第7話 未来の彼(木島先輩)

 由真は、そう言いながらコーヒーアイスをひとさじ、口に運んだ。そして窓越しに海を眺めた。それから二、三分経っただろうか、カラン・コロンとベルが鳴って、ドアが開いた。

「なんか食べるものある?」

赤いバイク用のヘルメットをかぶった色の黒い中年の男がもうドアの中に入って立っていた。

「いらっしゃいませ。ごめんなさい。ランチは 予約分しかないからもう今日はなくなってしまいました。サンドウィッチとコーヒーのセットぐらいなら出来ますよ」

 女性は、そう言いながらヘルメットをかぶったままで怪しいかもしれないその男を出迎えた。「ああ、そいでよかよ」

その男は、そう言うとズカズカと入ってきて海の見えるカウンター席に座った。

「そいでここはどこやろかい?  新聞配達しよったとやけど、どこに来たか全然わからんごとなった」

 由真が『ここはどこ?』に反応して、コーヒーを飲もうとしていたがカップを下した。そしてその男に声をかけた。

「おじさん、どこから来たの?」

「大塔」

「だいとう? 私と一緒じゃん」

 由真は、まさに大塔の自分の家に帰る途中でここに迷い込んでたことを思い出し、反射的にそう言った。

「あんたも大塔から来たったい。じゃここは西海橋あたり? って、由真やん、由真やろ? 凄かなあ、若っか頃と全然かわらんやん。なんしょっとここで」

 そう言うとその男はそれまで被っていたヘルメットをとってカウンターの上に置いた。男の髪は全体的に薄くなっていてかなり乱れていた。

――えーっ、こがんハゲの人知らんし、なんで呼び捨て? まさか・・・・・・まさか夏希? 木島先輩? マジか・・・・・・

由真は、もしかしたらとそうかと思ったが怖くてやんわりと尋ねてみることにした。

「おじさん、失礼ですけど何歳ぐらいですか?」

「おじさんって、おいの名前ば忘れたとや?  夏希たい、夏希。お前より二つ上やけん四七やっけ。お前も四五やろもん」

「えーっ、私、二七やし」由真はすかさず応えた。

「なんば、言いおっと。二つ差は歳とっても変わらんやろもん。でもほんなこて若っかな、お前」

「だけん、二七って。ほんとに夏希?」

「喋り方も変わらんやっか。化粧で化けとるだけやろもん。最近の化粧は、凄かて言うけど、ほんて凄かなあ」

 夏希と名のるその男は、由真の言うことを冗談と思い、信じようとしていなかった。

「いや、そっちもなんかカツラとか被ってきた? ドッキリかなんかしようとしとる? あっカツラでしょ?」由真は、やっと悟ったようにそう言った。

「ヘルメットの下にカツラ?  しかもハゲのカツラ?  だいがそがんこっすっと?」

――ああ、そうか。由真の悟りはもう砕かれてしまった。

 窓の外からの海面に反射された青い光に照らされて頭皮がやや光り、ほつれた髪の毛がなおいっそう乱れて見えた。

「やっぱり歳をとった夏希なんですかね?」

 由真は、やっとここでカフェの女性に助けを求めて振り向いた。

「そうかもね。ここには、時空の迷い人も来るのよ」女性は真面目にそう言った。

「だけん夏希やって。もうおっさんになった夏希やて。でもなんで由真は歳取っとらんとや? 」

「だから二七って、別れて五年しか経っとらんって」

 由真の口調もだんだん夏希に合わせて佐世保弁になっていた。

「夏希は、別れて何年経っとっと?」

「そうな、二四の時やけん、二三年前か。そがんも経つかな? 」

「二三年、そがんもなんで夏希ばっかり?  結婚しとったやん。奥さんどがんしたと?」

由真は、その男が夏希であることはしょうがなく認め、時間のギャップをなんとか埋めようと夏希が結婚したはずの奥さんの話を尋ねた。

「おっばい、まだ別れとらん。娘のおっしな。お前の字ももろて真由てつけた」

――まゆ? まさか二文字とも取ってる? なんで。

「まさか二文字も取っとらんよね? しかも逆さまにしただけやし。なんしょっと」由真はだんだん付き合っていた頃の会話を思い出して少し楽しんでいた。

「そいがさい、おいと違ごうて頭の良かっさい。お前に似たっちゃろね。大学行くって言いおっとさい。だけん、新聞配達ばして金ば稼ぎおっちゃん。可愛かっちゃんね。お前そっくり」

