第8話 帰ろう
「ありがとうございました。少し元気になりました。また来ます」と由真は女性に言うと支払いを済ませてカフェの外の階段を青い海を見ながら一歩一歩降りた。
――青いわ、ほんと青い。 太陽は、まだ高く、来た時、波一つなかった海が何やらざわざわとさざめいてまた違う眩しい光を放っていた。
そしてとめておいた車に乗って元来た雑木林の道を辿った。国道に出てからは女性が言ったように右に向かったが、由真にとっては全然、覚えがない初めての道だった。右へ向かうと直ぐに四号橋にさしかかった。左に行けば直ぐに五号橋がある。この間は、僅か五〇〇m程しかなく、ここの島は、民家やホテル、リゾート施設はあるものの、小さな島である。四号橋は、五つの橋の中でも一番長い橋だが、ここからの眺めは素晴らしい。リアス式海岸の青い穏やかな海に浮かぶ大小の島々の地層が現れた岩肌が時の経過や歪み、断裂を思わせる。
由真は、佐世保の九十九島にも似たその美しい風景を運転しながらチラチラと眺めなめてゆっくり進んだ。
いったいあのカフェは、なんだったんだろう? だいいち、何故こんなところまで私は来てしまったのか? 夜中がいきなり朝になった。なぜ? 瞬間移動したとしたらこちらでも夜中だったはずだ。ここまで六時間かけてやって来た?
由真は、ナビに出ている自宅到着予定の七時四二分を見てそう思った。
今は一時半だ。夜中の三時からこちらへ向かったとすれば朝の九時過ぎにこちらに到着することになる。私が無意識のうちにここまで運転して来て、記憶をなくした? うん、なら時間が合う。あり得る。そうなのか? でも、昨日からのこと全部覚えてるし、運転して来た時の記憶だけが飛ぶなんてあるのか。ガソリンは? 半分弱。金曜日に入れたばかりだから明らかに減っている。やっぱり運転してきたのか? メーターは? 二八〇キロ走ってる。運転したのか。あのカフェは? あのコース一五〇〇円は何故? あの女性は何歳? それはいいか。まあ、趣味でやっていると言っていたから可能な値段なのかもしれない。美味しかったなあ。また来よう。でも、ここまで六時間かあ。また、一瞬で来れたらなあ。いや、時間は六時間やっぱりかかるのか。あの女性に、なんであんなに私のこといろいろ喋ったんだろう? 料理が美味しかったから? そうかな。そっか、今日は、一人で食べていたからか。いつもだったら裕美やお客さんと喋りながら食べてるもんなあ。今日は、あの女性しかいなかったから喋っていたのか。そっか、美味しいと人は喋るんだな。後で現れた夏希というハゲのおっさん。あのおっさんも喋ってたなあ。美味しかったのか、サンドウィッチ。 今度私も食べてみよう。
あれは、ほんとうに夏希? 頭は薄かったけど、確かに鼻筋や顔は、似てたな。
だとしたら夏希だけタイムスリップして来た? いや、夏希だけ私たちよりも早く歳をとった? 夏希も大塔に住んでるしそれはないだろう。それとも私も四五歳? そんなあ・・・・・・浦島太郎みたいな・・・・・・ あのカフェは、竜宮城? そう言えば、雑木林を出た所に「竜宮」とかなんとか書いてあったなあ。由真はルームミラーで自分の顔を写してみた。
――良かった。美人だ。あんな夏希みたいに老けてない。
そう思った時、携帯が鳴った。
――夏希だ。何?
由真は、四号橋と三号橋の間にあるパーキングエリアに車を入れて電話をとった。
「おお、由真や。久しぶり」
「夏希? なんしょっと。なんば電話しょっと」「今どこ?」
「天草。あんたに会うて今帰りよる」
「あんたに会うてって、おりゃ、ここにおるばい。大塔に」
「大塔? あっ、帰れた?」
「なんば言いおっと。おりゃ、ずっとここにおるばい」
「あっ、そっか。あんた、今何歳?」
「なんで? お前より二つ上やけん二九やろもん」
「さっき、会ったよ、四七のハゲのあんたに」
「ハゲの? 四七? だいやそりゃ。お前、騙されとらんや?」
「うーん、騙されとるかもしれんけど、あんた、娘に真由ってつけたて?」
「おお、なんで知っとるとや? あっ、裕美から聞いたとや?」
「いや、さっきの四七のあんたが言いおった。なんしょっと。二文字も私から取っとうやん。なんば考えとっと」
「お前も真由も可愛かけんよかやっか・・・・・・ お前も早よ結婚して娘ばつくれ」
「知らんし。もう結婚するし」
由真は先程、聞いた話を根拠に強がってみた。
「結婚すっと、 だいと?」
「知らん。あんたも知らん人」
「ちっとはがいかなあ。だいや」
「知らんし。手出さんでね。あんたと私は別れとっとやけんね。あんたは結婚しとるし」
「そうさい、結婚したけん小遣いもなかっちゃんね。だけん、お前の所にも遊びに行けん。どがんしよっとや? あっ、結婚すっとか。うんじゃ、行かれんなあ」
「なん言いよっと。こんちゃよかて。用事は、そいだけ? じゃ切るけん。バイバイ」
そう言って電話を切った由真は、自分が興奮していること、心臓がドキドキになっていることに気付いた。
――あぁ、結婚するって言っちゃった。子どもの名前の話、裕美から聞いたとやって夏希が言ってた。あれ?
さっきまで、自分は結婚するんだと思い込んで少し元気になっていたが、この話をハゲの夏希はしていたのか? と急に不安になった。
――やっぱり結婚せんとかなあ? ぬか喜び? ああ、なんで結婚したいのに好きな人が現れないんだろう。ドキドキしないんだろう。 由真は、さっきドキドキしていたことをもう忘れていた。
車を再び走らせ、三号橋を渡り、二号橋も渡った。ここからしばらくは、上天草市大矢野町を、横断するように進む。二号橋と一号橋の間だけ大きく離れているのだ。一号橋を渡ると天草を離れ、九州本土三角半島になる。最近では、もう一本、高速道路用の橋が左手に完成している。由真は、古いナビの言う通り、一号橋をゆっくり渡った。将来的にはこの左手の橋から延びる高速が天草と長崎を繋ぐ橋まで行く予定であると考えられる。橋を渡り切るとそこからは国道五七号線。左手には世界遺産の三角西港公園「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼・造船・石炭産業」の構成遺産の一つもあるが、そんな所に寄る予定も、そもそも旅行の計画もなかつた由真は、ただ海が綺麗だなと思いつつそのままそこを通過した。そして、天草からの橋が将来繋がる予定の南島原市を有明海と一緒に眺めながら進んだ。由真は、あそこは長崎かあ。じゃ、あれは雲仙岳。やっぱり長崎と天草は近いなと思った。海岸沿いの道を進み、有明海の平戸とまた違った青さを眺めた。由真は、この佐賀平野まで繋がる海をぐるっとまわる形で御船インターチェンジから高速に乗り、無事佐世保市の大塔に着き、翌日から早速また仕事に就いた。しかし、先週とは違って、少し元気になっていた。
一〇年後、 娘を連れた由真が再びあの島浦のカフェを訪れていた。
「いらっしゃいませ。今日は、どんなお悩みを持ってきましたか?」
あの時とまったく変わらない色白でスラっとしたあの女性が出てきた。
終わり
ヤンキーの恋人-島浦のカフェー 岩田へいきち @iwatahei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます