第14話:悠斗に、関わらなければよかった

時節は俺が中学になったばかりの頃まで遡る。

俺は四月一日の入学式から新入生になる予定だったのだが、父さんが珍しく体調を崩したこともあり、学校に行っていなかった。

そして、一向に良くならない父さんに、俺と中学校側を交えた談義の場が設けられ、結局転入生として迎えられることが決まった。

もともと、引っ越しの書類など諸々の手続きが忙しかったうえに、初日から一か月弱をロスしているお子さんにとって、転入生という扱いの方が都合がいいだろうと、あちら側が気を回してくれた結果だった。



♢♢♢



「やっほ! 夜宮!」

「おはよう、愛理さん」


俺は過度に緊張しつつも、二宮さんに挨拶をすることができた。

彼女は俺の通う朝露中学でかなりの人気を誇っている少女だ。

周囲にはいつも人がいて、明るくてお人よし。

見た目は両サイドに髪をまとめており、天然の焦げ茶色が活発な彼女を彩っていた。


「もう! わたしのことは愛理って呼んでって何度も言ってるでしょ!」

「ごめん……。まだあんまりこっちでの生活に慣れてなくてさ。都会の人って別世界の人に思えて、自然と敬称を付けちゃうんだ」


俺は距離感の近いこの人とどう接すればいいのかよくわからなかった。

時雨はどうしてかは分からないが、そんなことはなかったんだけどな。

彼女には転入初日から、バシバシと絡まれた上に、派手な見た目をしているが仲良くしてくれるいい人だ。


「く……っ、くく……あはははははは! だめ、もう我慢できない!」

「なっ、なんで笑うんだよ……!」

「いや、ごめんって! 夜宮はそんな風に思ってたんだ? 大丈夫に決まってんじゃない。わたしとあんたは同じ人間なのよ? なーんにも遠慮なんてする必要はないわ! ね、みんな!」


愛理が明るい声で呼びかけると口々に賛同の声が上がる。


「そうだそうだー!」「俺たちと仲良くしようぜ!」「あたしもかまわなーい!」


陽気にサムズアップする男子もいれば、ひらひらと手を振ってくる女子もいた。

入学してわずか一か月と少しで愛理はクラスをまとめるリーダーになったのだとのちに知る。


「あ、ありがとう。その、よろしくお願いします……!」

「違うでしょ?」

「よろしく……!」

「にしし!」


それが朝露事件の核になっていた二宮愛理との出会いだった。



♢♢♢



「おーい悠斗ー!」

「どうしたの? 愛理」


季節は巡り、秋を迎えていた。

校庭や街中歩いていても、紅葉とイチョウのコントラストが楽しめる季節だ。

そんなある日、愛理が大きく手を振りながら登校中の俺に駆け寄ってきたのだ。

彼女との付き合いも春、夏と重ねて、自然と双方向で名前を呼び合うようになった。


……別に男女の付き合いではない。


「悠斗はそろそろ部活に入りたくなったー? 会ったばっかの頃言ってたじゃん? 『今は部活に入りたくない。もう少し落ち着いたら』って!」

「ああ、と……そんなこともあったなあ」

「なら、今日の放課後、部活動を見て回ろうよ! 友達になった先輩とか同級生とか一杯いるから、いろんな情報を持ってるよ!」


胸を張り、ふふんと息巻く愛理に俺は笑いかける。


「……ん? どうしたの? なんかいつもより元気がない気がするけど……」

「あ、いやなんでもないよ! 部活動かあ……楽しみだな!」

「あ、ちょっ!! 待ってってば!」


俺は愛理と顔を合わせるのが後ろめたくて、そそくさと教室に入るのだった。



♢♢♢



放課後になっても、愛理は朝の俺の様子を問い詰めることはしなかった。


――絶対に父さんが行方不明になっただなんて言えない。


そんなことをすれば、いらぬ心配をかけてしまうだろうし、何より俺自身がまだ向き合えていないからだ。

心の整理がついていない状態で、何かを口走ればきっと止まらなくなる。

だから、夕焼けに染まる教室でいつも通りの笑顔を振りまく愛理に救いを見た気がした。


「よし! 早速一緒に部活を見て回りましょ!」


手を引っ張られ、愛理についていく。


「まずは運動部ね! うちの中学はそこそこ運動部が強いのよ? 毎年県大会の通過は当たり前! 文化部も特に吹奏楽部が目立った活躍を見せているわね!」

「へぇ、俺は運動があんまり得意じゃないし、知らなかったな……」

「まあ確かにね。あんまし悠斗ってバリバリ運動できますっとは見えないよね」


あはは、と冗談交じりに笑って見せる。

見ておいて損はないという愛理の勧めから、サッカー部や野球部、バスケ部などを回ってみた。

どこでも愛理と俺は歓迎されて、彼女の人脈の広さに思わず「すごいな」と漏らしたときには「そんなことないよ」と笑い返されてしまったものだ。



♢♢♢



「お待たせー! いよいよ文化部を見て行こっか!」

「ああ、うん。楽しみだ」


俺の気のない返事に愛理は不満げな表情を浮かべる。


「つまらないならつまらないって、言っていいんだからね?」

「あ、いやそういうわけじゃないんだ! ただ、これ見てよ」


父さんがいなくなってから、追い打ちをかけるように匿名アカウントから二宮愛理から離れろだの、手を引かなければひどい目にあうだの送られてくるのだ。

スマホの着信はいつもきっかり一日一通のみ。

精神的にかなりきついのは事実だった。


「なにこれ……? 信じらんない……!! 先生に言った?」

「言ってない。だって、学校の人かも分からないし……」

「悪質ね。悠斗はこんなの気にしなくていいからね」

「うん……」


愛理は俺からスマホを取り上げると、匿名アカウントからのメッセージの受信をブロックする。


「はい。これでここからは何も来ない」

「ありがとう、愛理」


俺は愛理の気遣いが嬉しかった。

とうの愛理はというと、暗い雰囲気を搔き消すように明るい話題を振ってきた。


「悠斗は楽器使えたりする?」

「楽器はからっきしで……。でも絵なら描けるよ」

「へぇ~! だとすると美術部がいいかしらね……。じゃあ、軽く運動部も見たことだし、行きましょ!」

「あ、廊下走ったらダメだって!」


パタパタと二人分の上履きの音が廊下に響くのだった。



♢♢♢



「いらっしゃい! 僕たちの美術部へようこそ! 君が噂の転入生くんか! ぜひ、ぜひ我が部に!」


やや太めの黒縁眼鏡をかけた先輩にそう話しかけられる。

噂の転入生っていっても、もうすぐ半年だ。

とっくのとうに転入生の話など収束している。


「ちょっと、先輩! わたしが今、悠斗を案内してるのよ! 不当な勧誘はノーです!」

「お! 愛理ちゃんも久しぶりだねー! お兄さんはもう忘れられちゃったかと思ったよ……。しくしく」

「あ~もー!! その変なキャラは悠斗に毒ですから! ごめんね、悠斗。先輩はこういう人だから大目に見てあげてね!」


演劇部顔負けの泣き顔を晒し、頽れる先輩の姿に俺はあんぐりと口を開けるほかなかった。

だってそうだろ?

眼前でボロボロと大粒の涙をこぼし続けているのだから。


「それは、いいんだけど……。愛理は本当に学校中に仲のいい人たちがいるんだね」


猛烈なスピードで俺に顔を寄せてくる先輩に、涙の面影はなかった。

いったいどうなってるんだ、この人は。


「気づいたかい、転校生! 愛理ちゃんはこの学校のアイドルなんだ! その容姿はあか抜けてて、それでいて――」

「あーもう! 恥ずかしいからやめてよね! 先輩、悠斗に活動内容を教えてあげてよ」


愛理も愛理で腕をぶんぶんと振り回して抗議の声を上げている。

そのやり取りは兄弟のような印象を受けた。


「オーライ! じゃ、改めて僕の名前は崎原湊さきはらみなと。湊先輩でも湊でも豚さんでも好きなように呼んでいいからね!」

「え、あの、じゃあ湊先輩で! 俺の名前は夜宮悠斗です。よろしくお願いします!」


俺がぺこりと頭を下げると、湊先輩はスチャッと眼鏡をかけ直す。

その仕草があまりにも堂々としていたため、今から何が行われるのか鼓動が早まっていた。


「よし、じゃあ悠斗。僕たちの活動内容を紹介しよう! 僕たち美術部は日々情熱と尽き果てぬ根性をもって絵を描いているんだっ!!」


そう言うと、色々な作品を見せてもらった。

海の中に独りの少女が膝を抱えている絵、森の花園で動物たちと戯れているお姫様、騎士風の衣装に身を包み、剣を天に掲げるもの。

そのどれもに情熱と愛しさが込められていた。

一目で才能のある人の絵だと分かる。


「これは全部湊先輩が描いたんですか?」

「いいや、僕が描いたのはこれだよ」


そういって壁に掛けられている絵やイーゼルスタンドに置かれた絵を無視し、床に乱雑に積まれた中から一枚のキャンバスを取り出す。

とても暗い絵だ。

どうやら部屋――それも牢獄のような場所にとらわれた一人の女性を描いたものらしい。

俺はその絵を見て思わず口走った。


「綺麗……」

「っ!? 悠斗、君にはこの絵の魅力が分かるのか!?」


湊先輩は俺の肩に爪が食い込むほど、身体を揺さぶる。


「み、湊先輩! 痛いです……!」

「あ……すまない……。つい、興奮してしまって」


肩を落とす先輩に対照して、愛理は困惑しきっていた。


「ちょ待って……これが、綺麗? どゆこと?」

「繊細な筆致で光の向き・強弱が表現されているんだ。中央で女性が悲しみに暮れる表情もこっちに印象深くて、作者の性格までもが伝わってくるんだよ。そして何より――」


俺は一カ所意図的に胸の部分に空いた白いキャンバスそのものの色を指す。


「この部分はとても斬新だと思うんだ」

「そう……! そうそうそうそうなんだよおお!!」

「ちょ先輩! 興奮しすぎですってば!」


愛理の制止も利かず、湊先輩は俺に抱き着く。

俺もやや困り顔だ。


「誰も分かってくれないんだよお。こんな絵は手抜きだとか言われて没にしたんだけど共感してくれる人がいるなんてえ! うく……っく!」

「……悠斗、どうする? 他の部活にも行ってみる?」


呆れた愛理は、両手を顔の横でひらひらと振る。

湊先輩の狂行についていけなくなったのだろう。

ただ、俺が湊先輩に感じるのはそれだけではなかった。


「俺、この部活に入りたいと思う。先輩みたいに人の心を奥底から揺り動かす絵を描いてみたいんだ」

「……そう、なのね。うん! ということよ、先輩! いい加減に泣くのはやめて、これから彼のことを面倒見てあげてね!」

「もぢろんだよお! ……よし。それじゃあ悠斗、明日からよろしく頼むよ」

「はい!」



♢♢♢



「先輩の切り替わりは早かったね。驚いたよ、俺」

「でしょ? 湊先輩は感情の起伏が激しいのよ……。それにしても本当にあの部活でよかったの? わたし的にはあんましいい気はしないけど……」


すっかり辺りは暗くなり、俺と愛理は途中まで一緒に帰ることにした。

愛理はさっきの出来事をあまりよく思っていないみたいだ。


「あそこなら俺の描きたい絵が見つかるって、そんな気がするんだ。だから後悔はないよ」

「じゃ、最後に一つだけ。いつでもいいからさ、わたしに悠斗の絵、見せてくれない?」


わざわざ俺の前に進んできて振り返って言う。

街灯の明かりが燐光のように愛理を照らし出す。


「え? 愛理は絵に興味あるの……?」


俺とはあまり人種が近くないような気がする。

それはこの数か月間を共有したからよくわかる。

とても簡単に表すのなら、俺はインドア派、そして愛理はアウトドア派なのだ。

愛理は俺の質問に対して、寸分の間もなく言い切る。


「ない!」

「じゃあなんで?」

「悠斗がどんな絵を描くのか、それには興味があるのよ」


意外性と共に、父さんがいなくなってから自然と遠ざかっていた絵を描くことに向き合いたくなった。

人というのはひょんなことから、感情が切り替わるんだなとその時実感するのだった。


「そっか……。じゃあ、近いうちに一枚描いてあげるよ……!」

「ほんと……!? 言ってみるもんね!」



♢♢♢



次の日から、美術部の仲間入りを果たし、主に湊先輩からの手解きが続いた。

その間、次々と新しい見方や技法が身についていくのを実感できて楽しかったことは言うまでもない。

例えばこんな感じだ。



♢♢♢



「そうそう、構図は絵の心臓って言っても不思議じゃないからね! 一番僕的に時間をかけるのが構図なんだ」

「そうなんですね! ……よし。こんな感じでしょうか?」


俺はまず、基礎の基礎であるデッサンの練習から付き合ってもらっていた。

他の部員とも顔を合わせたがみな人のよさそうな人たちで本当に良かった。

慣れない都心での生活も少しずつだけど身になじんできている。


「おふ! そんな感じだね! 悠斗はどこかで絵を習ったりしたのかな? いやなに、まずは基礎からと思ったんだけど僕が思うにかなりの熟練度があると見た」

「そう、ですね。俺の父は画家でしたので、わりと色々なことを教わりました。もっとも俺は趣味程度に幼馴染に描いてあげていただけですけどね」

「ふぅーむ……そうだ。いっそのこと一枚描いてみてくれないか?」


はい、と言おうとしたけれど脳裏には愛理の姿が過った。


「すみません。こっちに来てからの最初の一枚は愛理に、と約束してしまったので」

「それなら仕方ない。僕は二番手に控えておこう! よし、今日はこの辺で切り上げようか」

「はい、お疲れさまでした。湊先輩」


俺はお辞儀をしてから部室を出て、そのまま教室へと向かう。


「待たせたみたいだね」

「まあまあって感じね。ほら下校時刻まであと一時間しかないわよ? 描ける?」

「それだけあればこの紙に描くのは余裕だよ。重ねるけどあくまで趣味程度だから期待値は上げないでくれ」

「分かってるわよ。でも、ひっそりと期待しておくね」


最後に何か聞こえた気がしたが、聞き逃してしまった。

さて、と。

今回は本格的に描くわけではないので、ポストカードサイズの紙に鉛筆と消しゴムを使って野原で駆け回る二匹のウサギを描きだす。

楽しそうに、嬉しそうに、春の到来を待ちわびた小さな野ウサギ。

下書きが終わると、本書きを行い、持参した色鉛筆で着色する。

その間、愛理は楽しみにしてるからと、窓の外を眺めていた。


「よし、できたよ。はい」

「どれど――え!?」


俺の絵を見た愛理は石像のように固まってしまう。

その様子に一抹の不安を覚えた俺は先に謝っておこうとする。


「ごめん。俺も久しぶりに描いたからあんまり上手くないかもしれない」

「いやいや! 謙遜しすぎでしょ!! 可愛い! っていうか普通にお店に売ってる奴より断然こっちの方がいいわ!」

「そ、そんなに褒められるとは思わなかった……。ありがとう」


穴が開くほどポストカードを眺めていた彼女はふと気づいたようだった。


「それに……これ、わたしの付けてるリボンよね?」

「そうだよ。少し遊び心に描いてみたんだ。気に入ってくれた?」

「気に入らないわけないじゃん! わたしの宝物ね!」

「ははは、そこまで言ってくれるなんて嬉しいよ。本当に」


俺は心からの笑顔が漏れてしまう。

本当に、久しぶりだ。

父さんが失踪して、黙々と絵を描くことが多かったから。

誰かにこんなに喜んでもらえるなんて、描いたかいがあるってもんだ。



♢♢♢



「なあなあ、夜宮って絵上手いんだよな? 俺にも描いてほしいんだ!」

「あたしも~」


次の日からのクラスメイト達はその話でいっぱいだった。

愛理は転入生の俺とクラスメイトたちの意識しない壁を大胆にも取り払ってくれたらしい。

俺がクラスメイトの囲いの隙間から愛理の席を見ると、口元に笑みを浮かべながら手を振ってくれた。

そんなことがさらに数か月以上続いたと思う。

ある日、突然にその日々は終わりを迎えた。

あまりに唐突すぎて何が何だかわからなかった。



♢♢♢



中学一年生の終業式が終わると、俺は愛理に校舎裏に呼び出されたのだ。

普段はメッセージなど送らずに直接俺と教室を出るのだが、この日は誰よりも早く教室を出て行った。


そして――。


「おら! 返事しろよ、ボケ!」

「もう、やめてよ……! 悠斗が!!」

「うっせぇな! 誰のせいでこいつが痛めつけられてると思ってんだ? 愛理!」

「そん、な……」


俺は愛理の真正面で激しい暴行を受けていた。

複数人から殴られ、蹴られ、立っていられるほどの気力も残っていなかった。

中には高校生らしき制服を纏った金髪の男もいた。

勝てるはずがなかった。


「夜宮、お前は愛理と付き合ってんのか?」

「俺は、付き合ってない」

「愛理、こいつの言ったことは本当か?」

「本当、よ」

「なら次だ。お前が愛理の後ろ盾を使って幅効かせ始めてこちとら邪魔なんだよ。わかるか? ああ?」

「そんなこと、俺のせいじゃ――かはっ!!」


強烈な蹴りが腹部を直撃する。

一瞬呼吸が止まった。


「俺が話してんのに口答えすんじゃねえよ。――そういやお前は絵を描くのが得意だとか噂になってたな。田舎くせえやつが調子づいてんじゃねえよ!」

「本当に、お願い……。悠斗は関係ないでしょ……? わたしがあんたの彼女になればそれで……!」

「いいや、もう足りないな。そうだな……?」

まさ君、確か夜宮は愛理に絵を送ってたはずっすよ。そんでもって、愛理はそれを鞄に持って歩いてるとか……」

「ほお、お前はあとで俺が奢ってやる。――なら、その絵を今ここで破け」


膝をつき、泣き崩れる愛理は首を横に振る。


「できない……! あれは悠斗がわたしのために……!」

「やれ」


俺は身体を丸めて打撃を受け続けるしかなかった。


――人の狂気が、悪意が、形を成して飲み込んでいく。


腕の感覚が、ない。

目の上も腫れあがっているのか、片目が見えない。

それでも愛理が絵を守ろうとしてくれていることが嬉しかった。

絵は描き手の分体であり、思いの籠った心の欠片だ。

それだけのために俺は心が折れることはなかった。

なのに――。


「……っ! 分かったわ……っ! だから……もう、やめてよっ!!」

「お前ら止まれ」


愛理はゆっくりと鞄の中から数枚の絵を取り出す。

いずれも俺が愛理のためにプレゼントしたものだ。


「ごめん……なさい……っ。わたしにはこうするしか……っ!!」


愛理は次の瞬間には絵を二つに割いていた。


「二分しただけで終わらせんなよ……? 面影まで徹底的に刻め」

「……ごめん。ほんとうに、ごめん……っ!! っ!」


愛理は震える手で何度も何度も破き、裂いた。

その度に俺の身体も引き裂かれるような感覚を得る。


――あれは愛理に初めて描いてやった絵だ。彼女が喜ぶと思ってリボンをつけてやったっけ。


――ああ、あれは体育祭の日、彼女がリレーのアンカーを務めるときにお守りとして挙げたものだ。きっとうまくいくと精一杯の応援を込めたんだっけ。


どれもこれもが愛理との思い出の中で生きていた絵だ。

それらが細切れにされ、風にさらわれていく。


「くく。……はっはあ!! ざまあねえなあ、おい! 所詮お前に対する愛理の友情なんて糞みてえに捨てれるものだったってことだ! ほんと馬鹿だよな!」

「雅君、どうする? こいつもう虫の息ですけど」

「さすがに殺しは勘弁だな。おい、行くぞ」


俺は校舎裏の壁に叩きつけられて、そのまま見送るしかなかった。

ただ空虚な心に、小さく聞こえた言葉を耳に残して。


「――悠斗に、関わらなければよかった」



♢♢♢



それからクラスメイトや先輩からの態度が一変した。


「おい、来たぞ」

「うっわ、きっも!」

「近寄んなよ」


俺はそんな言葉をかけられながら、自分の席に着こうとした。


”死ね””気持ち悪い””消えろ””屑が””ゴミ””さっさと死んだら?”


今まで普通に接してくれていた人たちの見方が次の日突然変わるなんてこと、俺はそれまで想像にすらなかった。


「うっわ、まじかよ。あいつ泣いてんぞ」

「なにそれウケる」


嘲笑を身に受けながらも我慢した。

俺にできることなんて何もない。

唯一の行動はただそこに影としていることだけ。

愛理の方など見る気力すら湧かなかった。

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