。
自分でも何を言っているのかわからなくなる。
だが、自身の身の周りで起こった出来事はあまりに非現実すぎて脳で理解できる範囲を超えていた。
「……非現実」
非現実という言葉がなぜか胸にとげのように刺さってくる。
「もしも、あの時に何かを変えられていたとしたら?」
そうだ。事故に遭った時。美雪が死んだ時。僕は何を願った?
もしも、違った選択肢を選択できていたらと強く思った。だとしたら……ここは。
「……眩し」
月が太陽にすげ替えられ、穏やかな闇夜は自分の心を鏡写しにしたような暗雲に包まれた。
無限に思える一瞬が過ぎ去った時、僕はすべてを理解した。
見間違えるはずもない。あの黒い雲は、僕があの日、轢かれる直前に見ていた空だから。
「そうか。僕の描いた通りの空。そして景色……」
……そう、つまりここは走馬灯のようなものだろうか。もしかすると死ぬ直前の僕に神様が見せてくれた安らかな夢。
そして、今、夢の世界はその形を、役目を終えるのだろう。夢は夢と気づいた瞬間に消えるもの。つまり、もう僕の命は、
「……。もう十分だよ」
そう呟いた途端、周りの景色から色が消え始めた。例えるなら、カラー写真から脱色され白黒写真になるような感じだ。
色は徐々に消えていく。僕たちが手を繋いで歩いてきた道。美雪の家。最後は色々あって曇らせていた空も。すべての色が消えた後、世界の何もかもが破砕音と同時に砕け散った。
身体の感覚が曖昧な暗闇の中、僕はその場にへたり込んだ。
……ここから自分はどうなるのだろうか?
不意によぎった疑問。夢は終焉を告げ、僕は現実に戻される。だが、現実の僕は……もう。
せめて、美雪に謝りたかった。夢の世界では喧嘩がなかったことになっていたけど、それでもちゃんと謝れてよかった。悔いはない。
……あぁ、でも、現実の美雪は大丈夫なのだろうか?
現実の美雪が僕をどうおもっているかはわからない。けど、このまま、僕が死んだら、美雪にあの喪失感を味合わせることになるのかもしれない。
脳裏に容易に再生されるあの風景。あの喪失感。あんなものを美雪が味わってほしくない。
『……どうだった? もしもの世界は?』
聞き覚えのある声が鼓膜を震わせた。
「もしもの世界?」
顔を上げると、前方にかすかな光があった。
『そう。もしも、あの時にああしていたらっていう、あなたの後悔が形になった世界』
「……どうして世界がこんな風に、その、終わりそうになった?」
『それは、あなたが世界の秘密に気づき、自ら終わらせたから』
ふわっと、宙に浮くように白髪の女性が現れる。そして、僕はその姿に見覚えがあった。
「あなたは……店長さん?」
『覚えていましたか。そうです。私はあの時あなたの前に現れた店長と呼ばれていたものです』
……なんで、店長なんかに……。
『そこ以外であなたと関われるところがなかったから』
……心を読んできた。悟り妖怪かなにかかな?
『こほん。話を戻します。この際、私の正体とかはどうでもいいですよね』
「……え、そこは説明してほし……」
『それよりもあなたのことです。あなたは、これからどうしたいですか?』
「どうするも……なにも。僕はもう……」
死んでいると、言いそうになるが言葉を飲む。改めて認識させられると少し、来るものがあった。
『一つ、勘違いを正しておくと、あなたは死んでません。確かに重傷ではあったけど一命をとりとめてます』
「……んなっ!?」
驚きと同時に安堵する。よかった。僕はまだ生きることができるらしい。だが、そうなると、なぜ……?
彼女は現れたのだろうか。僕は、このまま世界の消滅ごと死ぬのだと思っていた。けれど、白髪の女性が言うには僕は死んでいないらしい。じゃあ、なぜ?
