第2話 始まり 裏
私、灘 美櫛(なだ みぐし)は日本の首都、出雲国の辺境の産まれである。
幼い頃に両親を亡くし、以降は祖母の元でのびのびと育ってきた。
両親がいないのは残念だったが祖母に大切に育てられ、なんら寂しくない日常生活を送れていた…はずだった。
祖母の灘 手綱(なだ てづな)が息を引き取った。
寿命だった。
今思えば良く長生きした方だと思う。娘夫婦を亡くした心労にも耐え、元気盛りの孫娘を立派に育て上げたのだ。
かなりの気概のある祖母だっただろう。
ただ、私は半年たってもまだ前を向けないでいた。
「ふぅ…ごちそうさまでした。」
朝ご飯を食べ終わった。
ため息をついたのはその量が10代の女子が朝ご飯に食べるにはいささか多い量だったからだ。
ご飯に焼き鮭、味噌汁だけだがその量は2人分だった。
今でも時々間違えて2人分の食事を作ってしまう。もう祖母がいないのはわかっているが、それでも無意識に作ってしまうのだ。
重いお腹をさすりながら食器を片付けようと蛇口を捻る。冬明けでまだまだ冷たい水が突き刺さるように痛かった。
さて、今日も今日とて遺品整理だ。
生前、祖母が残した遺産は莫大なものだった。詳しい金額は言えないが高級外車が何台も買えるくらいのお金はあったように思う。あんなお金、どこにあったのかは分からないが見せびらかしたり不用意に散財しなかった所を見ると私のために残してくれたのではないか、なんて思ったりする。
ただ祖母が残したものはそれだけではなかった。
家周辺の広大な土地と山1個、とても大きい蔵5つにパンパンに詰まった古めかしいゴミの山だ。
土地はとてもありがたかった。手続きは面倒だったが、この土地は何故か農業の神もいないのに農作物が豊かに育つので、百姓に貸すだけで女ひとりが暮らすには苦労しない程の収入はあった。
問題は裏山と大量のゴミだ。
裏山は長年管理されていないのか草木が生え異常なほど生い茂っていた。以前祖母に「あの山には神様がいらっしゃるんだよ」なんて教えて貰ったが私には到底信じられない。
いるなら出てくればいいのに。神というだけで持て囃されるのだから出てこない道理はないだろう。
まあそんなことはあまり気にしないでおこう。とりあえず蔵の整理だ。
私はマスクと手袋を付け重たい扉を全体重をかけて開いた。
ホコリっぽくて嫌になるが、祖母は昔のアルバムとかもここにしまっていたらしくそれらを見つける度にちょっと嬉しくなる。
そこが祖母を感じられる唯一の場所だった。
シャァァァァァァァ____
ホコリと砂で髪の毛がギシギシする。何度も洗い流し、やっといつもの髪質に戻ってきた。
結局蔵は10分の1も片付かなかった。まあ時間は十分にあるのだ。ゆっくり時間をかけて片付けていけばいいだろう。
シャワーを終えて早めの夕飯の準備に取り掛かろうとすると、ふと今日蔵で見つけたものが気になった。祖母の日記だ。さすがに祖母といえど勝手に日記を覗くのは良くないと思いやめておいたのだが、やっぱり気になるものは気になる。
私は心の中で「ゴメン…!」と小さく謝りながら祖母の日記をめくった。
想像どうりと言うべきか当たり障りのない私との日常が綴られてあった。床に伏していた半年前程からは何も書いていないが、それより前には「今日は豚汁を作った。美櫛がよろんでくれた。」「今日は高い日本酒を貰った。美櫛が飲めるようになるまでとっておこう。」
と、マメな祖母らしくその日あったことを事細かに書いてある。
ただ、その中に私のことと同じくらい多く書かれたこの文が気になった
「今日は神様のお参りに行った。今日も神様は出てきてくれなかった。」
この神様というのは裏山に居ると言っていた神様だろう。山自体が鬱蒼としていて気味が悪いので私は近づかなかったが、祖母はよく山に登っていた。足腰が健康だったのは日常的に山に登っていたからだろうか。
というかなんで神様は出てこないのだろう。神様なんてどんなにちっぽけでも街を歩けばみんなからキャーキャー言われること間違いなしなのに。そうすれば信仰心もすぐ集まるし、自分も仕事ができるのだが…。
言い忘れていたが私の仕事は巫女だ。
