第5話:生活感がなさすぎる

「ここが夜宮くんのアパートかあ……。うん、味があっていいね!」

「無理に褒めようとしなくていいよ。俺だって、ここに褒められる部分がないことくらい分かってる」

「あ、あはは……」


少し遠回りをして、綾香と俺はスーパーに寄って食材の買い出しを済ませていた。

綾香が夕飯を作ると言って聞かなかったので、しぶしぶ付き合ったのである。

俺と会うときは笑顔を振りまいているというのに、変なところで強情なのだ。


「見た目通り、あんまし広くないからそのつもりでな」

「全然だいじょーぶ」


俺が鍵を開け、部屋の中へ通すと綾香はポカンとしていた。

そう、漫画とかで言うなら目が点という奴だ。


「夜宮くんって、ここに住んでるんだよね……?」

「ああ、そうだ。ベッドがあるだろ? 本棚があるだろ? 狭いけど、キッチンや風呂場、トイレだって完備だ」

「生活感がなさすぎる……」


そう言われるのも無理はない。

無駄は極力省くという理念のもと、必要最低限の家具と趣味の小説が数冊しか置いていない。

色で言うなら、灰色――それもくすんだドブネズミ色が最適だ。


「ねえ、一つ聞いてもいい?」

「お前の言いたいことは大体分かるよ。俺の部屋に絵がないってことだろ?」


『絵』という単語は意識的に無感情に使う。

先ほどは無防備な状態で矛の一撃を貰ったようなものだが、今回は『絵』という言葉を予期していたため、何とか受け止められた。

それに幼い頃の俺を知っている綾香にとって、当然の疑問でもある。


「俺は絵を描くのをやめたんだ。中学の途中で」

「どうして……? わたし、夜宮くんの絵がすごく好きだったんだよ……?」


過去の俺ならば今の言葉でとても喜んだだろう。

だが今の俺にとっては空々しさしか感じない。

綾香にその気はなくとも、俺自身の受け取り方が捻じ曲がっているのだ。


「描きたくなかったから描くのをやめた。他に理由はない」

「そう、なんだ……」


物悲しげな表情をする綾香に少しだけいたたまれなくなった俺は、とても気になっていた話題を振る。


「俺の話はこの辺でいいだろ。それよりも、だ。さっきの綾香の言葉はどういう意味だ?」


『さっきの言葉』とは俺の『彼女になる』という宣言のことだ。


「そのままの意味だよ。わたしと付き合ってほしいの。友達や幼馴染としてじゃなく、恋人として」

「本気、なのか? 俺が言うのもなんだが、冴えない陰キャの頂点にいるような男だぞ?」

「本気じゃなかったら、わたしはこんなことを言わないよ。でも――夜宮くんの気持ちが一番大切だから、君が嫌だって言うなら諦める覚悟はある」


あまりにも実直で誠実な眼差しに俺は気圧される。

今ほど前髪が長くてよかったと思うことはない。

まともに顔を見られたら、きっと俺は蒸発してしまう。

それでもこの提案が俺のためにも綾香のためにもならないことを理解していた。

だからこそ、取るべき言動は拒絶に近い断言だ。


「俺は、綾香と付き合う気はない。昔の俺ならともかく今の俺はなんにもできないから。さっきもお前にひどいことしたし」

「わたしは気にしてないよ。夜宮くんはわたしのこと、嫌い?」

「そうまでは、言わないけど。疑ってはいる。遊ばれているなら、それは俺がもっとも嫌いなことだから。綾香なら、俺以外にもたくさん付き合える奴がいるだろ?」

「いないよ。でもよかった。嫌われてるわけじゃないんだね……!」


ほっとしたように胸を撫で下ろす彼女に俺は顔を背ける。


――釣り合いが取れない。


そもそも天秤にすら乗ることがない。

月とすっぽんを同じ物差しで測るような愚かな行為だ

だが、俺は付き合うことは拒絶できても、はっきりと綾香を嫌いだとは言えなくて。


「なら、しばらくの間は偽カノ――ううん、仲のいい女友達として見て。それだけでいいから」

「……分かった。それでいいなら」


嬉しそうにする綾香の顔を見ているとこっちまで胸が温かくなってくる。


――人の笑顔には魔性ましょうの色がある。


父さんがかつて一度だけ言った言葉だ。

絵にはそんな生きた魔性の色を取り込まなければ、人を感動させることは夢のまた夢だと言っていたことを思い出してしまう。

胸の奥がジクリと歪んだ鈍痛を伝える。


「そろそろ、いい時間だね。わたしが腕を振るうから、こっち来て」

「は……?」

「いいからいいから」


俺は訳も分からず、綾香に肩に手を置くように指示される。


「へへ、夜宮くんの手はあったかいね……!」


可愛らしい微笑みを浮かべる彼女はそのまま料理に取り掛かるのだった。



♢♢♢



「どうぞ!」


テーブルの上に載るのはオムライスだ。

ホカホカと真っ白な湯気と共に美味しそうな香りが腹部を唸らせる。


「ふふ、お腹空いてたんだね」

「い、いただきます!」


あまりの恥ずかしさに玉子に勢いよくスプーンを突き立てる。

口に運ぶと、見た目通り――いや、それ以上にトロトロな口どけに思わず、言葉が口をつく。


「美味い……っ!」

「口に合ってよかった……!」


普段はコンビニの弁当か、冷凍食品で済ませてしまうので、手料理を食べるのは久しぶりだった。

こんなに、温かくて、満ち足りた気持ちになるんだな。

すっかり忘れていた気持ちを再起させられ、綾香に礼を言う。


「……ありがとう、綾香」

「どういたしまして」


綾香は俺が食べ終わるとすぐに洗い物をしてくれる。

俺がやると言ったのだが、頑なに『わたしがやるから』と言われてしまえば引き下がるしかない。

その間、相も変わらずに俺はずっと綾香の肩に触れているように言われた。

ふと、そこで疑問が頭に浮かんだ。


「綾香は食べないのか? 綾香だってお腹空いてるんじゃ――」

「わたしはいいの。お昼にお弁当食べすぎちゃったから」

「案外、ドジっ子なのか?」

「違うよ、もう!」


わざとらしく膨れて見せる綾香の横顔に俺は久しぶりに心からの笑いを浮かべるのだった。

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