第6話:コーヒーでいいか?
時節は五月の半ばを迎えていた。
綾香と再会してからというもの、彼女は毎日欠かさず近くの自然公園にあるベンチで待っていてくれるのだ。
嬉しい反面、どうしてそこまで俺の傍にいようとするのかが分からなかった。
このことを時雨に話すと「夜宮におれ以外の友達ができてよかったじゃないか」と、表情を和らげて言われたものだ。
「綾香、ホットコーヒーでいいか?」
「うん」
「マスター、今日のおすすめブレンドのホットコーヒーを二つ」
俺と綾香は人の入りの少ないカフェに来ていた。
味のある地下カフェと言った様子で、俺は一人で気分を落ち着けたい時にはよく利用していた。
もっとも立地が地下であり、バーと兼ねているため、夜は大層賑わう一方で昼間は客入りが少ない。
綾香たっての希望で、人気の少ない場所を選んだのだ。
それに加えて、店員が寡黙な方がいいという不思議な要望もついていた。
「夜宮くん」
その直後、綾香が俺に顔を寄せ、小さく耳打ちしてきた。
「わたし、あんまり人に食べる姿とか、飲む姿を見せたくないんだ。だから、コーヒーを淹れ終わったら、マスターに席を外してもらえるように言ってくれないかな……?」
綾香の相次ぐ変わった要望に俺はそういう性格なのだろうと思うことで割り切ることにした。
綾香が耳打ちしたことをそのまま話すと、マスターは快諾を示してくれた。
「どうぞ。何かお話ししたいことがあればいつでも呼んでください。私でよければ、お話くらいは聞けますので」
「はい。ありがとうございます」
どこか心配そうな気配を感じつつも、コーヒーを淹れるとマスターは席を外した。
「今日のマスターはいつも以上に心配げだったな。ちょくちょく悩み事を聞いてもらってたから仕方ないのかもしれないけど……」
「そう……? お客さんを気遣ういいマスターに見えたけど……」
「それは間違いない」
俺はコーヒーに視線を落とす。
カップの八分目まで注がれた濃い目のブラウンに、そこから溢れ出す芳醇な香り。
一口飲むと、爽やかな苦みが抜けていく。
「相変わらず、いい腕してるよ。マスター」
綾香の方を見ると、コーヒーをじっと見つめながら、顔を赤くしているようだった。
『ようだった』というのは、地下のカフェ内である上に、照明の彩度が絞られていて、詳細な様子をうかがうことができないからだ。
「ねえ、夜宮くん」
「どうした?」
「わたしの、手」
「手……?」
「……握っていて、くれないかな……?」
「……はあ。……はあっ……!?」
不可抗力的に叫んでしまう。
マスターがここにいたら、店内ではお静かに、と注意をされていたことだろう。
「どうして、そんなこと」
「友達の間ではこれが普通、だよ……! 夜宮くんの特訓も含めて!」
「訳分からんが……お前は良いのか? 俺なんかと手を繋いで」
「『なんか』じゃなくて、夜宮くん『が』いいの。ね?」
「っ……そこまで言うなら」
俺だって、健全な男子の末席である。
心臓が意志とは無関係に跳ね回るのは無理のないことだ。
でも、所詮は中学で問題を起こした犯人に偽装され、日々を出涸らしの人生として送っている俺にとってはもったいない以外の何物でもない。
綾香ほどの優しさと可愛さがあるのなら、わざわざ俺を追ってこなくてもよかっただろうに。
どうして、何のために追ってきたのかが今一つ分からないでいた。
「……んっ」
「……おい、変な声出すなよ」
「ごめんね。少しだけ緊張を紛らわすためにしたことだから、気にしないで」
からかうような響きの声音にしてやられたという念が湧き上がってきた。
「コーヒー、美味いか?」
「今、飲んでみるね」
両手でカップを包み、ふぅふぅと熱冷ましをする綾香の姿から視線を外す。
飲食している姿が苦手なら、ちょうどいいだろう。
小さくすする音が聞こえた。
「……っ!? 何これ! すっごく美味しい! わたし、いつもはお砂糖を五粒以上入れるのに、今日は一つも入れなかった!」
「いつもが多い気がするけどな……。でも美味かったならよかった。店内もなかなかいいだろ?」
「確かに……! 改めて見ると、外観もオールドでいい雰囲気だったけど、中もすっごくいい。こんなカフェを夜宮くんは知ってるんだね」
「まあな。何回か、時雨と来たことがあるんだ」
「……? 時雨さんって夜宮くんのお友達?」
ああ、そうだ。
綾香にはまだ時雨のことを話していなかった。
ちょうどいい。
ここで時雨と俺との過去を話しておこう。
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