第15話:好きだったの?
「――これが、朝露事件と呼ばれるものの真相だ」
吐き捨てるように、言葉を切った。
口に出すだけで、身を焦がすような憎悪と嫌悪が包み込む。
「そんなことがあったんだ……。本当に嫌なことを思い出させちゃってごめん。でも、最後に二つだけ聞かせて。その愛理さんはその後どうなったの?」
「ああ、愛理――二宮はそのあと俺を殴った主犯と付き合ったって聞いたよ。それ以上のことは何も知らない」
「ほんとの最後。愛理さんのこと、好きだったの?」
「分からない。でも恋に近い感覚だったのかもしれないな。嬉しかったんだ。一人都会に来て、一番最初に手を差し伸べてくれたのが彼女だった。いつも楽しそうに近くにいてくれた」
真っ先に声をかけに来てくれたのは二宮だった。
緊張していた俺に親しみを込めて関わりを持ってくれた。
その活発な人柄は俺にも向けられていたのだ。
「そう、なんだ。ごめんね。聞いておいてわたしにはどう慰めてあげればいいのかが分からない。――でも」
綾香が俺の頭を柔らかく包み込み、髪をそっとなでる。
あの出来事以来、できるだけ影になろうと徹してきた。
誰からも注目されず、誰からも何も言われない、そんな存在に。
その俺の前髪を綾香はそっと掻き揚げる。
「っ……」
部屋の明かりですら、俺の目を焼いた。
そのわずかな怯みを利用して、綾香は俺を横に押し倒す。
こんな話をした後でなければ、どんなにか明るい気分になれただろう。
だが今の気分で膝枕をされても、むしろ言いようのない苛立ちが募った。
「……何の真似だ」
無言で静寂な空間だった。
俺以外には本当は誰もいないんじゃないのか、そう思えるくらいに。
不意に部屋の明かりと逆光になっていて見えない綾香の顔辺りから何かが落ちてきた。
「――! 泣いてる……のか……?」
「だって、だって……! 夜宮くんはお父さんもいなくなって、愛理さんも……っ! わたしは知らなかったっ……なにもっ、なんにも……!!」
一瞬、部屋の明かりが明滅した。
その時、わずかに見えた綾香は眉を下げ、打ち震える姿を映していた。
「っ」
それを見て俺は我に返る。
綾香に八つ当たりしてどうする。
彼女は幼馴染で、俺のことを偏見で見ないただ二人のうちの一人だ。
いや、時雨には事件の詳細は明かしていないため、実質綾香だけが本当の意味で俺に偏見を持っていない人間なのかもしれない。
だからといって、完全に信用して裏切られることも怖い。
いつかまた、二宮のように振舞われるのが本当に怖いのだ。
「……別に、俺は慰めてほしいわけじゃない。ただ、それからは絵を描くのはもうしないって、決めたんだ。それに、今更描こうと思ったって俺の
「――」
俺は身を起こし、この話を切り上げようとすると綾香が何かを呟く。
「なんだ?」
「わたしは君の絵が大好きだった! だから……もう一度、絵を描いてほしいの。わたしが支えるから!」
「……は?」
今度こそ俺の何かに火が付いた。
溜め込んでグズグズになった感情の汚泥が綾香に向けられる。
「お前、さっきの話聞いてなかったのか? 俺はもう絵を描かないし、誰かにすべての気を許したりしない。お前にだって、俺は迷惑しているんだ。付きまとってきて気持ち悪いんだよ」
――駄目だ。
感情の防波堤が決壊し、コントロールできない。
傷つけたくないものまで――信じたいものまで壊してしまう。
完全に感情に支配される寸前の理性で唯一これだけを言う。
「……帰ってくれ」
「……うん。わたしにできることがあったら……何でも、言ってね……」
『気持ち悪い』『帰ってくれ』。
ひどい言葉の数々に、一瞬綾香の表情に影が差したことを見て見ぬふりをする。
卑屈な俺を彼女はどう見ただろう。
♢♢♢
次の日からも綾香は、まるで今日の出来事がなかったかのように接してきた。
ただ、それがどこか心に茨を巻くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます