第24話:お前もこっちに来い

「よーるみーやくん」


俺は許可をもらい、休日も学校で絵を描き続けていた。

体育館の舞台サイズの絵を描くには、一枚だけでも相当な時間がかかるのだ。

それでも他クラスや他学年の絵心のある生徒や美術部の部員がラストシーンの一枚絵以外のすべてを担当してくれているので、比較的配慮されていると言えた。

十二月に差し掛かり、暖房の利いた教室から出れば冷気が纏わりついてくる。

すでに木々はその装飾を落とし、殺風景な枝ばかりとなっていた。

そんな中、わざわざ学校に無断侵入し、陽気に俺の名を呼ぶ彼女にため息をつく。


「……綾香……。許可もなく、うちの高校に侵入したことがバレたら、かなりやばいぞ?」


俺も詳しく知るわけじゃないが、最悪不法侵入なのではないだろうか。

その懸念を綾香は見事なスルーで絵を指さす。


「わあ……! もう色塗りに入ってるんだね! この絵をバックに王子様とお姫様が将来の誓いを立てるんだよねえ……。ロマンチック!」

「おいおい、人の話は鮮やかなスルーか!」


俺はペンキの刷毛を置き、額の汗を拭う。

凄まじい集中力を使っているので、並々ならぬ量の発汗がある。


「悪い、綾香。お前の近くの暖房のスイッチを切ってくれないか?」


ペンキで汚れた手指を掲げて見せる。

だが、彼女は申し訳なさそうに言った。


「ごめん。赤切れで手をあんまり動かしたくないんだ……」

「……? そうか」


そういうこともあるのか、とかなり疑いたくなったが、他ならぬ綾香のことだ。

きっと触れたくない理由があるのだと割り切ることにした。

俺は手を洗ってから、暖房を切る。


「それで? 俺のところに来た理由はなんだ?」

「理由がなきゃ、来ちゃダメなの……?」

「ここが俺の部屋だったらいいんだけどさ。今回は教室だし、割と真面目にダメだと思うぞ」


その言葉に少し怯んだようにも見える彼女に俺は一転して笑みを見せる。


「まあでも、今日は校内で活動する部活も少ないしバレないだろ。好きなだけいればいいさ」

「……!! ありがと! 夜宮くん大好き!」

「な……!?」


突然の『大好き』という言葉と飛びついてきた勢いで俺は床にしりもちをついてしまう。

運命の悪戯か、綾香が俺の上にまたがり、押し倒しているような構図になる。

決してやましい気持ちはないが、顔が上気するのを抑えることができない。


「綾香……!」


何を思ったか、綾香はそのままストン、と顔を俺の胸にのせる。

心拍数がみるみる上昇し、変な汗がどっと沸いてくる。


「……あったかいなあ……」


小鳥の歌う声のように慈しむような響きがある。


「わたしね、春に夜宮くんと再会して君の過去を知って。それでも絵を描いてほしいと思ったんだ。君の気持ちを全く知らずにわたしが無責任に言うことの残酷さは、わたしの思う以上のものだった。君を深く、傷つけてしまった」

「どうして……今になってそれを持ちだすんだ……? 別に綾香に悪気があったわけじゃないことは分かってる。それ以上に俺はひどいことを言ってしまったしな。だから、お前が気にする必要なんてないんだ」


都合がよすぎると言われようとも、今の今まで忘れていたくらいだ。

それ以上に綾香からは多くの優しさを貰った。

むしろ、俺からあげるものが足りなすぎると不甲斐なく思うばかりだ。


「ふふ、夜宮くんはいつでも優しいね……。時間が経ってもそれは昔っからなんにも変わらない君の魅力だよ。でも――ううん、だからこそわたしの言葉を聞いてほしいな」

「……ああ」


その言葉に俺は口を挟むことを諦めた。

口調はどこまでも穏やかなのに、不思議な悲壮感が漂っているとさえ感じた。

気のせいであってほしい。

そう思い込むことが今できる唯一のことだ。

先ほどまでは雲一つない冬晴れだったというのに、曇ってきたのか、影が教室を半分に割る。

ちょうど俺と綾香の間を裂くように、陽と陰で区切られてしまう。


「ごめんね。夜宮くんは謝ってくれたのに、わたしは謝ってなかったから。また君が絵を描いてくれるようになって今、すっごく嬉しいんだ……。――はい、これでおしまい!」


最後は冗談のように軽くて明るいノリをしていたが、発された言葉の一つ一つが真剣だった。

気恥ずかしそうに俺の上から退く彼女を思わず、抱き寄せてしまう。


「わわ……っ! どうしたの、夜宮くん……?」

「お前もこっちに来い」


きっと俺が言っていることは綾香には通じていない。

それでも俺が抱き寄せることで、彼女は暗から明へ連れ出せたのだから、それでいい。

陰キャな俺はその後、無性に恥ずかしくなってすぐに綾香を解放した。


「さ、さて! 頑張って最高の絵を完成させようじゃないか!」


綾香は朱に染まりながらも、寂しげな微笑みを向けてくるのだった。

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