第6話 由真の悩みと料理

「いいえ、ここは天草ということが分かったんで特にもうありません」由真はそう答えたし、そう思った。

「まあ、ないなら良いでしょう。まずは腹ごしらえね。スパイスがコリアンダー、マスタードシード、クミン、ターメリック、チリペッパーのなす入りカレースープです。どうぞ」

女性は、いつの間にかカレースープを由真のもとに運んで来ていた。

「わー、カレースープ、わー、美味しそうですね」

由真は、そう言うやいなやスプーンをスープに突っ込んでいた。

「いただきまーす」

「熱いわよ、気をつけて飲んでね」

 女性は、今にもスプーンを口に入れそうになる由真を抑えた。由真もそれを聞いて口元で動きを一旦止め、スープに息をかけてから少しずつ飲み始めた。

「美味しい、美味しいです。お腹空いてるからじゃなく、これはお腹空いてなくても美味しいです」

「あら、そう、ありがとう。けっこうこだわってるから嬉しいわ」

 女性は、またニコニコ顔になり、それにつられ由真も次第にニコニコしていた。そして話し出した。

「あの、悩み思い出しました。私、恋が出来ないんです。友だちはみんな結婚したり子ども生まれ出来たりしてるんだけど、なんか全然良い人が現れないんですよね」

「理想が高すぎるんじゃないの」 女性が厨房に戻りながら答えた。

 由真は、またカレースープを口に入れてから「いやそんなことないんですけど、そこそこイケメンかなって人に会っても全然興味が湧かなくて。お店に出てるんで毎日いろんな人との出会いはあるんですけど、ここ五、六年興味が湧いた人ゼロなんですよね」

「お店って夜の? キャバクラとか?」女性が厨房からカウンター越しに尋ねた。

「いいえ、スナックです。一応チーママなんで仕事は忙しいし、あまり休めないんですよね」

「仕事にハマってるだけなんじゃない?  仕事楽しい?」

 由真は、またスープを口に入れ、それから少し考えて「そうなんですかね、楽しいことは楽しいんですけど、忙しい日が続くとなんだか何やってんだろう、この先どうなるんだろうとか思っちゃうんですよね。結婚していく周りと比べて焦ってしまうというか恋愛欲すら湧いてこない自分は異常なんじゃないかと考えたりすることもたまにあるんです。そう、昨日の夜もそんなこと考えながら疲れたなあと帰りの車を運転してたんですよね」

 由真は、そう答えながら昨夜からの出来事を少し整理できたような気がした。

「何故なのかしらね。はい、夏野菜のオレガノ入りオーブン焼き、コーン玉ねぎ・キュウリ・マグロのマリネサンドウィッチ、空豆・じゃがいものコロッケ、ベーコン・プルーンのバルサミコ味の煮物、人参のクルミ和え、トマトの冷製パスタモッツァレラチーズ入りです」

女性は、四角い大きな磁器製の白いプレート皿にコロッケやサンドウィッチを入れ、煮物とパスタはまた小さい器に入れた物を乗せて由真のテーブルに置いて、話の続きを尋ねながら持って来た料理を細かく説明した。

「わー、ちょっと待って下さい。これほんとに一五〇〇円なんですか?  なんか聞き違えてたんですかね? 」由真は、コースの内容の濃さに今一度、尋ね直してしまった。

 女性は、またニコニコしながら

「はい、大丈夫ですよ。このあとメインディッシュを持って来ますからどうぞ召し上がれ。パンも天然酵母の自家製よ」

「マジですか?  これだけでも一五〇〇円は安いですよ。商売にならないじゃないですか。 大丈夫なんですか」

「大丈夫よ。私の趣味みたいなもんなんだから」とまたニコニコしながら女性は答えてカウンター越しの厨房に戻ってメインディッシュの仕度を始めた。由真は、野菜から食べ始め、ひとつひとつをかみしめながらラッキーなカフェに飛び込んだもんだと思った。