『私がここに来た理由は一つだけ。もう一度あの世界に戻らない?』
戻る……とは、どういうことなのだろうか。
『言葉の通り。戻るの。あなたの望んだままの理想の世界に。邪魔をするものも、苦しめるものもいない。だから、あの理想の世界に戻りましょう?』
「……」
あの理想通りの世界。確かにあそこは僕を苦しめる要因がない理想の世界なのかもしれない。あの世界なら幸せになれるのかもしれない。
『現実に戻ってもあなたと彼女は喧嘩したままで、もしかしたら心はあなたにないかもしれないよ? もしかしたら、喧嘩別れしちゃうかもよ?』
喧嘩別れか……。嫌だな。彼女への気持ちを改めて実感した今だからこそ思う。
僕は、美雪のことが好きで仕方ないらしい。その純粋な気持ちに気づくのにかなり回り道をしてしまったけど、でも、気づいてしまった以上嘘の世界に戻るわけにはいかない。
「そうだね。現実に戻ったら美雪と別れることになるかもしれない」
『なら!!』
「それでも、僕は現実を生きたいんだ。たとえ別れることになっても、もしも、あの時に……て、後悔したくないから」
『……。それがあなたの結論なのね』
顔の見えない白髪の女性は暗めの声で問う。
「うん。甘い幻想はここに置いていくよ」
失うことは怖い。だから、失わないとあがかないと、諦めて甘い幻想の中に逃げるのは絶対にダメなことだと思うから。それに現実でも美雪と仲直りできないなんてことはないと思うから、頑張ってみることにする。
『わかった。あなたがそれを望むのなら。私に止めることはできない』
それだけ言い残し、白髪の女性は空気に溶けるように光の泡となり消えた。
光が消え、闇が支配する。
……さて、どうしたものか。
「ともっ!」
暗闇を切り裂く一線。その中から誰かが手を伸ばしてくる。
美雪の声だ。戻らなくちゃ現実に……。
差しのばされた手を掴む。すると、瞬く間に視界が真っ白に染まった。
「……も」
誰かの声が聞こえる。
「とも……」
重い目蓋を無理やり持ち上げる。すると、光がこれでもかと眼球に入り込んでくる。目に障りのない白と木の色が混ざった部屋が視界に映る。病室のベッドで眠っているようだ。
「……み、ゆき?」
「ともっ!!」
目頭を赤くして透明な滴を垂らしながら、美雪はこちらの顔を覗き込んでくる。
「よか……た。と、も……目を、覚ました」
美雪が僕の体を抱きしめる。久しぶりに感じる美雪の体はとても細くなっていて、それでも、胸の鼓動は変わらなくてどこか安心した。
「美雪……?」
体を抱きしめる力が強まるのを感じた。
「……ごめ、んなさい」
たまった水を吐き出すように美雪は謝罪を述べる。
いい方向に物事を考えられないのは自分の悪い癖だなっと、内心で苦笑しつつ、僕は美雪の背中を撫でる。
「ずっと、喧嘩ばかりしてたけど……。昨日、夢を見たの。ともと仲良くデートしてる夢。
……昔はよく、あんな風に遊んだなって、思い出しちゃって。でも、ともは事故って意識不明になっちゃうし。バカ、バカ……」
「ごめん……。ごめんな……。僕の方こそ意固地になって。
ずっと、逃げてたんだ。美雪が離れるんじゃないかって……。もう、仲直りできないんじゃないかって怖くなって……それでまた逃げようとしてた」
言わなくていいことなのかもしれないけど、美雪に今、伝えたいことを必死に言葉にする。
何故かは分からないが自然と頬に何かが伝った。
「……私たち、やっぱり似たもの同士だね。私たち」
そう耳元で囁いた美雪は、僕から離れ涙を拭う。
そして、少し頬を赤らめながらこちらを向くと、
「……とも。私はあなたが好きです。これまでもこれからも」
桜色に染まった頬は桜のような美しい。そんな笑顔を前にしばらく呆然としてしまった。
「…………っ」
無言の間に耐えかねて、美雪は速足で病室を去っていった。
頬の熱が冷めるのを待ちながら僕は周囲を見回した。
その瞬間、窓から風が入り込んでくる。カーテンが舞い外の景色が目に入る。それは雲一つない青空が広がる、とても綺麗な空だった。
《完》
もしも……あの時に。 浜里十寸 @hamasaoto
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます