第23話:クリスマスの準備は進んでるか?

「おはよう、夜宮。クリスマスの準備は進んでるか?」


十一月の半ば、クリスマスの文化祭――通称冬凪ふゆなぎ祭まで残り一か月程度にまでなっていた。

十月の最後になって時雨から背景絵の場面テーマを伝えられた。

演劇の内容は最終的にはハッピーエンドと呼べるものだ。


ざっくりと説明すると、ある国の王子様は臣下の裏切りによって殺されかけた。

彼の父――王様は王子を逃がし、自分と信頼できる部下を犠牲に選んだ。

それから王子は異国に亡命し、貧民街で生きながらえていくのだが、そこで隣国のお姫様と出会う。

二人は時間を共有するうちに、互いに惹かれ合うものの、周囲からの猛烈な反対を受ける。

最後にはお姫様の決意のもと、二人で駆け落ちし、満天の星空のもと、誓いのキスを交わすというものだ。


そして、俺が時雨に頼まれたテーマはクライマックスと呼べる星空と花園。

暗い背景にいかにして煌びやかさと二人の未来への祝福を表現するかが最大の難関といえる。


「ブランクがあるにしては上々な進みだ。今は構想の段階なんだけど、この前京都・奈良の旅行に行ったからな。そこで綺麗な星空を見たからかは分からないけど、順調だ」

「そういえばそんなことを言っていたな。お土産はないのか?」


俺はすっかり失念していたことを思い出す。

友達がいないことが常だった名残で、お土産のことなど考えもしなかったのだ。


「わ、わるい……」

「なんて冗談――」


俺は瞬時にひらめき、学生カバンに付けていた縮緬ちりめんストラップを外し、時雨の手のひらにのせる。


「だ」


時雨は何か言っていたようだが、耳に入ってこなかったので良しとしよう。

それから時雨は目を丸くしていた。


「これ……お前のだろう?」

「いいんだよ。お前にだって現在進行形で迷惑かけてるんだし。その……友達、だろ?」


言い淀んでしまったのは一男子高校生としての照れからだ。

誰にだって言うことが恥ずかしい言葉はあるものだ。

時雨はキャスケットのツバを掴み、ぐいと下げる。

表情が読み取れない。


「嬉しいよ、夜宮。お前から何かを貰うのはあの時以来だな」

「俺が描いた絵を取っておいてる時雨は物好きだな」


懐かしむような気持ちで思い出す。

そんな俺の様子を時雨の口元は愉快そうに小さな弧を描いていた。



♢♢♢



「夜宮、朝はお前の旅行の話で終わったけど、少しいいか?」

「ああ」


放課後、俺は時雨と二人で冬凪祭の話をすることにした。

綾香は近くで待っているだろうが、十六時を過ぎても下校しなかったら先に帰っていいと予め伝えてある。


「冬凪祭は――というより、私立夕凪高等学校はおれの父さんが理事長を務めている」


出だしから鼻先にデコピンを喰らわされたような気持ちになる。

それは初耳だったからだ。


「この学校規模でのクリスマス会と文化祭の融合は、実はおれが提案して前年度から試験的な試みで取り入れられていたんだけど、今年度からは正式に夕凪高校の年間行事に組み込まれることになった」

「そういうことだったのか。……なるほど! だから『おれに腹案がある』って言ってたのか!」


俺は屋上で時雨の発案したことを思い返していた。

それは俺と幼馴染のうまくいっていない近況を聞いていた時雨の改善策。

そしてもう一つが冬凪祭における目玉演劇の背景制作だ。


前者は端的に言えば一言だ。

すなわち、「夜宮が悪い。だから誠実に謝ること」だった。

綾香は俺の八つ当たりを気にもかけていなかったようだが、それは結果だけを見ればの話だ。

時雨の提案で綾香に対する俺のもやもやした気持ちも晴れた。


後者は学校の生徒を見返すというものだ。

多くの生徒は実態のあやふやな朝露事件の噂に惑わされているだけで自分の目で事実を見たわけじゃない。

だからこそ、俺がまっすぐに絵に取り組んでいる姿を見れば、見方は変わるというものだ。

「人の噂も七十五日って言葉があるくらい、噂の力は今の努力と時間の力で消せるんだ」と時雨は言っていたな。


「やっと気づいたか。お前は鈍いからな」

「仕方ないだろ。これが俺という人間の性だ」

「……かっこつけるな。気持ち悪い」

「ひどすぎる……」


放課後の教室では俺が絵を描きつつ、時雨が見守るような形になっている。


「そういえば、お前ってやつは本当にミステリアスボーイだよな……。夕凪高校の理事長が時雨のお父さんだったとか初めて知ったぞ」


そう言うと、時雨は椅子の背に腕を載せ、さらに腕に顔を載せる。

椅子に逆向きに座る形だ。


「と――親父の権力にしがみついてる金魚の糞なんていやだろ? それにお前に話してもそんな目で俺を見ないだろって判断したんだ。いいやつだからな、お前」

「いやいや、俺の方こそお前にはいろいろと世話になってるし、そんな金魚の糞だなんて思わないよ」


まったく、俺はこれほど感謝しているというのに。

思っていることほど伝わらないものなのかもしれない。


「あ、そこはもう少しパースを利かせた方がいいんじゃないか?」

「確かにそうだな。おっけ――え!?」


俺は時雨の言うことに驚いてしまう。


「時雨、お前今『パース』って言った?」

「あ、ああ。なんか今の夜宮、怖い」

「お前、絵のこと分かるのか?」


俺の言葉に時雨はふん、とそっぽを向いてしまう。

だが顔の代わりにのぞいた耳はほんのりと赤くなっており、どこか嬉しそうだ。


「さーてな。おれは絵に関してはド素人。夜宮のやりたいようにやるといい」


その言葉で確信した。

時雨は中学生になる前の数週間を俺と過ごした時には絵のことを何も知らなかった。

だが、今は遠近感にまつわる『パース』という単語を使い、なおかつより良い絵になるようにアドバイスをしてきた。

絵に関心を持って、勉強したのかもしれない。


「なんだか、自信がなくなってきたな……」

「いや、なんで」

「時雨が本気で絵に取り組んだらすぐに抜かれるぞ、俺」


やれやれと時雨は首を横に振る。


「夜宮の絵が精密で人の心を動かすことは俺自身がよく知ってる。それはお前でなきゃ表現できない才能だ。家出したときのイラストは今でも額縁に入れて俺の部屋に飾ってあるんだぞ?」

「額縁に入れるほどか……。確かに心を込めて描いたけど――っ」


小さく頭痛がした。

まだ過去と決別できたわけではないのだ。

その様子を見ていた時雨は俺の目を捉え、その怜悧な相貌で言い放つ。


「大丈夫だ。たとえ、誰がどんな難癖をつけてきたとしても朝露事件のようには絶対にさせない。おれが親の権力を使ったとしてもそいつらを潰してやる。だから堂々としろ、夜宮悠斗」


俺は綾香が温かく包み込んでくれる盾だとすれば、時雨は冷たく障害物を屠っていく矛という印象を抱く。

どちらも根元では繋がっていて、俺を立ち直らせようと支えてくれる。


――本当に、俺は今までどうして気づかなかったのだろう。こんなにも身近に手を差し伸べてくれる存在がいたというのに。


「……なんかお前に言われるとなけなしの自信が湧いてくるみたいだ」

「その意気だ」


力強く笑いかけてくる時雨に改めて感謝する。


「そうだ。一つおれと約束しないか?」


時雨は人差し指を立て、悪い笑みを浮かべる。


「嫌な予感しかないのは気のせいだろうか」

「気のせい、気のせい。聞く気はあるか?」


俺はしばらくの逡巡ののち、その内容を聞くことにする。


「お前がもし髪を切って瞳が見えるようになったら、おれもイメチェンしよう」

「なんだ、その約束は」

「約束って言っても夜宮がトリガーを引かない限りは果たされないものだけどな。どうだ? 受けてみないか。損はさせないぞ?」


俺は今までになく押しが強くなる時雨の勢いに折れることにする。

負けると分かっている戦いを俺は選ばない。


「分かった。受けるよ」

「よし、絶対約束だからな」


こうして不思議な約束が一つ、ここに生まれた。

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