巫女や神主といった神職はこの世界ではとても重宝される。それは神が唯一傍に立つことを許す人間だからである。言うならば神のマネージャーだ。神事の管理や祭りなどの催事の主催、金銭面などの管理も巫女や神主が行う。
代々この家は神様に仕える巫女一族として栄えていた。私もこの歳になるまで祖母にさんざんしごかれたが、その肝心の神様が出てきてくれないんじゃ仕えようもない。私が現在無職状態になっているのもこのせいだ。
「わたしも、文句いってやろ」
山は不自然なほど静まりかえっていた。夕暮れに差し掛かった空は暗い山をより際立たせておりそれが気味の悪さに拍車をかけていた。
懐中電灯で道を照らしながら先へ進む。明日の明るいうちに行けば良いと何度も思ったが、何故か今行かなければ意味が無いという確信があった。
山の中腹まで差し掛かった。山といっても10代の女の健脚ならば20分もかければ軽々と登れる山だ。だがここである問題とぶち当たった。
「道、ないな…」
今まではかろうじて草が禿げている平らな道があったがこの先は雑草が生え放題で道がない。幼い頃に祖母と来た時はあった気がするのだが、整備されて無さすぎて無くなったのだろうか。
ここまでか、と思って引き返そうとした時。
聞き覚えのない異様な音が耳に入ってきた。思わず足を止める。
何かをズルズルと引きずる音、それがどんどんと近づいてくる。私がきた道を同じように登ってくる。その音が十分近づいた時、それは首をもたげてこっちを見た。
蛇だ。
15尺はありそうなほど巨大な大蛇が舌を出し入れしながら私を見つめている。
私と蛇はしばらく睨み合いを続けていたが、先に体が動いたのは私だった。
逃げなきゃ。雑草が生い茂る道無き道に私は飛び込む。懐中電灯も投げ捨て私は一心不乱に走った。静かな山に私の走る音と蛇のズルズルという音だけが聞こえた。私を追ってきている。なんであんな奴がここに居るのだ。蛇なんてここら辺で1度も見たことないのに!
必死に私は走った。追いつかれないように全力で走ったつもりだが、蛇は私のスピードなど悠々と超えてくる。追いつかれるのは時間の問題だった。
ハアハアと息を切らして走っているとちょっとだけ開けた場所に出た。雑草は生い茂っていたがその草むらの中から小さな祠が頭を出していた。
体は芯から震えている。
あと10秒もすれば蛇は私に追いつき牙を剥くだろう。
もう、これに頼るしかない。そもそもここに神様がいるかどうかも分からない。正真正銘神頼みだ。
なんでここにたどり着けたのかは分からないが、今考えたら無意識に呼ばれていたのだろう。
私は必死になって祠の扉を開けた。いるとしたらもっと神々しいのを想像していたが、中にいたのは赤ん坊くらいの大きさで横たわっている何かだった。何となく神様のような気はしたががっかりしている暇はない。蛇はもうすぐそこまで迫ってきていた。
私はその神様を抱き抱え叫んだ。
「お願い!助けて神様!!!」
それとほぼ同時に口をあんぐりと開けた蛇がこっちへ向かってくる。私なんかアタマから丸呑みだろう。思わずぎゅっと目をつぶってその場に縮こまった。
何事も無かった。私には牙を突き立てることもせず蛇はもごもごと首の当たりを動かしている。赤ちゃんサイズの塊がゆっくりととけていっているのがわかった。
あぁ、神様を食べたのだ。
その瞬間私の全身の力がどっと抜けた。今のうちに逃げるべきだと頭では理解していても、一族で仕えてきたであろう神様をそこら辺の蛇に食わせてしまったことにとても罪悪感を抱いていた。
神様の消化が終わったらしい蛇は目をぱちくりとさせて当たりをキョロキョロ見回していた。何をしているんだ。今のうちに逃げよう。
と頭の中の私が叫んでも蛇に睨まれたカエルのように動けない。
やがて蛇の目の焦点は自分に合った。
あ、もうこれで終わりだ。こんな山来なければよかった。
もう一度恐怖で目をつぶると、信じられない声が聞こえてきた。
「おい、娘。大丈夫か」
蛇が…喋った…?
これが私、佐野 美櫛と蛇神様との運命的な出会いだった。
出雲蛇神譚 @kuramu724
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