「美味しい、美味しいです」と由真は厨房の方に向かってそう言いながら次にサンドウィッチを食べ始めた。三角ではなく丸いコッペパンに具を挟んだものが一個だった。これからメインディシュも来ることを考えれば一個で充分であった。マグロのマリネサンドウィッチ、これも新しい感覚で、由真は、自然とまたニコニコ顔になり喋り出した。

「以前、付き合ったことはあるんですが、その人と別れてからはもう誰ともそんな気になれなくて・・・・・・」

 由真は、次に煮物やコロッケ、パスタ、人参を食べながら元彼の夏希に団地の公園で出会った時のことやその後、付き合うことになったことを話した。


「その彼とはどうして別れたの?」綺麗に食べ尽くされたプレート皿を片づけながら女性が尋ねた。

 由真は、どうしてこんなに自分のこと喋ってるんだろうと少し不思議に思ったがあまり気にすることなく続きの話をした。

「浮気癖があったんですよね・・・・・・」

「あら、それはいけませんね」

「彼は、最初、私を凄く束縛していたんですけどね」

「どんな風に?」

「たとえば、家に帰ったら携帯じゃなくて家の固定電話からかけろって言うんです。最初は怖かったから私も言うこと聞いてちゃんと家の電話でわざわざかけていたんですよね。母親も何やってんだろうと思っていたと思います」

「へえ、今時、珍しいわね」

「昔の話なんですけどね。そんな風に私を縛っていたくせに自分の方が浮気してたんです。今思えば、自分だったらそんなことするから私もするだろうと不安でしょうがなかったんでしょうね。私も弱くないからだんだん逆に支配するようになったんですけどね。だってそんな男の命令ばかりに従うなんて嫌じゃないですか。だからそんなに縛るなら別れると言ってやったんですよ。そしたら別れたくないと泣くし。私の方が強くなったんです。そんな時なんですよね。一回目の浮気を彼がしたのが」

「一回目? あらら、一度じゃないってことね。どんな人と?」女性は興味有りげに尋ねた。

「ええ、どんな人だったかな? その人のことはあまり覚えてないけど浮気がばれた後、うちまで謝りにきたんですよね。熊本へ仕事行ってたからお土産持って、手紙も持って、やって来たんです。母が会ったんですけど、後で聞いたら渡す時、手が震えていたそうです。母は彼の事、結構お気に入りで『会ってやりよ』と言ってたけど、私は会わなくて、電話かかってきても取らないようにしてたんだけど、あんまり鳴らすから出てやったら『会ってくれ』と言われて、『いや』と言ったら『会ってくれんなら死ぬ』と言って電話切ったんですよ。そしたらその後直ぐに、下の方から大きな音がして・・・・・・ 窓から覗いたら彼が近くの民家に車ごと突っ込んでました」

「えーっ、凄いわね、彼氏さん」

「ヤンキーですからね。けっこう激しいです。私も彼に段々と合わせたというか越えようとしたのか激しかったですよ」

「あなたが? そうなの」

「まだ私が高校生の時ですが、二人で喧嘩してて、殴り合いを始めたもんだから周りの人が警察呼んじゃって、二人とも捕まって拘置所に三日間拘束されたこともあるんですよ」

「三日間も? なんで」

「別々に取り調べられて私の方は私から殴ったって言うし、彼氏の方も自分から殴ったって言うから話が合わなくて長引いたんだと思います」

「激しくて仲も良かったのね」

「どうなんですかね? 二回目の浮気の時は相手の名前が私とおんなじユマなんですよ。どう思います。 あり得ますか?」

「うーん、どうでしようね。確率的にはあるでしょうね」女性はニコニコして言った。

「彼が車を運転している時に電話が鳴って『電話、鳴っとうよ』と言っても『後で出る』と言って出ないし、私が出ると言ったら嫌がったので電話の取り合いになって彼氏は運転してるから車はフラフラになりながら走ってたんです。それでついに私が奪って電話出たら『財布わすれとうよ』と女性の声。『誰?』 って答えたら暫く沈黙があって『彼女?』と言われて、はあ? そのユマっていう人、私という彼女がいる事を知ってたんです」

「そうなんだ。彼氏さん、彼女いると言いながら浮気してたのね」

「そうなんでしようね。そのユマっていう人、『コンビニで働いてるから、話があったらいつでも来ていいよ』って言ってきたんですよ。彼氏と一緒に会いに行きました。彼氏も彼女も歳上なんですけど二人とも正座、そして私が説教するって形です」

「あははは、やっぱりあなたも強いのね」

「そしたら彼女が泣き出して、私が怖いからじゃないですよ。『私の事は遊びやったと?』と泣くんです。『はあ? 私の方が浮気されとっとよ。私は、どがんすれば良かと?』って言ってやりました。結局その時は、彼氏も泣きながら謝ったからなんとなく許しちゃったんですよね。私が彼氏に少し嫌気がさして別の男の子の車に乗せてもらったら追っかけて来て、その男の子をボコボコに殴ったりしたのにです。お陰で私の周りから友だちがどんどん離れていったというのにですよ」

「あらら、その男の子、ただの友だちだったんでしよう?  可哀想ね」

「ヤンキーと付き合った私の定めだったんでしようね」

「いや、あなたじゃなくて男の子は痛かったでしょうね」

「ああ、そうですね。あはは」由真は笑ってごまかした。

「さあ、メインディッシュを持ってくるわね」女性は厨房に戻った。

――そうだった。メインディッシュを忘れていた。 由真は食べることは忘れて夢中で今日初めて会ったこの色白のスラっとした女性に話をしていた。

「お待たせ、生ハム・サニーレタス・クレソンとトマト・フレンチドレッシング、鶏肉トマト白ワイン煮、天然酵母パンにスモークチーズ・ゴーダチーズオーブン焼きです」

「えっ、すごい」

 由真は料理のこのとを忘れかけていたがここの料理が値段に合わず豪華であったことを思い出した。

「ゆっくり食べて下さい。喋り疲れたでしよう? 私は洗い物をするわ。またデザートの時、話を聞かせて」

「えーっ、デザートもあるんですか? 天草だから物価が安い?  離島だから?」

「そうじゃないわ。離島だったら逆に高くなるだろうけど、天草は五つの橋で繋がっていて離島でもない。あなたのお話で一部料金を支払ってると思って」

女性は、謎めいたニコニコを見せた。


 やがて由真がメインディッシュを食べ尽くし、女性がデザートを持ってきた。

「コーヒーのアイスクリーム、ケーキ、紅茶のびわゼリーです。あなたの話、面白いから少し多目のデザートよ」

「ですよね。いつもより多めにしてもらってるんですよね?  デザートは別腹だから大丈夫です」

「あはは、それであなたその彼氏とどうやって別れたの? 」

女性はデザートをテーブルの上に置きながら尋ねた。

「三回目の浮気をされちゃったんです。最後はSNSかなんかで知り合った人だったみたいなんですけど、もうさすがに別れようと言いました」

「素直に別れてくれた? 」

「いいえ、もうストーカーみたいになっちゃってズルズルと引きずってましたね。それから何年もかかりました」

「何年も・・・・・・あなた魅力的だもんね。別れたくなかったんでしょうね」

「いや、私の魅力はわかりませんが、諦めは悪いやつでした。もう他の人と結婚したみたいだし、子どももいるって話です」

「そうなのね、じゃ、またよりを戻すって事はないのね?  そこかなあ?  あなたのモヤモヤは。その人に会いたい?」

「いいえ、まさか」

「そうなの。じゃ会えるとしたら過去の彼と未来の彼どっちに会いたい?」

「えっ、会えるんですか? 未来の彼に」

「会えるとしたらよ。未来の彼に会いたいのね」

「ガキの頃の彼はどうせヤンチャだし付き合ってた頃よりもっとガキでしょうからね」

「そうね、来るといいわね。未来の彼」

「いや〜、別に会わなくても」

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