読心読書の辻川さん

Lie街

第1話

辻川さんとは同じクラスに属している。それだけでも幸運なのだが、なんと僕の席は彼女の隣にある。

しかし、辻川さんはクールな美少女なので僕とは話は愚か視線すらあったことはない。本に視線を落としていたり、窓の外を眺めているのが常である。僕はどうせ目が合わないだろうとたかをくくって彼女の微かに紅潮している白い横顔を見つめている。

「おい、寄鳥」

不意に友人が僕の名前を呼んだ。手招きをされたので、そちらに向かうと軽いチョップをくらわされた。

「またご尊顔を拝見していたのか?」

「......バレたか」

「全部顔に出てるからな」

友人は冷凍庫から漏れる冷気のようなため息をついた。僕が再び後ろを振り返ると、彼女の髪の毛がちょうど夏のそよ風に遊ばれて、優雅に空中を泳いでいるところだった。

「確かに美人だよな」

友人はしみじみと言葉を漏らした。

確かに美人だが、そんなありていな言葉で片付けられていい問題ではない。ボッチチェリが彼女の存在をもしも知っていたらきっとビーナスの姿形は彼女そっくりに描いていただろう。いや、それどころか世界中の画家が彼女を描いただろう。

それほどのオーラがあふれていいる。故に彼女は孤高だ。彼女が他の誰かと話しているのを僕はほとんど見たことがない。それも非常にいい。花瓶にさす花はごちゃごちゃしているよりも、たった一本のバラで十分なのだから。

チャイムが鳴った。有象無象がわちゃわちゃと自分の席に戻っていく。

辻川さんは文庫本を静かに机の中に収納する。左手を文庫本の下側に手を添えたまま髪の毛を片手でかき上げる。小さな耳が顔をのぞかせる。福耳ではないが貧相でもない、ちょうどよい体裁を整えた耳たぶが垂れるでもなくそこに存在している。まるで神が彼女の耳を直々に整形したようだ。

彼女は肘をついたままふと自分の耳を隠した。僕は少し焦った。もしかしたら見ていたのがバレたかもしれない。

「寄鳥翠、ここ答えてみろ」

先生の声が聞こえた。

「は、はい!」

僕は勢い良く立ち上がったが、肝心の答えがわからない。黒板を何度も見つめなおすが、問題の回答は皆目見当もつかない。冷汗が頬を伝っていくのが分かった。

「おい、どうした。寄鳥、授業訊いてたらわかるだろう?」

体育会系のごり先生は僕をぎろりと睨む。その時、隣で何かが落ちた音がした。視線を移すとそこには、ノートに大きな文字でアルファベットが二文字書かれていた。

「aとcです」

「うん、そうだな。そうすると......」

ごり先生は黒板に向き直り、授業を続けた。僕が席に着いた時には、もう床にノートはなく、辻川さんの机の上に帰っていた。辻川さんは窓の外を見つめていた。よく見ると、耳の先が少し赤くなっている気がした。


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放課後。僕はぼんやりとしながら靴箱から靴を取り出していた。

「......ねぇ......」

どこかから声が聞こえた気がした。そよ風の音に巻き込まれてしまいそうなほど小さな声だった。

「あの......」

振り返ると、辻川さんが立っていた。どういう風の吹き回しだろう。たまたま帰えるタイミングが被ったのか?いや、彼女は部活に所属していたはずだから被るはずもなければ、被ったからと言って話しかける道理が彼女にはあるはずがないのだ。

「......」

「......」


「......」

「......」


「............」

「............」


なんて気まずい空気なんだ。久しぶりに街で見かけた友人に声はかけてみたものの、その友人とのエピソードがほとんどなかった時よりも数倍気まずい。確かに、彼女の顔を正面から、しかも無条件に見つめることができるのはこの上ない幸せだし、これ以上の幸福を感知する能力はきっと僕にはないのであろうが。

「ちょっと、いいかな」

彼女は消え入りそうな声でそういった。そして答えを聞く前にすたすた歩き始めた。

「え、ちょっと」

僕は辻川さんの背中を追うしかなかった。


辻川さんは彼女が所属するオカルト部の前で足を止めた。中に人がいる様子はない。

辻川さんは部室の端に積み上げられている椅子を二つ取り出し、そのうちの一つを僕の前に差し出した。心なしか、距離が少し遠い気がする。

僕と辻川さんは向かい合うように座った。古い自動ドアのセンサーが反応するまでくらいの短い間の後、彼女は艶やかで甘い匂いがしそうな唇を開いた。

「すいません、ここじゃないと話しづらくて」

やはり、消え入りそうな小さな声だ。しかし、決して自身がなさそうなわけじゃない。むしろ凛としていて、無表情を崩さない。

「全然大丈夫だよ」

僕はいたって冷静(なつもり)に返した。

声も初めて聞いたし、正面からの顔も珍しい。何より会話なんて初めてだ。こんな状況で緊張しない方がおかしい。

「あの、一つお願いがあるの」

「え、僕に?」

「だめかしら......」

「い、いやとんでもない!僕にできることであれば」

「あ、ありがとう。それで、お願いっていうのは……」

そこで言葉が途切れてしまった。

「え、なに?」

しかし、口は動いている。声のボリュームがさらに下がって、聞こえなくなったようだった。言いずらいことなのだろうか。

僕は立ち上がり辻川さんに近づいた。一歩一歩近づくごとに、柔軟剤のいい香りが強くなっていくのを感じた。まるで、花畑に足を踏み入れて行っているような感じがした。辻川さんは相変わらず無表情だが、それもそれで美しい。お人形さんみたいという比喩表現があるが、彼女の場合それはただ単に事実を述べただけということになるだろう。

「私のことを考えないでください!」

辻川さんの顔に突然感情が宿った。魔法をかけられたピノキオのように。

僕は驚いでしりもちをついてしまった。

「わわわわ、私、その、感情が、たたた昂ると、その、えと、テレパシーで、あの、人の、かか考えが、頭の、なかに、だから、私のことは、考えないで」

辻川さんは顔を消防車みたいに赤くして、何度も詰まりながら僕にそういった。頭の上で赤いランプが回っているのが見えるようだった。

辻川さんは一通り話し終えると、力が抜けたように椅子に座り込んだ。

「つまり……、人の心が読めるってこと?」

僕は立ち上がりながら、辻川さんにそう尋ねた。彼女は再び真顔に戻っていた。そして、静かに頷いた。

「感情が昂ったときに?」

彼女は頷いた。

「え、じゃ、今まで僕が辻川さんの隣で考えていたこと全部伝わってたってこと?」

「はい、大体は……」

今度は僕が赤くなる番だった。体が熱い。本当にそうだとしたら、これほど恥ずかしいことはない。それも、よりにもよって辻川さん本人に、僕の脳みそから直接伝わっていたなんて、恥辱の極みである。

「じゃ、じゃぁ、僕が辻川さんのことを心の中で女神だと思っていることも?」

「はい」

「え、じゃぁ、告白のイメトレをしていたことも?」

「はい……」

「そ、それじゃぁ、辻川さんの読んでいる小説を僕もこっそり読み始めたことも?」

「は……い……」

なんてこった、本当の本当に僕の辻川さんへの賛美はすべて筒抜けだったのだ。辻川さんの耳の造形が美しすぎると思っていることも、その唇が桜色よりも桜に近いと思っていることも、実は毎日教室の花瓶のお手入れをしていることを知っていることも、辻川さんの美しさを表現するための言葉を探しているこ……

「聞こえてる!全部聞こえているから……」

「あ、そうか」

迂闊だった。

「その……、声は感情が昂ったときだけなんだろう?なのに、なんでそんなに僕の考えていることが分かっているんだ?」

辻川の目が微かに泳いだ。

「それは、それは。寄鳥くんが私の方をずっと見てくるから」

辻川さんにもバレていたのか。

「それに、寄鳥くんは分かりやすいんだよ」

僕は昔から嘘がつけない。嘘をついてもバレてしまうし、なんならつく前から嘘をつこうとしていることがバレてしまったりすることもある。

「見られて、感情が昂るってことは、照れるってこと?」

辻川さんの顔が少しずつ赤くなっていく。どうやら、当ててしまったらしい。

「じゃ、じゃぁ辻川さんまた明日ね」

僕はこれ以上辻川さんに迷惑をかけたくなかったから、カバンを持ち上げて扉に向かった。

「寄鳥くん!」

僕は振り向いた。

「このことは、二人だけの秘密だよ」

僕はその言葉に鼓動が高まったのが分かった。

「も、もちろん。じゃ、また」

「はい、また明日」

僕は高鳴る鼓動を家にまで持ち帰った。


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