「そがん訳なかやん。なんば言いよっと。奥さんに似とらすろうもん。奥さん元気にしとらすと?」

「しとるよ。小遣い全然くれんけどまだ別れとらん。娘のおっけんな。娘が大学卒業したら別れてお前と一緒になろかい?」

「いやよ、なんでこんなおっさんと」

由真は即答した。

「まさかほんなこて二七? 今は何年?」

「二七て」

「平成三〇年の天草よ。来年で平成も終わるわ」由真に続いて女性も話に加わってきた。

「天草? 島原の先の橋ば渡ったところの? しかもなんて? 平成って?  そがん昔ん人?  あんたち」

「いや、夏希の方が古く見えるけど」

「確かにおいも平成知っとるし、おいの方が古かとかな? なんかよう分からんね。そいで由真は、結婚しとらんとや? しとるごとは見えんね。若っかし、やっぱ、おいば忘れ切らんで結婚せんやったか。すまんやったね」

 夏希は、過去に住む由真たちのことを古いと言い、由真はとても老けてしまった夏希のことを古いと言う。二人はお互い混乱しながら会話をしていた。

「べつに、忘れとったし、たったさっきまで」

 由真は、少し強がってみせた。

「あら、その前も彼の話してなかったっけ?  あれから誰も好きになってないとかなんとか」

 またカフェの女性が口を出してきた。

「いや、それは、たまたま気にいる人が現れないという話で、こんなおっさんで頭も薄い人、忘れてます」

由真は、バツが悪そうに否定した。

「ほうら、やっぱやっか。おいが忘れられんとやろう」

「いやん、ハゲは好かん」

「あなたの元彼がハゲになったのはこれから十八年ぐらい先よ。忘れようにもここの彼には初めて会ったのよ。悔しいでしょうけどあなたが愛した人とはほぼ別人よ」

「おいはおいさ、別人じゃなかばい。ひどかなあ、おばさん」

 女性の説明に夏希が異を唱えた。

「あら、おばさんとは失礼ね。あなたの方がもっと老けてますよ。あなたがそんなに老けてるから彼女、あなたを否定したがってるのよ。まあ、とりあえずこのサンドウィッチを食べて落ち着いてちょうだい。直ぐにコーヒーも持ってくるから。由真さんもケーキとびわゼリー食べといて」女性はそう言いながら美味しそうなサンドウィッチを夏希に渡して厨房に戻った。

「うまかね。久々サンドウィッチば食べた」夏希は既に半分食べていた。

そして語り出した。

「いやね、おいもこがん老けとうなかったとけど、苦労してね・・・・・・気付いたら頭も薄うなっとった。でも可愛か娘のためやけんなんてこつぁなかけどね。可愛かよ、娘は。由真に似て憎まれ口は叩くけど」

「だけん、私に似とるとはおかしかって」由真は、慌てて夏希の話を打ち消した。

「でも子どもは可愛かぞ。真由ば見とって教えられることばっかりよ。おいも親に苦労ばっかいかけよったけど今になってやっと親の苦労も分かってきた。昔の由真の気持ちも今なら分かっごたる気がすっよ。由真も 早よ、子どもばつくれ」

「はあ? 知らんし。なんであんたに言われんばんと。結婚する相手おらんし」

由真は、また強がってみせた。夏希は、既にサンドウィッチを食べ尽くして由真のケーキとびわゼリーを見ていた。その目線に気付いた由真は、頭をさげて腕でそれを囲いながら夏希の方を見て「やらんよ」と言った。

「はははは、変わらんね、由真は。相変わらずそがんとこが可愛かね。大丈夫、直ぐ彼氏のでくっさい。おいはもう追い回さんけん結婚しんしゃい」

「追い回してたの?」またまた夏希たちの話に女性が入ってきた。

「昔ですね・・・・・・好きやったけんね。別れとうなかったとやろね。でももう追い回さん」

「そりゃ今のあなたは、追いかけ回さないと言えるでしょうけど、いつまで追い回してたの?

「そうやね…子どもが生まれてしばらくしてまでかな?  不安やったとやろうね」夏希からは意外な答えが返ってきた。

「何言ってるのよ、何が不安よ、子ども出来たあとでしょ? それは何歳ぐらいの時?」

「三〇前ぐらいかな?」女性の質問に夏希が答えた。

それを聞いた女性はすかさず由真に向かって「由真さん早く彼氏作って結婚しなさい。あなた危ないわよ。また追い回されるかも?」

「えっ、こんなハゲ頭に?」

「何言ってるのよ、三〇前の元彼によ。あなた今二七なんでしょ? 危ないじゃない。今の彼はハゲてないわよ」

「あっ、そうか」

 由真は、女性の言う危機をなんとなく肌で感じて納得した。

「ねえ、あなた、この子に酷いことしてないでしようね?」女性は、窓際のカウンター席で聞いていた夏希に向かってやや強い口調で尋ねた。

「ああ、二、三回連絡してみたぐらいで、『なん言いおっと』って断られたし、金持たんし、つきまとっとらんよ。そいに、由真結婚せんやったっけ? 結婚したって聞いたごたる気のすっばい」

――うそぉ、私が結婚?  誰と?  誰もおらんし。 由真は、黙っていたが夏希の言葉に心でそう思っていた。

「連絡したんだ。やっぱりねぇ。なんでそんなことするんだろうね。男って奴は」

「だって由真は可愛いかじゃなかですか。あんころは特に可愛かったとですよ。そう、ここにおる由真んごて。よかじゃなかですか結婚したっちゃ元カノに会って」夏希は女性の言葉に反論した。

「結婚したって聞いたような気がする程度じゃもうそれからはあんまり追いかけてないわね。由真さんこの人とは結婚しないみたいよ」

――そりゃそうでしょ、ハゲは嫌です。

 また由真は声に出さなかった。

「こがん若っかなら由真と結婚すれば良かった」

「だけん若かとて。私は結婚せんで良かった。私は誰と結婚したと?」

 由真は、自分が結婚するなど想像していなかったので半信半疑で尋ねてみた。

「ああ、裕美に会うた時に言いおったごたっけど覚えとらん」

「なんで覚えとらんと。役に立たんなあ」

「まあまあ、由真さん、誰かわからない方がいいじゃない。分かってたら楽しみが減るわよ」

二人の会話にまた女性が入ってきた。

「そうですか。でも気になるなあ」

「出会いから楽しんでみれば。今から出会う人かもしれないわよ」

 女性は、更に由真に言った。

そして夏希もその調子に合わせて

「そうぞ、お前も結婚せろさい。子ども可愛いかぞ。あとで憎たらしくなっばってん。そばってん、お前ば取らるっとは、はがいかなあ」

「だけんあんたとは結婚せんて」

 夏希の言葉に今度は直ぐさま由真が声を出した。

「そうよ、由真さんはあなたとは結婚しないんでしょ? 別の人と結婚して娘さんができたんでしょう? あなたの時代では、もう由真さんは他の人と結婚しているはずよ」

女性が夏希をいなした。

「そがんですね。おいの時代って、戻らるっとやろかい?  真由たちに会えんごとなったら生きていけんばい」

「あら、そっちでは家族が大事なのね。多分、元、来た道を帰れば大丈夫よ。今まで帰れませんでしたって、ここに戻って来た人はいないわ」

「ほんなこて大丈夫ですか? そん人たちに聞いたとですか?」夏希が女性に真剣に尋ねた。

「いや、時代が違う人の確認は、しようがない、取れないわ。でもあなたの家族を思う気持ちがあれば大丈夫よ。ここの由真さんの事は忘れて帰りなさい。また、ちょっかい出そうなんて考えたら帰れなくなるわよ」

「ええ、分かったよ、早よ帰ろ。おばちゃんごっそさん。美味かった。由真も早よ結婚せろな。じゃあな」

 夏希は、そう言いながらヘルメットを被り、颯爽と店から出て行こうとした。そこへ

「ちょっと待ってください。サンドウィッチセット七〇〇円になります」

 女性が最初の接客口調に戻し、呼び止めた。

 夏希は、ポケットから黒い小さなチャック付きの財布を出して、すまなそうに一〇〇円玉を数えながら女性に支払った。そして去って行こうとする夏希に向かって由真は 「結婚するし」と強がるのがやっとだった。

 でも、由真の中では何かが生まれていた。

――結婚するのかなあ、ほんとかなあ。 僅かな期待というか踏ん切りというかここに来て良かったと思った。しかし由真の口から出た言葉は「すみません、昔はもっとカッコ良かったんですが・・・・・・」と夏希のちょっとカッコ悪い姿を弁解するものだった。由真にも何故そんなこと言ったのか分からなかった。

「あなたが謝る必要全然ないわ。今の彼はまだカッコいいんじゃない? 将来本当にああなってるかなんて分からないわよ」

「将来の彼じゃなかったんですか?」

 由真は、慌てて女性に尋ねた。

「確かめてないから分からないわ。あなたが未来の方がいいと言ったからあの人が来たんじゃない? 本当に来たのかどうかも分からないけどね・・・・・・」

「えっ、来てましたよー」女性の意味深な言葉に由真は我を疑った。

「ちゃんと帰ったかなあ?」そして未来の彼のことを心配した。

「あら、やっぱり優しいのね。あんなに強がっていたのに。大丈夫よ、もう忘れなさい。将来が分かったら人生の楽しみ半減よ。さあ、あなたももう帰らないとね。一五〇〇円になります」

 また女性はカフェの接客口調に戻った。

「ああ、分かりました。コーヒー飲み干しますね。とっても美味しかったです。

お腹いっぱいになりました」

そう言って由真はあと少しだけ残っていたコーヒーを飲み干した。

「どういたしまして、こちらこそありがとうございました。私もお腹いっぱいになりました。あなたは現代を生きているから元来た道を戻って、国道に出たら右に行ってください。 そして熊本市方面から高速に乗って帰ってくださいね。将来は、天草と長崎が橋で繋がってるらしいけどまだ左に行っても長崎には繋がりません。そしてまた来たくなったら、ここは天草五橋の四号橋と五号橋の間の島の浦側ですからいつでもいらしてください。私もお腹を空かせて待ってますから」

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